希望
クラリネに到着した頃には、日が高く昇っていた。途中、サンダルの紐が切れて裸足になった。石も踏んで血が出た。汗と砂が混じって気持ちが悪い。疲労も、体の痛みも、喉の渇きも限界だ。それでも首にかけている魔石を握りしめ、ここまでやって来た。
こんな姿で町に入ったら、変な目で見られるだろうと思っていたが、想像していた光景とは全く異なっていた。
「人が居ない……」
どこか懐かしくも思える殺風景な街には、お店の人も、買い求める客も居なかった。暑いはずなのに、寒気を感じるくらいだ。
そんな異様な雰囲気を出している町を歩く。まずは、コバトさんの元へ向かう。母もきっと心配していることだろう。
「お水を……」
「えっ!?」
突然声を掛けられ驚きながら振り向くと、髪を伸ばした女性が立っていた。すぐに一歩後ろに距離を取る。するとその女性は頭を下げて言った。
「お願いします。水を分けてください。娘が、風邪をひいて苦しんでいるんです。どうか、どうか、お願いします」
足元にひざまずき、手を鞄の方に伸ばしてきた。
俺は、俺は……、命を選らばなくてはいけないか。もしこの女性の言っていることが本当で、娘さんが水を渡さなかった為に死んでしまったら、俺が殺したのも同然かもしれない。昔から選ぶ事を避けて来た俺に、そんな選択をする権利があるのか……。
でも、今の俺は決めないといけない。何かを決めないと進めない、自分で選んで、決めるんだ! 正解か間違いかなんて誰にも分からない、でも決めない事には正解も分からないままなんだ!!!
「ごめんなさい!!!」
叫んで走った。全力で走った。今の俺では助けられる人は限られる。でもいつか必ず、たくさんの人を助けられるようにします。だからその時まで、待っていてください!
罪悪感を心に抱きながら海沿いまで来た。潮の香りが記憶を呼び覚ます。母と初めて来た時……、お子様ランチを食べた時……。元気だった母を思い出してしまう。
「青い屋根……、あった!」
コバトさんのお店。
海の風に吹かれながら店に近づく。他のお店と同じく人気はなかった。そっとドアに触れて開けると、静かに鈴が鳴った。
店の中は酷いものだった。壁はボロボロ、机や椅子も倒れ壊されている。キッチンも俺が記憶している思い出とは、想像もできないほどに荒れている。おそらく、奪われたのだろう。
「誰!?」
店の奥、ポツンと一人椅子に腰かけているコバトさんが、睨む。
「コバトさん、無事ですか」
出来るだけ丁寧に、優しく声を掛けた。
「あなたは……?」
俺が分からなくても無理はない。久しぶりの再会だ。
「シェルシとへベルの息子、アグリです」
「アグリ!? なんでこんなところに来たの!」
少し予想外だった。でも心配してくれているのだろう。
持ってきた鞄からコバトさんに渡す物資を出した。
「コバトさん、水と食料です。これだけしかないですけど、食べてください」
コバトさんは不思議そうに受け取る。
「これを渡すために?」
「はい、あと友達の所にも行きます」
「ありがとう、ありがとう」と何度も言われた。助けになれたなら、来てよかった。行動して良かったと心から感じる。
「アグリ、ここまでどうやって来たの? 1人?」
ここに来た経緯を話した。すると大きく目を見開き、驚いていた。
「アグリ、悪いことは言わないわ、この町から出て帰りなさい。これからもっとひどくなる」
「ありがとうございます、出来るだけ早く帰ります」
「ちゃんと家に帰るのよ」
「はい、必ず!!!」
鞄を持ち、立ち上がる。疲れていた体が少し元気になったように感じた。コバトさんが喜んでくれたからだろうか。俺は店を出る前に、ひとつ聞き忘れていた事を思い出した。
「コバトさん、最近噂を聞きませんでしたか?」
「噂?」
「はい、例えば、達人とか」
もしこの干ばつがバーハルだったとしたら達人が居るはずだ。
「えっと、達人かどうかは分からないけど、何だったかしらね……。確か、かがくしゃ? そう名乗る人が居るってお客さんから聞いたことがあるわ」
科学者! それだ! きっとこの世界に呼ばれた人だ!
