決断の責任
ブロードさんが操る馬車に揺られて家に向かう。日も傾き、地元の風景が広がってきた。
「大丈夫? 顔色悪いようだけど、酔った?」
例の説明書を読んでから、どうにも頭が回らず、顔に出ていたのかもしれない。
「ブロードさん、アヤさん。今日家に帰って妹が寝てから、時間作ってもらえますか? 明日の事話したくて」
2人は快く承諾してくれた。
どう解決しようか……、俺だけじゃ、力不足だ。みんなの力も借りよう。
「お父さん! ただいま!」
無事に帰ってくる事ができ、家に勢いよく入ると、最初はルツのお出迎えだ。
「お兄ちゃん!? 良かった! 帰ってきた!!!」
「心配かけたな」
「馬鹿ー!!!」
ルツは飛び込んできてくれて、泣いている。心配してくれたのかと嬉しくなる。
するとすぐ後に、父も部屋から出てきて「おかえり!」とルツと共に抱きしめてくれた。
「どうだった、やるべきことは出来たか?」
「もちろん!」
みんなを救える所まで来た、自信を持って答えることができた。母にもしっかり顔を見せてただいまを伝えた。「よく頑張ったね」と笑顔で言ってくれ、嬉しかった。
「コバトさんも大丈夫だったよ」
「行ってくれたの!?」
「うん!」
「ありがとう、良かったわ」
母は嬉しそうに頭を撫でてくれた。
行動して、助けたいと決断して本当に良かった。そう、心から感じた。
その夜、妹が寝た後。約束通り父と俺を合わせて4人が集まった。
「さて、明日のことなんだけど……」
アヤさんが話を始めたが、俺が「その前に少しいいかな」と話を止めた。説明書の件を伝えるためだ。
みんなが俺に注目する。深呼吸して、話した。これは重要な話。
「賢治さんが作った装置、もう1つ条件があるんだ」
「まだあったの?」
「うん……」
「どんな条件?」
どんな言葉で伝えたらいいか迷いつつ、誤解や勘違いが無いように、シンプルに伝えるよう意識する。
「スイッチを入れる人が必要なんだ。でも、スイッチを入れる人は帰ってこれないと思う」
「えっと、つまり……?」
「スイッチを入れると、直後に爆発が起こって、空に魔力が届くんだって……」
「それじゃあ、スイッチを入れた人は死んじゃうって。そういう事!?」
「そういう事になる……」
説明が終わり、皆が状況を理解すると部屋の空気がずっしりと重くなった。さっきまで、無事に帰り、喜んでいた部屋とは思えないくらいだ。世界を救うために、誰かが犠牲になる必要があるなんて、そんなのあんまりだ。
でもまだ可能性は残っているはずだ。俺が馬車の中で考えていた事を話した。
「俺が行こうと思ってる。俺が行ってスイッチを押してすぐに走れば、怪我くらいで済むと思うから」
ここは一番若い俺が行くべきだろう。怪我をしたって治りも早いし、仕事の責任だって、他のみんなに比べれば軽いものだ。これが最善の手だと考えていたのだが、みんなは賛成してくれなかった。
「それはだめだ」
「アグリ、それはだめよ。私が行くわ。私は、訓練を受けているから自衛だって出来る。怪我すらしないわ」
父に反対されると、アヤさんが説得力のある提案をしてきた。確かに、アヤさんやマルコさんなら……。
すると、父はそれにも反対する。
「それも賛同できない、アヤさんはこれが終わっても仕事がたくさんあるだろう。国を守る責任があるアヤさんにもしもの事が合ったら大変だ」
父が威厳たっぷりにそう言うと、部屋の会話は止まった。ならば助かる確率が高いのはやはり俺だ。近くに岩でも置いて隠れたって良い。自分を守るくらい、俺にでも……。
「僕は、ごめん……。勇気が出ないよ……」
ブロードさんが肩を落とし、申し訳なさそうに言うが、ブロードさんを責める人は誰も居ない。その気持ちはみんな持っている。
「俺が」と父が言うと、他の三人は言葉を止めるように拒否した。みんな二児の父であることを知っているからだろう。
