中途半端な記憶ならいっそ無い方がありがたい件
※物語にかかわる前までの話
異世界転生…──
誰もが一度くらいは夢見るものだろう。ここではないどこかに〈転生〉出来たらと。少なくとも私はそうだった。そしてある日、それが実現してしまったのだ。
異世界転生のド定番。そう、トラックだ。
その日の私は、某有名ハンバーガーチェーンの新作サイドメニューを手にし、ウキウキだった。それを早く食べたくて急いでいたのが良くなかったと今なら思う。気がついたときにはトラックが私に迫っており、これは死ぬな、と一瞬で悟った。
手に持った新作サイドメニューを強く握りしめ「ああ、新作のエビ……」と、実にマヌケな最期の言葉をつぶやいた瞬間、青白い光に包まれた。
そして暗転。
「は? 暗転??? ……あれ……? 生きて、る?」
全身を強く打ち付けたはずなのにどこも痛くない。もしかして私には受け身を取る才能があったのだろうか? なんて馬鹿なことを考えたのは一瞬で、すぐに今自分がいる場所の違和感に気がついた。
少なくとも病院のベッドではない。
「どこよ、ここ……ていうか、エビは???」
勿論新作のエビなんちゃらは無かった。エビどころか、財布もスマートフォンも持っていない。それより今着ているこの服はなんだろう? 袖口と裾にフリルをあしらったネグリジェ、だろうか。いわゆる寝間着、パジャマ。
ゆっくりと体を起こし、あたりを見回す。今自分が置かれている状況がとても現実とは思えなかった。
「夢、にしてはリアル」
まさか、と思った。思ったけれど、そんなはずはないと首を振る。夢は見ていても私は現実主義者なのだ。
「でもなあ……」
ふかふかのベッドから降りて姿見の前に立った。鏡に映る少女に見覚えはない。意識は〈私〉であるが、外見は見知らぬ少女だ。
これはやっぱりそういうことなのだろう。にわかに信じがたいけれども。
「なるほど。これが異世界転生」
転生なのか、乗っ取ったのか、いまいちわからないけれど、結果は似たようなものだろう。
斯くして、私の第二の人生は始まった。
*
第一の人生は〈私〉が23歳の時にエビなんちゃらと一緒に終わりを告げた。どうしても食べたかったエビなんちゃら。それだけが心残りだった。
第二の人生のスタートは5歳。それまでの記憶は一切ない。
こういう場合、これまでのこともちゃんと覚えているのがデフォルトなはずだ。しかし、私はびっくりするくらい何も覚えておらず、家族の名前どころか自分の名前もわからなかった。完全に「ここはどこ? わたしはだあれ?」状態。その理由はのちに判明するが、この時は悲しみに暮れる家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……ごめんなさい」
「いいのよ。無事に生きていてさえすれば」
「そうだ。心配することはない。これからまた楽しい思い出を作っていこう」
おそらく父と母なのだろう。母は目に涙をいっぱい浮かべたまま私を抱きしめ、父は優しく微笑むと大きな手で頭をなでた。
これからはこの二人のためにもいい子でいよう。そう思った瞬間でもあった。
「レイレ!」
さあこれから名前や関係性の確認をしようとした矢先、部屋のドアが勢いよく開き、ものすごく可愛い少年が飛び込んできた。
どうやら私の名前はレイレというらしい。
「目が覚めたとコールに聞いたんだ。良かった。もうなんともない? ヘザーはまだ面会は出来ないって言ったけど、全然そんなことないじゃない。何か食べたいものはある? トミーに作らせるから遠慮なく言ってね」
「……えっと……」
知らない名前がてんこ盛りで、内容が全然頭に入らなかった。どなたか存じ上げないが、ヘザーさんの言っていることはおおむね正解だ。記憶がまるでないので、少年が誰なのかもわからない。状況的に家族なのは確実だから兄だろうとは思う。しかし名前がわからない。
喜んでいるこの少年に「貴方は誰ですか?」なんて、とてもじゃないが言えそうにない。両親と思わしき人も、少年を侵入を止めようとしていた使用人も、そして私も言葉を失った。この空気感、なかなか地獄だ。
「ホアン、ちょっとあっちでお話しようか」
「お父様、僕はレイレと……」
「そのレイレのことで話があるんだ」
私と話がしたそうな少年は父と思しき人に連れられて部屋を出ていった。彼らが部屋を出る時、少年を止められなかった使用人が「申し訳ありません、旦那様」と深く頭を下げていたので、やはり彼は私の父親のようだ。
「今の人は私の兄でしょうか?」
「そうよ。ホアンというの。年はレイレよりも7つ上の12歳ね」
「つまり私は今5歳なのですね。名前はレイレ……」
「本当に何も覚えていないのね」
母は少しだけ悲しそうな顔をしたが、すぐににこやかに笑うと、私自身のことと、これまでの出来事を話してくれた。
