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ルドルクが渾身の力で、アイリットをテルミィから引き剥がしたのとほぼ同時に、一人の青年がひょっこり温室に顔を覗かせた。
「ふぅーく団長ー、団長がおっ呼びですよぉー」
独特な節回しでルドルクを訓練場に呼び戻そうとしているのは、今年入団5年目になる聖騎士見習いのリッド・パウムだった。
ルドルクより4つ年下で栗色の癖毛がトレードマークの彼は、テルミィと目があうと二パッと人懐っこい笑みを浮かべて、ペコリと頭を下げた。テルミィも「どうも」と、はにかみながらおじぎを返す。
すぐさま、ルドルクの眉間に皺が寄った。
「おい、お前はニクル家の若奥様なんだから、そんなことをする必要はないぞ」
「で、でも……せっかく私に挨拶をしてくれたのに……何もしないのは……」
「別に何もするなとは言ってない。でも愛想を振りまく必要はないじゃないか」
若奥様らしい振る舞いをするより、善意を無下にする方がテルミィには耐えられないことだった。
しかし、ルドルクだってそんなことを言った理由がある。
それを言葉にせずともわかってくれと言いたげなルドルクを見て、アイリットがクスリと笑った。
「テルミィちゃん、男心をわかってないわねぇ。あのね、男っていうのは、幾つになってもお子ちゃまなのよ。ね?」
アイリットからくるりと目を向けられたルドルクは渋面になる。
「姉上……俺に同意を求めるのは鬼畜すぎませんか?」
「そうね。すぎるわねぇ。でもこれは、見せつけてくれたお返しよ」
「姉上じゃなかったら、二度と減らず口を叩けぬようにするのに……くそっ」
「ふふっ」
無邪気に笑えるアイリットは、すごい神経の持ち主だ。
そしてこのやりとりを「いやぁー仲良し兄弟っすねー」とニコニコしながら見つめるリッドも同じく。彼は間違いなく立派な聖騎士となるだろう。
──なんか……いいなぁ。うん、きっとニクル家所有の騎士団の未来は明るいな。
などと思いながら、テルミィは身体にかけてあったルドルクの上着を膝の上で丁寧に畳む。
「ルドルクさん、これありがとうございました」
上着を差し出したらルドルクは「ああ」と短く返事をして、先ほどと同じように肩にかける。たったそれだけの仕草でも美しい。
剣術を極めると、一つ一つの動きに無駄が無くなり美しい所作になるとサフィーネが何かのついでに教えてくれた。ならアイリットも剣をたしなんでいるのだろうか。
頭の隅でそんな取り留めもないことを考えながらルドルクに見惚れていたら、彼の顔がぐっと近付いてきた。
「っ!?……っ」
「姉上にはお前の家庭事情を伝えていない。今後のこともあるし、話してもいいか?」
耳元で囁かれて、彼の吐息が顔に触れる。不快ではない初めての感覚に鳥肌が立った。
「は、は……はい、はい」
頭が真っ白になって何も考えられなくて、でも、とりあえずコクコクと頷く。
「じゃ、俺から伝えておくから。姉上は、ああ見えて理解がある。きちんと話しておけば、お前をむやみに外に出そうとしないだろうから、安心しろ」
ああ、そっか。なるほど。
ルドルクはさっき自分が勘違いしたことを覚えていてくれて、不安になる要素を一つでも減らそうとしてくれているのだ。
「……ありがとうございます」
「いや、礼には及ばない」
親しみのある笑みを浮かべたルドルクは、アイリットの元に近付く。
ちなみにアイリットとその侍女とリッドは、三人そろって床に膝を付いてハクを撫でてていた。
ニクル邸は犬好きが多いらしく、ハクは色んな人に撫でられているが一度も吠えたり噛みついたりしていない。その辺は胸を張って利口だと言える。
「姉上、ちょっといいか」
ルドルクに声をかけられたアイリットは立ち上がり、ガラス壁の方に移動すると小声で短い会話を交わす。
「……そう。わかったわ。──じゃ、テルミィちゃん、またあとでね!お夕食は一緒に食べましょう!大好きですわっ」
ルドルクに一つ頷いたアイリットは、テルミィに熱烈な別れを告げ、侍女を伴い温室を出て行った。続いてルドルクもリッドと共にここを去る。
さっきまでの賑やかさが嘘のように温室は静まり返る。
そこに一抹の寂しさを感じつつ、テルミィは再び魔法植物の研究を再開しようとしたその時、刺さるような視線を感じた。
ビクリとしながら、視線の元に目を向ける。
そこには一人の聖騎士がいた。
稲穂のような美しい金髪とザクロのような赤い瞳。高潔さを表す青の聖騎士服に身を包んだスラリと背が高いその人の胸には膨らみがある。
テルミィに敵意を向けたのは、騎士団唯一の女性聖騎士フレイン・ニーダ。彼女はルドルクからテルミィの護衛を任されている。
そこにフレインの意志があったのか、なかったのかは不明だが、今の主はテルミィだ。しかしフレインは、テルミィと目が合っても鋭い目つきのままでいる。それどころか更に険しい表情になった。
剥き出しの敵意を受け、テルミィの背中に嫌な汗が流れる。呼吸が細くなり、視界が狭くなる。
いっそ意識を失ったらどんなに楽だろうと願う中、テルミィは一つの真実に気づく。
──……ああ、この人……ルドルクのことが好きなんだ。
色恋に疎いテルミィでもわかるくらい、フレインは己の気持ちを隠さないでいる。
フレインがいつからルドルクのことを好きになったのかはわからない。二人の関係がどんなものかも。
ただ一つわかるのは、フレインにとって自分は、無理矢理ルドルクを奪った悪人であるということ。
だから彼女は自分のことを嫌う権利があるし、憎む道理がある。
これまで謂れの無い悪意を浴びてきたテルミィにとって、これほど素直に憎悪を向けられるのははじめてだった。
ヴゥー……ヴッ。
ただならぬ危険を感じ、テルミィの元に走り寄ってきたハクは身体を低くして、フレインに向け唸り声をあげる。
「ハク、やめて!」
テルミィは鋭い声でハクを止めた。
すぐに不満げな声をあげるハクの背を撫でながらテルミィはフレインに背を向ける。それでも射すような視線は消えない。
「……ごめんなさい」
こんな小さな声じゃフレインには届かないとわかっていても、謝りたくて仕方がない。
貴女が彼のことを好きなことを知らなかったの。傷つけるつもりも、まして人のものを奪うつもりなんてこれっぽっちもなかったの。
──私はただ、あの地獄から逃げたかっただけ。
ひっそりと生きていける地を望んだはずなのに、今の生活はあまりに満たされ輝いている。しかし光があれば、影もある。自分の幸せは誰かの表情を傷つけてしまうものだったのだ。
ずっと日陰の身でいたくせにそんな当たり前のことを忘れていた自分をテルミィは心から恥じた。
それでもこの生活を失いたくないと強く望む自分がいる。
「ごめんなさい」
再び謝罪の言葉を紡いだけれど、最初のそれとは違う。
強欲な自分を押し通すための”ごめんなさい”だった。




