日常
馬車が村に到着してルツを起こす。途中お尻が痛いからと、俺の足に座ってきたので、足とお尻が限界に達していた。早く起きてくれ。
「荷物半分持つから、もうちょっと頑張れ」
「うん」と眠そうに、目を擦りながら歩き出した。
家に近づくにつれ、ルツの足取りが速くなっている。
「ルツ、お母さんのそばに居てやってくれるか? 出来れば、楽しい話をしてあげてくれ」
「うん? でもどうして?」
「噂で聞いたことがあるんだ、笑うと元気になるって。だから頼む。お母さんの身体に負担がかからない程度にお話してくれ」
「分かった! やってみる」
満点の笑顔で振り向いたルツ。
前の世界で聞いたことがある、笑うと活発化する細胞があるって。何でも試してみよう。母が元気になるまで。
「ただいまー!」
ルツが元気に家に入ると、父も母も待っていてくれた。
「ルツ、おかえり」
二人に抱きしめられるルツは、とても嬉しそうだった。母は少し涙を浮かべ、再開の喜びを分かち合う。俺もその様子を見るだけで心が温まった。
「迎えに行ってくれてありがとうな」
「うん、お安い御用だよ」
「アリアちゃんといちゃいちゃしたかっただけだよ、きっと」
思わぬ言葉が耳に飛び込んでくる。さっき言った楽しい話はこういう事じゃないぞ。
「ちょ、ルツ! そんなんじゃないって」
「そうなの?」
母が笑いながらルツを見ている。
「そうだよ、膝枕されてたの見たもん」
「へぇ? 膝枕ねぇ?」
母は俺の方を見てにやにやしている。何だかすごく体温が上がっている気がした。
「違うって、それには理由があるの! いちゃいちゃしてた訳じゃないの!」
父が大きな声で笑い、母もつられて笑った。
まぁ、良いか。笑ってくれるなら、こうして楽しい時間を四人で過ごせるなら、少し恥ずかしくったって構わない。
「後でゆっくり聞かせてね」
母は楽しそうに合図を送ってきた。
久しぶりの四人の食事は、父と妹が作ってくれた。母は嬉しそうに食べてくれるが、全部食べるのは難しかった。
それから俺が片付けをして、ルツは自分の部屋を片付け始めた。父は母を部屋で寝かせ、体を拭いてあげている。そんな日常が俺にとっては、とても幸せだ。
「お兄ちゃん?」
夜、横になっていると、ルツの声が聞こえた。灯りをつけルツを入れると、目が真っ赤になっている。
「何かあった?」
「怖くて……」
何が怖かったのか原因は分からないが、深く聞くこともせず妹のご要望に応える。たぶん母の事が心配で眠れないのだろう。夜に心配事が大きくなってしまうのは誰にでもある。
「お母さん……、思ってたより痩せてた」
隣に寝転がったルツは俺の腕をぎゅっと抱きしめ、不安を露わにする。
「あぁ、そうだな。ご飯も、たくさん食べられなくなった……」
ルツは目に涙をいっぱいに溜めて、俺の顔を見た。
「お母さん、明日居なくなったりしないよね!?」
ルツの心の声がそのまま口に出た感じだった。親の前では我慢していたのだろう。
「俺たちのお母さんがそんな事するわけないだろ」
これだけは自信を持って言える。母は子供の俺たちに、さよならも言わず居なくなる事は絶対にしない人だ。
俺が目を見てはっきり言うと、少し安心したのかルツは静かに目を閉じた。
「おやすみ」
正直……、ジュリの父が亡くなった時、俺はまだ前の世界での考えが強くて、どこか他人事だった。友達だから、元気になってほしいと思っていたし、亡くなったって聞いた時はすごく悲しかったけど、泣く事は出来なかった。俺自身、なんて心の冷たい人間なんだろうと思う事もあった。ただ、ルツが帰って来てから急に不安になったのも、きっと今まで手紙で知らせられていた事が目に見え、しかも自分の母がその状況になって居ることを理解してしまったからだろう。それを思うと、もっとジュリやミルさんにしてあげられる事があったのかもしれないと後悔の気持ちが湧いてくる。
「これからでも遅くはない、か……」
これから出来る事を精一杯しようと心に誓い、ルツを抱きしめ目を閉じた。
今日の朝も快晴だ。ラジオ体操のために、朝早く起きたあの頃と同じ匂いがする。
