エピソード3★混乱必須⁉最強モブと初めての王宮
いよいよ、ドナルテ男爵家の三男にして゛世界最強のモブ”である俺が、実家を離れる日がやってきた。人生急転換でもはや流れに任せるしかない、と覚悟はできたと思っていたけど……。だってまさか、自分がこんな形で家を出ることになるとは思ってもみなかったし、根拠はないが一生ドナルテ領で暮らすんだと信じてもいたから、こうしていざ当日になっても実感がわかない、というのが正直なところだ。
そんな俺と職場へ戻るキリアン兄上は、女王様がよこした迎えの馬車で王都へと向かうことになった。もちろん、王宮からの使者である騎士たちも、俺たちと共に王都へ戻る。どうやら女王様は道中の護衛も兼ねて、王宮騎士を使者として送ってきたらしい。俺ごときに、なんだか恐縮してしまう。
男爵家の庭には、俺を見送るために家族だけでなく、これまでお世話になった使用人たちや領地の人たちまで大勢集まってくれ、思った以上に大仰な状況になってしまった。
「コウ、元気で過ごすのですよ。無事に着いたらお母様に便りをくださいね。」
「大変だと思うが、しっかりな。王都にはキリアンもクリスティンもいるから、何かあったら頼るんだぞ。」
母上とカイアス兄上が、かわるがわる別れの挨拶と抱擁を俺に贈ってくれた。カイアス兄上が言ったクリスティンとは、今は王宮で騎士職にある家に嫁ぎ王都で暮らしている俺の姉上のことだ。キリアン兄上と双子のクリスティン姉上は、しっかり者で明るく行動派の女性で、確かに頼れる人ではある。
兄上たちに続いて、ヘンドル執事長も声をかけてくれた。
「コウ様、道中の無事をお祈りしております。」
「ありがとう、ヘンドル。」
「コウ坊ちゃま、どうかお元気で。くれぐれも王宮では大人しく、迷子になどならないようにしてくださいね!」
ハンナらしい心配に、俺は苦笑を浮かべて頷くしかない。ホントなら、ハンナにここは格好よくそんな心配いらない、と断言したいところだけど……できない自分が辛い。
「はははっ!なぁに、坊ちゃんなら大丈夫だ!なんたって、俺らの゛世界最強のモブ”なんだからな。」
ジョシュアさん……それ、フォローしているつもり?笑顔を引きつらせている俺を見て、集まってくれていた馴染みの領民たちも生暖かい眼を向けてくる。わかってる!みんなが言いたいことは十分わかってるよ!
「…コウ、王宮へ行ってもお前はドナルテ家の、私の愛しい息子だ。いつだって私たちはお前の味方であることを忘れないように。そして……願わくば、女王陛下と共に幸せになりなさい。」
最後に父上が俺の前に立ち、静かにそう告げてくれた。父上の暖かい想いが胸にしみ、目の奥がジンとなる。
「父上……ありがとうございます。俺も、みんなの幸せをいつだって願います。皆さんもありがとうございます。どうかお元気で、そして……行ってきます!」
あまり立派な返事とはいかなかったけど、精一杯の感謝を込めて愛する家族に、そして大好きなドナルテ領の人たちに向け、旅立ちの言葉を紡いだ。そして一つ息を吐いてから改めて顔を上げ、みんなに精一杯の笑顔を向けてから、俺を新しい未来へ連れていく馬車に乗り込んだ。
家族やこれまでお世話になった領民たちに盛大な見送りを受けドナルテ領を立ってから2日後、俺とキリアン兄上を乗せた馬車は、ようやく王都の入口に辿り着いた。この2日間の道中はいたって平穏で、特にこれといったトラブルもなく進んでこれた。国が平和ということもあるが、同行してくれた騎士たちの存在も一役買ってくれていたんだろうなぁ、きっと。
