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ベッドの端で丸くなっていたテルミィが寝返りをうつと、鼻先がモフッとした。
夢半ばの状態でテルミィはシーツから腕を出し、モフモフをそっと撫でる。返事の代わりにモフモフことハクが尻尾を二回振った。
兄レオシュがニクル邸に押しかけてきてから三ヶ月が経ち、季節はもう秋である。
暑さにめっぽう弱いハクは夏の頃はベッドから降りて、扉付近の床を寝床にしていた。でも朝晩めっきり涼しくなった今、またベッドに登ってきてくれたのだ。
相棒の毛は、そろそろ冬仕様になる。夏毛独特の少し硬い毛並みは来年までお別れだ。
毎年繰り返すそれにちょっぴり寂しさを覚えたテルミィは、横になったまま手櫛で髪を整えるようにハクを撫でる。
「……傷痕、残っちゃったね……ごめん」
ハクの脇腹に触れた瞬間、ポコリとした突起に触れてテルミィは眉をへにょりと下げた。
あの日──レオシュがシャベルでハクを力任せに殴った傷は、縫うほどじゃなかったけれど、それでも完治までに半月を要した。
きっと自分は、一生忘れることができないだろう。真っ白な毛の上に巻かれた包帯や、一部だけ禿げてしまった相棒の脇腹を。
傷を舐めて悪化するのを防ぐ為に円錐台形状の保護具を首に巻かれたハクの、この世の終わりのような表情だって思い出す度に泣きたくなる。
なのにハクの手当をした初老の獣医は「あー、大丈夫。動物はね、保護具つけたら皆、こんな顔するんですよぉー」と呑気な口調で言っていた。テルミィは未だにその言葉を信じていない。
「痛かったよね。辛かったよね……本当にごめんね、ハク」
この傷跡が自分の手のひらに移れば良いのにと願いながら、テルミィはハクを撫でる。
自分なんかを守ったせいで……とは守ってくれたハクに失礼だから口が裂けても言えないけれど、守られてばっかりの自分に不甲斐なさを覚えてしまう。
ニクル邸に押しかけてきた兄レオシュに対して、自分ができたことは嫌だと主張することだけだった。
そのことをテルミィは今でも悔いてる。ルドルクは何も言わないけれど、フレインが居なくなったのも、きっと関係しているはずだ。
テルミィは人の悪意に敏感な分、悪い方への想像力は人並みにある。
レオシュとフレインがどんな関わり方をしたのかはわからないけれど、二人には自分をニクル邸から追い出したいという共通した願いがあったのだから。
──……どうするのが、一番良かったのかな……。
兄レオシュは結局のところ、手の甲に罪人の焼き印を押されサムリア領から摘まみだされる処分となった。
そのことをラジェインから知らされた時、テルミィは心の底からホッとした。
それはレオシュの命が助かったからではなく、ルドルクが殺人の汚名を受けなくて済んだから。
ちなみに領主の家族に危害を加えたのに焼き印一つで済んだのは、とてつもない減刑らしい。てっきり領主婚だからかな、とテルミィは思った。別に不満もなかった。
しかしどうやら減刑にしたのは、何か思惑があってのことらしい。
自分と断絶したロスティーニ家は、近い将来没落するだろう。その嫡子に利用価値など無いようにも思えるが、ラジェインとルドルクは「ある」と言い切った。
再び疑問が湧いたテルミィだが、二人が同時に浮かべた黒い笑みの理由まで聞いてはいけないような気がして、慌てて質問したい言葉を飲み込んだ。謎は未だに解明されていない。
そんな一件があったにせよ、ニクル邸は何事も無かったかのように穏やかだ。
サフィーネとラジェインは温室での出来事を責めることは一度も無いし、使用人達は変わらずにこやかに接してくれる。紅一点を失ってしまった騎士団の騎士達も同じく。まるで初めからフレインなど居なかったように。
それが全て自分に向けての優しさだと、テルミィはわかっている。過ぎたことを悔やみ続けても仕方が無いことも理解している。
でも、どうすれば良かったかを考えずにはいられない。たとえ時間だけが過ぎ、答えが出ないままだとしても。
そんなことをグルグルと考えていたら、しっかりと目が覚めてしまった。テルミィは、むくりと上半身を起こす。
すぐにキューン切ない鳴き声と共に、手の甲にヌルっとした感触を覚える。
湿って温かいそれは、ハクの舌だった。どうやがら、しょんぼりしている自分を慰めてくれているようだ。
「ありがと、ハク」
相棒の気遣いに泣き笑いを浮かべたテルミィは、窓に目を向ける。しっかりと閉じたカーテンの隙間から、優しい秋の日差しが差し込んでいる。そろそろ起きる時間だ。
本来貴族は、朝の支度が全て整ってから目を覚ますものだが、テルミィは未だに誰かに起こされるのは苦手である。
「……ハクは、もうちょっと寝てていいよ。ご飯の準備ができたら起こしてあげるね」
寝癖で跳ねた髪を手で撫でつけながらテルミィは、うつらうつらし始めているハクに囁く。ハクはパタリと尻尾を大きく揺らすと目を閉じた。
──お部屋が暑くなっちゃうから、カーテンはそのままにしておこう。
相棒の安眠を妨げないよう気を使いつつ、テルミィはそぉっとベッドから降りて部屋履きに足を入れようとした。けれど、動きがピタリと止まった。
扉の外から、話し声が聞こえてきたのだ。会話の内容までは聞き取れないが、どうやら若い男女が言い争いをしてる。
「ん?……ん??」
テルミィは、コテンと首を横に倒した。二人の声に聞き覚えがある。だが、その二人は言い争いをするような間柄ではない。
部屋履きに足を突っ込んでみたものの、テルミィはその場でオロオロする。
些細な口喧嘩ならば、止める必要もない。それに時刻はまだ早い。寝ているという体を貫いていれば、すぐに収まるかも。そうであってほしい。
しかし扉の向こうで繰り広げられる言い争いは、一向に終わる気配が無い。しかも、自分の名前まで出てくるようになってしまった。
これには流石にテルミィも気になり、足音を立てぬよう扉の前に立つ。そして、指二本分の隙間から外を覗いてみた。
まず視界に入ったのは、両手を広げて扉を死守している専属メイドのダナの背中。次に、青筋を立てて腕を組み憤慨する私服姿のルドルクだった。
テルミィは、一先ず「あの、どうしたんですか?」と、ルドルクとダナに声を掛けようとした。
しかし二人は扉が開いたことに気付く様子もなく、言い争いを続けている。
「でぇーすぅーかぁーらぁー、若奥様はまだお休みになられてます!お話があるなら、朝食時にしてくださいませっ」
「だから、朝食前じゃ遅いと言ってるだろう?とにかくそこをどけ。話は1分もかからない」
「いいえ、若様のご命令でもお断りします!それに1分もかからないお話なら、わたくしが代わりにお伝えします!さぁさぁ、どうぞ仰ってください」
「断る。大体、なんで俺がミィの寝室に入っちゃいけないんだ。俺はミィの夫だぞ!?」
「恐れながら若様、夜のうちから寝室を共にして朝を一緒に迎えるのと、別々のお部屋で就寝して朝方に寝室に足を踏み入れるのとは次元が違います」
「なんだその理屈はっ。意味がわからん!」
「おわかりください、若様。これは夫婦の常識でございます」
「したり顔で何を言ってるんだ、ダナ!お前、独身じゃないかっ」
テルミィは、ドアノブを掴んだまま立ち尽くしてしまった。ちょっとタイミングが悪すぎた。




