エピソード5★王配教育開始!迫る信者の包囲網
「コウ様、お時間でございますのでお目覚めください。」
後宮での初めての朝は、俺の専任侍従であるハクトの声で始まった。声に促され意識を浮上させた俺は、ベッドの上で半身を起こして一つ大きく伸びをした。慣れない場所ではあったけど、疲れていたことと昨夜の女王様のお陰か、すごくよく眠れたみたいで頭も体もすっきりしている。
「あぁ、おはようハクト。」
「おはようございます。お目覚めでしたら、早速お支度を………。」
ふと言葉を止めて、ハクトが俺の方を少し驚いたような瞳を向けた。
「?」
なんだろう?と不思議に思ったが、ふと動かした手の先にやわらかいものが触れ、その正体に思い当たった時、一気に血の気が引くような感覚になった。
(——ひゃあぁぁっ‼こ、これ、わぁー‼)
それは少し大きめのふわふわ・モフモフの大変愛らしいぬいぐるみ、女王様の”うさちゃん”。それが俺のベッドにある。つまりハクトが目にしたのは……うさぎのぬいぐるみと添い寝している19歳男性の姿……‼
「いや!あの、違っ、こ、これは、そのっ!」
この状況はかなり恥ずかしい——‼
「お召し物はこちらに用意してございますので、洗顔後お着替えください。私は朝食の準備を整えてまいります。」
アワアワと弁明を試みる俺を、ハクトは見事なまでにスルーした。さすが有能……いや、でもハクトさん、それはそれでなんか恥ずかしいです。
しかし、何事もなかったようにさっさと次の行動に移るハクトの後姿に、いつまでもベッドの上で羞恥に悶えるわけにもいかず、俺も身支度を整えるべく”うさちゃん”が横たわるベッドから離れた。
朝から一気に疲れてしまった……などと思いながら、身支度の間にハクトによって完璧にセッティングされた朝食をいただく。昨夜の食事もそうだったけど、流石に王宮の食事と言うべきかこの朝ごはんもとても美味しい。さっきまで落ち込んでいた気分も浮上してきた感じだ。やっぱり美味しい食事って最強だな。
「コウ様、本日のスケジュールですが、ご朝食後はレイシェント王国史についての講義がございます。昼食をはさみ午後からは魔導学の講義、剣術の稽古を受けていただき、夕食・就寝の流れとなっております。」
一日隙間なく、って感じのスケジュールだなぁ…。王配教育初日だけど、容赦ないね。
「アルディメディナ女王陛下との面会ですが、本日は昼食をご一緒されるとのことです。——そちらは、その時にご返却されるのがよろしいかと。」
そう言ったハクトの視線の先には、”うさちゃん”がしっかりといる。
どうやらこの有能侍従は、昨夜はなかったうさぎのぬいぐるみが何故俺のベッドにいるのか、全てお見通しだったようだ。
「―そうだね、早く戻してあげたほうが良いよね。大事なもののようだし。」
「はい。そちらのぬいぐるみは先代の女王陛下から賜ったもので、陛下がたいそう大事にされているものと伺っております。それに今は……伴侶であるコウ様の髪の毛を…その…縫い込まれているそうで……伴侶様の匂いのするぬいぐるみを、より一層溺愛していると聞いています。」
そうなんだ……ってん?何か今、引っかかる単語があったような……え?髪の毛……俺の……?
(———あれか——!)