馬車が進むにつれ近づいてくる王都を守る外壁は、王国一番の大きさと規模を誇っているものだ。加えて入場するための重々しい門を行き交う人々や荷馬車などの多さが、ここが国の中枢都市であることを示している。その迫力満点の光景と存在感を目前にして、あぁ本当に王都にやってきたんだ、と改めて実感していたところに馬車のドアがノックされた。
「失礼いたします。王都への入場審査を致しますので、身分証明の提示をお願いいたします。」
声をかけてきたのは、門番である警備兵の一人だった。要請を受けてキリアン兄上が、自分と俺の身分証タグを兵士が持っているトレイにそれぞれ翳す。すると空中にタグに刻まれた内容が浮かび上がり、兵士がそれを確認していく。よく見ると、俺たちと一緒にいた騎士たちも、他の兵士から同様の身分確認を受けていた。
「王宮魔導士のキリアン・ドナルテ様と、ドナルテ男爵家子息のコウ・ドナルテ様ですね。本日王都へのご用向きは何でしょうか?」
「俺は職場への帰還、弟は女王陛下より登城の命があり王都へやってきたのだ。」
キリアン兄上はそう言うと、王家から届けられた文書を警備兵に見せた。とそれを補足するように、ここまで俺たちを警護していた騎士たちの一人、通達を父上に持ってきたリーダー格の男が前に出て、
「警備ご苦労。私は王国騎士団団長マルクス・ゴーデンだ。私たちはコウ様を無事に王宮へお連れするようにと、女王陛下から直々に命を受け行動している。」
そう警備兵に言った。
「ゴ、ゴーデン団長!失礼いたしました!」
騎士の名前を聞いた途端、警備兵は慌てて彼に向かって礼をとった。兵の反応からして彼、マルクス・ゴーデンという騎士は、相当階級が上の騎士らしい。そんな人を俺の護衛によこしたのか……。女王様、ちょっと大げさな気がしないでもないんですが。
「ご本人及び来訪目的は確認できました。あとお荷物の方ですが、皆さまあちらのゲートを潜っていただき問題なければそのまま入場いただきます。お手数ですがこれも職務ですので……よろしくお願いいたします!」
警備兵の示した先には、大きいがシンプルな形をしたゲートが2基立っていた。よく見ると、王都へ入場しようとする人や馬、荷馬車などは、みんなそのゲートを通過して入場門へ進んでいる。キリアン兄上によると、ゲートは王都への持ち込みが禁止されているものがないかどうか、調べるための大型魔道具なのだそうだ。だから、外から王都へ入場する時はどんな人も動物も乗り物も、このゲートを必ず通過しなければならないらしい。しかし、潜るだけで禁止品のあるなしがわかるなんて、すごい魔道具だな。
「もし検知されたら、その品物ってどうなるの?」
「もちろんその場で没収される。その場合、持ち主は品物を破棄して入場するか、入荷許可証を得てから改めて入場するかを選択するんだ。前者の場合はもちろんすぐに入場することも可能となるが、後者の場合は認可まで相当な時間がかかるし、そもそも認可されるという確証もないからな。ほとんどが破棄を選択するようだ。この検査はなコウ、王都での闇取引などといった犯罪を防ぐ、治安上でも重要不可欠なものなんだよ。だからこそ、貴族でも王族であっても必ずこの検査を受けなければならないんだ。」
キリアン兄上に言われて改めて気づいたが、この馬車は王家所有のものだ。本来ならそれだけで顔パスできそうなものだけど、全てを平等に扱うなんて、もうさすがとしか言いようがない。王都の治安は、こうして守られているのか……。田舎でのんびり育った俺にとって、カルチャーショックもいいところだ。本当に入口でこれなら、今から行くこの先にはどれほどの驚きが待っているのだろう。……想像するだけで胸やけがしそうだ。
そんなことを考えている間に、俺たちを乗せた馬車はゲートを通過し、開かれた外壁の門の前まで進んだ。
(大丈夫だったのかな…?)
