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 テルミィが家を出ようと決めたのは、今を去ること2ヶ月前。冬の終わりの暖かい日だった。


 自然界には存在しないとされている青いダリアの鉢植えを抱えたテルミィは、小走りに中庭に出た。兄が婚約者に贈るために急ぎ作れと命じられたから。


 そこにはめずらしくガーデンテーブルを囲む家族4人がいた。


 いつも不機嫌そうに眉間に皺を刻む父は、その日に限って穏やかな笑みを称えていて、父の隣で母が甲斐甲斐しく世話を焼いていた。


 普段なら刺々しい笑いを浮かべる兄と姉も、小春日のせいかやけに温厚に見えて──テルミィは今日なら自分も仲間に入れてもらえるのではないかと淡い期待を抱いてしまった。だってテーブルには空いた席が一つあったから。


 けれども、テルミィはテーブルに着くことはできなかった。


 青いダリアの鉢植えを受け取った兄は、迷いなく空席にそれを置いた。そして、


「何やってんだ。今すぐ消えろ」


 忌々し気に吐き捨てたと同時に、家族4人から冷たい視線を向けられてしまったのだ。


 その時の感情は、どう言葉で表現していいのかわからない。


 悲しみ、絶望、遣る瀬無さ。胸を抉る感情の中で一番多くしめていたのは「やっぱりそっか」という落胆だった。


 それが一番辛かった。


 気付かないフリをしていたけれど、本当はもうずっと前からわかっていた。どれだけ家族の望む植物を育てても、自分は受け入れてもらえないことを。


 遠い異国の言葉で「ラクダの背骨を折るのは最後の藁だ」というのがある。正にテルミィにとって、彼らの態度は最後の一藁だった。


 冬の終わりの青空の下、ポキリと心が折れた音が鮮明にした。


 翌日、まだ夜も明けきらぬうちにテルミィはありったけの花の種を鞄に詰め込んで、愛犬ハクと共に家を出た。






「なるほど……そんなことがあったのか」

「……は、はい」


 一度も遮ることなく耳を傾けてくれたルドルクに、テルミィはこくりと頷いた後、なんだかくすぐったい気持ちになる。


 こんなふうに自分の言葉を受け入れてくれた人は初めてだ。辛い過去を語ったはずなのに、心がポカポカして唇が自分の意思とは無関係にムニムニ動いてしまう。あ、そうか。今、自分は嬉しくて笑おうとしているのだ。


 それに気付いた途端、ルドルクが急に怖い顔つきになった。


「それにしても、お前は無茶が過ぎる。年頃の娘なんだぞ。悪い男に何かされたらどうする気だったんだ」

「え?」


 てっきりルドルクは締まりのない顔になった自分に怒りを覚えたと思いきや、どうやら淑女の自覚が欠けていることに苛立っているらしい。ついさっきガキと言ったくせに。


「だ、大丈夫です。だって、私には……ハクがいますから」


 4歳になるハクは真っ白な毛並みの大型犬。気立ては優しく、魔法植物に囲まれてそだったせいか、他の犬より賢く強い。


 鼻も夜目も利く相棒のお陰で、旅の間、何度も危機を救われた。虫にだけは妙に怖がりなところがあるけれど、くっついて眠れば毛布よりも温かい頼りになる相棒である。


「そうは言ってもなぁ。世間知らずなお前にはわからないだろうが、危ないものは危ないんだ」


 納得できない様子のルドルクに向け、テルミィは今度は小さく声を上げて笑う。


 気を揉む彼には悪いけれど、夜明けの凍てつく寒さの中、生まれて初めて自分の足で歩いた外の世界に恐怖はなかった。


 一歩一歩屋敷から遠ざかる度に、身体中に絡みついていた見えない鎖が解けていくのを感じた。このままどこまでも行けるような気がした。


 路銀を稼ぐために鞄に詰め込んだ種は目減りしてしまったけれど、危険な目に合うことなくサムリア領に辿り付くことができた。


 地図と睨めっこしたり、女性商団に拾ってもらったり、簡単な薬草を作って見知らぬ人の手当をしてお礼に干し肉をもらったり、二ヶ月間の旅はたくさんの発見と驚きに満ちた幸せな時間だった。


 ただそれをルドルクには伝えない。こんなことを語っても、きっと彼にとってはつまらない話だと思うから。


 彼には、話すべきことは全て話した。後は彼の気持ち次第だ。


「あの……長々と話してしまいましたが、よ、要するにですね、私と結婚すれば、これから先はずっと希少な種が無償で手に入るということです。もちろんご要望があれば……魔法植物も錬成します。ただし……法を犯さないものに……限りますが……」

「へぇ」


 気のない返事をするルドルクを見て、テルミィはこの交渉が失敗に終わったことを知る。


「あ、そうですか……結婚のお話を進める気は、ないということですね」

「勝手に決めつけるな」


 更に不機嫌な顔になったルドルクに、テルミィは一体、彼の怒りのツボはどこにあるのだろうと首を傾げたくなる。


 サムリア領よりもっと北側にある生家で過ごしていた時、怒りはとても身近にあるものだった。父と母は日常生活の中で、ちょっとでも面白くないことがあれば真っすぐ自分に怒りをぶつけてきた。兄と姉は、怒ることで自分を抑圧していた。


 しかし今、目の前にいるルドルクの怒りは、これまで受けたものとは違うような気がする。何が違うのかは、わからないけれど。


 知らないことを調べるのは楽しい。知識を増やす時間は大好きだ。でもそれは植物に限ってのこと。人の心を探るなんていう発想はテルミィにはない。


 人との関わり方なんて、誰にも教えてもらえなかったから。


「──ああ、そうか。そういうことか」

「え?」


 しばらくしかめっ面で沈黙していたルドルクが急に声を上げたので、つい間抜けな声を出してしまう。顔もきっと笑ってしまうくらいアホ面になっているだろう。


 しかしルドルクは、テルミィの表情など視界に入っていないかのような口調でこう言った。


「要するに、お前はただ()()()をしたかっただけなのか」


 確信を得たルドルクの言葉に、テルミィの心臓がドクンと跳ねた。

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