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ハンカチで口と鼻を覆ったアイリットとキースは、再び馬を走らせた。
結界跡に近付くにつれ、悪臭がテルミィ達を襲う。結界の境界線と思われるところにローブ姿の男性達が杖を片手に重なり合うように倒れているのを発見した。
すぐさまキースが馬を降り、倒れているローブ姿の男達に近づく。恐る恐るその一人の首元に手を当てた。
「よかった生きてます。あ、これは……寝てるみたいですね。うん、全員寝てます」
なぜこんなとこで眠っているのか不思議であるが、全員、命に別状はないようなので一先ず放置することに決めた。
安堵したのもつかの間、今度は少し離れた木の下で、見覚えのある青年が口から泡を吹いて倒れているのも発見する。キースもそれに気付き、青年の元に駆け寄った。
「……外傷はないようですが、こっちは気絶してるみたいですね」
苦笑するキースは、この青年が誰なのかわかっていない様子だ。おそらくあれは、我が国の第二王子であるケーニス殿下だ。
どうしてこんな危険な場所に彼がいるのかこれもまた謎であるが、命に別状はないようなので同じく放置する。
そんな中、耐え難い匂いにアイリットは顔を歪めた。
「ハク君が無事に粉を撒いてくれたみたいだけど……ちょ……これは……本当に臭いわ……うっ、ゴホッゴホッ」
がっつり悪臭を吸い込んでしまったアイリットは激しく咳き込む。ケーニスを横向きに寝かせ直しているキースも涙目だ。
「ねぇ、テルミィちゃん。貴女は鼻も口もそのままだけど……平気なのかしら?」
「は、はい。大丈夫です」
試作中に何度もこの匂いを嗅いだテルミィは、耐性が付いているので「まぁまぁ臭い」程度で済んでいる。
しかし初めて嗅いだときは、鼻が壊れるかと思った。頭痛すら覚えたあの衝撃をアイリットとキースが味わっていると思うと、テルミィは申し訳なさで胸が痛い。
「……ご、ごめんなさい」
「あら?何を謝っていらっしゃるの、テルミィちゃん。ここは喜ぶところですわ。だって王子様が二人も迎えに来てくれたのですから」」
「え?……っ!!」
王子様……?二人……?場違い過ぎるアイリットの言葉に、テルミィは粉を浴びなかったスコルがどこかに潜んでいて、知らず知らずのうちに精神干渉をされたのかと思った。
けれど、スコルはどこにも居なかった。
いたのは、尻尾をフリフリしながら口角を上げて駆け寄るハクと、薄く笑いながら早足で近付いてくる──ルドルクだった。
「よう」
親しい友人に挨拶をするようにルドルクはテルミィに向かって片手を上げる。対してテルミィは、馬上で石のように固まっている。
「馬鹿弟、今日だけはテルミィちゃんを貸して差し上げるわ。大切に丁寧に扱いなさい」
「いつから姉上のものになったんだ?それ以前にミィはものじゃない。……だが、今日だけは恩に着る」
奇麗な所作で頭を下げたルドルクは、腕を伸ばしてテルミィを抱き上げた。そしてそっと地面に下ろす。
その間、テルミィはずっと無言だった。ただひたすらルドルクを救うことしか頭に無かったので、状況が追いついていないのだ。
「……あ、あの……」
「懐かしいな、その恰好」
「え?……あ……これ、覚えてて」
「忘れるわけないだろう」
テルミィは、ボロボロの外套姿に足元は使い古したブーツ。型崩れした大きな鞄を行商人のように肩から斜め掛けにしている恰好だった。
ニクル邸を去る自分にふさわしい恰好をと選んだものだが、奇しくもそれは初めてルドルクと出会った時と同じ服装だった。
それは単なる偶然でしかない。だが胸の疼きは、そんな言葉では片付けられないほど暴れまわっている。
でも今は感情に流されている場合ではない。スコルの精神干渉を封じる粉は、もって半日。しかも粉は1回分しか錬成できなかったので、やり直しはできない。
「ル、ルドルクさん、あの……スコルは……」
「森の中に逃げて行った。ところでハクが撒いた粉はお前が作ったやつか?すごく臭かったが」
「あ、はい。あれは……えっと……正気を取り戻す気付け薬……なんです」
小さな嘘を吐いたテルミィは、そっとルドルクから目を逸らす。すぐに「ふぅーん、それだけか?」と訊かれ、そうだとぎこちなく頷いた。
明らかに怪しいテルミィの言動だったが、ルドルクは粉についてはこれ以上追及することはしなかった。
「俺は今から森の中に逃げたスコルを追う。お前はここにいろ。いいな?」
「は、はいっ」
「本当に動くなよ?」
「はい」
「もし付いてきたら、その時は覚悟しておけよ」
「ぅ……はいっ」
なんの覚悟が必要なのか考えないことにしたテルミィは、大きく何度も頷いた。
それを見届けたルドルクは動ける仲間を引き連れ、森の中に消えていった。
ルドルクの姿が見えなくなったテルミィは、今、自分ができることを必死に考える。言われた通り大人しく待つ気はさらさら無い。
「──……アイリット様、あの……おそれながら、弓を射れる体力は……まだ残っておりますか?」
「ええ。獲物が目の前にいるなら射れますわ。鹿でも熊でも、スコルでも」
アイリットはもうテルミィが何をしたいのか気付いてくれている。だからこそ表情を暗くした。
「でも、魔獣を射るなら聖力が付与された弓矢じゃないと弾かれてしまいますの」
「あ……はい、そうなんです。なので……今からちょっと造ります」
「え?待って、テルミィちゃん。弓矢を造るって、どうやってですの??」
「これで」
テルミィが指差した先には、少し離れた場所で転がっている剣があった。誰のものかはわからないが、まだ剣は青白い炎を纏っている。聖力が残っている証拠だ。
「あの……私、弓矢の錬成は初めてなので、何が起きるかわかりません。なので……えっと、アイリット様はここで待っててください。ハクも待っててね!」
ハクがワホッと吠えたのを確認して、テルミィは剣がある場所に駆け出した。近くに人がいないことを確認して、鞄から紙とペンを取り出す。
実のところ弓矢の錬成は初めてではない。ユリの花をベースにした観賞用のものなら過去に一度だけある。
その記憶を探りながらテルミィは素早く魔法陣を描く。次いで剣の下に魔法陣を描いた紙を差し込むと、目に付いた雑草をブチブチと引き抜き剣の上にばらまく。
最後に鞄からありったけの魔法石を取り出すと、落ちないように強く握って膝を付いた。
「空と大地に眠る精霊達よ、絶え間なく我を見守る光よ、あなたは恵みの塊、そして私の道しるべ。私は願う、あなたの奇跡を。悠久の命の欠片を今ここに顕現せよ──」
詠唱を終えたテルミィの瞳が水色から金色に変わる。紙に描かれた魔法陣から雷のようなビリビリとした閃光が浮かび、アプリコット色の髪がバサバサと揺れる。
指の隙間から魔法石が光り輝き、魔法陣の上にある剣は強い光の中に吸い込まれていった。
時間にして数十秒。静寂が戻ったそこには、青白い炎を纏う弓矢が抱えるほどに出来上がっていた。




