新たな日常
気候が例年通りに戻ってしばらく経ち、ルツの夏休みも今日で最終日。明日には学校に戻ってしまう。
「お兄ちゃん、起きろー!」
ルツに起こしてもらえるのも明日で最後だ。そんな事を寂しく思ったので、布団に潜った。
「あと少し……」
「だめ! 朝ごはん無しにするよ」
「起きます!」
こんな日常が、とても楽しかった。
「アグリ、今日は何するんだ?」
「んー、耕して秋に取る物でも蒔く準備しようかな、お父さんは?」
「そうだな、田んぼにヒエが生えてきたから取ろうかな」
父と仕事の話をするのが好きだ。分からないことは教えてくれるし、助けてくれる。出来ないことがあったら手伝ってくれる。そんな日常が大好きだ。
「さて、何を作ろうか……、大根、キャベツ、白菜、春に採る玉ねぎも良いな」
畑を耕しながら今後の計画を立てていると「おはよー」とロットとジュリが来てくれた。
「おはよう、ロット、ジュリ」
「アグリは相変わらず朝が早いな」
「ルツに起こされるんだよ」
「俺なんか親父に起こされるから最悪の朝だよ。羨ましいくらいだ」
そんな事を言うロットに俺たちは笑う。
2人もそうだが、村の人たちは母が亡くなってから特に気遣いを示してくれる。俺が寂しくならないよう、ロットもジュリもほとんど毎日顔を出してくれて、何気ない会話をしていた。そんな日常があるから、寂しく思う事は少なかった。
「ご苦労様」
「ご苦労さん」
「アグリお疲れ」
「アグリ頑張ってるな」
「アグリ、これ運んでくれないか?」
村の人たちは俺がしてきた事を、何故か知っていた。小さな村だ、すぐに広がるのだろう。みんな、感謝してくれている。俺の選択が間違いでなかったと思わせてくれる。そんな日常が大好きだ。
それでも、俺の心にある何かは、取り除かれる事なくずっと突き刺さったままだった。
妹がガサゴソと荷物をまとめている。
「何か手伝おうか?」
「ううん、大丈夫、もう終わるよ」
ルツは少し元気が無いようで、肩を落としていた。
「大丈夫? 元気ないみたいだけど……お母さんの事?」
母が言った言葉、ルツは悩みを隠すって……。母との約束の通り妹を守りたい。
「それもあるよ。でも……」
ルツは言葉を詰まらせる。俺は静かに話すのを待っていた。
「勉強とかけっこう難しくてさ。頑張らなきゃなって思っていただけだよ」
「そうなのか? 俺にはその辺はよく分からないけど、何かあったらすぐ相談してよ、力になるから」
「ありがとう、世界を救ったお兄ちゃん!」
「もう、やめろって、それ言うの」
いつの間にか元気なルツに戻り、安心した。この笑顔なら大丈夫そうだ。
「お兄ちゃん、明日来てくれるんでしょ?」
「うん、賢治さんに呼び出されてるし、アリアやブロードさんにもお礼を言いに行かなきゃ」
あの日、賢治さんと別れる時に言っていた。夏休みが終わったら一度家に寄れと。内容が何かは知らないが、話があるらしい。
「忘れ物ないからちゃんと確認してから寝ろよ」
「お母さんみたい」
「意識してる」
「やっぱり」
心の何かが引っかかり、今日も夜中に目が覚めてしまう。でも気が付けば朝になり、心の何かも感じなくなっていた。
「お兄ちゃーん、まだー?」
翌朝、少し寝坊してしまい怒られながら、急いで準備を終わらせる。連日続いた残暑は雲がかかり、少し落ち着いた朝だ。夕方には降りそうな感じがする。
妹に手を引かれながら、急いで馬車に乗り込んだ。
「何か、懐かしいね」
クラリネに近づき町が見えてくると、ルツが呟く。
「夏休み期間、いろいろあったからな……」
「お母さんに、魔法使いになるの見せたかったなぁ」
「応援してくれてるさ」
「そうだよね! 頑張る!」
ルツを訓練学校に送り届け別れた。不安と寂しさが入り混じっている作り笑いで手を振る妹が、少しかわいそうに思ってしまう。それでも、ルツが言っていた、母との約束を果たすため、ルツなりに頑張りたいと思っているのかもしれない。
「俺も、応援してるからな」
ルツを見送ってからしばらく歩き、賢治さんのもとへ向かった。町は少しづつ復旧作業が始まっているみたいで、たくさんの人が行き来している。
俺はあの家の前に立つ。この家を見ると、もしあの時ここに来なかったら、この人に出会わなかったらと心のどこかで思ってしまう。それでも、俺は前へ進みたいと思っていたりしている。
「来たか、まぁ、座ってくれ」
「はい」
その辺の椅子に座ると、コップに入った水が出てくる。
「コーヒーが飲みたくなる」
「そうですね」
俺が、緊張で話せないのが悪いのだが会話が続く事はなく、嫌な空気になってしまった。そんな事を思っていると賢治さんが意を決して口を開いた。俺の前に立ち、深々と頭を下げている。
「すまなかった」
賢治さんの言葉に驚き、口を閉じるのを忘れた。なぜ謝るのか、不思議でならなかった。
「私の力不足で君の母を奪ってしまった」
ずっと頭を下げているが、すぐに止めに入った。
「賢治さん、謝らないでください。母もそんな事思ってないです」
「分かっている。それでも、謝りたかったんだ」
俺は何も言葉が出ず「ありがとうございます」とだけ口にして、椅子に座り直す。
賢治さんも頭をあげて、部屋の奥に歩いて行った。
「お詫びってわけではないんだが、渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
「あぁ、今日はそのために来てもらった」
大きな鞄を出してきて前の机に置く。ドサッと大きな音がなるほど、中身は詰まっているようだ。
「お前がここに来た時、言っただろ? 国から直々に依頼があったって」
「はい、言っていましたね」
「これがその報酬だ」
鞄を開けると、そこには大量のお金が入っていた。こんな額、前の世界でも見たことが無い。
「装置を作った分を引いて、あとはお前に託そうと思う」
「いらないです」
即答した。自分でも驚いているが、考えるよりも先に言葉が出た。
だって、これを受け取るということは、お母さんを……お母さんを……!
「まぁ、そうだよな」
しばらく沈黙が流れる。
俺は、こんな物のために行動したんじゃない。
「これは、私の自己満足なんだ。お前の夢を一緒に叶えさせてくれないか?」
「夢?」
「私は、お前がこの世界にどう幸せを届けるのかを見たい、そして私も協力したい」
「俺が、幸せを……」
賢治さんは右手を指し出して来た。
俺もそうしたい、母との約束もある。賢治さんとこのお金があれば叶えられるかもしれない。ただ、気持ちが……。
俺はしばらく考えた。決断し、賢治さんの手を取った。この瞬間、俺と雨森賢治さんは協力関係となった。
「早速だが、私に何か出来る事はあるかい?」
突然そんなことを言うので、前から欲しかった物を作れるか聞いてみることにした。
「菌は作れますか?」
「菌か?」
「はい、麹菌が欲しいです」
「麹か、面白い。やってみよう」
賢治さんは快く承諾してくれる。時間はかかりそうだが、必ず作ると言っていた。信じて待つことにしよう。
俺は、ほぼ無理やり持たされた鞄を力いっぱい握る。心の罪悪感を照らしてくる強い日差しを隠しながら、あの人の元へ向かった。
Next:心の焦点