「ありがとうございます! 行ってきます!」
「気を付けるのよ」
有益な情報を得ることができた。科学者か、科学者ならこの干ばつを解決できるかもしれない。どこに居るのか分からないけど、探してみる価値はありそうだ。今後の予定が決まり、急いでアリアの無事を確認しに行く。
いつもの店、アリアと出会い、アリアと笑いあったお店が……。壊されていた……。
「酷い」
看板も、装飾も、酷い有り様だった。この世界にはニュース番組やワイドナショーなんてものはないし、俺が出会った人たちは良い人ばかりだったから、無意識に平和で治安が良い世界と思っていた。でもやっぱり、この世界にも悪い奴はいるみたいだ。アリア、無事でいてくれ。
慣れているはずのお店のドアを妙に緊張しながら開ける。スゥッと部屋の空気が外に逃げる。ドアに付いているハズの鍵も無くなっていた。中は不気味にも感じるほど暗く、いつものお店とは程遠いものだった。コバトさんの店と同様、中は荒れ果て魔石のひとつも無かった。カウンターに近づき、声を出そうとしたその時……。
「店から出ていって!」
アリアが奥から顔を出し、手を前に出して攻撃態勢に入っていた。アリアがいつも着ている服は汚れていて、目のクマが大変だった日々を物語っていた。
「アリア、俺だよ、アグリ」
自分の姿が見えるようにアリアを見て言った。
「アグリ……」
アリアは俺と理解した瞬間その場で崩れ落ちる。俺はすぐに向う。
「アリア、良かった、良かった! 」
大変だったのは分かっている、でもアリアがここに居てくれた。今はそれだけで良かった。
震えているアリアを抱きしめる。
「アリア、大丈夫? 怪我はない?」
「えぇ、大丈夫」
アリアは抱きしめた俺の腕を握る。やることはたくさんあるけれど、今はしばらくこのままが良い……。
コバトさんと同様、水と食料を渡して、アリアにここまでの事を話す。
「馬鹿ね、無茶して。でも……」
「でも?」
「ありがとう」
アリアが少し落ち着き、震えが止まる。少しは安心してくれたみたいだった。
「マリーさんは?」
「大丈夫、部屋にいるわ」
母に伝えられるいいニュースが聞けた。帰ったら報告しないと。きっと喜んでくれる。俺の心配はしてるだろうけど。
自分の水を一口飲んだ。これだけじゃ潤す事は出来ないけれど、一気に飲む誘惑に勝つしか生きられないと感じた。
「アリア、雨が降らないのは仕方ないけど、魔法使いが居れば水不足にならないと思ってた」
「そうかもね、でもこれだけ雨が降らないと魔法使いが居ても意味がないわ」
「どうして?」
「魔法使いが水を出すには、魔力が要る。その為にはしっかり健康でないといけないわ。それに、魔石を使うといっても限度がある、冒険者だって水を飲んで魔獣を狩るし、その魔獣だって生き物だから水を飲むわよね」
言われるまで気付かなかった。みんな生きてるんだから、水が必要なんだ。雨が降ら居ない時、見えない所で影響が出ていたのか。
それなら、すぐにでも解決方法を探さないと。この干ばつが、言い伝え通りバーハルなら対処する方法があるはずだ。
「アリア、科学者って聞いたことある?」
「科学者? どこかで聞いたことある言葉ね。詳しい事は知らないわ」
「そっか……」
さて、どうするか……。見つからないのでは話ができない。聞き込みをするか? いや、今町の人たちは警戒心が強くてそれどころじゃないだろう。
「その人の事、僕が教えてあげるよ」
突然店に入って来て大きな声を出していたのは、アリアの幼馴染ブロードだった。
「ブロード、なんでここに!?」
「君が心配で来てみたんだが……、その必要はなかったみたいだね」
何のことだ? と思いよく見てみると、抱きしめあっていたのを忘れていた。目が合って恥ずかしくなり急いで離れた。お互い顔が真っ赤だ。
ゴホン、ゴホンと気を取り直し、アリアは科学者のことを聞き始めた。
「それで? 科学者知ってるの?」
「あぁ、僕の父が部屋を貸してる、変な人だけど悪い人じゃないよ。名前は確か、雨森賢治だったかな?」
確定だ。その人は俺とは違い転生ではなく、おそらく召喚だ。その人がこの干ばつを終わらす、きっかけになるに違いない。
「ブロードさん、その人に会わせてください」
それから俺は、ブロードさんと話し合い、アリアと一緒に雨森賢治と名乗る人に会える事が決まった。ブロードさんは外の様子を見て、ひとつ提案を出す。
「今日はもう暗くなるから明日にしようか」
「そうね。明日の朝に出ましょう」
ブロードさんが帰えると、アリアが耳を疑うような事を言ってきた。
「アグリ、服脱いで」
「え!? 急に何!?」
驚いてしまったが、アリアはまた耳を疑うような事を言ってきた。
「アグリ、臭い」
一日歩き回り、汗やら汚れで不潔そのものだった。好きな人にそんな事言われ、かなりショッキングだったがアリアの指示に従って服を脱ぎ、魔法の水で綺麗さっぱり、綺麗にしてもらった。
その後、明日のことを話し合って、少量の食事をとり、倒れるようにアリアのそばで眠りについた。
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