あの日、キリアン兄上にブチっとされたやつだ、きっと。女王陛下はそんなものどうするつもりだ、と思っていたけど、まさかの使い道だった。しかも溺愛って……。
確かに、愛らしい美少女が愛らしいうさぎのぬいぐるみを愛でる姿は、何の問題もあるわけがないし、むしろ正義だ。モブの俺ごときが、何か物申すことではない……が……
(だけどちょっとこれは、愛情表現としては微妙だと、誰か女王様に教えてあげた方が良い案件なんじゃないかなぁ…。)
ハクトが淹れてくれた食後のお茶と共に、俺はそんな自分の考えを呑み込んだ。
朝食後、ハクトと共に俺は執務室の扉の前にいた。これからいよいよ本格的に王配教育が始まるのかと思うと、やはりどうしても緊張感が高まってくる。
「失礼いたします。」
ノックと共に扉を開けたハクトに促され部屋の中に入ると、そこには長いローブを身にまとった少し小柄な人物が待っていた。
「コウ様、そちらが本日よりコウ様の講義を担当いたします、ルンドヴァル魔導師長殿です。」
レイシェント王国には、『魔導師庁』という国の機関がある。魔力を使った様々な研究などを行う機関で、対外魔術部隊である『魔導課』、魔道具の開発・生産・研究を行う『魔導技術課』、魔導医療の研究・開発を行う『魔導医術課』があるそうだ。ちなみにキリアン兄上が所属しているのは『魔導課』で、要人の護衛や魔獣の討伐なども担当していると聞いている。つまり、国の中でも高い魔力量を持つエリートが集まる部署であり、魔導師長と言えばその頂点に立つ人物、ということで——
「は、はじめまして、コウ・ドナルテと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
そんな人が俺の師になるなんて!思いっきり緊張してしまったが、なんとか挨拶を口にできた。するとその人物は、何も言わずに俺に近づくと、頭一つ分くらい下から俺の顔を覗き込んできた。その顔は、人好きのしそうな老人の顔で……あれ?でもこの顔……どっかで見たことがあるような……?…
「え…?……あっ、あ———っっ‼」
「ほっほ、覚えていてくだされましたか、コウ様。」
そう、この顔。間違いない、昨日の——あの消えたおじいさんだ!
驚きのあまり、アホみたいにただ口をパクパクさせている俺を、いかにも楽しそうな顔をして
「改めまして、わしはこの王宮で魔導師長を務めております、ルンドヴァルと申します。本日より、コウ様を立派な王配とすべく誠心誠意、尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
おじいさん—いや、ルンドヴァル魔導師長はそう言った。
「では、互いに自己紹介を終えたところで、早速じゃがレイシェント王国史の講義を始めていきましょうかの。どうぞおかけになってください。」
(いや、まだ色々謎なんだけど……!)
意外な再会に正直まだ混乱していて、講義どころじゃない!……と思ったけど、穏やかそうに見えて有無を言わさぬ魔導師長様の視線に負け、俺は講義を受けるため促されるままに着席をした。
「まぁ、王国史の講義といっても、国の成り立ちの逸話や大まかな歴史などは、庶民の学校でも教えますしコウ様もよくご存じでしょう。ですのでここでは、国の根幹ともいえる王族とその祖であるとされる竜について、さらに詳しくお話ししようと思います。」
レイシェント王国では、6歳から10歳までの子供は学校に通い、読み書きや国の成り立ちなど、基本的な教育を受けることが法で定められている。庶民の子供は住んでいる領内にある学校で、そして貴族階級の子は家庭教師を雇うか王都にある王立学園で学ぶのが一般的だ。俺の場合は、末子であることと極端なモブ体質ということを両親が考慮し、学園ではなく家庭教師を招いてくれた。
「この国は四方を山脈と森に囲まれており、その最も奥深くの位置に竜の聖山である”ルキナ山”が存在します。ルキナ山周辺は魔素を多く含んだ鉱石が多数含まれた岩山で構成されており、特にルキナ山は魔素濃度が高く我々人間を含め多くの生物が立ち入れず、竜たちにとってこれ以上ない安全な繁殖地ともなっているのです。」
この辺りは、家庭教師の講義でも習った。竜の聖山であるルキナ山周辺からは純度の高い魔鉱石が採掘され、それが我が国の重要な産業の一つとなっていることとあわせ、魔素濃度が高い場所は危険なので森の奥には入ってはいけない、と教わるのだ。
「繁殖地である聖山には、様々な竜種が集います。大半は繁殖のため、外からやってくる竜たちですが、この聖山に住まう竜種もいます。それが全ての竜の頂点であり、我がレイシェント王家の祖と言われる白竜種です。
そもそも竜は高い魔力を持つ魔獣で、人間などより遥かに長い時を生きる長命種です。赤竜は火魔法、青竜は水魔法、黒竜は土魔法といったように、竜によって使える魔力属性は違いますが、白竜種は全ての属性を操ることができる強大な魔力量を持ち、その寿命も竜種で一番長いとされています。そんな竜種のトップである白竜種は、ルキナ山を住処とすることで、大事な竜種の繁殖地を守護する役割を果たしているのですよ。」