会話がピタリと止まって数分。居心地の悪い空気が流れ始めたその時、隣の部屋からルツに支えられながら出てきた母が、まっすぐこちらを見て言った。
「私にやらせてもらえないかしら」
――――――――――
アリアやマルコさん、賢治さんと装置が無事に届き、準備が始まっていた。俺の思った通り、例の場所は風が無く絶好の場所だった。朝の内にアヤさんとブーロドさんが準備してくれて、俺は見ているだけとなった。
みんな、夜は一睡もせずに母を止めようとして、ルツに魔法の事を相談しながら検討していた。
「みんな、ごめんなさいね、わがまま言って。でも、やっぱり私が一番良いと思うの。もう、いつまで生きられるのか分からないこの体、最後はみんなの力になりたいのよ」
そんな事を言った母に、誰も代わりの案を出せる事は出来ずに、母がスイッチを押すことが決定したのだ。
葉っぱの隙間からきらきらと日の光が輝いている中、数十メートル先でみんなが忙しく動いている。それを俺たち家族は並んで見ているだけだ。
俺はこれまでしてきた自分の決定が、すべて間違いだったように感じていた。俺がこんな事しなかったら、母がこんな……。
1時間ほどが経ち、装置の周りに居たブロードさんや、マルコさん、アヤさんがこちらに近づいてくる。「あぁ、いよいよか」と胸の鼓動が小刻みに震え、指先が冷たくなっているのを感じる。もう後戻りできない所までやってきてしまっているのだ。
「準備、出来たそうです。説明があるそうなので……」
アヤさんが力なく言うと、母は立ち上がって俺たちの方を見て手を出した。
「さっ、行きましょうか」
母の声を合図にみんな立ち上がり、母を挟んで手を繋いだ。
現場に到着して母が説明を受けるのを、俺たちは静かに見守った。
「何か分からない事あるかい?」
「大丈夫、よく分かったわ。ありがとう」
「家族だけにしてもらえるかしら」と母が言うと、アリアと賢治さんが離れてた。
俺は呆然と立ち尽くすしか出来なかった。どうにも頭が働かない。体が震え、寒い。後悔が俺を押しつぶす。
「シェルシ」
母が父を呼ぶ。父は歩き近づくと、抱きしめあっている。何を話しているのだろうか、説得して辞めさせてほしい。
「お兄ちゃん……」
ルツの震える手を握りしめる。ルツを励ましているつもりか。いや、ルツの握る手からは憎しみすら感じる。
「ルツ、おいで」
父が母から離れると妹が呼ばれ、ルツは母の胸に飛び込んだ。抱きしめ、ルツの涙を拭いている。ルツは離れまいと強く抱きしめて、首を横に振っていた。
「アグリ」
俺は何を……、何をしたかったのだろうか……。
「アグリ、アグリ。おいで」
母に呼ばれていたのに気づく。ルツは父に抱えられていた。
「お母さん……」
母に抱き寄せられ、母のあたたかな愛に触れる。
「アグリ、これまで良く頑張りました。あなたが行動したおかげでたくさんの人が救われるのよ。胸を張りなさい」
「……」
「お願いがあるのだけどいいかしら」
「お願い……?」
「お父さんとルツをお願い。守ってあげて。ルツは辛い事が合っても隠すから、しかっり見ていてあげて」
「うん……」
俺は……。母に何もしてあげられていない。前の世界と変わらない自分。ただ勝手に、自分中心に考え行動しこんな結果を刈り取った。新しい命だったのに。
「それと、これを持っていてもいいかしら?」
母は、手の中から見覚えのある物を出した。
「そ……そっ、それって……」
「あなたが初めてくれたプレゼントのハンカチ。実はね、もったいなくて1回も使えなかったのよ。お母さん嬉しくてだから……、だからね……」
母のハンカチを持つ手が震えているのを見た。白い無地のハンカチに涙の斑点が写ったのを見てしまった。気持ちが止まらない。俺は、誰かを助けたかったんじゃない、何かを成し遂げたかっただけなんだ!