不審物など持っていないことは百も承知だが、それでもなんだかドキドキしてしまう。
「お疲れさまでした、検査は以上です。ようこそ、王都セレナへ!」
最終ラインに控えていた警備兵の一人が、そう声をかけてくれた。それを合図に、馬車は再び進み出し今度こそ王都へと入場していく。そして目の前に広がったのは、故郷の街とは規模も賑わいも全く違う、活気あふれる風景だった。
(これが…王都セレナか!)
ほぼ初めて見る王都の姿に驚いた俺は、田舎のお上りさん丸出しで馬車の窓から食い入るように見た。実は昔一度だけ訪れたことがあるのだが、日帰り強行軍だったため外を楽しむ余裕などまったくなく、街の印象なんて記憶に残っていない。だから今日、改めて見る王都セレナの街は、俺にとって何もかもが新鮮に感じられた。
整備されたメインストリートを中心に立ち並ぶ建物は、整然としていて美しい街並みを形成している。出入口の近くだからか、王都の住人らしき人たちの他にも商人や旅人といった人々が大勢行き交っていて、こんな人混みの中よく歩けるなと感心してしまう。それなのに雑多、と言うよりも華やか、という表現がぴったりくると感じるのは、ここが王都だからなんだろうか。あっ!なんだあの店、おもしろそうだな。何を売ってるんだろう?あれ?、みんな同じもの食べてる。なんか美味そう…俺も食べたいかも!
そんな興奮しきりの俺の様子に、キリアン兄上が短いため息をついた。
「はぁ……コウ、お前ずいぶん余裕だな。」
「え?」
「まぁ王都が珍しいのはわかるが……。だがいいか、これからお前が向かうのは、王都の中心にしてこの国の中核である王宮なんだぞ。しかも女王陛下の王配候補として!……はぁ、俺は胃が痛いよ。」
――――兄上、だからはしゃいでいるのですよ……表面上。————
実は俺の胃も、ドナルテ領を出る前から地味にキリキリしてるんです。でも、それを主張しても状況が変わることはないし、みんなに心配をかけるだけだ。だから……せめて今だけでもゲンジツトウヒ、させてください……。
そう心の中で呟きながらも、キリアン兄上には
「……はい…。」
と、返答になっていない返答をし、曖昧な笑顔を返した。
そんな微妙な空気のまま、俺たちを乗せた馬車はついに目的地である王宮へと到着しようとしていた。王宮は城壁だけでなく大きな堀にも囲まれていて、俺たちは唯一の交通手段となっている跳ね橋をゆっくりと渡っていった。すると目の前の剛健で重々しい扉が開かれ、俺達一行を中へと招き入れてくれた。
「あれ?ここは検査なしなんだ…?」
「あぁ。王宮への入口は一種の結界になっているんだ。入城の許可のない者は結界によって弾かれ、門はおろか橋を渡ることもできない仕組みになっている。」
………もう凄すぎて、ため息も出やしない。でもまぁ、そうだよね。この国の中核であり、国の主たる女王陛下が住む王宮だ。これくらいの厳重な警備があって、当然ではあるよね…。
なんかもうこれ以上は何が来ても驚かないかも、とその時点では思っていたけど、王宮の凄さはこんなもんじゃなかった。城壁の門を潜った馬車の前に現れたのは、王宮じゃなくて゛森”だった。そう、林とかではなく森。今自分の視界には、鬱蒼とした樹々しか入ってこず、どこまで続いているのか想像もできない。いったい自分はどこに来てしまったのだろう……、そんなことをぼんやりと考えながら馬車に揺られること多分数十分。
「――コウ、着いたぞ。ここがレイシェント王国王宮の入口だ。」
そう、キリアン兄上に声を掛けられた。
「へ?」
急に現実に引き戻された俺が、思わず変な声を発したのとほぼ同時に馬車が止まった。そしてゆっくりと、馬車の扉が開かれる。
「お疲れさまでした、コウ様、キリアン殿。それでは、女王陛下との謁見まで滞在いただく控えの間までご案内いたします。」
ゴーデン第一騎士団長が、俺と兄上にそう言って馬車からの降車を促した。