竜種については大まかにしか習わなかったので、ルンドヴァル魔導師長の話はとても興味深かった。聖山が竜の生息地というよりも、繁殖地としての役割が大きいなんて、今初めて知ったことだ。世の中知らない事なんて、まだまだいっぱいあるんだな。
「白竜種はみな白い鱗を持っていますが、種の中でも特に強い力を持った竜は白銀の鱗を持って生まれ、種を導く主となります。白竜種は古来より女系種族であることがわかっており、我々はこの主たる竜のことを、”白銀の女王”と呼んでおります。——ときにコウ様、レイシェント王国を治めるのが代々白銀色を持った女王であることは、もちろんご存じですな。」
「は、はい。」
「白銀色を持つ者は白竜種と同じく、レイシェント王家直系女児にしか誕生しません。生まれながら強大な魔力を持っており、まさしく人の身でありながら竜のごとき能力を備えた稀有な存在です。そのため、人為的な害が姫に及ぶことはありませんし、また白銀色の姫はその世代に一人しか誕生しないゆえ、他国のような王位争いなどとは我が国は無縁であれるのです。
王家に次代の女王となる白銀の姫が誕生すると、普段聖山から離れることのない”白銀の女王”が降臨し、姫に祝福を与えます。この儀式は秘匿性が高く、王族などごく一部の人間しか知られていないため、恐らくコウ様もご存じではなかったでしょう。ですが、これこそレイシェント王家が竜の末裔であり、竜の守護を受けたこの国を治める正当な王であることの、確固たる証に他ならぬのです。」
レイシェント王国において建国の逸話を知らない者はいないし、自分たちの国を治める王家が竜の末裔であることを誇りに思っている。それは、いつの時代も白銀色の女王陛下が先頭に立ち、国を護ってくれていることを実感しているからだ。
でもこうして、さらに聖山に住む竜の女王との関係を詳しく教えられると、自分の認識がいかに現実味が薄く、お伽話レベルでしかなかったことを思い知らされる。
世代に一人しか生まれないこの国の守護者。レイシェント王国の祖である竜の守護を受ける白銀の女王。アルディメディナ女王陛下は、本当に特別な存在なんだ。
そんな俺の考えを表情から読み取ったのか、ルンドヴァル魔導師長はニヤリと瞳を悪戯っぽく輝かせて、俺にこんなことを聞いてきた。
「そんな特別な女王の伴侶、”王配”にはどんな方がふさわしいですかの?」
———へ?———
その言葉に一瞬、思考がフリーズした。え?王配にふさわしい人物……?
「そ、それは……えっと……やはり、女王陛下の隣に立つわけですから……万人が認める、能力的にも人柄的にも秀でた方……では…ない、かと……。」
あ、なんか自分で言ってて悲しくなってきたぞ。
そうだよ、わかっている。わずか10歳で即位し見事に国を護ってみせた、あの眩いまでに光り輝く女王陛下の王配だなんて、だれがどう見たって俺では役不足もいいところだ。
「そうですな。普通に考えればその通りじゃ。国を治める者の伴侶ともなれば、血統や容姿、能力など、誰が見ても相応しいと思える者が選ばれて当然と言えましょう。事実他国では、そうした高い選考基準に基づき、数年をかけて選ばれているそうです。
——しかし、我が国の女王が伴侶、王配を選ぶ基準はただ一つ。血筋でも能力でもない、女王自身が伴侶と認めた者であるかどうか、なのですよ。」
「…それって、どういう……?」
「先ほどから申し上げているように、我がレイシェント王家は竜の守護を受ける竜の末裔です。その身に宿る強大な魔力も、白銀色を纏う美麗な容姿も、それを示すものではありますが、他にも人にはない本能が受け継がれております。そう、それがまさに——伴侶選びなのです。
竜は生涯同じ伴侶と連れ添うのですが、その伴侶を選ぶ際に他の生物によくあるような、より優秀な子孫を残すための”伴侶争奪戦”は起こりません。まるで生まれる前から番となることが決まっているかのようなことから、竜の番は”魂の伴侶”同士とも言われ、お互いが本能で惹かれあい結ばれるという特徴があるのです。最も竜の血を色濃く受け継ぐ女王は、代々この本能に従い自ら伴侶を選んでおり、その決定は絶対です。そのお相手が、周囲から見るとどれほど摩訶不思議であっても……。」
最後の方、軽いため息と共にこちらをじっと見るの、やめてください。きっと一番不思議に思っているのは、魔導師長ではなく俺なんですから。
「まぁそれを抜きにしても…、わしは今回の王配選びに関して疑問に思うことが一つ、あるのです。コウ様——そなた、あまり女王陛下が自分の伴侶であるという認識が、お持ちになれないのではないですか?」
その言葉に、俺は心臓がギュッと掴まれたように感じた。
「竜の伴侶は”魂の伴侶”と言われるように、互いに惹かれあう、というのが通例です。現に先代様ご夫婦も、アルディメディナ陛下のご両親も、女性側だけでなく男性側にも自分の伴侶だという認識をお持ちでした。ですがコウ様は——あまりご自覚がないようですな。」
「う……はい。」
「あぁ、責めているわけではないのですよ。ただ、少々そのことで思い当たることがありましての。実は女王の伴侶となられる方には、お互いの認識の他にも”王配”であることを示す証となる痣——”竜印”がお身体のどこかに現れるのです。」
痣?痣って……もしかして?
