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──春の初めのとある日。
柔らかな日差しが降り注ぐ温室で、二人の年頃の男女が向き合っている。
男性は己の身分を示す騎士の礼服を身にまとい、女性は己の気持ちを表すピンクのチューリップのようなドレスを着ている。
少し離れた場所で、真っ白な毛並みの大型モフモフ犬が尻尾をファサファサと揺らしながら、この後の展開を見守っている。
男性はとても奇麗な所作で膝を付き、女性の手を取った。
「ミィ、我が愛しい人。君の笑顔をずっと隣で見ていたい。だから、どうか俺の妻になってください」
真摯な眼差しを女性に向けた男性は、手に持っていた花束を差し出す。自然界で生まれた花の束を受け取った女性は、頬を赤く染め潤んだ水色の瞳を歓喜の色に染めた。
「はい。ルドルクさん。どうか……私を、貴方の妻にしてください」
立会人よろしく二人を見守っていた大型モフモフ犬ことハクは、これにて一件落着と言わんばかりにワホッ!と元気に吠えた。
*
雪が溶けて春を告げる。王都は花の香りを孕んだ風が爽やかに吹き抜け、木々の幼い緑を揺らす。
そんな中、王城に併設されている闘技場では、今年最初の王政行事が催されていた。
剣術試合で使われる闘技場は、普段は汗臭さと熱気に満ちている。だが今日に限っては、気品ある舞台に様変わりしていた。
土埃を抑える為に敷かれた絨毯の上には、技巧を凝らした作業台が二つ。それぞれの台の上には、紙とペンと魔法石。それから様々な花の種と、土の入った大きな植木鉢が置かれている。
作業前に立つのは二人の男女だ。一人は国王から魔法植物の第一人者ナスタチウムの称号を授かった青年、レオシュ・ロスティーニ。もう一人は、自称魔法植物師を名乗る若い女性だ。
本日この二人は、国王の立ち合いの下、どちらがその名に相応しいか己の名誉を掛けて戦うためにここに来た。
とはいえ、男性側は既に称号を得ている魔法植物師だ。無名の女性が勝てるわけが無い。そう観客席にいる誰もが思っていた。
しかしながら魔法植物師レオシュは、立っているのがやっとの状態だ。目は虚ろで、顔色がどす黒い。身なりも貴族令息とは思えないほどヨレヨレで、悲壮感が半端ない。
対してレオシュに挑戦状を叩きつけた女性──テルミィは、とても美しかった。
艶やかなアプリコット色の髪に、宝石のような水色の瞳。肌は雪のように白く陶磁のように滑らで、19歳という若々しさの中に気品を兼ねそろえている。客席の男性陣はテルミィにずっと釘付けだ。
しかしながら、彼女の薬指には既に指輪が光り輝いている。これは、生涯共に歩む者を決めた証である。
「それでは二人とも、始めよ」
客席にいる男性陣ががっくり肩を落とす中、観客席の一等席にいる国王が立ち上がり、厳かな声で開始を告げる。
一つ頷いたテルミィは、ペンを取ると迷いなく紙に魔法陣を描き、植木鉢の下に差し込んだ。次いで作業台の上に用意されている種の一つを選び、鉢植えの土の中に入れる。
最後に魔法石を人差し指と中指の間に挟み、おもむろに詠唱を始めた。
テルミィが詠唱を終えると、魔法陣の上には見たことも無い植物が出現していた。
それは一見、シクラメンのような鉢花だった。しかし鉢の中でぎっしりと咲いた茎の長さはそれぞれ異なり、この花特有の反り返っている5枚の花びらの内、2つだけが大きく育っていた。
この花には名前は無い。だけども、まるで妖精達がお喋りをしているようにも、ダンスを踊っているようにも見えるこれは、一目見たら忘れることができない美しい作品だった。
観客は前のめりになって、テルミィの作品を凝視する。タイミング良く、ふわりと風が吹き、テルミィが錬成した魔法植物が揺れた。
花は風を受けて、会場に芳しい香りを運ぶと共に、鈴のような可憐な音を奏でる。
パチパチパチ……観客の一人が感極まって拍手をした。その音は次第に重なり、闘技場は割れんばかりの歓声に包まれた。
そんな中、一人だけ俯き肩を震わす男がいた。
「お前……さぞや気分がいいだろうな、家族を踏み台にして……」
ペンすら握ることもせずに立ち尽くすレオシュは、憎悪がこもった視線をテルミィに向けた。
