エピソード4★新たな始まりを告げる王族へのご挨拶
空飛ぶトカゲに続いて美しい花咲き乱れる中庭で老人が消えた。こんな短時間に、しかも2つも遭遇していい事象なんだろうか……これは。
そんなこんなでただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった俺は、それからすぐ必死の形相をしたキリアン兄上たちに無事捕獲された。もちろん、兄上にめちゃくちゃ怒られたことは言うまでもない。
オズモントさんたちは謝る俺に対して、それでもにこやかに接してくれたけれど、彼らの身体から漂う憔悴感がこの短時間で受けたダメージの大きさを雄弁に物語っていている。
(本当に……申し訳ありませんでした。)
俺は心の中でもう一度、オズモントさんたちに謝った。あぁ、俺のモブ体質よ、とりあえず今日はもう、これ以上発動しないでくれ…!
そんなこんなで何とか控室に戻り、どうにか全員落ち着きを取り戻した時だった。
「失礼いたします。コウ様、ドナルテ家子息キリアン様。謁見の準備が整いましたので、ご移動をお願いいたします。」
本当にとてつもなく良いタイミングで、部屋を訪れた騎士から女王様の呼び出しが伝えられた。
「かしこまりました。」
完璧な礼で騎士に返答したオズモントさんの声が、心なしか明るく弾んでいるような…。
まぁ、それもそうだろう。
アクシデント(?)を知られることなく、女王陛下からの呼び出し係を迎えられたことは、オズモントさんだけでなく俺を含め全員にとって僥倖と言えたんだと思う。当然だけど、俺なんかより女王様のことをよく知っているオズモントさんが、あれだけ動揺していたんだ。俺の姿が見えなくなった、なんてことが女王様の耳に入ったらどんな騒ぎになっていたか———!
そうして俺とキリアン兄上は、何とか無事に俺を送り出せる喜びと安堵が混ざり合う生暖かい眼たちに見送られ、呼び出しに来た騎士に案内され謁見の場へと向かった。
(さすがに…緊張するな…。)
さっきの騒動で紛れていた緊張感が、廊下を歩いているうちに再び蘇ってきた。そうだよ、ちょっと忘れかけてたけど、俺はこれからこの国の女王様に会いに行くんだ。しかも、彼女の夫となる者として…!
でもなぁ……”世界最強のモブ”である自分がこの国の女王の夫になるなんて、信じられる要素が一つもないんだよ。この状況、実は誰かが仕組んだ壮大な冗談だったと言われ、思いっきり笑われる方が、まだ真実味がある結果だと思う。けど……
(うさちゃん♡)
そう俺に呼びかけて、嬉しそうに微笑んでいた白銀の髪と金色の瞳をした美しい少女。あの笑顔をもう一度見たいと思っているのも…ごまかしようのないもう一つの本音だ。
信じられない気持ちと僅かな期待。
「コウ・ドナルテ様、キリアン・ドナルテ様、お連れ致しました。」
自分本位ともいえる俺の感情の結末は、この扉の向こうにある。そう心の中で小さな覚悟を決め、俺は騎士に促されるまま部屋の中へと入っていった。
謁見の間は、少し広いホールのような場所だった。部屋に入ってまず目に入ったのは、真正面に位置していた数段高くなっているスペース。そこに置かれた王座には、あの日ドナルテ邸の応接室で初めて会った少女、アルディメディナ女王陛下が座っていた。
白銀の髪に金色の瞳、確かに俺を”うさちゃん”と呼んだ少女に間違いない。けど今の彼女の姿は、俺がドナルテ邸で会った時よりも、ずっと威厳と風格に満ちていた。その圧倒的な存在感を前にしては、きっと誰もが跪かずにはいられないだろう。彼女が女王である、ということにどこかまだ半信半疑でいた俺だったけど、間違いなく彼女こそがこの国の君主である女王陛下なのだということを、改めて思い知らされた気分になった。
「コウ!」
部屋に明るく響いた少女の声に、王座の周囲にいたいかにも高位貴族、といった方々の視線が一斉に俺に向けられた。
(うーん…)
その視線が歓迎というより、俺を訝しんでいるものなのが、肌を通して感じられる。
そりゃそうだ。この光輝く女王陛下が伴侶として選んだのが、一応貴族階級とはいえド田舎の弱小男爵家出身で、しかも特に容姿・実績共に何の特徴もない俺だと言われても、にわかには信じられないだろう。俺だって信じられないんだから。
⦅おい、コウ。⦆
そんな視線にちょっと固まってしまっていた俺の背中を、キリアン兄上がこそっと名を呼びながら軽くつついて前に進むように促してくれた。そうだ、とりあえずこの場は失礼がないように、ドナルテ領で兄上たちにレクチャーしてもらった通り、まずは女王陛下に対し礼をしなければ。そう思い直し、緊張で躓かないよう気を付けながら王座の前まで進み出て、キリアン兄上とともに君主の御前に跪いた。
「コウ・ドナルテ、女王陛下に拝謁いたします。」
「よく参られた。長い道中、不自由などはなかったか?」
「いいえ、陛下のお気遣いで何事もなく。兄ともどもお心遣いに感謝しております。」
「あぁ、そのように堅苦しくせんでもよい。2人とも立ち上がってくれ、皆にもうさちゃん……いや、わらわの伴侶殿を紹介したいのだ。」
そう女王様に促され、俺と兄上は立ち上がり顔を上げた。その瞬間、目に飛び込んできたのは頬を少し紅潮させキラキラを5割増しにした笑顔の女王様。眩しい!そして不敬かもだけどやっぱりかわいい!
