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背中まであるアプリコット色の髪はリボンを編み込みながらハーフアップに。寝間着を脱いだ身体には、あんず色のスカート部分にたっぷり布を使ったワンピースを被せられる。
目にもとまらぬ速さでテルミィをお出かけ仕様に変えたダナは、仕上げにレース地のショールを羽織らせ真珠のブローチで止める。
「さぁ、できました。良くお似合いです。では、いってらっしゃいませ」
きっちり5分後に身支度を終えたダナはそう言うと、まごつくテルミィの背を押し扉を開けた。
「……あれ?」
ダナが開けた扉の先には、誰もいなかった。
てっきりルドルクとハクがここで待っていてくれると思っていたテルミィは少々焦る。
──まさか……急用でも入ったのかな?
火急の用だと自分を急かせたくせに!ちょっとどういうこと!? などという発想はテルミィにはない。
できることといえば、辺りをキョロキョロしながら、その場でオロオロすることぐらいである。
「あ、若奥様!」
途方に暮れるテルミィに声を掛けたのは、執事のディムドだった。彼は廊下の遥か向こうに居たはずなのに、バビュンッと瞬き一つで駆け寄るとテルミィの前に立った。
髪に白いものが目立つ初老の男とは到底思えない動きに、テルミィは目を丸くする。
対してディムドは、驚いて声も出せないテルミィにニッコリと笑みを浮かべて口を開いた。
「ご準備は整っておられますね。若様は玄関でお待ちです。ささっ、どうぞ」
そう言ってディムドは進行方向に手を差し出した。その仕草はとても品が良く、息一つ切れていない。
なんかもう色々突っ込みたいことがある。しかしその数が多すぎる。テルミィは深く考えるのはやめてコクリと頷くと、無言で足を動かし始めた。
玄関に到着すると、ディムドは重たい玄関扉を軽々と片手で開けて、テルミィに外に出るように促す。
「……わぁ、おっきい」
一歩外に出た途端、テルミィは目を輝かせた。
輝くような毛並みを持つ黒毛の馬がルドルクに手綱を引かれて、今まさに玄関ポーチに足を止めようとしていたところだった。
「お、ちょうど良かったな」
テルミィに気付いて片手を上げるルドルクは、私服姿のままだったが足元は乗馬靴に履き替えている。
加えて後を追って来たダナが彼に大きなバスケットを手渡していることから、おそらくこの馬に乗ってどこかに行って朝食を食べるのだろう。
そんな推測をしながらテルミィは、黒毛の馬に近づいた。馬は大人しい性格なのか、テルミィが近寄っても威嚇することはない。それどころか興味を示して、鼻先をすり寄せてくる。
「わぁぁー、可愛い。……人懐っこいんですね、このお馬さん」
手を伸ばしてみたものの、どう撫でて良いのかわからない。テルミィは寸止めにした手を持て余しながら、ルドルクに声を掛けた。
「お馬さんって……その呼び方」
「え?」
「いいや、なんでもない。ちなみにミィは、乗馬の経験はあるのか?」
「あ、えっと……一度もないです」
「そうか。……救ったことはあるのにな」
「はい?」
「いーや、なんでもない」
なんでもある口ぶりのくせに、それ以上踏み込ませないルドルクに、テルミィはちょっとだけモヤッとする。そんな自分にかなり驚いた。
──なに……どうしたの、私??
これまでルドルクが気にするなと言われたら、テルミィは何も考えず気にしなかった。忘れろと言われたら即座に頷いていたし、二度とその話題を口にすることはなかった。
なのに今、自分は気にするなと言われたのに気にしている。
「ん?ミィ、どうした?」
神妙な顔になった途端、ルドルクに覗き込まれテルミィは後退する。
「あ、いえ……なんでも」
「そうは見えないが?」
「あ……あー……えっと、お馬さんとハクが並ぶと、ハクが小型犬に見えるなって」
ハクはなぜか黒毛の馬と意気投合しているようで、一匹と一頭はアイコンタクトを取りながら尻尾を振り合っている。
「ああ、なるほど。確かにこれは驚くかもな」
咄嗟に吐いた嘘をあっさり信じてくれたルドルクは、手に持っていたバスケットを鞍の後ろに括りつけると、おもむろにしゃがみ込んだ。
「え?……っ……!!」
膝裏にルドルクの腕が触れたと思ったら、いきなり視界が高くなった。驚いたテルミィは、声を上げる前にルドルクの頭を抱え込むように抱きしめてしまう。
「……これは思わぬ褒美だな」
くぐもった声が胸の辺りから聞こえ、テルミィはバッと手を離した。成り行き上、仕方なかったとはいえ自分の胸をルドルクの顔面に押し付ける形になっていた。
視界の端ではダナがキャッと黄色い歓声を上げつつ身もだえして、ディムドは「おやまぁ」と言いながら生温い笑みを浮かべている。
テルミィは、人生でこんなに恥ずかしいと思ったことはなかった。
「ご、ごめんなさいっ、とんだ無礼をっ」
「なにが無礼だ。褒美って言っただろ?」
顔を真っ赤にして謝るテルミィに、ルドルクは魅力的な笑みを浮かべる。そして抱え上げたテルミィをそっと馬の鞍に乗せると、己もひらりと跨った。
「それじゃあ、行ってくる。ハク、おりこうさんにしとけよ」
手綱を握ったルドルクは、一匹と二人の使用人に声を掛けた。
「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」
「行ってらっしゃいませ、素敵なご朝食を!」
ワホッ、ワホンッ!
慇懃に腰を折る使用人と、尻尾を大きく振りながらちょっと寂しそうな顔で留守番を受け入れる大型犬に見送られ、テルミィとルドルクは目的地に向かうことになった。
邸宅の門を出るまでは常歩で進んでいた馬は、敷地を出た途端に駈歩になる。
「ミィ、ちょっと急ぐ。揺れるから、しっかり掴まっとけ。あと舌を噛むから喋るなよ」
テルミィは一つ頷くと、言われた通りルドルクの上着をぎゅっと握る。しかし、どうしても伝えておかなければならないことがある。
「ル……ルド、ルドルクさん……あの、あのです……ね」
「こら、噛むから黙っとけ」
「や、で、でも……あの!」
上目づかいで見上げるテルミィに負けたルドルクは、僅かに馬の速度を落とした。
「どうした?」
「あ、あの……あのですね……」
「ああ」
「わ、私の胸、小っちゃくて……当たり心地が悪かったですよね、ごめんなさい!!」
「なっ……!」
真っ赤になって謝罪をしたテルミィに釣られるように、ルドルクの耳も真っ赤になった。そして一拍置いてから、ほとほと困った顔をしてこう言った。
「ミィ、これから二人っきりになるのに、頼むからそういうことは言わないでくれ」
「……え?ど、どうし……!」
理由なんか言えるわけもないルドルクは、再び馬を駈歩にした。テルミィにこれ以上、余計なことを言わせないように。




