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ルドルクから一緒に寝ようと言われて頷き、その後はいつも通り温室で過ごして夜が更けた。
同意した時は平静を装っていたテルミィだが、湯を浴びて寝間着に着替える頃にはガッチガチに緊張していた。
それもそのはず。寝室を共にする──貴族の間では、この言葉は夜の営みを現すそれ。
伯爵家の娘でありながら、ずっと裏方で家門を支えてきたテルミィはまともな貴族教育を受けていない。
そんなテルミィが、なぜ貴族の隠語を瞬時に理解できたかと言えば、姉が友人を招いて開いた茶会で耳にしたことがあったから。
姉の茶会の席でテルミィは、見世物のように魔法植物の錬成を披露することが何度もあった。
その際、令嬢達の会話の中でそんな内容のものがあったのだ。ついでに言うと、卑猥なことに使う何かを錬成しろと求められたこともある。
幸いなことにテルミィはそっち方面のことは壊滅的に鈍い。遠回しな令嬢の要求がさっぱり理解できなかったおかげで錬成しなくて済んだ。
けれど令嬢達はそれでは気が済まなかったのか、もしくはいつかは己の望むものを錬成させるためなのか、テルミィに余計な男女の情報を吹き込んだ。
あの時は、一生使うことがない知識を貰って迷惑の極みだった。一刻も早く、この時間が終われば良いと、花瓶に活けられたアルストロメリアをぼんやりと見つめていた。
しかし、あの時の苦痛な時間が、今になって役に立つとは。
悪戯としか言いようがない巡りあわせに、テルミィは改めて神の存在を認識した。
「……するのかなぁ。私……ちゃんとできるかなぁ」
領主婚をして二ヶ月とちょっと。これまでも、これから先もルドルクと正式な夫婦のような真似事をすることはないと思っていたテルミィは、私室で一人っきりという状況もあり、つい弱気な声を出す。
一生、恋はしないし、する気も無い。愛なんて不要だと心に決めているテルミィだが、自由な生活の代償ならば仕方が無いと割り切っている。
とはいえ夜の営みは一人でするものではない。二人でするものだ。
「ルドルクさん、私なんかとヤッて……いいのかなぁ。本当は嫌なんじゃないのかな……」
毎日温室に顔を出してくれる彼との会話は楽しいし、触れ合いも生理的嫌悪が生まれない。無論、見た目だって非の打ち所がない。
とどのつまり、純潔を捧げる相手がルドルクで良かったとテルミィは思っている。……思っているからこそ、彼に罪悪感を抱いてしまうのだ。
低身長に、貧相な身体。会話だって面白くないし、寝間着に隠れた場所には醜い古傷がある。到底、魅力的な女性と呼べる容姿ではない。
「ねぇハク……どうしよぅ……」
寝間着姿で長椅子に腰掛けているテルミィは、足元で蹲る相棒に助けを求める。ハクは一度だけピクリと耳を動かしてくれたけれど、それっきり。
「そんなぁ、ハクぅ……」
涙目になったテルミィだが、考えたところでどうすることもできない。
やっぱり無理と言われたらそれまでだ。その時は、自分の利用価値を魔法植物で示すのみ。
そう結論付けたテルミィは膝に置いてあるラジェインから借りた異国の植物学の本に目を落とす。そっと表紙を開く。冒頭からとても興味深い内容だった。
──ちょっとだけ……うん、ルドルクさんが来るまで、ちょっとだけ。
そう思って、ページをめくり始めたテルミィは、いつしか真剣に読みふけっていた。
壁に掛けられてある小鳥の彫刻が可愛らしい時計がチク……タクと時を刻む。夜空に浮かんだ月が星を引き連れて少しずつ西に傾いていく。
……パラリ、パラリ。
しんとした部屋に本のページをめくる音だけが響く。そこに、キィ……と扉が開く音が重なったけれど、テルミィの耳には届かない。
扉を開けた主は、部屋に一歩入るとまずはベッドに目をやる。人影が無いことを確認すると、今度はぐるりと辺りを見渡し、すぐに大股で長椅子に近付いた。
「──こら、夜更かしをしてるんじゃない」
不機嫌な声が降って来たと同時に、手に持っていた本が取り上げられてしまった。
テルミィから本を奪った相手は、寝間着にガウン姿のルドルクだった。
「あ」
「本は逃げていかない。明日にしろ」
「でも……」
極めて正論を言われたけれど、すぐには頷けない。未練がましく本を目で追ってしまう自分を止められない。
「なんだ何か言いたいことでもあるのか?」
今日に限ってルドルクの口調が妙に厳しいものに感じる。
「い……いえ」
目を逸らして寝間着の裾をぎゅっと握った途端、再びルドルクの声が降ってきた。
「寝室を同じにすることにお前はちゃんと同意したんだ。今更そんな顔をされたら、俺だって流石に傷付くぞ」
「は?」
どうして、本に執着するとルドルクが傷付くのだろうか。
もしかして彼もこの本を読みたいのだろうか。それともニクル家の大切な本を自分なんかが読んでいることが身分不相応だといい加減気付けと訴えているのだろうか。
ポカンとしたままあらゆる可能性を探っていたら、ルドルクの片眉がクイッと器用に上がった。
「違うのか?」
口調こそ強気であるが、ルドルクはどこか不安げだった。これは素直にお伝えすべきだろう。
「違います。あの……ただですね、もう少しこの本を読んでいたかった……だけなんです」
「……そうか。なら早くそう言えよ」
ボソッと呟いたあと、ルドルクは苦笑した。安堵とバツの悪さを混ぜたようなそれは、初めて見る顔だ。
表情を見られたくないのかそっぽを向いたルドルクは、取り上げた本を閉じてソファの間にあるテーブルに置く。
その全部を観察するようにじっと見つめていたら、ルドルクと自然に目が合った。
「ぐずぐずするな。ほら、寝るぞ。…手!」
ソファに座ったままのテルミィに、ルドルクは勢いよく手を差し出した。
「……」
テルミィは座ったまま腕を伸ばし、ルドルクの手にチョンと指先を乗せた。
しげしげとそれを眺めたあと、ルドルクはニコリと笑った。ただし、目は笑っていない。
「お前、全く寝る気がないようだな」
「っ……!」
わざわざ手を引っぱってもらわなくても立てるし、ベッドまで歩けるから大丈夫。という意思表示だったのだが、違う意味に取られてしまったようだ。
「あ……いえ……そんな……」
「言い訳は結構。ハク、行くぞ」
心得たとばかりにハクがワホッと吠えた途端、ルドルクの腕がにゅっとこちらに伸びて来た。
「え……あっ……っ!?」
声を上げた時にはもう、ルドルクの肩に担がれていた。
手足がブラブラと揺れる様をハクは新種の玩具だと勘違いしたのか、やたらとまとわりついてくる。違う、これは人。




