片想いしてた王室騎士がわたしのヤンデレストーカーだったんだけどどうすればいい?
開店時間に差しかかったことに気がつき、わたしはテーブルを拭いていた手をとめて、一度店の外に出る。そして、ドアにかけていた「CLOSE」の看板を裏返した。「OPEN」の文字を見て満足したわたしは、作業に戻る。
今日はいつもよりちょっと特別な日だ。掃除を続けつつ、時折顔を上げて店の窓ガラスにうつる自身の姿を確かめる。ついでに、通りかかるひとたちの様子を眺めながら。
しかし、十分掃除を続けていても、目当ての人物の影は現れない。わたしはため息をついて、奥の物置を片づけにいこうとしたそのときだった。
「……失礼、もう開店したでしょうか?」
出入り口のほうから、待ち望んだ声が聞こえてきて、わたしの身体はふわっと浮き上がるような心地になった。急いで店頭に戻れば、やはりそこには待ち望んだひとの姿があった。
「いらっしゃいませ、騎士様。入店していただいてかまいませんよ!」
さらさらとした黒髪、凛とした青い目に精悍な顔立ち。彼は王室つきの騎士団に所属する騎士様、カイル様だ。
「殉職した上官の墓に供える花を買いたくて……。というのは、もうご存知ですよね?」
カイル様が、眉根を寄せて困ったように笑う。わたしはそれに頷いて、「毎度ご丁寧に言ってもらえて助かっていますよ」と返した。
彼がこの店を訪れたのは、もちろん今日が初めてではない。付き合いはもう五年ほどになるだろうか。初めて来店したときは尊敬する先輩である仲間を失って動揺していたのだろう、よそよそしくわたしを突っぱねるような態度をとっていた彼だったが、段々と先輩の死を受け入れられていったのであろうことも相俟って、次第に態度が軟化していったのだ。
「一年に一度しか来店しなくて、申し訳ない。花を部屋に飾って、世話のできるような甲斐性のある男だったらよかったのですが」
「いえいえ……! 花を育てるのはハードルが高いと思う気持ちはよくわかりますから。あ、じゃあ、いつものお花選んじゃいますね!」
「ええ、頼みます」
――実は一ヶ月前からこの日を楽しみにしてた、だなんて不謹慎すぎるだろうか?
なにを隠そう、一年に一度、五回しか会ったことのないこのひとに、わたしは片想いをしている。理由はあまり思い出せないけど、花を見る眼差しとか触れる手つきとか、絶対に優しいひととしか思えないものだったから。
寡黙そうで近寄りがたいひとだけど、話してみるとその物腰は柔らかく、人当たりがいい。
「ところで、最近悩みがあるのでは?」
「え?」
花を選び取っていると、背後からふとそんな声が聞こえてきて、わたしは振り返る。
「……えっと、顔に出てました?」
「……隣のケーキ屋のキャシーが、『アニーが悩んでいるみたいだから話を聞いてあげて』と」
「キャシーがそんなことを⁉」
わたしの花屋の隣に並んでいるケーキ屋に務めているキャシーはわたしの親友だ。そしてカイル様はケーキ屋の常連らしい。見かけによらず甘いものが好きみたいだ。その話を聞いたとき、キャシーがうらやましいと思ったのはここだけの話で……。
「話を聞かせて?」
カイル様が穏やかにそんなことを言ってくる。すっかり絆されて、わたしはすんなりと口を開いてしまった。
「最近、買い物なんかで外に出ると視線を感じるんです」
「ふむ。視線……ですか」
カイル様が顎に手を当て、なにか悩むように俯く。
「ええ、なんだかこう……言葉では言い表せないような、ぞっとするような視線です。気のせいとは思えないくらい、怖じ気を感じていて」
そのせいで、最近は夜道を歩けなくなった。夜にしか咲かない花を見に行くのが趣味だったわたしは、視線の件だけでなく、そのことがちょっとしたストレスになっている。
「それは大変ですね。……そうだ、これでも俺は騎士ですので、あなたが出かけるときはできるだけ付き添いましょう」
「え⁉ 王宮騎士の方にそんなこと頼めません……! 今のところ実害も出ていないので、気になさらずとも!」
「俺が付き添いたいだけなので、何卒頼みます」
言葉少なにそう投げかけられて、わたしはぐぐぐと唇を震わせたのち、根負けして小さく頷く。
「では……週に一度、お願いできますか?」
「ええ、もちろんです」
知り合って五年、これまで五回しか会ってなかったのに――突然週に一度も会えるようになるなんて――わたし、明日にでも死んでしまうのかな?
