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雲間から晩春というより初夏に近い日差しが降り注ぐ中、優美さより丈夫さに重きを置いた4頭立ての馬車が、ニクル邸の玄関ポーチに横付けされている。
その前後には、略式の制服に身を包んだ聖騎士が各二名ずつ、身体を邸宅に向けて直立不動の姿勢でいる。
彼ら4人は今日から旅行に出掛けるニクル夫妻の護衛達である。聖騎士達の横にはいつでも出発できるよう、鞍を乗せた馬が待機している。
「それじゃあ、二人とも行ってくるわね」
「留守の間、領地のことは任せたぞ。ルド」
今まさに旅に出ようとしているニクル夫妻に向け、テルミィとルドルクは神妙な表情を浮かべ無言で頷いた。遅れてハクがお座りをしたままワホッと吠える。その声は、普段よりぎこちない。
旅に出る側より、見送る側の方がビシバシに緊張してる。
この現状に、サフィーネはラジェインと言葉なく見つめ合った後、ふふっと小さく笑った。
「半月ほどお留守にするけれど、その間に色んな場所に足を向けるつもりなのよ。立ち寄った先で珍しいお花の種があったら買ってくるから期待しててね、テルミィさん」
これがドレスとか靴とか宝石だったら即座にいらないと言っていたテルミィだが、珍しい花の種の魅力には抗えなかった。
「っ、あっ……はい!あ、ありがとうございます」
口下手なテルミィが精一杯お礼の言葉を伝えれば、サフィーネはヒマワリのような笑みを浮かべた。その横にいるラジェインも一歩前に出ると、テルミィに向け口を開く。
「少し前に提案してくれた水を蓄えられる植物のことだが、各地の責任者に許可は取ってある。儂が帰ってきてからでも良いが、もし早めに植えたいなら護衛をちゃんと付けて向かうのだぞ」
「はっ、はい!はいっ、あ、あ、ありがとうございます!」
まさか領主自ら動いてもらえるなど思っていなかったテルミィは、あまりの嬉しさにルドルクの袖を掴む。
「良かったな、テルミィ。護衛は俺がするから他の奴らに頼むなよ」
滑らかに、でも逆らえない何かを感じさせるルドルクの口調に、テルミィはコクリと頷いた。
そんな二人のやり取りを微笑ましい表情で見守っていたニクル夫妻は、それじゃあと手を振り馬車に乗り込もうとした。しかしここで、テルミィが待ったをかけた。
「あ、お……お待ちください。あの……こちらをお守り代わりに持って行ってくださいっ」
テルミィがスカートのポケットから取り出したのは、手のひらに載る大きさのガラス製の球体だった。その中にはまるで卵のような赤紫色の種がある。
「あら、何かしら?」
球体を受け取ったサフィーネは、太陽にそれをかざしながら不思議そうに目をぱちくりさせる。
「こ、これ……ハエトリ草を改良した魔法植物の種……なんです。えっと……強い刺激を与えると、一気に成長するように錬成しました。で、ですので……もし、もしもですね……狼藉者に襲われたら、それに向けて勢いよく投げてください。い、一瞬で拘束できます。その間にお逃げください」
たどたどしくテルミィが説明をすれば、サフィーネは「まぁ、素敵」と感嘆の声をあげる。
「ありがとう、テルミィさん。これがあれば安心して旅行を楽しめるわ」
たとえ素手で熊を倒せる夫が隣にいても、魔獣を一瞬で真っ二つに切り裂くことができる聖騎士が4人も護衛として同行しようとも。
そんな余計な事は伝えず、ただただ「ありがとう」を繰り返すサフィーネに、テルミィははにかみながら「お気を付けて」と言ってぺこりと頭を下げた。
ニクル夫妻が乗った馬車が見えなくなるまで見送ったテルミィは、そのままハクと一緒に温室に向かおうとする。
けれども片足を前に出した途端、ルドルクに引き留められてしまった。
「テルミィ。お前に提案があるんだが……」
言いにくそうに切り出したルドルクに、テルミィは身構える。
「……な、なんでしょう……か」
ルドルクが醸し出す張り詰めた空気が怖くて、テルミィは我知らず半歩だけ後退した。すかさずルドルクがテルミィの手を掴んで、己の方に引き寄せる。
「今日から寝室を同じにしないか?」
密着したルドルクから距離を取るのも忘れて、テルミィは固まった。
寝室を一緒にする?でもルドルクと自分は領主婚をしただけの関係だから、本当の夫婦みたいな真似なんてする必要がないのに。
これだけ大事にされても、テルミィにとってルドルクとの領主婚は等価交換のようなものだ。安全と自由を与えてもらえる代わりに、この地で役立つ魔法植物を錬成する──ライトでドライな関係。
ルドルクの未来を考えると、この距離感が最善だとテルミィは今でも信じて疑わない。
「……でも、そんなことをしたらルドルクさんの名誉に傷が……」
「つくわけないだろう」
心底呆れ顔になるルドルクだが、テルミィの手を離すことはしない。
「あのなぁ、お前はそんなこと気にする必要はない。今後一切、俺のことは気にするな。俺は人の目なんか気にしない。あと夫婦なのにいつまでも寝室を別にしていたら、あらぬ噂が立つ。そうなるとせっかく領主婚をした意味がなくなるだろう?だから寝室は一緒にすべきだ。少なくとも俺はそう思う」
強く手を握られ、軽い脅迫を受けたような気がしなくもない。
けれどルドルクの提案は感謝こそすれ、決して自分にとって危害を与えるものではない。
「あの……わかりました」
しっかりと考えて小さく頷けば、ルドルクはほっとしたように笑った。