俺は父の畑と自分の畑の野菜たちに水を撒いて帰宅している。空を見ても、雨は降りそうになかった。井戸の水も少しづつ減っているのが見てわかる。畑や田んぼに使う水は魔石があるためしばらくは大丈夫だが、やはり生活するには雨は必要だ。
「水やってきたよ」
家に帰るとルツがご飯を並べていた。
「ありがとう、助かるよ」
父は朝ごはんを作り終わったのか、手を拭いている。
母はまだ起きられないのか、姿は見えない。
こんな日常が続けば良いのに、そう思いながら十日間。雨が一滴も降らない日が続き、異常が起き始めた。
村の畑にある野菜たちは少しづつ枯れていった。蒔いた種も芽吹くことなく姿を消す。米の苗はシーズン分の水があるため問題ないが、日々の生活に使える水が減っていった。出荷する野菜もなく自分たち家族が食べるために残した。みんな雨が降ることを願ったが、次の日もまた次の日も降ることはなかった。
前の世界で経験していた蒸し暑さとは程遠く、空気が乾燥し、山火事にでもなったら止めることは不可能だろう。
「なんか、嫌な予感がする」
そんなことを呟きながら、田んぼの水を見て家に戻る途中、村の人の話が耳に入った。
「バーハルが始まったみたいよ」
「嘘!?」
「町の方はかなり深刻な状況って噂」
「私達でしのげるのかしら」
バーハル、子供のころに聞いた言い伝え。何でも神からの試練らしい。って、ちょっと待て! 心臓がドクっと響いたのが分かった。
「町が酷いって!?」
急に話しかけてしまってびっくりした様子だったが、俺も気が気でなかった。町は! アリアは大丈夫なのか!?
「アグリ君! 噂だけどね、食べ物も水も不足しているみたい」
「町も荒らされてるらしいわ、お店なんかは酷いって」
「生きるのに必死なのよ……」
血の気が引く。心臓の音が耳に入って来ている気がした。
昔から思っていた、何か非常事態が起こった時、この食料状態だとすぐに問題が生じるって。準備が間に合わなかった。すぐにアリアの所に行かないと!!! 無我夢中で走り、家に向かう。
「アグリ! 馬車も止まってるからどこにも行けないわよ!!!」
そう、馬だって動物で水がないと生きていけない。でも、それでも! 行くしかないじゃないか!!!
俺は熱風を浴びながら走り、家に入るとひんやりした空気が汗を冷やす。
「おいおい、どうしたそんな焦って」
「お兄ちゃん?」
父も妹も心配そうに見つめてくる。
荒くなった息を整えてから父に伝える。
「俺、今からアリアの所に行ってくる!」
言わずもがな、父は驚き、辞めるよう言ってきた。
「だめだ、危険すぎる。それに行ったところで何も出来ないだろ」
「分かってる! でも、でも……」
それでも、行きたい。アリアが無事を確認したい。幸い、畑がある俺たちは食べる物がある。少しアリアに分ける事だって可能だ。父に涙ながらにお願いする。
「お願い……、行かせて!」
それでも父が折れることはなかった。
昔の俺だったら……、こんな事、絶対にしないだろう。
辺りは暗くなり家族が寝静まった頃に、運ぶのに問題がない量の食料と水を、2つに分けて鞄に入れる。日中は体が持たないと判断し夜に出発する事を決めた。父には悪いが譲れないものがある。自分も後悔したくないし、父にもさせない。ゆっくり、足音立てずに家を出て、乾いた空気を吸い込む。
「行くのか」
ビクッと身体が反応し振り向くと、父が待ち構えていた。腕を組み、壁に寄りかかっている。読まれていた。
俺が父の目を見て頷くと、父は笑った。
「行くと思ったよ」
「ごめんなさい、どうしても行かなくちゃいけない」
「分かった……、でも約束、絶対帰ってくること」
「絶対守るよ!」
父はしぶしぶというより、もう答えは決まっていたように見えた。
「行ってこい」と父に背中を押してもらい、闇の中を歩き出した。
『まったく、誰に似たんだか……』そんな声が微かに聞こえたが、振り返ることなく走り出した。
道に迷はないように、馬車乗り場から出発して、馬車の跡を目印に、ひたすら走る。
「待っていて、アリア!」
Next:選択