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本日もルドルク視点ですm(_ _"m)
『私はルドルクさんの本当の妻になりたいんです』
あの晩、テルミィが告げてくれた言葉は、ルドルクにとってこれまで生きてきた中で一番の贈り物だった。
『精一杯、優しくする』
激しい欲望が全身を包み、ルドルクはベッドに横たわったテルミィに覆いかぶさった。すぐに細い腕を背中に感じた。
それからルドルクは、貪るようにテルミィに口付けを落とす。薄い寝間着のリボンを解いて、床に落とす。自分も寝間着を脱ぎ捨て、素肌と素肌を重ね合わせた。
初めての行為が辛いものにならないようテルミィの身体を隅々まで愛し、本当の夫婦になろうとした。
しかし、いざその時になってテルミィの顔を見た瞬間、ルドルクは行為をピタリと止めた。
──違う……これは何かが違う。
テルミィは神に捧げられる供物のような達観しきった顔をしていた。痛みを恐れる顔でもなく、初めて結ばれる悦びに満ちた顔でもなかった。
ルドルクはテルミィを愛している。当然、好いた女性に触れたいという欲求も持っている。しかし無理強いをする気は微塵も無い。互いが求め合った時にするものだと思っている。
だからルドルクはテルミィの身体から離れた。床に落ちてしまった寝間着を拾い上げて、袖を通す。次いでテルミィに寝間着を着せ、ベッドの上で向かい合わせに座った。
「続きは、帰ってからだ」
きっぱりと宣言したルドルクに、テルミィは今にも泣きそうな顔で「どうして?」と問いかける。
「そんなことをしなくても、もう俺はミィの夫だからだ」
胸の中でたくさんの言葉が溢れてきたけれど、どれも曖昧でわざとらしいと思うほど気障な台詞で……ルドルクは、悩んだ末に一番伝えたい言葉だけを口にした。
目の前にいる愛しい人は、それを聞いて目を丸くした。でも、次に浮かべた表情は浮かないものだった。
「で、でも……私……タッセルもハンカチも作ってないんです。明日、出立するルドルクさんに差し上げられるものなんて、この気持ちしかないから……受け取って欲しかった……」
最後にキュッと袖を掴んだテルミィの拗ねた顔が堪らなく可愛かった。そんな顔をしてくれるだけで、ルドルクはもう十分だった。
「あのなぁミィ、俺はお前のその言葉が聞きたくて、ずっと待ってたんだ。タッセルやハンカチなんか要らない。そんなものより、ずっと良いものを俺は今もらった」
ルドルクは腕を伸ばし、テルミィを抱き寄せる。
雄としての欲望はまだ疼いているけれど、今は澄んだ湖のような清涼な喜びの方が強かった。
だから、待てるとルドルクは確信した。さくっとスコルを討伐して、ダッシュで帰宅して出迎えたテルミィに「な?心配する必要なんかなかっただろ」と意地悪く微笑んでから続きをしようと決めた。
「ってことで、今日は寝るぞ。お喋りがしたいなら朝まで付き合うが?」
腕を緩めてルドルクがテルミィを覗き込めば、潤んだ瞳と視線が絡み合う。
「……お喋りは、い、いいです。でも、このまま朝までいてください」
温もりを求める子猫のようにテルミィに頬を寄せられ、ルドルクの決心が揺らいだ。
──くそっ、これは拷問だ。
心の中で呻くルドルクだが、テルミィの願いは神の意志と同等だ。抱きしめたまま、毛布をめくり二人並んで横になる。
「ミィ、おやすみ」
「……おやすみなさい、ルドルクさん」
今日に限ってやたらと身体をくっつけようとするテルミィに、ルドルクは歯を食いしばりながら腰を引いてちょっとだけ距離を取る。
そうしてルドルクは一睡も出来ぬまま朝を迎え、スコル討伐に出立した。
日頃の訓練のおかげで、体力が底なしにあることに感謝したのは言うまでもない。
*
ケーニスを遣り込めたルドルク達は行進を再開し、結界の前にいた。
前方には、人の気配を感じ取ったスコルの群れが、少し離れた場所で唸り声を上げ牙を剥いている。仔牛ほどの大きさに真っ黒な毛並み。文献通りの姿だ。
100年前に魔術師達が張った結界は、魔塔の英知を集結したものだ。しかし強力ではあるが、この結界は分厚い透明な壁のようなもので、解除しなければこちらも攻撃ができない。
「それじゃあ皆さん、結界の解除を頼みます」
結界から少し離れた場所で杖を握り直した魔術師達にルドルクは声を掛ける。心得たと頷く魔術師達は、空いている方の手には水色の液体が入っている小瓶がある。