しかしテルミィは、曖昧な笑みを浮かべるだけ。なぜなら──
「勝敗が決した。テルミィ・マティナ、そなたこそ魔法植物師ナスタチウムの名に相応しい」
国王が再び立ち上がって宣言した内容に、レオシュはどういうことだと挙動不審になる。
「お、お前……どんな小細工をしたんだっ、この卑怯者!」
「黙れ、害虫。これまで情けをかけて生かしてやったのに、なんだその口の訊き方は。今度は焼き印だけで済むと思うなよ」
小声で詰め寄るレオシュを制したのは、少し離れた場所でテルミィの護衛騎士を務めるニクル家が所有する騎士団の一人だった。
聖騎士の階級を示す銀の飾り緒が付いた制服を見事に着こなしているその青年ーールドルクは、テルミィを庇うように立つと、ドスの利いた声でレオシュを黙らせた。
昨年の冬、財産を失い夜逃げをしたロスティーニ家は、借金取りに追われ散り散りになり、レオシュは貧民街を彷徨うことになった。
それを保護したのがニクル家だ。もちろん、情があってのことではない。奪われたテルミィの名誉を取り戻すために、レオシュには生きてもらわないといけなかった。
だから生かさず殺さず、ちょっと地下牢で過ごしてもらっていただけ。ちなみに夜逃げするよう仕向けたのもニクル家だったりする。
無事に役目を終えたレオシュには、自由を与えるつもりだ。言い換えるなら、身一つで放り出す。手の甲に罪人の焼き印があるレオシュが、今後まともな人生を歩むことはまず無理だろう。
しかし、もうロスティーニ家がどうなろうが知ったことではない。
なぜならルドルクはスコル討伐の取引きとして、テルミィに新しい戸籍を与えることを約束させたのだから。
国王は約束をきちんと守り、大々的にテルミィを魔法植物師として認めさせるこの場で、新しい名を口にした。
この瞬間から、過去のテルミィを知っている者がいても、誰もが知らぬ存ぜぬを貫かなくてはならない。
「ル、ルドルクさん……あの……」
国王が第一王子を伴ってこちらに向かって来るのが見えて、テルミィはルドルクの袖を引く。
「ああ、わかっている」
大きな手でテルミィの頭をポンッと優しく叩いたルドルクは、マントを翻し距離を取る。入れ替わるように国王と第一王子がテルミィの前に立った。
第二王子はいない。第二王子ことケーニスは、一生国政に関わることはないだろう。
実のところケーニスの数々の悪行は、王族にとって頭痛の種だった。それでも国王は人の親として、ケーニスをまっとうな人間にしようとあれこれと手を尽くした。
けれども、ケーニスの生まれ持った残虐性は治らなかった。あまりの性格の悪さに、外交の駒にも使えない彼を国王はどうしたものかと頭を悩ませていた。
その時、サムリア領主から新しい戸籍を用意してくれとの依頼が舞い込んできた。
スコル討伐はサムリア領に留まらず、国政においても最重要課題だった。国王は渡りに船とばかりに、取引としてスコル討伐を命じた。最悪死んでくれても構わないという思いで、ケーニスを目付け役にした。
結果として、スコルは無事に討伐することができ、目付け役のケーニスは無傷であったが役目を果たせなかった。
国王はこの失態を大きく取り上げ、ケーニスから王族が持つ全ての権利を剥奪し、彼を魔塔に押し込んだ。
魔法が使えない彼は、今は下働きのような生活を送っている。平民扱いを受ける彼がショック療法で改心する可能性はゼロではないが、100でもない。神のみぞ知る確率である。
……ということを、ラジェインから教えてもらったテルミィは、離縁未遂までしたこの騒動が、全部自分の勘違いから始まっていたことに気づき愕然とした。
こんな失敗はもう二度としなくないという思いから、テルミィは自分の気持ちや思いを言葉にしようと努力中である。
「素晴らしい出来栄えだ。これほど美しい植物を目にしたのは初めてだ」
「恐れ入ります。ヘルライン国の益々の繁栄と、国王陛下並びに王太子殿下に精霊の祝福があるよう祈りを込めて錬成させていただきました」
ありがたい国王の言葉に、テルミィはローブの裾を持ち優雅に腰を落とす。その仕草も口調もとても滑らかで品があり、人見知りの引きこもりとは到底思えない。