私の名前はレイレ・ガルシア。5歳になったばかりだという。兄であるホアンの剣技の試合を見にいった帰り、うっかり馬車から転げ落ちたらしい。ただ落ちたわけではなく、綺麗な回転を決めてタラップを転げたそうだ。曲芸のようで一瞬見入ってしまったと、母は済まなそうに頭を下げた。
「それで私は頭を打ったというわけですか?」
「そう見えたけれど、頭は打っていなかったの。転げたショックで意識を失っただけみたい。ケガもしていなかったわ。よほど上手く転がったのね」
「……上手く転がる……」
母は手を叩いて「凄いわ、レイレ」と言っているが、褒められている気は全くしない。痛みがなかったのは上手く転がったおかげらしい。逆に見てみたいわ、その落ち方。
「だからなぜ意識を失ったのか、お医者様も驚いていたのよ」
おそらくは転生のタイミングだったのだろう。この手の話ではあるあるだ。
それにしても私は一体どんな世界線に転生したのか。第一の人生の〈私〉が課金待ったなしでやり込んだゲームか、貢ぎまくった小説からのアニメか、それとも漫画なのか。(無駄)知識の泉を漁ってみたものの該当する作品が思いつかない。
閉鎖的な家族間のやり取りの中で情報を収集するには限界がある。もう少し外の世界に触れてみなければ。体の方は何ともないのだから、明日にでも外出の希望を出してみようと、私は決意した。
「お兄様は大丈夫でしょうか?」
「きっとお父様がきちんと説明してくださるわ」
母のその言葉通り、数分後すべてを理解した(と思われる)兄がすまなそうな顔で部屋にやってきた。
「どんなレイレでも僕の世界で一番可愛い妹に変わりないからね!!」
強く手を握りしめ、鼻息荒く言う兄に少しだけひいてしまったが、とりあえず笑顔で誤魔化した。この兄、もしかしてとんでもないシスコンなのでは?
私は肯定も否定も出来ず、ただ乾いた笑いを浮かべていた。
*
第二の人生がスタートしてから二年が経った。
そこでようやくこの世界がどの世界線か判明する。それは本当に偶然だった…──
我が家は、元は商人だった曽祖父の功績が認められ貴族の仲間入りをしたいわゆる新興貴族だった。つまり由緒正しい純血の貴族ではなく、平民あがりということになる。とはいえ、近年では純血の貴族自体が減ってきているので、平民あがりだからといって迫害を受けたりするようなことはない。そもそも男爵・子爵には平民あがりが多いというのもある。比較的平和に暮らしていた。
ところが、ある日王宮から緊急招集がかかった。通常ならば伯爵家以上の上級貴族だけが呼ばれるであろうお茶会の招待状が、我が家を含む下級貴族の子どもにも届いたのだ。
「な、なぜだ……?」
「この手のお茶会って通常は王子様の婚約者選びよね?」
「おそらくは一番末の、第三王子の婚約者選びを兼ねた茶会だと思う」
「それなら上位貴族だけが呼ばれるものでは?」
「そのはずなんだが……」
両親は血相を変えて屋敷の中を走り回っている。
父はこう見えて王宮に勤めている ── ただし平の事務官である ── ため、近くの屋敷に住んでいる上司のもとへ馬を飛ばした。上級貴族であれば馬車を走らせるところなのだろう。しかし残念なことに染みついた平民の血には逆らえない父は、自ら馬を走らせて出かけてしまった。
「お父様は生まれたときから貴族だったと思うんだけど……」
「子どもの頃おじい様が馬でお父様を連れ回していたらしいから、そもそも馬に車を引かせるという発想がないんじゃないかな?」
「なるほど……お相手の方が困らなければいいんですが……」
「まあ向こうもお父様のことはよく知っているだろうから大丈夫だよ(たぶん)」
(お兄様、今小声で「たぶん」と言いましたね)
「それにしても第三王子か……」
「お兄様ご存じなんですか?」
「第二王子と同じ学校なんだ。学年は違うけどね」
「王族と同じ学校に通われているお兄様すごいですね!!」
「そんなことないよ。貴族籍に属しているから通える学校だしね。僕みたいな平民あがりの貴族なんて、王族と出会うこともないさ」
兄はそう言うと、我が国の王子様たちについて話をしてくれた。
第一王子のルードヴィヒ様は現在22歳。国王の嫡男でありながら、騎士団にも所属している武闘派。2歳年下の妃殿下とは国を巻き込んでの大恋愛の末4年前に結婚。今では5人の子宝に恵まれているそうだ。詳細は聞かなかったが、4年間で5人の子どもなんて妃殿下も大変だなあと思った。
第二王子のヴォルフガング様は兄の2歳年上の16歳。学園では生徒会役員だそうだ。気さくな性格でコミュニケーション能力も高く、幅広い人脈があるらしい。成績は常に上位をキープしており、将来有望とのことだ。
そして件の第三王子だ。ジークフリート様は私より3歳年上の10歳。物静かで、いつも本を読んでいる少年のようだ。自分の部屋か図書館にこもっていることが多い、あまり姿を見かけないらしく、二人の兄たちに比べると情報は少なかった。
