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──スコルが森の奥に逃げ出した時から少し遡る。
「あんの馬鹿弟ーーーーー!!わたくし達の予定を無視して、好き勝手に動くなんて!覚えておきなさいよ!!」
器用に手綱を操りながら馬上で激怒しているのはアイリットである。
すぐに並行して馬に乗っているキースが「でもねぇ、ルド君は私達が追っかけてることは知らないからねぇ」と苦笑する。
極めて公平な意見なのだが、アイリットはキッとキースを睨みつけた。
「おだまりなさい。これ以上、馬鹿弟に肩入れするなら愛する貴方でも容赦はしませんわ」
言い終えて口の端だけ持ち上げるアイリットは一応微笑んではいるが、目は笑っていない。苛立ちマックス状態だ。
アイリットに抱きかかえられるようにして馬上にいるテルミィは、ひえっと小さく悲鳴を上げた。
とはいえ、アイリットが苛立ちを隠せないのも無理は無い。ルドルクは当初の予定を大幅に早めて、西の果ての結界に向かっているのだ。
おかげでテルミィ達は、ロクに休息を取ることができないまま移動を強いられた。坑道で乗ったトロッコに至っては、ノーブレーキ走行だった。死ぬかと思った。
さすがにトロッコに馬を乗せることはできないので、近くの集落で新しい馬を調達したけれど、替えの効かないハクは伸びてしまって、今はキースが乗っている馬の背に括りつけられている。
そんな命がけの強行をしたというのに、まだルドルクには追いつけない。テルミィと違って、あらゆる可能性を考えて移動プランを考えてくれたキースも頭を抱えている状況だ。
「テルミィちゃん、悪いけどこのまま結界に向かうわ。もしルドに見つかったら、わたくしが黙らせてさしあげますから、ガツンと粉を振りまきなさい!」
「は、はい!」
目の前には結界に続く森が広がっているが、一般人の侵入を阻むための柵がある。
しかしそれを目にしても怯むアイリットではない。邪魔だと言わんばかりに馬の速度を上げる。障害物を前にした馬は、アイリットとテルミィを乗せたまましなやかに飛び越える。続いてキースとハクを乗せた馬も華麗なジャンプを決めた。
「キース、このまま速度を落とさずに進むわ」
「それがいいね」
アイリットとキースは阿吽の呼吸で手綱を操り、馬を走らせる。対して、ただ乗っているだけのテルミィは、目がぐるんぐるん回る。そんな状況でも、頭の中はルドルクのことでいっぱいだ。
──神様、お願いです……どうか間に合わせてください!お願いです……!!
ルドルクがどうしてこんなに急いでいるのか思い当たる節はある。だけど、どんなに急いで戻ったとしても、もう自分はニクル邸には居ない。彼の頑張りは、無駄になる。
騙すような真似をしたことを後悔していないと言えば嘘になる。
でも、何度同じ局面に立たされても、間違いなくこの選択をする。ルドルクが生きてくれてさえいれば、他に望むものは何もないのだから。
「テルミィちゃん、見えるかしら?あれが結界よ──……って、嘘でしょ!?」
悲鳴に近い声を上げたアイリットは乱暴に馬の足を止めた。衝撃であわや落馬しそうになったテルミィだが、声を上げるのも忘れ一点を凝視している。
微かに見えた紫色の光を放つ結界が、突然消えてしまったのだ。
「ま、間に合わ……なかった」
愕然としたテルミィは力が抜け落ち、ズルズルと馬から転がり落ちる。落下した衝撃で、脛や肘を擦りむいてしまったけれど、それどころじゃない。
テルミィはガクガク震える身体を抱きしめながら懐から小瓶を取り出し、馬上にいるアイリットに縋るような眼差しを向ける。今、頼れるのは彼女しかいない。
けれどもテルミィが何を求めているのか気付いたアイリットは、顔をくしゃりと歪め首を横に振った。
「ごめん……ごめんなさいね。テルミィちゃん。私の弓では、あそこまでは……どう頑張っても無理なの」
語尾を震わせ涙を浮かべるアイリットは、本当に悔しそうだった。
ニクル邸を出発してから、アイリットはずっとテルミィの為だけに心を砕いてくれていた。どんなに疲れていても、嫌な顔一つせずに馬を走らせ、コロコロと変わる状況に瞬時に対応してくれていた。
血のつながりなんてないのに、どうしてここまで優しくしてくれるのだろうと不安になるほどに。
そんな彼女をどうして責められるというのだろうか。
「ア、アイリット様、そんな顔……なさらないでください。大丈夫です。ここからは……っ!?」
自分一人で行くと伝えようとした瞬間に、ドンッと強い衝撃を受けてテルミィはよろめいて尻もちを付いた。
何が起きたのかわからず目を白黒させるテルミィの視界に入ったのは、自力で縄を解いて地面にお座りをするハクだった。ハクは口に何か咥えている。
それが何か気付いた瞬間、テルミィは声を荒げた。
「ハク、だ、駄目だよ!それを返してっ、今すぐ!!」
ついさっき受けた衝撃は、ハクが自分の手の中にあった小瓶を奪うためにやったことだった。何のために?そんなこと、考えなくてもわかる。
ハクは弓矢の代わりに、自らがスコルの群れの中に飛び込む気でいるのだ。
「ハク!駄目!!」
更に大声を出して、テルミィは立ち上がる。そして小瓶を取り戻そうとハクの元に一歩踏み出したその時、大型モフモフ犬は別れの挨拶のように尻尾を大きく二度振って地面を蹴った。
スコルの群れへと駆けだしたハクの足は信じられないほど俊足で、みるみるうちに小さくなり鬱蒼と茂る木々の中に消えてしまった。
「……ぁ……ぅ……っ!」
大切な相棒が、自分の代わりに危険な場所に行ってしまった。
ハクは賢いけれど、ただの犬だ。聖騎士のように魔を打ち払う力なんてない。スコルがハクの精神に干渉したらと考えただけで得も言われぬ恐怖がテルミィを襲う。
「……ぁ……っ……私も、い、行かないと……!」
耐え切れない現実に嗚咽を漏らしたのは一瞬で、テルミィは乱暴に涙を拭うとハクの後を負うために走り出す。
でも、たった3歩でアイリットに襟首を掴まれてしまった。
「お待ちになって、テルミィちゃん。こっちの方が早いですわ」
「で、でも、結界が解除されてしまったのに、近付いたら……ス、スコルに」
「なにを仰ってるの、テルミィちゃん。ハク君はスコルの精神干渉を封じるために向かったんでしょ?なら、わたくし達が追いかけても大丈夫。さ、わたくしの腕に掴まって!」
全面的にハクを信頼してくれるアイリットの言葉が、テルミィの心を強くする。
「お、お願いします!」
アイリットの手を借りて馬によじ登ったテルミィは、ここで「あっ!」と声を上げた。
「どうされたの?」
「あ、あの……馬を走らせる前に、ハンカチで口と鼻を覆ってほしいんです」
「どうしてかしら?」
「じ、実は……スコルの精神干渉を封じる粉に、万が一を考えて自我を失った聖騎士の正気を取り戻すための、気付けの薬っぽいものを……混ぜました。つまり……とっても臭いんです」
テルミィが説明を終えるや否や、アイリットとキースはハンカチを取り出し素早く己の鼻と口を覆った。