「俺が!!! 俺があの時、何かをしたいなんて思わなかったら! 俺が無責任にも助けたいって、選んだから! お母さんが死んじゃうんだ! だから嫌だったんだ、選ぶことを避けてきたんだ。俺は選択を間違えた。俺がお母さんを殺したのも同然なんだ! こんな世界どうなっても良い! だから……、俺は……、お母さんと……、お母さんと一緒に居たいのに……」
俺は、何を言ってるのか……。俺は何がしたいのか、分からない。ただただ、母と一緒に居たかった。
「アグリ、大丈夫。あなたは間違ってなんかないわ。見て、あの人たちはあなたが助けたのよ。そしてこれからも、あなたが作る食べ物で生きていくわ。お母さんが居なくなるのもあなたのせいじゃない、病気のせいよ」
何を聞いても涙は止まらなかった。
「アグリ、よく聞いて。私はあなたのお母さんになれて幸せでした、これからも誇りに思います。あなたのこれからの人生の決定を心から応援します。だから自信をもって生きなさい。たくさんご飯を食べて大きくなって、たくさんの人を幸せにする事をお母さんは願っています。アグリから貰った愛を私は忘れません。すぐに助けたいと行動するあなたが大好きよ、心から愛しています!!!」
「っ……、っ……!」上手く言葉が出ない……。喉に詰まる、上手く息が吸えない、頭が痛い。
「こ、怖くないの……?」
「怖いわ、でも、そのためにハンカチ、持っていかせてね」
「アグリ……、そろそろ」
父が肩に手を置いてきた。
俺は声を絞り出すように、母に叫ぶ。
「お母さん! 俺はお母さんの子供になれて幸せです。お母さんが教えてくれたこと、ずっと大切にします。あなたと家族になれて、育ててくれて、叱ってくれて、本当にありがとうございました。こんな迷惑ばっかり掛ける俺を、愛してくれてありがとうございます。愛しています! 大好きです!!!」
「アグリ」
「お母さん!!!」
『さようなら』
その後は、なんともあっけない物だった。母から離れ数分後に火が上がった。直後に天まで魔力による光が届き、賢治さんが「成功だ」と呟いた。
アリアの気づかいにより、俺たち3人は家に戻る事ができた。ルツを挟み手を繋いで……。
一晩中泣いた。寝ていない事も忘れ、泣いた。この世界にはもう母は居ない。悲しくて辛くて仕方がなかった。部屋から出るのも怖かった。全部夢であればと何度も願った。でも、何も変わらなかった。
気付けば涙は枯れはてた。外からは雨の音が聞こえてくる。母からの祝福の雨だろうか。呆然と外を眺めると、厚い雲の裏から光が上がってきたのが分かった。
「もう……、朝か」
震える手で棚からノートを出し、昨日の出来事を事細かに書いていった。
「このノートも最後か」
3歳の時、初めて母と市場に行き、両親のハンカチとこのノートを買った。買った時は農業なんてしないって思ってたっけ。
「まさか、このノートの最後にこんな事書くなんてな」
鼻をすすりながら最後のページ、一番下に俺はこう書いた。
『お母さん、大好きだよ』
母との思い出で始まったこのノートは、母との思い出で幕を閉じた。
息を吐き、ノートを閉じると腹が減ったのに気付いた。
「食べるか」
意を決して部屋を出ると、母によく似た金色の髪がこちらを向く。
「おはよう、お兄ちゃん。ってお兄ちゃん、目、真っ赤だよ!?」
「ルツだって赤いし鼻水も!」
ルツと顔を見つめながら笑った。
「おはよう、2人とも」
部屋から父が出てきて二人で「おはよう」と返す。
「ぶっ、ははははは!!!」
「お兄ちゃん!笑っちゃ……っ! あはははははは!!!」
「おいおい、どうしたんだ?何がおかしい? 」
「あはは! だって! ぶっ!」
「お父さん、鼻水すごいんだもん! はははははは!!!」
「えっ? なになに?」
「いやー!汚いから来ないでー!」
「あははははは!!!」
「腹減ったな」
走り回った父がそう言うと、俺たちは頷く。
「さて、なら何か作るか。しっかり食べて3人で頑張ろうな」
「腹が減っては戦はできぬなんて言葉もあるしね」
得意げに言うと2人はぽかんと口を開ける。え? 変な事言ったか?
「何それお兄ちゃん、初めて聞いたよ」
「お父さんも知らない言葉だ」
「えぇ? 有名だと思ってた!」
「お兄ちゃん、変なのー」
お母さん、俺たち幸せになるよ。だから見ていてね、みんなをもっと笑顔にするから!
数日後、俺は1人。あの場所に母の墓を作った。爆発で地形が変わったのか、風がお子様ランチの旗を揺らした。
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