「ほう?どうやらお心当たりがおありのようじゃ。もしや、すでに痣が現れておるのか?…にしては気配を感じぬが……どれ、ではそれをわしにお見せください。」
ルンドヴァル魔導師長の有無を言わせない視線にまたも負けた俺は、言われた通りシャツのボタンをはずし、母に痣があると言われた場所のある胸元を広げて見せた。
胸の真ん中あたり、うっすらと赤くなっている箇所がある。ぱっと見では、痣と言えるかどうかも微妙な感じなんだけど……これ以外に痣と言われて思い当たるものはない。
「ふむ……これはこれは…なるほど。」
俺の胸に顔を近づけ、まじまじと俺の”竜印”?らしきものを観察したルンドヴァル魔導師長は、満足げに一つ頷くと少し離れて俺に向き合った。なんだかさっきより瞳がキラキラしているようだけど……どうした?
「アルディメディナ陛下が断言されているとおり、コウ様こそ陛下の伴侶で間違いなさそうですの。コウ様の痣からは、微かですが確かに”竜印”の気配が致します。ただ、その気配を抑え込む——強力な封印の魔術が施されているのです。完璧に構築された術式、そしてこの美しい魔力の色、間違いなくリリアディナ様が施された封印魔術が!」
興奮度マックスで俺に詰め寄ってくるの、怖いんですけど!
「王族にも匹敵する魔力量を持ち、魔術に関する造詣も深く、素晴らしい女性魔導師であられた!間違いなくこの国の魔術発展に、欠かせない至宝であったというに!あぁ、あの男がお主と同じように、あの庭に迷い込んでこなければ今頃……!しかし、本当にコウ様はあの男に似ておられる。……はっ、もしや非凡な男の方が、大物女性に好かれるのかの……?」
話の内容が、ちょっとよくわからなくなってきたぞ。
「あ、あのぅ、ルンドヴァル魔導師長様。それで、俺のこの”竜印”?って……。」
「ほ?おぉ、そうでしたな。ン、ウォッホン——、あー、王配に現れる”竜印”……、これは王配たる方が伴侶である女王と出会った時、自然に浮かび上がる特別な痣です。”竜印”からは伴侶を惹きつける、竜の魔力を帯びた匂いが発せられることから、自分の存在を伴侶に知らせる役割を持っておることがわかっています。この匂いは竜特有のもので、女王以外でも竜や竜に連なる血が濃い王族、または高い魔力を持つ者も感じ取ることができます。ですが、あくまで感じ取れるだけで、女王のように恋愛感情に駆られるようなことはありませんので、ご安心くだされ。」
そう言うと、魔導師長は悪戯っ子笑みを浮かべて、俺にパチンっと一つウインクをした。
「”竜印”は、王配が自分の伴侶を求める本能の現れです。よく先代の王配様も、その瞬間この上もない喜びに包まれたなど、隙あらばわしに惚気ておられましたわい…。
——さて、コウ様の”竜印”じゃが、先ほども少し申しました通り、リリアディナ様——あなたのおばあ様により強力な封印が施されております。アルディメディナ様に出会ったことにより、僅かに術が緩んでいるようですが、それでもなお本来の”竜印”の効力はほとんど抑え込まれている状態です。これでは、陛下以外の王族の方や、魔導師長たるわしが匂いを感じ取れなかったのも、未だコウ様がはっきりとしたご自覚を持てないでおるのも納得ですじゃ。それにしても……いったいどうして、リリアディナ様はお主に”竜印”が顕現することがお分かりになったのだろう?それに分かったとしても、これほど強力な封印を施すなど……不可解じゃ。」
「それは……母が申していたのですが、おばあ様は俺が生まれた時に胸にある痣を見て、『このままだと厄介だから隠しちゃうね』と痣を見えなくしたのだそうです。」
「んな、なんじゃと‼痣が…”竜印”が生まれた時からあったじゃと——‼」
魔導師長の絶叫が、部屋中に響き渡った。
び、びっくりした!