いよいよだ――、そう思うと一気に緊張感が増してくる。バクバクとうるさい心臓を抱えながら、兄上に続いて馬車を降りると、そこにはここまで一緒に同行してくれた騎士たちの他に、数人の侍従と侍女がきちんと整列し出迎えてくれた。とその中に、俺はようやく知った顔を見出した。
「―オズモントさん!」
「ようこそお越しくださいました、コウ様。それではお部屋へご案内いたしますので、まずはそちらで一息お入れください。」
そう言ってにこやかに迎えてくれた。やはり初めての場所で、一人でも知っている顔があるというのはホッとする。
「では参りましょう。さ、こちらです。」
そう促されて、俺とキリアン兄上はオズモントさんの後について王宮内へと足と踏み入れていった。
「………し、しまった……。」
高い天井と真直ぐに伸びた廊下。人の気配がなく静まり返っているその場所に、俺の危機感溢れるつぶやきが小さく響いた。
「ここ……どこだ……?」
それは今から遡ること多分数十分前、俺とキリアン兄上はオズモントさんに案内された控えの間で、侍女の方に給仕されたお茶を飲んでいた。とそこに兄上が所属する王宮魔導士課から、謁見前に一旦職場に顔を出すようにと連絡が入り、キリアン兄上は一時部屋を退出することになったのだ。
「すぐに戻れると思うから、大人しくしていろよ。」
と、まるで小さい子供に言い含めるようなことを俺に言い残し、キリアン兄上は部屋を後にしていった。で、そうして部屋に一人残されることになった俺はというと(いや、実際にはオズモントさんや侍従さんや侍女さんが数名いたけど)、兄の姿がなくなったことへの不安が思った以上に込み上げてきて、少々落ち着かない気分に陥った。ただでさえ緊張していた俺の中で不安と緊張がさらに高まったのだ……となると、ある生理現象が起こるわけで。
「あの…すみません、お手洗いどこですか?」
オズモントさんが教えてくれたお手洗いの場所は、控えの間から角を一つ曲がるくらいの本当に目と鼻の先だった。場所を聞いた俺はもちろん、オズモントさんもその場にいた人たちも、誰一人その距離で何か起こるなんてこれっぽっちも思わなかったはずだ。だからこそ、俺も自然に一人で部屋を出て向かったし、オズモントさんたちも自然に俺を見送ったんだ。だけど———
それが起こってしまったのは、用を済ませてさて部屋に戻ろうとした時だった。突然俺の耳元で誰かの声が響いた。
≪…ふ~ん…コレが番?≫
びっくりして振り返った俺の視界一杯に映ったのは………空中に浮いている見たこともない生物?だった。え……?なんだコレ、白いトカゲ…?…え?空飛んでる?…あ、翼があるのか……。
想像だにしない生物との遭遇に俺の思考は完全にフリーズした。そしてそんな俺と同じく、いきなり目の前に現れた生物も俺が振り返り目が合ったことに驚いているようで、フヨフヨと浮きながら目を大きく見開いて固まりながらもぽそっとつぶやいた。
≪あれ?……見えて…る?≫
まだフリーズ状態にあった俺は、その生物が多分発したであろう問いかけにただ黙って小さく頷いた。そして何秒、見つめ合っただろう。
「≪〇×☆■〇△※☆△◎★◇〰〰〰〰!!!!!≫」
俺とその謎の生物は、声にならない声を上げた。その瞬間フリーズが解け、その生物から逃れるべく俺は弾かれたように廊下を走りだした。それはもうめちゃくちゃに、きっと自己最高記録を更新したであろう速度で、今日初めて訪れたバカでかい王宮内を。
———で、現在に至る、というわけである。
冷静になって考えれば、すぐ近くが控室だったのだからそこへ逃げ込めば何ら問題はなかったんだ。でも……仕方ないじゃないか!目の前にいきなり見たこともない、しかも人語を話す生物が現れたんだぞ!パニクった挙句“迷子”になったからって……誰にも責められないはずだ……きっと。
