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会話を無理矢理終わりにしてしまったせいか、気まずい空気になる。
「……あっつ」
最初に口を開いたのはルドルクだった。彼はあらぬ方を向きながら額から流れる汗を袖口で乱暴に拭いている。
温室は窓を開けているとはいえ外より暑い。ハクも撫でられた後は、そそくさと日陰に移動した。
自分はこの室温に慣れているけれど、他の人には辛いだろう。
「あの、よかったらこれ……庭仕事で使っているやつじゃないので……」
メイドが用意してくれたフカフカのタオルをルドルクに手渡したテルミィは、中央にある小さな噴水に足を向ける。そこにはハーブウォーターが入った水差しが冷やしてある。
「どうぞ」
「ん?ああ……気が利くな」
汗を拭き終えたルドルクは、テルミィがグラスに注いだハーブウォーターを受け取ると、一気飲みした。
「いけるな、これ」
気が利くと言われたことと、自家製のハーブウォーターを褒められたこと。どちらも初めてのことで、テルミィはついルドルクからブンッと勢いよく顔を背けてしまう。こういう時、どんな返事をしたら良いのかわからないのだ。
すぐに小さく笑うルドルクを気配で感じた。こんなことをしても怒らないんだ。また一つ彼の優しさを知った。
「さっぱりしてて旨いな、幾らでも飲めそうだ。お前が作ったのか?」
「っ……あ、はい」
顔を元に戻すと、ルドルクは二杯目のハーブウォーターを飲んでいた。
「えっと……ローズマリーと……レ、レモングラスとミントの葉っぱを……蒸留して作るんです……」
「ふぅん。なんだか難しそうだな。これもこの前やった魔法で作るのか?」
「あ、いえいえ。まさか……」
テルミィは魔法使いじゃない。ただ他の人より植物に愛されているだけ。その恩恵と魔法石があるから、魔法植物を錬成することができる。
言い換えるなら話術も剣術もポンコツで、魔法植物を作ることしか能が無い。
なのに、ルドルクは「すごいな」と言ってくれる。彼の方がよっぽどできることが多いというのに。
多才な彼が自分と結婚してくれたことは、奇跡でしかないと改めて思う。
「神様って本当はいるんですね」
「さぁな。俺は会ったことがないから──……っ!?おい、テルミィ、今すぐここを離れるぞ。ヤバいのが来た!」
穏やかな表情を浮かべて会話に付き合ってくれていたルドルクの表情が一変した。
何事かと視線をそこに向ければ、華やかな黄色のドレスを纏った女性が今まさに温室の扉を侍女に開けさせているところだった。
テルミィはその女性とは過去に一度だけ会ったことがある。
「オーッホッホッホ!ご機嫌よう、テルミィちゃんと馬鹿弟!2ヶ月ぶりですわね!」
温室の窓ガラスが震えるような高笑いをして二人の前に姿を現したのは、ルドルクの姉アイリット・シバインだった。
7年前に他領地の学者の元に嫁いだ彼女は御年25歳。二児の母である。
しかしサフィーネと同じ赤髪を品良く結い上げ、首元と耳には控え目な宝石を身に着けているその姿は未だに若々しい。
「ちっ、遅かったか」
苦々しく吐き捨てるルドルクの横で、テルミィは気圧されてその場で立ち尽くすことしかできない。
露骨に不機嫌になったルドルクと呆然とするテルミィ。その二人の前にド派手に登場したアイリットはヒールの音を鳴らしながら優雅な足取りで近付くと、ルドルクと同じ紫色の瞳を輝かせ、頬をバラ色に染めた。
「ああっ、なんて可愛いのでしょう!わたくしの妹、わたくしの天使!生きてて良かった!こんな可愛い生き物と出会えるなんてっ」
そう叫んだと同時に、テルミィはアイリットにギュッと抱きしめられる。
「姉上!やめてあげてくれっ。テルミィが死んでしまうじゃないか!」
細腕の女性に抱きしめられたくらいじゃ、人間は死んだりはしない。
しかしテルミィの顔色はそう思わせるほどに真っ青だった。
「離れてください!離してあげてください!……おい、離れろ」
最後は力任せにアイリットの腕をテルミィからベリッと剥がしたルドルクは、その背にテルミィを庇う。
「……おのれ、弟よ」
唸るようなアイリットの口調は自分に向けてのものじゃないけれど、明確な敵意を感じてテルミィは更に青ざめる。
虐げられてきたテルミィは、他人の悪意にとても敏感だ。刺々しい言葉を耳にしてしまうだけで身体が萎縮してしまう。
「大丈夫か?」
「……ぅあ……はい」
姉の敵意に動じないルドルクは、心配そうに問いかけてくれる。
しかし大丈夫じゃないとはっきり言えるなら、こんなふうに怯えたりなんかしない。
「ところで姉上、キース殿は見当たりませんが、どこにいらっしゃるんですか?レスフェとカインは?まだ剣を握れる年じゃないのに訓練所をウロチョロされたら危険です。夫と子供の元に行かれたほうがいいのでは?」
テルミィの背中に手を回したルドルクは矢継ぎ早にアイリットに質問を投げかける。しかし返事は優美な笑みだけだった。
「まさか……姉上だけで?」
「ええ、そのまさかよ」
「……義兄上が不憫でならない……」
呆れるルドルクに、アイリットはニッコリと笑みを浮かべる。
「安心して、馬鹿弟。わたくしのキースはそんなことで怒ったりしないの。レスフェとカインもとってもお利口さん。だからちゃんと良い子に留守番しているわ。だってわたくしの子供ですからね!」
会話を締めくくるようにオーッホッホッホッと再度高笑いをしたアイリットに、侍女が「そうですとも」と言いたげに大きく何度も頷いた。ルドルクはもう何も言わなかった。
視界の端で、床に丸くなっているハクが大きく欠伸をするのが見えた。警戒心の強い相棒だったはずなのに、その姿は怠惰の権化でしかなかった。




