13
その日は、なんの変哲もない一日の始まりだった。
日一日と秋が深まり、木々の葉が朱色に染まっていく。特に早朝は、朝露を浴びて光る紅葉がとても美しい。
しかし夏の頃に比べ随分寒くなった。テルミィはシーツの中の温もりに後ろ髪を引かれつつ、いつも通りの時間に目を覚ました。
それから目覚めのお茶を運んできてくれたダナと短い会話を交わして、身支度を整えた。手伝いたいと訴えるダナの視線がちょっと痛かったけれど、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごし、ハクと一緒に食堂に向かった。
食堂に到着すれば既にニクル夫妻とルドルクが席に着いていた。「おはよう」「いい天気ね」「よく眠れたか?」と笑顔でテルミィに声を掛け、変わらぬ朝食の時間が始まると思ったけれど──
「失礼します。王城より急ぎの書簡が届きました!」
食堂に飛び込んできた執事のディムドによって、いつもは稀に変わってしまった。
朝食は一旦中止となり、食堂は沈黙に包まれる。
「なるほど……ま、想定の範囲だな」
王城からの書簡に目を通したラジェインは、ふむっと一つ頷くと隣の席に座る妻のサフィーネに書簡を手渡す。
書簡に目を通し始めた途端、サフィーネの顔から笑みが消えた。
「……そうですわね」
日頃は辺境伯夫人らしく常に微笑みを絶やさないサフィーネが、硬い顔のままでいる。いや、違う。笑みを浮かべようとしてもできないのだ。
これは余程の内容なのだ。テルミィはルドルクの手に渡った王城からの書簡を凝視する。無論、透視できる特技などないからどんなに見つめても読めるわけが無い。
それでもじっと見つめていれば、ルドルクが書簡を読み終えた。顔を上げたルドルクに表情の変化は無かった。
「へぇー、焼き印一つでギャアギャア喚く根性無しだから、領地に戻る前に野垂れ死にすると思ったが一応生きて戻れたってわけか」
焼き印──その言葉で、この書簡が兄レオシュに関係しているものだとテルミィは気付いた。
「ルドルクさんっ。ご、ごめんなさい!あ、兄が……また、何か……失礼なことを……!」
「は?」
青ざめた表情で立ち上がったテルミィに、ルドルクは間の抜けた声を出す。次いで、手に持っていた書簡をテルミィに差し出した。読んでみろ、ということだろう。
迷った末にテルミィは書簡に目を落とす。一行……二行……と、黙読していたが全てを読み終える前に、書簡はテルミィの手から滑り落ちた。
書簡には国王陛下の署名と共に、こう書かれていた。
【立冬までに、西の果てに封印しているスコルを討伐せよ】
スコル──それは狼の姿をした魔獣。仔牛ほどの大きさで群れで行動し、人肉を好む残忍な魔獣。森で出会ったら最後、絶対に逃れられない悪魔の化身。
しかし実際にスコルを見た者は誰もいない。サムリア領の歴史を学んだテルミィとて文献に目を通しただけだし、魔獣討伐を常日頃から行っている聖騎士のルドルクでさえ、その姿を目にしてはいないはずだ。
なぜなら、スコルは人間に対して精神干渉する厄介な魔獣で、出会ったら最後、生きては戻れない。
一声鳴くだけで、目を合わせただけで、スコルは相手に悪夢を見せることができる。鍛え抜かれた身体と精神力を持つ聖騎士だって例外ではない。
文献では100年前、スコル討伐をしようとした聖騎士達は精神干渉された結果、仲間同士で殺し合う最悪の結果を迎え騎士団は壊滅状態になった。
この危機に当時のサムリア領主は王都の端にある魔塔に協力を要請し、精鋭の魔術師20人の手によりスコルが出没する一帯に強い結界を張りめぐらせることで何とか乗り越えた。
結界は今でも健在だが、スコルを討伐できる手立ては見つかっていない。そしてスコルの寿命は人よりも遥かに長い。
そんな恐ろしい魔獣を討伐しろだと?無茶ぶりにもほどがある。これでは死ねと言っているようなものだ。
「……どうして、こんな無理難題を」
誰に向けてというわけでないテルミィの声は、とても震えていた。失う不安や恐ろしさからくるものではない。自分でも制御できない程の怒りからくるものだ。しかも怒りの矛先は、とうに縁を切ったと思っていた身内だった。
「……ケーニス殿下がまだお兄様と繋がっていたなんて……」
書簡の最後に記された国王陛下の署名の下には、もう一つ署名がある。
その名はケーニス・フォゼ・ヘルライン。ヘルライン国の第二王子であり、兄レオシュの幼馴染というか悪友だ。
テルミィは、第二王子ことケーニスと何度か顔を合わせたことがある。領主婚の証人になってくれた第一王子とは似ても似つかない残忍で性根の腐った男だ。
ケーニスは幼い頃から、レオシュと手を組んでろくでもないことばかりやっていた。物を壊したり、嘘を吐くことなど当たり前。とにかく人が困ったり悲しんだりする顔を見るのが大好きなサディストだ。
その性格がどれほど歪んでいたかを証明する出来事がある。
今を去ること10年前、王都で狩猟大会が行われた際、ケーニスはレオシュと共謀して、どこから手に入れたかはわからないが南部の毒鳥で、手あたり次第に狩猟用の馬を傷付けたのだ。
南部の毒鳥の恐ろしさは、狩猟大会の合間にレオシュが自慢気に語っていた。幸い解毒草もポロリと語ってくれたので、テルミィは人目を盗んで解毒薬を錬成し、傷つけられた馬の持ち主に押し付けた。
あの時、狩猟大会で魔法植物を売り込む為に父親に連れてこられて、本当に良かった。毒鳥によって傷つけられた馬が全部助かったかどうかはわからないけれど、少しは役に立ったと思う。
その後、テルミィは魔法植物の錬成に追われて、王都に足を運ぶことはなくなった。しかしケーニスとレオシュがロスティーニ家で並んで歩いているところを何度も見た。
王族と伯爵家では格差は大きく、これといった理由も無く仲良くするのは不自然だ。でも性根が腐った者同士が互いの家を行き来しているなら合点がいく。それはつまり……
──スコル討伐は、兄レオシュがケーニス殿下に頼み込んで仕組んだものだ。きっと……!
そうじゃなければわざわざ書簡にケーニスが署名を入れたりなんかしない。これは警告なのだ。
今すぐロスティーニ家に戻れ。さもなければ、お前の大切にしているものを根こそぎ奪ってやる、と。
レオシュの幻聴が耳朶を刺した途端、ガタンッと大きな音がした。それはテルミィが膝から崩れ落ちた衝撃音だったけれど、本人は気付いていない。
背後から迫ってくる黒くドロッとしたものに囚われ、ガタガタと身体を震わせているからだ。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……わ、私……私は……」
──やっぱり、幸せを求めちゃいけないんだ。
ニクル家に命じられたスコル討伐は、これまで自分が受けた幸せの代償。身の丈に合わないことを願った罰。
要らない子って言われ続けたのに、居場所を求めてしまったのが全部全部、間違いだったのだ。