これは即効性の睡眠薬だ。スコルは人間の精神を干渉する危険な魔獣だが、意識が無い者には効かない。
剣こそ扱えないが魔術師達が自我を失い魔力を暴発すれば、洒落にならない事態になる。そのためルドルクは、やることをやってもらったら意識を失ってもらうよう話を付けておいた。
最初こそ難色を示した魔術師達だが、現物のスコルを見て異議を唱えるものはいなかった。彼らは己の役目を果たす為に、額に汗を浮かべながら結界解除の詠唱を始めた。
唄うような、詩を朗読をするような、魔力を持つ者しか出せない独特の口調を背後で聞きながら、聖騎士達は鞘から剣を抜き聖力を高める。
風も無いのに髪やマントが揺れ、白金の剣が青白い炎を纏う。その炎はゆっくりと剣から聖騎士達の身体に燃え広がっていく。
これこそが魔を打ち払う特別な力。そして魔物が放つ瘴気を阻む防護壁。
スコル討伐は、騎士団にとって重要課題の一つだった。長い間、訓練の合間に何度も議論が交わされた。
その結果、スコルが人に与える精神干渉は瘴気が進化したものだと考えられ、一番有効なのは聖力を剣ではなく身体に宿す方法が最善策だという結論に至った。
「さぁて、歴代の先輩達の仮説が当たっているか確かめてやるか」
最大限に聖力を引き出したルドルクは、スコルを挑発するように笑う。と、同時に結界が解除された。
一瞬で紫色の古代文字が消え風すら止まった世界の中で、聖騎士達は弾かれたようにスコルに向かって切っ先を向ける。
勝負は一瞬で決まると思った。しかし、ルドルクの考えは甘かった。
長い年月、人肉を食していなかったスコルは、飢えに飢えていた。100年ぶりのご馳走を目の前にしたスコルの力は、最大限に高めた聖力を凌駕した。
耳をつんざくようなスコルの咆哮が聖騎士を襲う。ぐらりと眩暈を覚えた聖騎士は、次の瞬間にはもう自我を失っていた。
キンッと刃と刃がぶつかり合う金属音が森の中に響く。聖騎士の半分が自我を失い、残りの聖騎士達に剣を向けているのだ。
このままでは埒が明かないと判断したルドルクは、声を張り上げた。
「手加減無しでいい!気絶させろっ」
即効性の睡眠薬は全員が所持しているが、それを飲ます余裕はどこにもない。ルドルクとて自我を保つのに精一杯なのだ。
他の騎士達も立っているのがやっとなのだろう。襲い掛かってくる仲間を剣の柄や手刀を使って気絶させていく。
次々に倒れていく仲間を背後に庇い、ルドルクは剣を構え直す。あれだけ剣を振ったというのに、スコルは一匹も死んでない。魔獣ごときに弄ばれたようで、最悪の気分だ。
とはいえ、聖騎士の大半はもう戦えない。魔術師達がちゃんと睡眠薬を呑んだかも、ケーニスが目付けの役目を果たしているのか把握する余裕が無い。
これほど追い詰められたのは初めてで、ルドルクの脳裏に最悪の事態がよぎる。
──ここは、仲間だけでも逃がすしかないか。
犬死する気はないけれど、私情で始まった討伐で仲間を失うことは許されない。
「……さあて、どうしたもんかな。ははっ」
ルドルクは笑った。絶体絶命の時こそ笑え。笑えば運がこちらに向く。それが父ラジェインの教えだったから。
ラジェインの教えは正解だった。
万策尽きたこの状況で、真っ白な閃光が走った。
「……ハク?」
瘴気が満ちたこの場に飛び込んで来たのは、小瓶を口に咥えたテルミィの相棒──ハクだった。
ハクはルドルクを一瞥すると、スコルに向かって飛びかかる。地面を蹴り、宙に浮いたハクは首を激しく振った。空中で瓶の栓が抜かれ、中身の粉がスコルに降り注ぐ。
すぐに鼻がもげそうな悪臭が辺りを覆う。ルドルクも耐え切れず、片手で口と鼻を覆う。それでも目が染みるし、鼻の奥がヒリヒリする。背後にいる仲間も「くっさ!」と悲痛な声を上げている。
しかしハクが巻き散らかした粉は、害を与えるものでは無かった。
気を抜いたら自我を失いかけていたルドルクの意識がはっきりする。仲間達も同様に。なにより人肉を求めて牙を向いていたスコルが逃げるように森の奥へと消えていった。
「ハク、お前……まさか」
一仕事終えて撫でてとパタパタ尻尾を振るハクに、ルドルクは「一人で来たのか?」と問い掛けてやめた。
なぜなら遥か向こうに最愛の妻がいたから。姉アイリットに抱きかかえられるように馬に跨って。
次回から通常視点に戻ります(o*。_。)oペコッ