「どうじゃ、カティア!わらわのうさちゃんは愛らしかろう!」
愛らしいって……それ、俺には絶対当てはまらない表現だよ、女王様。ほら、あなたに話を振られてしまった、多分カティアという女性の方も困惑しきっちゃってるじゃないですか。
「……アルディメディナ陛下、伴侶殿の登城でお喜びなのはわかりますがご冷静に。長旅でお疲れであろうコウ殿を早く休ませてあげるためにも、私がお話を進めさせていただいてよろしいですね。」
「む……そうじゃな。よろしく頼む。」
女王様の許諾を得た女性は、一歩前に進み出た。女性としては背が高く、アルディメディナ様とはまた違う大人の美しさを纏った方だ。でもただ美しいだけじゃない、何と言うか……高貴な方が持つ迫力が半端なく溢れていらっしゃる……そんな感じ。
「お初にお目にかかります。私はレイシェント王国で宰相を務めておりますカティア・フォルデモントと申します。僭越ですが、女王陛下に代わり私からこの場におります者をご紹介させていただきます。」
宰相閣下!超偉い人じゃないか!
「は、はい!よろしくお願いします!」
緊張丸出しで答えた俺に、宰相閣下はやわらかな微笑みを向けてくれた。
「本日ここにおります者達は、言わばアルディメディナ様の身内と言える近しい者ばかりですから、そんなに身構える必要はございませんよ。それではまず、コウ殿から向かって右側におります青いマントを羽織っている者が、レイシェント王国3大公爵家の一つ、フォルデモント家当主であり我が夫のアルフリード・フォルデモント公爵です。」
そう紹介された青マントの男性が、俺に向かって礼をとってくれた。
「続いて左側におります朱色のマントの者がロードヴァリア公爵家当主ジョルシュ・ロードヴァリア公爵、その隣におります黒マントの者がダイアドル公爵家嫡男イザーク・ダイアドル軍務卿になります。」
(うぅっ…、早速の王国3大公爵家きた!)