「馬鹿な…!コウ様は19、出会うどころかアルディメディナ様の影も形もない頃ではないか!そんな話は、これまで聞いたことがないぞ。……いや、だがしかし、そうであれば、リリアディナ様が封印をされたのも、説明がつく。」
「どういうことですか?」
「”竜印”は、伴侶と出会うことで発現し竜特有の匂いを発する、と先ほど申し上げたじゃろう。ゆえに人間で感じ取れる者は限られるが、竜は違う。竜は基本、好奇心の強い種族じゃ。竜の血族である女王という伴侶がいないのに、人が同族の匂いをさせていればどうなるか。その存在に興味を惹かれた多くの竜が、コウ様に近寄ってきたことでしょう。そうなれば、竜に悪気はないにしても、コウ様自身や周囲に大きな事故が起こるかもしれない。またそんな特異体質を悪用しようとする人間が現れ、危険に晒されるかもしれない。そう考えられたのでしょう。
ご家族や領民の安全、そして何よりコウ様の身を案じて、伴侶が現れるその時まで”竜印”の力が発現しないよう封印を……。さすがはリリアディナ様じゃ、何とお優しい…。」
あ、またなんか魔導師長の瞳がキラキラし始めた。この人、相当重度なリリアディナ信者だな。
——リリアディナおばあ様かぁ。
俺におばあ様の記憶はないけれど、とても愛してくれていたんだと改めて感じることができた。これまで何の心配もなく、家族や皆に囲まれて平和に暮らせてこれたのは、おばあ様のお陰だったんだね。おばあ様が”竜印”を封印してくれたから……
「…あれ?俺、女王様に出会ってますよね。もう問題はないはずなのに、なんで封印解けてないんだろう…?」
「うむ。その点はわしにもよくわからん。封印解除の条件がまだ整っていないのか、はたまた単にリリアディナ様の術が強力であるだけなのか……いやぁ、実に興味深い。」
「で、でも、このままだったらまずいんじゃ……」
伴侶の証が不完全であることとか、俺の女王様への気持ちとか、色々。
「なぁに、アルディメディナ様の方はガッツリ認識しておるし、陛下に出会ったことで完全ではないにせよ確かに封印に弛みは出ておる。現にそちとて、王命だけでここに来たわけではなかろう?」
そう言われて、俺はうっと言葉に詰まった。そうだ、俺がこの王宮に来たのはもちろんそれが王命だからだけど、それだけじゃない。
(コウ!)
俺自身が……彼女の笑顔をもう一度見たい、そう思ったからだ。
「竜の番は魂の番、焦る必要はありませぬ。まして女王陛下はまだ12歳、真の夫婦になるにはまだ早いですしのぅ。その時まで、コウ様は王配候補として、ゆっくりと進んでいかれるがよろしいでしょう。」
そんな意味深な発言に思わず頬が赤くなった俺を見て、魔導師長がニヨニヨと楽しげな顔をした。あぁもうこれ完全に、俺の事からかって遊んでいるな。
「きっとリリアディナ様は、コウ様が夫君に似ておられることも、考慮されたのかもしれませんな。あのぼへーっとした平々凡々な男に似たのであれば、王配など分不相応にもほどがある重責となる事は必至。避けられぬとしても、せめて準備期間が得られるようにとそこまでお考えになったのやもしれん。
あぁ、本当にお優しく思慮深いお方じゃ…!そしてこの術!惚れ惚れとするような完成度!王都におられた頃と変わらず、嫁がれてからも研鑽を積まれ続けたのだろう。一度で良いから、共に魔術研究をしてみたかったのう…!研究と言えば、リリアディナ様が関わられたものがいくつも魔導庁に残っておっての、いずれもまだ成人前の子供が創ったものとは思えぬ素晴らしいものばかり…!特に薬学に関するものは、今の医学の礎となっている画期的なもので———」
———そこからハクトが昼食の時間を知らせに来るまで、俺はレイシェント王国史ならぬリリアディナ史を聞かされ続けたのだった。
「はははっ!それはさぞ白熱した講義になったろう!」