「武力はルードヴィヒ様、知力はヴォルフガング様、魔力はジークフリート様という感じかな?」
「なるほど……ん? あれ……?」
この〈設定〉どこかで聞いたことがある。それに名前にも聞き覚えがある。どこかの音楽家みたいなこの名前。
「ああああああッ!」
私の突然の大声に、隣にいた兄がビクッと肩を震わせた。
「どうした、レイレ。急にそんな大声出して。それにしてもレイレがそんな大きな声を出せるなんて……お兄ちゃんは感動した。そうだ!今日はレイレの大声記念日にしよう!」
「やめて……それは絶対にやめて!」
兄は物腰が柔らかく、見目も悪くない。学校の成績も良いし、運動神経だって良い。どれも一番!というわけではないが、確実に上位に食い込むレベルだ。しかしそんな兄にも欠点はある。その欠点が最大にして最強だった。
この兄、家族でもドン引きするくらいのシスコンなのである。とにかく妹である私が大好き。私が中心に世界が回っているし、なんなら世界の中心は私だと思っている。それゆえに彼は14歳になった現在でも婚約者が決まらない。見合いで妹の素晴らしいところを100もあげる男を生涯の伴侶にしたい女性はそうそういないだろう。それでも上級貴族ならまだ希望はあった。しかし我が家は下級貴族なうえ、平民あがり。婚約者選びは困難を極めていた。
(まあ、お父様もお母様も貴族にこだわっているわけじゃあないから、お兄様が平民と結婚することもいとわないし、爵位を返上しても良いと思っているみたいだけど)
なんていうことは今は置いておこう。それよりも私は重要なことを思い出してしまった。やはりここは〈私〉が知っている世界線だったのだ。
『行き遅れアラフォー女が異世界に転生した件について』
久しぶりに思い出した〈私〉の最期。エビなんちゃらを持って帰宅していたまさにその時、スマートフォンの画面に映し出されていた漫画がそれだった。元はライトノベルだったと思う。
この小説はタイトル通り、行き遅れのアラフォー女が異世界に転生するところから始まる。舞台は日本でいうところの高校のような場所だ。確か王立アカデミーだったと思う。
乙女ゲームではないため、攻略対象が何人もいるということはなく、中身がアラフォー女の16歳少女と同い年の第二王子ヴォルフガング様がなんやかんやあって結ばれる話のはずだ。
〈はずだ〉というのは、お察しの通り漫画を読んでいる途中で〈私〉が異世界転生をしてしまったため、結末がわからないからだ。ライトノベルが7巻、漫画が3巻出ている本作だが、私はライトノベルが2巻、漫画が1巻で止まっている。なんとも中途半端な知識だった。いっそ何も知らないほうが楽しく生きられる気がする。残念極まりない。
そして転生当初、私の記憶が全くなかった理由がここで判明する。
「……なるほど……第二王子の側にいた側近候補である名もなき後輩がいつも持ち歩いていた写真の少女……」
つまり、ライトノベル2巻、漫画1巻では名前が出てこない兄ホワンがいつも持ち歩いている妹の写真。それが私だった。
「だから記憶がなかったのね……だってモブだもん」
それにしても、まさかこんな序盤からきちんとシスコンの伏線が張ってあるとは思ってもみなかった。実はものすごい小説だったのかもしれない。今さらながら全部読めていない悲しみに打ちひしがれる。
「レイレ……? どうしたんだい?」
「なんでもありません、お兄様」
「なんでもないことはないだろう!! そんな悲しそうな顔をして……一体誰なんだ? レイレをこんなに悲しませる奴は! お兄ちゃんがやっつけてやるぞ」
過去の自分です。とは言えない。過去の自分の所業に悲しんでいるなんて絶対に言えない。
「な、なにも覚えていない自分が情けなくて……」
なんとか絞り出したこの言い訳が、兄の心に大いにヒットした。
急に変な雄たけびを上げて頭を抱えたかと思えば、今度は号泣して私に抱き着いてくる。情緒が不安定すぎて心配になった。この兄、こんなでこの先の人生、本当に大丈夫だろうか?
「そんなこと気にしなくていいんだよ、レイレ。前にも言ったけれど、お兄ちゃんはどんなレイレでも大好きだから!」
「……え、ええ……それはもう痛いほどよく知っていますけど」
兄から熱く激しい抱擁を受けながら「第二王子って今16歳だったよね? もう物語がスタートしてんじゃん!!」と思ったなど。
まあ、モブの私には全く関係のない話だ。
そう思っていた私が、兄の重度のシスコンぶりが災いして、意図せず物語の登場人物に名乗りを上げることになるのはまた別の話。
end.(2023.10.17)
ここからが面白くなるところなんだろうが、ここまでが書きたかったw
(この先の話は他に面白い作品たくさんあるからね)
ご自由に続きを書いてくれてもいいですよー