フォルデモント公爵家、ロードヴァリア公爵家、ダイアドル公爵家は、世間に疎い俺でも知っているほどのビッグネームで、この国で王家に次ぐ歴史を持った超名門貴族である。国政の中枢においても重要な要職を担い、先の戦の時にも女王様と共に先頭に立って活躍していたことなど、3大公爵家の輝かしい功績については、カイアス兄上とキリアン兄上から事前に受けた『レイシェント王国中枢について』のレクチャーの中でも、特に力を入れて聞かされたほどだ。
しかし、この3つの公爵家が筆頭貴族である理由は、そうした国政における手腕や功績、家門の歴史だけが評価されてのことではない。フォルデモント家は青竜、ロードヴァリア家は赤竜、ダイアドル家は黒竜を家紋としているのだが、実はそこにも重要な意味があるのだ。
この国の貴族は、それぞれ家紋を有している。そのモチーフは様々だが、どれもがその家の特徴や功績、領地に関連するものであり、その家門を表す象徴的なものが採用されるのが常だ。例えば我がドナルテ家の場合は、領内に群生地がある”スミレ”が家紋となっている。
そしてレイシェント王家の家紋は、”白銀の竜”だ。”竜”はレイシェント建国の根源であり王家の祖であることから、国と王を象徴するものに他ならない。つまり、そんな”竜”を家紋に持つことを許されている3大公爵家は、レイシェント王家に連なる家柄……竜の血筋を受け継ぐ王族だということを示しているのだ。
宰相閣下が言った「アルディメディナ様の身内と言える近しい者」というのは、比喩でも何でもなくまったくその通りの事実だ。本来ならば地方貴族である男爵家のしかも3男ごときが、知り合うどころか会うこともないような地位の方々なんだよ。そんな人たちが、地位も特徴もないモブな俺に不本意であろうと礼をしてくれている……なんて恐れ多いんだ。
緊張で背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、せめて失礼がないように礼を返すので精いっぱいだ。加えて背後から、キリアン兄上の緊張感というか(やらかすなよ!)という無言の圧がひしひしと伝わってくる。きっと俺以上に、何か間違いが起きはしないかと、ハラハラしながら状況を見守っているんだろうなぁ…。
「それでコウ殿には本日より、女王陛下の王配候補として隣接している後宮にてお暮しいただきます。」
「カティア!候補ではない!コウは真にわらわの伴侶じゃ!」
宰相の”候補”という言葉に、女王様が鋭く反論した。その勢いに一瞬場がピリッとしたが、宰相閣下は動じた様子を見せず
「分かっております。竜には定められた伴侶がいること、竜はその者を見誤らないこと、ここにいる我らそのことは十分に理解しております。ですが、急に王配としてコウ殿をお披露目するのは、対外的にもコウ殿ご本人のためにも得策とは言えないことは、アルディメディナ様もわかっておいででしょう。」
と言った。カティア宰相閣下のその言葉に、女王様も言い返したそうな顔をしていたものの、次の言葉を封じられてしまったようだ。
それはそうだろう。
政治とは無縁の田舎で育った俺でも、宰相閣下が言っていることが正しいとわかる。王配といえば、女王の伴侶として女王を支え、共に国や国民を護り導いていかねばならない重要かつ重責を伴う地位だ。だけど、俺が女王様の伴侶であると示せる証拠は、アルディメディナ様しかわからない”匂い”以外、何もない。王配としてふさわしい実績も経験も持っていないし、家柄だって下級の男爵家だ。そんな俺を「今日から彼が王配です」と大々的に発布しても、諸外国はもちろん国民だって納得なんかしないだろう。それどころか、下手をすれば女王様への信頼が失墜し、国が混乱するきっかけにすらなりかねない。
「候補であれば、まだ未熟なコウ殿であっても大きな反発もなく後宮でお暮しいただけましょう。なに、女王陛下はまだ12歳。少なくとも成人となる15歳までに、王配殿下にふさわしい知識などを身に付けられれば良いのです。」
宰相閣下はそう言うと、どこか凄みのある笑顔を俺に向けた。……うわ~~~……。
「ではコウ殿、これより後宮の方へはフォルデモント公爵がご案内いたします。そちらで公より、今後の予定などご説明させていただきます。それとキリアン殿、申し訳ないが貴殿が後宮に入ることは叶わぬ。すまぬが、コウ殿とはここでお別れとなる。」
そうか……後宮と言えば王家のプライベート空間。基本的には、王家の者でなければ入ることは叶わない。いよいよ俺は、本当に家族と離れることになるんだ。
「兄上…。」
「……今生の別れでもないんだ、そんな顔するな。…これから大変なことも多いと思うが、これだけは覚えておいてくれ。何があろうと、父上や母上、ドナルテの家族はお前の幸せだけを望み願っている。元気でお前らしく……と言っても、あまりモブ体質は発揮しすぎないようにな。俺たちはそれだけが心配だよ。」