*
「――よし、一週間分の買い出しできたみたいです! 帰りましょうかー」
「ええ」
市場を練り歩くこと約一時間。買い物リストにすべてチェックをつけられたわたしは、顔を上げてカイル様を見上げた。週に一度、買い物に付き合ってもらうことになってからもう二ヶ月は経っただろうか。最初は遠慮していたわたしだったが、二ヶ月もすればもう遠慮もなくなってきて、今では平気で荷物持ちもしてもらうようになった。しかし、その間に好きが増していき、態度がおかしくなるのも本当のことで――
市場から花屋に戻るまでの帰り道、別れを惜しく思いながら、慌てて話題を探す。
「そういえば、騎士様と歩いている間は視線を感じなくて――すごく安心できるんです」
「そうですか。ならよかった」
「週に一回だけじゃなくて、もっと会えたらなー、なーんて……」
優しい声色の返事に安心しきったわたしは、ふとそんな本心を零してしまう。しかし、怖くてカイル様の顔が見れず、俯く。
「奇遇ですね、俺もそう思っていたところです」
ふとそんな言葉が聞こえて、わたしはふっと顔を上げた。カイル様は穏やかな微笑みを浮かべている。
「じゃ、じゃあ……!」
「あ、もう店についてしまいましたね」
先ほどまでの会話から一転、カイル様の無慈悲な言葉に背中がすうっと冷えていき、胸のあたりがずんと重くなった気がした。
「あ、そ、そうです、ね……」
「もういい時間ですし、俺はこれで。では」
カイル様がそう言って立ち去ろうとした瞬間、ふと思い出したようにその口が開かれる。
「明日、店に来ていいですか?」
その言葉に、全身が歓喜するようにあつくなる。
「も、もちろんです……!」
「よかった。では明日」
カイル様が立ち去る姿を最後まで眺め、その後ろ姿を名残惜しく思いながら、見えなくなったのを確かめて店に戻った。
夕方頃、日用品の買い忘れに気がついたわたしは、数分で戻れるように脳内でシミュレーションをしながら店を出た。その帰り道、ふと視線を感じてさっと背後を見るが、そこには誰もいなかった。ドッドッドッと逸る心臓を押さえながら、帰路を急ぐ。しかし、視線に加えて足音まで聞こえるようになってきてしまい、その上、その上――
「はぁー、はー、はー」
荒い息まで聞こえてきて、わたしは振り返ることもせず走り出そうとした、その瞬間だった。
「ぐあぁッ……!」
呻き声が聞こえて、反射的に背後を見やる。最初に目についたのは、黒いフードを被って銀のナイフを持っている長身の男。下を向くと、そこには背中から血を流している男がいた。
「え……っ、え……⁉」
「……こんばんは、花屋のお嬢さん」
ナイフを持っている男がふと視線を上げて、フードを脱ぐ。そこにいたのは、よく見慣れたひと――カイル様だった。
「き、騎士様……⁉」
「この男、あなたの財布を掏ろうとしていたので、つい」
下唇を摘まみ、目を瞑ってなにか嘯いているように言うカイル様に、わたしの全身が冷えていく心地がした。
「つ、ついでひとの背中を刺すひとがいますか……! こ、この近くに診療所なんてあったっけ……⁉」
倒れている男に僅かに近寄りながら、頭を抱える。
「……この男を助けるつもりですか?」
「あ、当たり前でしょう……⁉」
「……」
カイル様はなにか思うところがあるようで、不満げな表情でナイフを懐にしまいながら、コツコツと靴の音を立ててわたしに近づいてくる。
「……な、なんですか……?」
にじり寄られて、思わず後ずさる。
「なぜ逃げるんです?」
「あ、あなたが近づいてくるから……!」
「……あはは、怖いですか?」
カイル様が微笑みを浮かべながら首を傾げる。
「可哀想に。出歩かなければ俺の本性など知らずに済んだのに」
「ほ、本性?」
「俺と歩いていたら視線を感じない? 当たり前じゃないですか、その視線の正体は俺なんだから」
「え?」
淡々と告げられる事実に、わたしの頭は真っ白になる。
「ああもちろん、仕事中や遠征中はあなたの様子を見ていられるわけではないので、情報屋を雇ってあなたを監視させていたんですけど……。どうやらいつの間にか、あなたのことを好いていたみたいですね、この男」
カイル様が、つま先で男の頭を蹴る。
「まあこの男の気持ちもわかります。あなたは魅力に溢れた方ですから」
男のほうから、わたしへと視線を移す目が、恐ろしい。
「なにも知らないまま明日を迎えられずに、残念でしたね、お嬢さん?」
口許に浮かべられる笑みが恐ろしい、のに。
「ああそうだ、花をくれますか? この男に似合うのを一輪――あと、あなたに贈る花束を」
なんで。いつから? なんていう言葉たちが、浮かんでは消えていく。本当は恐ろしいはずのこのひとのことを、心の底から怖がることができないわたしが、今は一番怖くて。
「……あの……、明日も、会ってくれますか?」
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