それもそのはず。テルミィはこの1か月の間、礼儀作法に始まり、話し方やちょっとした仕草に至るまで、徹底的にアイリットにしごかれたのだ。
この時ばかりは鬼教官と化したアイリットに、テルミィは何度も涙目になった。けれど、物怖じしないでこの場に立てたのはアイリットのお陰だ。とても感謝している。
「面を上げよ」
姿勢を戻したテルミィに国王は小さく頷くと、すぐに視線を横に向けた。そこにはレオシュがいる。
「この恥じ晒しめ。今すぐ去れ」
汚いものを見る目つきになった国王を横目に、第一王子は衛兵に合図を送る。すぐさま衛兵達はレオシュを拘束し、会場の外へと連れ出した。
その一連の出来事を見ていた観客たちは、騒めきだす。それを打ち払うようにラッパの音が高々と鳴り響いた。新たな魔法植物師へ勲章を授ける、授与式の合図である。
作業台が片付けられ、国宝級の花台に錬成した魔法植物が飾られる。客席から祝福の花びらが絶え間なく投げ入れられ、甘い香りがテルミィを包み込む。
「テルミィ・マティナ。そなたを我が国の魔法植物第一人者と認めよう。だがしかし、ナスタチウムの称号は穢れてしまったので、新しい名を用意した。……息子と考えた名だが、気に入ってもらえると嬉しいがな」
最後に茶目っ気のある声で囁いた国王は、指で合図を送る。すぐに宝石が埋め込まれた化粧箱を手に持った第一王子が、ニコニコ顔で国王の隣に立った。
「新しい称号はラナンキュラス。光輝を放つという意味だ。そなたの偉業は我が国の光輝ある歴史を飾らん。さぁ、受け取り給え」
化粧箱から取り出したのは、ラナンキュラスを模した銀細工のティアラだった。国王はそれを手に取り、テルミィの頭に乗せる。
「ここにいる皆の衆、新しい魔法植物師を褒め称えよ」
張りのある国王の声が会場に響いた途端、大きな波のような拍手がテルミィに押し寄せる。
見た目は凛とした貴族令嬢だが、中身はポンコツのままのテルミィは、既にいっぱいいっぱいだ。しかし、クライマックスを迎えた今、絶対に倒れるわけにはいかない。
──が、頑張れ、私。あとちょっとだから……!
テルミィはグッと拳を握ると、空を見上げる。雲一つない青空に、色とりどりの花びらが舞う。とても奇麗だ。
一年前、自分がこんな気持ちで空を見上げることなんて絶対にないと思っていた。
心の中は、逃げたいという気持ちだけだった。だけど逃げ続けた先では、今度は捕まる恐怖にずっと怯えていた。
一生まとわりつくこの恐怖に、終止符を打つ手段なんて無いと思っていた。けれど、ちゃんとあった。答えに導いてくれた人がいた。その人の隣に、ずっと立ち続けたいと強く願った。
──私は……今日までずっと、ルドルクさんと一緒に歩けるようになる練習をしてたのかもしれない。
そんなことを思ったら、強張った身体がふっと緩んだ。
テルミィは観客の声援に応えるようにローブの裾を掴んで一礼する。顔を上げたら、愛する人と目が合った。
帰る家がある。待っている人がいる。
望み望まれた居場所を持てることがどれだけ幸せなのか、言葉で伝えることはとても難しい。だから、
「あの……陛下、恐れながら、そろそろ……退席してもよろしいでしょうか?」
「はぁ!?」
信じられない不敬発言にぎょっとした国王だが、少し離れた場所にいる独占欲丸出しの護衛騎士を目にして、呆れ顔になった。
「行ってやれ。それと夫婦喧嘩で家出をするなら城に来い。そうじゃなきゃ、国が荒れてしまうからな」
冗談なのか本気なのかわからない国王の言葉に曖昧に頷いたテルミィは、ペコリとおじぎをして護衛騎士の元に駆け寄る。
「お待たせしました、ルドルクさん」
「ああ。じゃ、帰るか。ミィ」
「は、はいっ」
満面の笑みで頷いたテルミィは、差し出された大きな手に自分の指を絡ませ、ルドルクと並んで歩き出す。
会場の声援と舞い続けている花びらに見送られ会場を出た先には、真っ白な大型モフモフ犬がお座りをして二人の帰りを待っていた。
「ハクー、お待たせー」
「おっ、大人しく待ってみたいだな。偉いぞ」
大好きな二人の主に褒められたハクは、嬉しそうにブンブン尻尾を振りながらワホッ!と吠えた。
<おわり>
最後まで読んで頂きありがとうございました(o*。_。)oペコッ