”世界最強のモブ”
その称号を俺に与えてくれたのは、キリアン兄上だった。ともすれば傍迷惑でしかない俺の特性を、そんなふうに表現して丸ごと受け入れ愛してくれた俺の家族。二度と会えないわけではないけれど、今後気軽に会うことは難しくなるだろう。
「俺も…みんなの幸せを願っているよ。」
急に家族との別れを実感して、込み上げた寂しさに鼻の奥がつんとし目頭が熱くなる。でも、俺も一応19歳の成人男性だ。寂しさのあまり涙する、なんて人前で小さな子供みたいな状況になるのは、さすがに恥ずかしい。グッとこらえて何とか笑顔をつくると、目いっぱいの感謝を込めた言葉を兄上に贈った。
「キリアン・ドナルテよ。コウのことはわらわがしっかりと守ると誓おう。ドナルテ男爵にも案ずるなと伝えてくれ。」
そんな俺の言葉に続いて、壇上から女王様が実に男前な宣言をキリアン兄上にした。
う、かっこ可愛い。なんかキュンとしちゃったよ。
「キリアン、そなたは将来有望な魔導士と聞き及んでおる。そなたの活躍は将来我が国の、ひいてはコウの助けとなろう。ゆえに、今後の精進を期待しておりますぞ、義兄上様。」
女王様の真摯な激励を受けた兄上は、「義兄上」と呼ばれ一瞬顔をひきつらせたものの、安堵と信頼を湛えた瞳を女王様に真直ぐ向け
「弟をどうぞよろしくお願いいたします。」
そう告げて改めて礼をとり、その場を一足先に退室していった。
「はぁ~~、さすがに疲れた……。」
そう呟いた俺は、後宮内に用意された自身の部屋のベッドの上へぼすんっ、と身体を投げ出した。
(さすがのスプリング……あぁ、もうこのまま寝ちゃってもいいよな…)
心身共の疲労、とはこういうことを言うのだろう。もう指一本動かしたくないし、何も考えたくない。
それ位、今に至るまでも色々と……すごかったなぁ……。
兄上が退室した後すぐ、俺もフォルデモント公爵の案内で後宮へと移動した。アルディメディナ女王様は俺と一緒に後宮へ行く気満々だったが、公務がまだびったりと詰まっているとのことで、カティア宰相閣下たちに強制連行されていった。女王様、あからさまに不機嫌なオーラをビシバシ出していたけど、周囲もそれに負けない負けない。さすが竜の一族って感じだったなぁ、…皆さん強い。
「コウ殿、こちらがコウ殿が後宮で過ごされる部屋になります。」
そう言って公爵に通されたのが、少し広めの執務室、といった雰囲気の部屋だった。大きめの執務机と立派な本棚、応接セットも用意されているが、ここはきっと勉強部屋かな。
「王配としての教育は、基本的にこちらの部屋で受けていただくようになります。」
あ、やっぱり。
「それでは次に、プライベートでお過ごしいただくお部屋にご案内しますね。」
「は、はい。」
執務室を出て次に通されたのは、隣の部屋だった。プライベート空間ということは、こちらの部屋が俺の自室ということだよな。一体どんな感じ………………っていや、少しは想像してたが、ドナルテ領の実家の部屋より数段広い!
大きな窓の外には小さなバルコニーになっていて、風通り日当たり共によい。据えられたベッドは大きめだし、くつろげるソファーも置かれているのに、狭さを全く感じない。バスルームや広めのクローゼットなども設えられていて、もはやここだけで一軒家のようだ。
でも決して豪華絢爛、といった感じではなく、どれもシンプルなデザインで品よく配置されているため、とても居心地よく落ち着いた空間になっているのは有難い。俺が暮らすには立派すぎるけれど、部屋の雰囲気に気圧されて眠れない、ということはなさそうだ。
「いかがですか?コウ殿」
「あ、えっと、とても素晴らしいです。でも、俺なんかには贅沢すぎる気がして……。」
「いえいえ、コウ殿は女王陛下の伴侶、この国の王配になられる方です。その地位を考えれば贅沢すぎる、ということはありませんよ。」
柔和な笑みを浮かべたフォルデモント公爵は、とても物柔らかな雰囲気の方だった。俺よりずっと年上で高位貴族の方なのに、すごく丁寧に対応してくれるのでなんだか恐縮してしまう。
そんな気持ちが顔に出ていたんだろう。
「まぁ、かくいう私も婿として王族であるフォルデモント家に入りましたので、コウ殿の気持ちはよくわかります。色々と戸惑われるかと思いますが、徐々に慣れていってください。」
ハハッと笑い、多少砕けた感じでそう声をかけてくれた。うぅ、いい人だ。
「それと、今後コウ殿の補佐を行う者をご紹介します。入りなさい。」
「はい、失礼いたします。」
そう言って部屋に入ってきたのは、俺とそう年が変わらなそうな若者だった。
「コウ殿、彼の名前はハクト。今後は彼があなたの専任侍従となり、お仕事や生活面まですべてにおいて補佐を行います。」