自分は悪くないと結論付けてはみたものの、現状が非常にまずいことは変わらないわけで。まさか故郷を出発する時に、ハンナから言われたことが来訪早々現実になるなんて…。
(はぁ……、兄上が戻ったら騒ぎになるかもなぁ……。)
小さい頃から俺は、そこにいないことに気付かれるのがめちゃくちゃ遅い。実の家族ですらそうだったのだから、俺のことを知らない王宮の人たちであればさらに気付かれにくいだろう。その間に俺が何とか部屋に辿り着ければ”迷子”になったことなど、誰にも知られず何事も起こらなかったことになるはずだ。だがキリアン兄上が部屋に戻れば……。
(オズモントさん、みなさん……なんかすみません……。)
そして俺が想像したとおり、控えの間では今まさに大騒ぎが勃発していた。
「失礼いたします。只今戻りました。」
控えの間の扉をノックし、王宮魔導士課での所用を終えてきたキリアンは、そう声を掛けながら部屋の中へと入った。
「お疲れさまでした、キリアン殿。」
そう言って真っ先に彼を迎えてくれたのは、侍従長のオズモントだった。
(…?)
そのことに、キリアンは僅かな違和感を覚えた。いや、オズモントの出迎えに問題はないし、穏やかな雰囲気の室内に不審なことなどないように見える。けれど、オズモントよりも先に聞こえるはずの声、この部屋の中で自分の戻りを誰よりも待っているであろう人物の声が、聞こえないのだ。
「謁見の時間にはまだ間がありますので、どうぞくつろいでください。只今お茶を……」
「あの、オズモント殿。弟…コウの姿が見えないようなのですが…?」
「あぁ、コウ様でしたら、先ほど化粧室に行かれました。」
オズモントのその答えを聞いた瞬間、キリアンの頭には警報音がけたたましく鳴り響いた。
「あ、えっと、それは…ひ、一人で?」
「?はい、すぐ目の前ですのでお1人で大丈夫だと。」
「何時です⁉」
「え?少し前ですが…そういえば少々ごゆっくり…」
返答を最後まで聞かず、キリアンは部屋を飛び出し化粧室に駆け込んだ。
「コウ!いるのか⁈」
大声で声をかけたが、望む返事は返ってこない。これは…これはもう間違いない、そう確信したキリアンは体から血が一気に引いていくのを感じた。
「キリアン殿!一体どうされたのですか?コウ様に何か、」
「いなくなりました。多分迷子です。」
「えぇっ⁉」
キリアンのただならぬ様子に驚いて後を追ってきたオズモントは、青い顔をした彼が言った言葉がにわかには信じられなかった。
「ほ、本当ですか?あの、この距離で?」
「それが我が弟…ドナルテ家が誇る”世界最強のモブ”なのです。」
……なんだかよくわからなかったが、確信に満ちたキリアンの眼から、これは冗談でも何でもない事だけはオズモントも理解した。と同時に、キリアンと同じく顔から血の気が失せていくのを実感する。もしも今、女王から謁見のための呼び出しが掛かったら……
「は、早くお探ししなければ!」
「ええ。王宮内の人たちは、コウのことを知りません。もし、あいつが大勢の人の中に紛れてしまったら…溶け込んで探すのがさらに困難になり、最悪王宮外に出てしまう可能性も…!」
「誰か!城の衛兵に連絡を!なんとしても、アルディメディナ様のお耳に入る前にコウ様を見つけ出すのだ!」
先程まで穏やかだった王宮内に、いつも冷静な侍従長の聞いたこともない切迫した叫びが木霊した。その声を震源地として、一瞬にして周囲の人たちに動揺が広がった結果、まさに”ハチの巣をつついた”ような騒乱状態へと突入していった。
「…さて、どうしようか…。」
不本意ながら王宮で迷子となってしまった俺は、とりあえずどうすべきかを考えていた。最初は迷子になったことに動揺もしたが、俺は言わば”迷子のプロ”。幼い頃からあらゆる場所で迷子を経験してきた猛者だ。だからこそ、この状況を打破する最善の方法を導き出せるはず———!
