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「ミィ、こっちを向け」
動けないでいるテルミィを、声の主ーールドルクは強引に肩を掴んで振り向かせた。
向き合う形となったルドルクの顔は、怒りの色を表していた。
わかっていた。……そう、わかっていたことなのにテルミィは身体の震えを止められないでいる。
「話がある。いいな?」
嫌とは言わせない圧を感じるルドルクの言い方に、テルミィは頷くことが精一杯だった。
それを見たルドルクは、わずかに安堵の色をにじませた。次いで、逃亡を阻止するためなのか、強引にテルミィを抱き上げると、屋敷に入り歩を進めた。まるで勝手知ったる我が家のように。
連れてこられたのは、知らない空き部屋だった。
暖炉には薪がくべてあって、部屋の中は暖かかった。それを疑問に思う間もなく、ルドルクはテルミィを目についたソファに座らせた。けれど、ルドルクは立ったまま。
刺さるような視線を感じて、自分から話さなければとテルミィは焦る。
黙って出て行ったことも、嘘を吐いたことも、罪を犯したことも、ちゃんと謝らないといけない。でも喉がカラカラに乾いて、言葉が何一つ出てこない。
そんな自分が情けなくて、テルミィが俯いたその時、ルドルクが静かに口を開いた。
「俺から逃げられると思ったのか?」
逃げる?何を馬鹿なことを言っているのだろうと、まず最初にテルミィは思った。しかし口から出た言葉は別のものだった。
「ご、ごめんなさい……」
スカートの裾をぎゅっと握って頭を深く下げれば、大きな手に顎を掴まれ上を向かされる。
「何を謝っているのか知らないが、お前が俺に求婚したんだ。それが自由になるための手段だとしても、俺とお前が夫婦になったのは紛れもない事実だ」
怒りを極限まで押さえたルドルクの瞳は、悲し気に揺れていた。こんな顔をさせてしまうくらいに、自分は彼を傷付けてしまった。
包み込むように大切にしてくれたのに。身を挺して自分を守ろうとしてくれたのに。
なのに慰めの言葉も、離縁を覆す言葉も言えない自分を、どうか許して欲しい。
「……でも、私達はもう夫婦ではありません」
変えられない未来を口にして、苦しくてルドルクを直視することができない。
ルドルクとの結婚生活を一度たりともお遊びだと思ったことは無い。ただの領主婚だとしても、彼の妻でいられた時間は、眩しく決して色あせることがない宝物だ。
でもその気持ちを伝えることはしない。酷い女だと思われても良い。最低な奴だと罵られても良い。それで彼の気が治まるなら。
そう思って、じっとルドルクを見つめていたけれど、
「……なぁーに、つまんねぇこと言ってんだよ」
あろうことかルドルクは、テルミィの必死の思いをせせら笑った。さすがにこれには、唖然としてしまう。
「な、そん……そんな……」
ソファに座ったまま、わなわなと口を震わすテルミィの隣に、ルドルクはドスンと腰を下ろした。
「父上が署名した離縁誓約書なんて、とっくの昔に破り捨てた。そもそも父上は、ミィに嫌われたくなくて、とりあえず署名をしただけだ。本気で離縁を認めるわけないだろ、馬鹿」
「ば、ばか……?」
「ああ、そうだ。それに父上から離縁理由も訊いた。あのなぁ、違法薬物を錬成したからって別れる必要はない。そんなものどうとでもなる」
この人は神にでもなる気だろうかと、テルミィは本気でルドルクの神経を疑った。
言葉にせずともそれは伝わってしまったようで、ルドルクはふんっと鼻を鳴らしてから再び口を開いた。
「あの時、ミィは父上にこう言うのが正解だったんだ。”パパ、ちょっと違法行為をするから揉み消してね”っと」
「は……い?」
「おいミィ、間抜けな顔をするな。サムリア領の領主は、それぐらいできる。いや、それくらいできなきゃ領主は務まらない」
憤慨しながら語るルドルクに、テルミィはもう掛ける言葉が見つからなかった。だけど重要なことを、この会話で見つけることができた。
──私、もしかして……一人で空回りして……た……??