昼食会場に、少女の明るく楽しそうな笑い声が響いた。予定通り女王陛下とランチを共にしているのだが、初めての講義はどうだったと聞かれ正直に先程までのことを伝えた結果、爆笑されたのだ。
うぅ、笑い事ではないです。ルンドヴァル魔導師長のリリアディナ愛が巨大すぎて、もうノックアウト寸前です。
「はぁ…そうですね…。白熱されておりましたね…。」
ぐったりして答える俺を見て、くっくとまだ少し笑い声を漏らしながら
「許せ、コウ。ルンドは優秀な魔導師に違いないのだが、昔から有名なリリアディナ信者でな。魔導師庁の者達はもちろん、わらわもよく聞かされたものだ。」
とそう言った。どうやら被害者は王宮の全方面にいるらしいな。
「いえ、ですが、小さい頃に亡くなった祖母の事はあまり覚えていないので、祖母のことを(主観がすごかったけど)たくさん知れたのは、正直嬉しかったです。」
「ふふっ、コウは優しいな。わらわなど途中で逃げ出したぞ。」
多分それが出来たのは、アルディメディナ様だけだろうなぁ。特に魔導師庁にいる方々は職場のトップだもん、逃げるなんて絶対に無理だろう。
「だがリリアディナ殿については、ルンドだけでなくおばあ様からもよく聞いた。とても賢く聡明で、才能あふれる方だったとか。できるなら、わらわもお会いしてみたかったな。」
そんなアルディメディナ様の素直な言葉に、魔導師長から受けたダメージがほっこりと癒されていく。
「そうですね、俺も女王陛下と一緒に、おばあ様に会いたかったです。」
俺の返答を聞いた女王様は、本当にうれしそうに輝かんばかりの可愛らしい笑顔を俺に向けてくれた。
楽しい時間はいつだって短いものだ。
和やかな昼食時間も終わりとなり、女王様は公務へ、俺は午後の講義へ向かうことになった。まぁ、十分にリフレッシュもできたし、この後も頑張りますか!——と、その前にわすれちゃいけない!
「あの陛下、昨晩はお気遣い、本当にありがとうございました。もう大丈夫ですので、こちらはお返しいたしますね。」
そう言って、控えていたハクトから受け取った例の”うさちゃん”を、女王様に手渡した。
「そうか、もう大丈夫か。」
「ええ。それにこれは陛下の大事なものですから、陛下がお持ちになっているのが一番です。」
俺にはちょっと、”うさちゃん”はファンシーすぎるしね。
自分の腕に戻った”うさちゃん”をギュッと抱きしめ、嬉しそうな笑顔を浮かべながら
「ふふっ、コウの匂いが増しておるの。」
「へ?く、臭かったですか?」
「何を言う、わらわにとってこれ以上に香しい匂いはない。——ではコウ、名残惜しいがお互い仕事に戻らねばな。おぉ、そういえば、剣術の講義は今日特別にダイアドルのおじい様が請け負うそうだ。」
え?誰?
「昨日の謁見には間に合わなかったが、現ダイアドル公爵じゃ。今は息子に王室での仕事を任せ、本人は領地での仕事に専念しておる。だがやはり、王配の存在は気になるようでな。挨拶がてら、剣の講義も行うと申し出てくれたのだ。おじい様はレイシェント王国きっての剣豪で、わらわの師でもあった方じゃ。講師としては申し分ない——申し分ないが、ただ……ルンドと同じく……その……信者なのだ、リリアディナ殿の。」
ランチタイムで得た癒しが、一気にゼロになっていく気がした。なに、その不吉でしかない情報は!しかも午後は魔導学もあるから、ルンドヴァル魔導師長から「じゃ、また午後にの。」と言われたのに!——つまり、リリアディナ信者が2人になるってこと?え?
「今日は1日、リリアディナ史の講義になりそうじゃな……。武運を祈るぞ、我が伴侶殿。」
あまりの衝撃に呆けている俺に向かって、女王陛下は可愛らしく拳を握り、ふんっと小さな激励を俺に贈ると、そのまま昼食会場を後にしていった。
(——おばあ様ぁぁ———‼)
声にならない叫びを上げ、その場に立ち尽くす俺の肩をハクトがそっと叩き
「…では、参りましょう。」
と信者達が待っている執務室へと、渋る俺の身体を引きずり…もとい、促していった。