そんな、半ばやけくそともいえる現実逃避の理論を脳内で展開させていたその時、何か懐かしいような優しい香りがフワッと鼻を掠めた。
(…?…)
その瞬間、直前まで迷子の状況を打破することだけで一杯だったはずの俺の思考は、見事にその香りへの興味で上書きされてしまった。遠い記憶をくすぐるような、この香りはどこからきているのだろう…?
何故だか心惹かれるその香りに引き寄せられるように、迷子のことなど忘れた俺の身体は自然と歩を進めていた。
そうして香りを辿り2つほど角を曲がった時、俺の目の前に開けた空間が突然現れた。
(うわ、なんだここ…?)
そこは、これまでの静謐な廊下の様子とはまるで違う、やさしい色合いの花々が咲き乱れる美しい空間だった。察するに、ここは中庭のような場所なのだろう。どうやら俺が惹かれた香りは、この花々から発せられたものだったみたいだ。中庭に入ってみると、より一層香りがはっきりしたので間違いない。
(それにしても綺麗な場所だなぁ…。なんだかほっとするよ。)
ほっこりした気分で、可愛らしい淡い黄色の花をそっと指で撫でた時
「お前さんはどなたじゃ?」
と背後から突然声を掛けられた。
心臓が口から飛び出るかと思うからいびっくりした俺が振り返ると、そこには大きな麦わら帽をかぶった小柄な老人が立っていた。え?ちょっと待って、人いなかったよね?この人いったいどこから現れた?
驚きすぎて声も出せずにいる俺に向かって、老人が再度問いかけてきた。
「見かけん顔だが、お前さんどっからきた?…まぁ、この子らが警戒せんから、不埒者ではなさそうじゃがのぉ。」
その言葉に、驚きで混乱していた俺はハッと我に返った。そうだよね、この状況ではこの老人より、俺の方が絶対的に不審者だよね。迷子とはいえ許可なく王宮内をうろうろしてるんだから。
「す、すみません!決して怪しい者では…!あの、今日初めて王宮に来て、それでちょっと迷子になっちゃって、そしたらいい香りがしたもので辿ってきたらこちらに……あ、もしかしてここって、入っちゃまずい場所でしたか…?」
「……もしかすると、お前さんひょっとして女王様の客人かい?」
「あ、はい。そう…なります。」
俺の答えにフム、と老人は頷くと、今度は俺のことをじろじろと観察し始めた。な、なんなんだこのおじいさん。一通り観察し、最後に俺の顔をじっと見つめると、何とも言えない表情を浮かべ俺にこう言った。
「道理でこの子たちが騒がんはずじゃ。…しかし、お前さんは爺さんにそっくりじゃの。リリアディナ様には似とらんで残念じゃ。」
「へ⁈な、何で知って…」
「それよりお前さん、早く戻らんと大変なんじゃないのか?ほれ、向こうが何やら騒がしくなっているようじゃぞ。」
「えぇっ⁈」
そう指摘されて俺は慌てて後、今来た廊下の方を振り返った。すると、本当に遠くから騒がしい気配がしていた。しかもその中に、微かだが聞き覚えのある声が俺の名前を呼んでいるのがわかった。これは……絶対大騒ぎになっている。やばい…やばい、やばい!一刻も早く戻らねば!
「お、俺、戻ります!お騒がせしてすみま、せ……ん?」
俺の言葉は行き場をなくし、空中に霧散してしまった。なぜなら、その言葉を受け取るはずだった麦わら帽子の老人の姿は、きれいさっぱりそこから消えていたのだから………。