「お初にお目にかかります、コウ様。専任侍従の任を賜りましたハクトと申します。これより誠心誠意、王配となるコウ様にお仕えいたしますので、何卒よろしくお願い申し上げます。」
きちんとした身なりにそつのない所作。それだけでも彼が、優秀な人物なのだろうということが想像できた。加えて、細身だが均整の取れた体躯に、ミルクティーベージュのサラサラの髪、理知的に輝く濃い茶色の瞳という整った容姿を持っていて、気品すら漂わせている。
これは———誰もが俺か彼、どっちが王配候補かと聞かれたら、十中八九全員「ハクト」と答えるやつだ。
そんな彼が、モブな俺の専任侍従?——って、いやいや、何かの冗談でしょう。
「ハクトは女王陛下の信頼も厚く、能力の高いとても優秀な人材ですので、安心して何なりとお申し付けください。」
ニコニコと人の好い笑みを浮かべて、フォルデモント公爵がそんな情報を付け加えてくれたけど……うぅ、そんな優秀な人材の主人が……本当に俺で間違いないんでしょうか、神様⁈
「あ…う……え…っと……、よ、よろしくお願いします、ハクトさん…。」
想像すらしていなかったことにプチパニックを起こしつつも、何とかそれだけ言葉に出して手を差し出した。そんな俺に、ハクトは何故か驚いたような表情を向け、そのまま固まっている。へ…?俺、何かおかしいことした…?
「……あ~…コウ殿、ハクトはあなたの侍従ですので、敬語も握手での挨拶も必要ありませんよ。」
「そっ!、そう…ですか?」
アワアワと答える俺を見て、公爵とハクトが軽いため息を漏らし何とも微妙な表情になってしまった。
…しょうがないじゃないか!だってドナルテ家では俺に専任侍従なんていなかったし、使用人たちや領民の人たちとも家族みたいなものだったし!自分の事はできるだけ自分でって、家訓だったし!
「今日はお疲れでしょうし、王配教育は明日から始めます。色々……大変かと思いますが、しっかり学ばれてくださいね。」
言葉と共に、公爵からはなんだか生暖かい眼差しを向けられ、ハクトからはどこか冷めた視線を送られた。
まだ何にも始まっていないのに、俺早くもくじけてしまいそうです……父上、母上…。
その後、案内を終えたフォルデモント公爵は帰り、代わってハクトが早速侍従としての有能さを発揮してくれた。明日からの王配教育のスケジュール説明に始まり、食事の給仕やふろなどの身の回りの世話まで、痒い所に手が届く細やかな気遣いも完璧な仕事っぷりだった。本当に自分で何もやることがなくて、俺としては落ち着かない感じなのだが……これが彼の仕事だからなぁ…慣れるしかないんだろうか、やっぱり。
ちなみに夕食だが、アルディメディナ女王様は会食があり後宮に戻れないということで、部屋で一人で摂ることになった。ハクト曰く、俺が王配として認められ公務を行う様になれば、女王陛下と一緒にそうした会食にも参加することになるそうだ。つまりまだ王配候補のうちは、女王様がお仕事の時は大人しくお家でお留守番、ということか。俺としては大家族で育った分、一人きりの食事は少し変な気持ちもしたが、これも俺にとって「慣れること」の一つなんだろう。しっかし———
ハクトから説明のあった王配教育のスケジュールというのが——えげつないというかなんというか。王国の仕組みや貴族社会の内情、国内外の情勢など政治に関わることから、王配としてのマナー、聖山に住む竜に関する知識、魔力に関する知識などといった座学から、体術・剣術・魔術・医術などの実技講習まで網羅するという、もう聞いているだけで気力と体力が削られるくらいのものだった。
でも俺、体力も知力も成人男性(※貴族というより庶民)の平均レベルでしかないんだよなぁ。魔力量に至っては、平均を下回るかも、くらいにしか持っていない。
(……明日から俺、無事にやってけるのかなぁ……)
ベッドの上から天井を見つめ、不安のため息が口から洩れたその時だった。
「——寝てしまったか?コウ。」
誰もいないはずの部屋の中で、明らかに自分ではない声がした。
「〇☆※△?!!!」
驚きのあまり寝た状態の身体が一瞬浮き上がり、そのままの勢いで起き上がったが、何事かわからずパニックになっていることもあって、ベッドの上で固まってしまった。
心臓が口から飛び出て耳元で動いてるのかっていうくらい、心音がドクドクドクドクと鳴り響いてうるさい。それでも状況を把握しようと、目は無意識に部屋の中をさまよう。
すると視界に、夜の帳が下りた薄暗がりの部屋の中、うっすらと浮かび上がる白銀色の小さな人影が映りこんだ。
「——じょ、女王…陛下?」
そう、その白銀色の人影は、少し大きなぬいぐるみを抱いているアルディメディナ女王様、その人だった。
「きちゃった♡」
と言って可愛らしく笑うと、そのまま俺に近づくと驚きで固まっている俺の隣にポスン、と腰を下ろした。え?なに、何が起こっている?ドア開いてないよね?どっから女王様?
