12
『テルミィ……こっちを向け』
ルドルクの声には、怒りが感じられない。口調だって決して命令しているわけじゃない。
自分の頬を包み込んでくれる剣だこのある大きな手のひらは、自分を労わってくれているような気さえする。
「……は、はい」
テルミィは、おずおずと顔を上げた。アメジスト色の瞳はどこまでも優しく、何を言っても何をやっても許されるような……そんな錯覚すら覚える眼差しだった。
「俺が、悪かった」
「え?」
ルドルクが謝る意味がわからず、間抜けな声を出してしまう。
そんなテルミィにルドルクは「まぁ……ええっと……」と、ごにょごにょ呟いてからこう言った。
「寝室を共にしようと言ったのは、お前が考えているようなものじゃなくって、ただ単純に一緒に枕を並べて睡眠を取ろういう意味だったんだ」
再び誤解が産まないよう言葉を選んで説明してくれたルドルクに、テルミィは一先ずコクリと頷いた。
しかし胸の中では、人として扱ってもらえるかもと期待していたことを見透かされたようで、無数の針に刺されたかのように苦しくて痛い。
「……ルドルクさんは……私のこと軽蔑しちゃいましたよね」
図々しい願いを持ってしまったことに対する言い訳など、ルドルクは聞きたくもないだろう。
観念したテルミィは、先に彼から言われたくない言葉を口にする。
「どうして俺が、お前のことを軽蔑しなきゃいけないんだ」
間髪入れずに呆れ顔になったルドルクと、不機嫌な声。自分の言葉は、彼の気持ちを代弁したものじゃなかった。
安堵から肩の力が抜ける。よろめいたテルミィの腕をルドルクが己の方に引く。あっと思った時には、ルドルクの広い腕の中に包まれていた。
「ったく、なんでそうなるんだよ」
テルミィのつむじに顎を乗せて、ルドルクは呟く。
「……だって、一人で勝手に……暴走しちゃって……」
「あんなの暴走の内に入るか」
「でも……ルドルクさんを困らせてしまって……」
「ばぁーか。困ってない。ま、まぁ驚いたことは、驚いたけど。でも、ちょっとだけだからな。ほんのちょっとだ!」
肩を掴まれたと思ったらグッと距離を取られてしまった。
「わかったか?」
「…………」
「わかったら返事しろ。わからなかったら、俺にちゃんと訊いてくれ」
「わか、わかり……ました」
「よし!」
再び腕を引かれ、緩く抱きしめられる。
「寝るときぐらいしか、ゆっくり話ができる時間が取れないから、一緒に寝ようと思ったんだ。俺はお前のことを知らなさ過ぎるし、お前も俺のこと知らないだろ?」
ルドルクに覗き込まれて、心が震える。
「わ、私のこと……知っても、何もいいことなんて……」
「ある」
「っ……!」
強く断言され、泣きそうになる。
ついさっき自惚れていた自分を強く戒めたばかりなのに。無自覚に我を忘れそうな言動をするのはやめてほしい。そうじゃないと、本気でまた自惚れてしまう。
「なぁ、テルミィ。お前は、俺のこと知りたくないのか?」
なんてことを問うてくるのだろう、この人は! そんな恐れ多いこと願ってはいけなのに……。
でも、テルミィの口から出た言葉は、全く別のものだった。
「知りたい……です」
恥ずかしくて、怖くて、俯いてそう言えば、ルドルクの満たされた笑い声が寝室に響く。
「俺も、お前と同じ気持ちなんだよ」
信じられない言葉が耳には注がれ、テルミィの身体がピクリと跳ねた。
その時、視界の中にルドルクの胸元から見え隠れする細い鎖が映り込んだ。
テルミィは不意にこの細い鎖の先に、まだ指輪があるかどうか確かめたくなり手を伸ばす。
「ん?どうし……っ!」
人差し指でルドルクの首にある細い鎖をすくい取る。そのまま引っ張ろうとして、中指が彼の鎖骨に触れた。
意図したことじゃないけれど、しっとりとした温もりが妙に新鮮で、テルミィはそのまま中指を下に這わす。
「硬いですね……とっても」
ルドルクの肌は、さほど自分と変わりないと思っていたけれど、ぜんぜん違う。改めて、彼と自分の違いを認識したテルミィは吐息混じりに呟く。瞬間、ルドルクが苦しげに呻いた。
「うっ……!」
「あ、ごめ……ごめんなさいっ」
変な風に鎖を引っ張って、彼の後ろ髪を巻き込んでしまったのだろうか。
出来心でルドルクに痛い思いをさせてしまった現実に、テルミィはサッと青ざめた。鎖に触れていた手も勢いよく離す。
「いや、いい」
行き場をなくした手をルドルクは優しく掴んでそう言った。
「あの……痛くなかったですか?」
「ああ」
「本当に?私、つい鎖を……引っ張ってしまって……」
「大丈夫だ。俺も今、自分で自分のズボンを引っ張って……あ、いや。なんでもない!忘れてくれっ」
「は、はいっ」
忘れなきゃ絶対にいけない何かを感じて、テルミィは考えることを放棄して頷いた。
変な沈黙が生まれる。ハクが「なぁに?どうしたの??」と、ムクリと顔を上げてこちらを見ているが、テルミィですらこの空気が何なのかうまく説明ができない。
それからしばらく無言のままでいたルドルクは、長い息を吐いて口を開いた。
「──……指輪が見たかったのか?ほら」
チャリっと音がして、手のひらにルドルクが首から下げていた細い鎖が落とされる。
自分と同じデザインの指輪がちゃんとそこにあった。満足したテルミィは、そっと指輪を撫でてルドルクに返した。
「言えばいつでも見せてやる」
「……はい」
何で見たかったのか、見てどうしたいのか、そんなことを尋ねないルドルクに、テルミィの心が疼く。でもこれは辛くはないし、痛くもない。
そんな自分の中で生まれた不思議な気持ちを持て余していたら、ルドルクと目があった。
「テルミィ……」
掠れた声で名を呼ばれる。はい、と返事をしたらルドルクの喉仏がゆっくりと上下した。
「……ルドルクさん」
今度は自分が彼の名を呼ぶ。ちょっと声がうわずってしまった。
恥ずかしくて、ジンジンと頬に熱が集まる。なぜかルドルクの瞳も熱を出したかのように潤んでいて、それが妙に安心する。
「ルドルクさんと一緒で……嬉しい」
ポロリと本音を零してしまった途端、ルドルクは堪えきれないといった感じで腕を伸ばす。そしてまた彼に抱きしめられると思ったけれど──
ワホッ、ワホン!
ルドルクとテルミィの僅かな間に、ハクが強引に割り込んできた。
ぎょっとする二人にハクは尻尾を振り、ハッハッハッと「楽しそう!ねぇねぇ、僕も仲間に入れて」と訴える。
空気を読まずこんな行動ができるのは犬だから為せる技である。
「ふっ……ははっ」
最初に吹き出したのはルドルクで、後からテルミィも肩を揺らして笑った。
「ま、今日はもう遅い。話をするのは明日にして、こいつを撫でて寝るか」
「はいっ」
即座に頷いたテルミィは、慣れた仕草でハクをコロンと転がした。
お腹を見せて甘えるように身体をくねらすハクに、テルミィは慈愛のこもった眼差しを向け、ルドルクは微妙な顔をする。
そんな二人はかなりの間、ハクを撫で続け──月が随分と傾いた頃、二人と一匹は仲良く就寝した。