身を裂くような決断が間違いだったなんて、認めたくはない。
だけどルドルクが嘘を吐いている様子はない。それに罪人とは到底思えない、バカンスのようなこの生活。
ラジェインがもともと自分を裁く気なんて無かったと考えたら、全て辻褄があう。
「私……領主様に、騙されたのでしょうか……」
愕然としながらテルミィが呟けば、ルドルクは痛まし気に眉を下げたが、しっかり「そうだ」と肯定した。
「あの時のミィは思いつめてて、人の話なんて訊きやしなかった。だから好きにさせることにしたらしい」
「っ……!!」
なんていうことだ。ちっとも気づかなかった。ラジェインはどれだけ演技が上手いのかと、テルミィは知られざる領主の特技に驚愕する。
対してルドルクは、何か嫌なことでも思い出したのか不機嫌な顔になった。
「そんなことより、ミィ。お前、俺にだけあの粉のこと言わなかったよな?」
「……あ、……それ……それは……」
「気付け薬だと言い通せば、俺が信じると思ったのか?舐められたもんだ」
「ぁ……ぅぅ……」
「だいたい俺には教えなかったのに、姉上が知っていたってどういうことだ?それは流石に酷いとは思わないのか?」
「ま、待って!待ってください、ルドルクさんっ」
次第にヒートアップしていくルドルクを、テルミィは全力で止めた。でもルドルクは「いーや、待てるか」と言ってテルミィを強く抱きしめた。
「ったく、男も知らないくせに、俺をとことん翻弄させやがって。この悪女め」
「なっ、なん……!」
懐かしい温もりの中、とんでもなく破廉恥で不本意なことを言われたテルミィは、身をよじりながら誤解を解こうと必死になる。
「ち、違います。アイリット様は、ただ……立ち聞きされただけでっ」
「そうか、そうか。じゃあ、そういうことにしてやろう」
適当にあしらわれたテルミィがムッとした瞬間、ルドルクは表情を改め腕を解いた。
「ミィ、お前は何一つ罪を犯してなんかいない。お前がやったことは、褒められることで、誇るべき行動だ」
「……っ!」
「ありがとう。助かった」
ルドルクから慈愛に満ちた眼差しを向けられ、テルミィはへにゃりと溶けそうになる。けれども、次の言葉でピキリと身体が固まった。
「でも、俺との初夜を三ヶ月も保留にした罪は重いぞ」
「っ……!!」
身の危険を感じて、テルミィは咄嗟に逃げようとした。だが、そう簡単に逃げられるわけがない。
再びルドルクに強く抱きしめられ、甘い言葉の代わりに額や頬に口付けを落とされる。
「……ミィ、一緒に帰ろう。お前が戻ってこなければスコル討伐が完了したことにならないんだ。言っただろう?あれは正当な取引だと。その為に必要な準備は、もう、全部終わっている。あとは雪解けを待つだけだ」
ルドルクの言っている意味が何一つわからない。でもテルミィは、笑みを浮かべて頷いた。
だって帰る道すがら、ゆっくり教えてもらえばいいだけのことだから。それよりも今は──
「ルドルクさん……」
手袋を脱ぎ捨てて、テルミィはルドルクの頬に手を添える。すぐにルドルクが首を動かし、チュッと小さな手のひらに口付けを落とす。
「ミィ……会いたかった。気が狂うかと思った」
喘ぐように呟いたルドルクは、堪え切れないといった感じでテルミィに激しく口付けをする。
テルミィも力の抜けてしまった身体で、ルドルクを求める。彼の上着の隙間に手を差し込んで、体温に触れる。
指先に感じたじんとした熱はあっという間に全身に広がり、テルミィはルドルクの胸に頬を寄せる。
「ルドルクさん……私も、会いたかった……です……」
自分でもびっくりするほど甘い声はルドルクの唇に奪われ、抱き合った二人はそのままソファに倒れ込む。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音と、互いの息遣いが満ちるこの部屋は、まだ昼間だというのに夫婦の寝室のような濃密な空気に満たされる。
しかし──大変残念ではあるが、大人の時間はここまでだった。
「……ル、ルドルクさん、あの、お待ちを……」
「おい、待て。まさか、また俺にお預けをさせる気か?……お前、鬼畜か?」
「い、いえ……そうじゃなくって……あの……あっち、あっちを、見てください」
テルミィは人差し指を、とある場所に向ける。
百聞は一見に如かずとルドルクは眉間に皺を刻みつつ、そこに視線を向けると「はぁぁぁぁーーー」と長い長い溜息を吐いて脱力した。
テルミィが指差した場所は窓。そこに雪まみれのハクが、ハッハッハッと目をキラキラさせながらこちらを覗いていたのだ。
「アイツ、絶対に確信犯だな」
唸るようにそう言ったルドルクに同意して良いのか悪いのか判断できないテルミィは、ソファから身を起こすと乱れた衣類をそっと直した。
この世に生を受けて19年。こんなに気まずいと思ったことは無かった。