現状が全く呑み込めず、めちゃくちゃパニクって言葉も出ない俺に構わず、女王様はちょっとすねたような口調で話し始めた。
「せっかくコウが城に来たというのに、仕事があるとかはしたないとかみんなしてコウに会うのを邪魔しおって。だからもう休むと言って人払いして、わらわの部屋から転移してきたのじゃ。だって本物がおるのに、まだこの”うさちゃん”で我慢しろというのは、酷だとは思わぬか?」
そうか”転移”!そうだよ、この女王様瞬時に場所移動できる”転移魔法”が出来るんじゃないか!……それにしてもこの能力があったら、部屋の施錠なんて意味ないよね。いつ、どこに行くのも女王様の自由……ってことは俺、これから自室でも気が抜けないってことか?
「…迷惑…だったか?」
俺を覗き込んでいた女王様の大きな瞳が、一瞬不安に揺らいだように見えた。
しまった!顔に出ちゃってたか!
「い、いえ!た、ただ、その、驚いただけで…!」
「ふふっ…優しいな、コウは。」
そう言って微笑んだ女王様は、手に持っていたうさぎのぬいぐるみをグイっと俺へ手渡してきた。
「家族と離れて初めての夜じゃ。一人の夜は……寂しいかと思っての。わらわが共に居れれば良いのだが、周りがうるさくてそれは叶わぬようだから、これをそなたに貸したくてな。うさちゃんはわらわとずっと一緒にいた子じゃから、コウの寂しさも少しは紛らわせてくれよう。」
俺にとって、それは思ってもみなかったことだった。
確かに、王配候補となったこと、その為に家族から離れなければならなかったこと、全てが急で俺の意思などそこにはなかった。俺はたんなる下級貴族で、国の一臣下だ。国のトップである女王様からの命に、従わないという選択肢などありはしない。だから全て仕方がないこと、そう受け入れてここに来た。
でも———今俺の隣にいるこの少女は、俺の寂しさを心配して俺を気遣ってくれている。女王とか臣下とか、そう言うことではなく、ただ真直ぐに俺を見て微笑んでくれている。
そう、信じられた。
「…あ、ありがとうございます。でも、この子は陛下の大事な子ではないのですか?それを……」
「コウだからよいのじゃ。…っと、あぁ、わかっておる、もう戻る。…まったく……、すまぬコウ、もう少し一緒に居たかったが、戻らねばならぬ。明日から大変かもしれんが、無理はせぬようにな。」
腰かけていた寝台からぴょん、と軽やかに下りると、そんな言葉と鮮やかな笑顔を残して、女王様の姿はあっという間に消えてしまった。
「……はぁ……」
再び訪れた夜の静寂の中、ポツンと残された俺は只々呆気にとられるしかなかった。夢でも見たのでは、とつい疑ってしまう。けど、そんな女王様の来訪を、腕の中のふわふわなぬいぐるみが現実だと証明している。
(——俺、一応成人男性なんですよ……女王様。)
寂しかろうと手渡されたうさぎのぬいぐるみをまじまじと見て、短いため息と共にそんなことを心の中で呟いた。
でも、なんだか悪い気はしない。
体温のないはずのぬいぐるみから、やさしい温もりが伝わってくる。まるで女王様がまだ隣にいるようだ。優しい少女の心地よい温もりに包まれて、身体の緊張が解けていく。———
あぁ、明日も頑張ろう……。