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立冬までにと期限が定められたスコル討伐は、時間がほとんど残されていなかった。
有事に備えて騎士団全員を討伐に連れて行くことはできない。そのためルドルクは、団長であるデイルと共に何度も打ち合わせを繰り返し部隊を編成した。
西の果ての結界までは、ニクル邸から10日はかかるという。スコルを封じ込めている結界は強力で、聖騎士では解除できない。そのため途中で魔塔から来た魔術師と合流するらしい。
団長のデイルはニクル邸に留まることになったとはいえ、ルドルクを始めとする選りすぐりの聖騎士がスコル討伐に向かうことは、民にあらぬ不安を与えることにもなるので準備は極秘に進められた。
そのため表面上は、何も変わらない。討伐に向かう騎士も、残留組の騎士も、毎日訓練を続けている。けれど、どことなく伝わるピリピリ感は隠せない。
使用人たちは気付かないフリをしてくれているが、表情は暗く憂えている。木枯らしが強く吹き、ニクル邸は夏の頃に比べとても静かで重苦しい。
そんな中、テルミィは水面下でこっそりと、とある準備を進めていた。それは、絶対に気付かれてはいけなくて、失敗も許されない孤独な作業だ。
幸いルドルクもニクル夫妻も、来るスコル討伐の支度で慌ただしい。使用人達は一人になりたがるテルミィに理解がある。
おかげでテルミィの準備は、目標としていた期限までに終えることができた。
晩秋の夜は、ネズミを追いかける猫のように早くやってくる。
翌日、スコル討伐を控えた騎士達は訓練を早めに切り上げ、明日に備えて気持ちを切り替えているだろう。もしかしたら家族や恋人と、別れの時間を惜しんでいるのかもしれない。
魔物討伐に向かう時、聖騎士達は恋人や家族から無事の帰還を願った刺繍を入れたハンカチや、剣を飾るタッセルを贈られるという。
残念ながらテルミィは私事の準備で、そういったものは用意できなかった。……できなかったというのに、ルドルクを私室に呼びつけてしまっている。
──……私、自分が思っている以上に変わったのかも……。
夏前なら、手ぶらで彼を呼びつけることも、明日の早朝に出立しなければならない彼にお願い事をするなんて考えもしなかった。なのに今は来てくれると確信を持っている。
キィーっと音がして扉が開く。部屋に入って来た寝間着に厚手のガウン姿のルドルクは、窓辺に立つテルミィの姿を視界に収めると大股で近付いた。
「こんな薄着で寒いだろう」
開口一番に気遣う言葉を掛けてもらい、テルミィはくすぐったい気持ちになる。
出会った頃からルドルクは過保護だった。今も変わらず自分を大切に扱ってくれる彼を心から愛しいとテルミィは思う。
「あの……明日、早いのに呼んじゃって……ごめんなさい」
「いや、俺も今日は一緒に寝たかったから丁度良かった」
「そうですか。あ、あの……ルドルクさん」
「ん?どうした」
「ワガママを言わせてください」
「わかった。何でも言え」
何を要求されるかわからないのにあっさり承諾してしまうルドルクに、テルミィはたじろいだ。
てっきり内容によるとか、叶えられるかどうかわからないとか、限度があるとか、そんな予防線を張られると思っていたのに。
「……あの」
「ん?」
「今夜は……その……」
「ああ」
予想外の展開に、モジモジしてしまうテルミィにルドルクは根気よく続きを待つ。
時計の秒針がチックタックと何度か動いたあと、テルミィは意を決した表情でこう言った。
「あ、あのっ、き……今日はですね……一緒に睡眠を取るんじゃなくって、朝まで一緒に過ごしてください。たとえ領主婚であっても私は、ル、ルドルクさんの……本当の妻になりたいんです!」
「わかっ……は?朝までって、おいそれはつまり──」
「駄目ですか!?」
拒絶されることが怖くて、テルミィはぐいっと背伸びをしてルドルグに詰め寄る。その瞳は恥じらいより、真剣さのほうが勝っていた。
気圧されたルドルクは一歩後退して辺りを見渡す。目を凝らしても、この部屋にはハクはいない。それこそがテルミィの決意の現れだ。
「……森で言ったこと、覚えているか?」
突飛な質問に目を丸くするテルミィだが、一語一句忘れてはいないので素直に頷いた。
「俺は男だから、ミィからそんなことを言われたら歯止めがきかない。もし俺の気持ちを試そうとしているなら、今すぐやめてくれ」
苦し気に、でも熱を孕んだルドルクの視線を受けて、テルミィは微笑んだ。
「や……やめません。試してなんかいないです。わ……私が、その……そうして下さいってお願いしてるんです」
ルドルクのガウンの裾を引っ張って上ずった声で答えれば、息もできないほど強くルドルクに抱きしめられた。
「ずっと……ずっと待つ気でいた。だけど──」
最後の言葉を拾う前に横抱きにされ、ベッドに仰向けに寝かされた。
コクリと息を呑めば、ルドルクの大きな手がテルミィの頬を包み込み、獰猛な雄の視線を向けてくる。
ギシッとベッドが揺れ、膝と膝の隙間にルドルクの足が入り込んでくる。
「怖いと思うが……精一杯、優しくする」
泣きそうな、それでいて無心に何かを求めるような切実なルドルクの声に、テルミィは腕を伸ばして逞しい背中を抱きしめた。
それが合図となり、ルドルクはテルミィに熱い口付けをした。
素肌と素肌が触れ合い、身体の奥から今までに感じたことのないような感情が溢れ出す。一体どれほど口付けを交わしたのだろう。
男は皆、オオカミだと言っていたけれど、ルドルクはずっとずっと優しかった。ゴツゴツした手は、一度も自分に痛みを与えることはなかった。
「……ミィ」
熱い吐息と共にルドルクがテルミィの名を呼ぶ。たったそれだけで、彼が自分をどれだけ想い慕ってくれているのか伝わってくる。
恥ずかしがることも、怖がることもせず、余すことなく己の気持ちを示してくれるルドルクをテルミィは人として尊敬し、異性として愛している。
──私……ルドルクさんに出会えて良かった。
自分なんかをどうして好きになってくれたのか今でもわからないけれど、彼に愛された自分を誇らしく思う。
そして、愛してくれたことを後悔させないような生き方をしなければならないとも思う。
だから……だから……
──幸せの代償は、私が払う。ここで過ごした日々が罪だというなら、私は甘んじて受ける。
だけど、この理不尽な要求に対して誰も傷つけさせたりなんかしない。
たとえもう二度と会うことができなくなったとしても。大好きな人が生きていけるなら、それだけでいい。
「ルドルクさん……あのね、今度は……私が貴方を守ります」
囁く言葉はルドルクからの口付けに奪われてしまい、声として発することができなかった。




