魔法
「暑い……」
季節は俺の嫌いな夏になった。夏が嫌いと前の世界から言っていたが、正確には暑いのが嫌いなのだ。もし夏が暑くなかったら夏を好きになっていただろう。夏は悪くない、暑いのが悪い。そんな馬鹿な事を永遠に考えるほど、暑いのが嫌いだ。
ただ、熱せられたアスファルトに落ちた雨の匂いが、恋しく感じたりもする。それにしても、最近雨が少ない。こんな時もあるのだろうか。
俺は妹のルツを迎えに行くため、馬車に揺られている。妹も母を心配して早く帰りたいと手紙にあった。ただ、少し気になったのは、妹も疲れているような感じが伝わってきていた。少しでも休めればいいが。
「アリアー」
待ち合わせ場所に指定したアリア魔石店の中に入る。アリアには伝えてはないけれど、大丈夫だろう。
「アグリ、丁度いい所に! ちょっと来て」
「え、なに?」
奥からアリアの声が聞こえて急いで向かった。何やら焦っているようだ。少しだけ埃っぽくなっている部屋に入る。
「ちょっと助けてくれない?」
「大丈夫!? 今助ける!」
アリアは積み上げた箱を台にして、棚から何かを取り出そうとしていた。だが、おそらく棚の物が出てきてしまい落ちてしまわないように支えたら、動けなくなっていた。
俺は急いで台を持ってきて上がった。
「今、どかすから」
「ありがとう」
ち、近い……。アリアの荒くなった息が聞こえる。意識しなくても耳に入ってしまう。
心臓の音をかき消すように、アリアが支えている荷物を下ろしていく。
「アグリ! 危ない!」
「え?」
ゴンッ!
荷物を下ろした時、アリアの手元から何かが零れ落ちてきてしまい、それが下に居た俺の後頭部に直撃する。
「うっ…。痛っ!!! あぁー!」
何かが当たった場所は、ジンジンと痛みが増して来た。頭を抱えて、床を転げまわる。
「アグリ!」
明らかに焦っているアリアがすぐに降りて来て、頭を膝に乗せてくれた。
「アグリ、ちょっと見せなさい」
「うん……」
泣きそうな声で返事をすると、アリアは髪を搔き分けて傷を見てくれた。ちょっと悪くないかも……、なんて考えていると痛みも引いてくる。
「血が出てる……。動ける? こっちに来て」
傷を押さえながらアリアに連れられ、部屋の長めの椅子に座った。アリアも隣に座ってもう一度頭を見せるようにと指示があった。俺は遠慮なくアリアの足に頭を乗せる。
「動かないでね」
「何をするの?」
そう聞いても「良いから」と頭を固定された。柔らかな足を感じつつ見上げると、アリアは集中するように目を閉じて「ふぅ」と息を吐いた。手をそっと頭にかざすと一言呟く。
「回復促進」
その瞬間、頭の痛みは引いていった。今の魔法だろうか。
少しの時間アリアは手をかざし続けてから、傷を確認する。
「どう? 血は止まったけど、クラクラしたりしてない?」
「大丈夫、でも大事を取ってしばらくここで休みます」
「調子に乗らない」
アリアの指がパチンとおでこに飛んできたものの、やっぱり優しいアリアさん、流れた血を拭いながら休ませてくれていた。
ずっとここに居たいと堪能していると、部屋のドアが開く。
「お兄ちゃん……、何やってるの……」
「あ……」
妹が帰ってきて、思わぬ場面を見られてしまった。すぐに起き上がり熱くなった顔を覚ますように、足早にアリアから離れる。
「呼んでも出てきてくれないと思ったら……」
「いや、違うんだって。怪我しちゃって、治してもらってただけで」
「本当かなぁ? アリアちゃん、どうなの?」
「さぁ? どうでしょうね?」
「えぇー、そんなぁ」
アリアさん、誤解を訂正しなくて良いのかい。まんざらでもない感じですか? なんて事を思っていたら、アリアがルツの帰りを不思議がっていた。
アリアに説明するのを忘れていた。それですぐに、ルツの夏休みの件を話した。
理解したアリアは、お菓子を用意してくれた。久しぶりに会えたことを喜んでいるみたいだ。
みんなで食べているとルツが心配そうに聞いてきた。
「お兄ちゃん、お母さんどうなの?」
父が手紙で母の事も少しは伝えていたそうだ。簡単に会えないルツは不安だったのだろう。どのように伝えるべきか、少し迷ったが包み隠さず伝える事にした。
「正直……、あんまり元気はない。ご飯も作れないし、前みたいに動けるのも無理だと思う、みんなでご飯食べる時くらいかな、出てこれるのは」
「そうなんだ……、早く会いたい」
頭を下げ、落ち込み寂しそうに呟くルツの頭を優しく撫でた。
「お母さんも、ルツに会えるのを楽しみにしてたよ。ルツに会えば元気になるさ」
「うん」
アリアがクッキーを飲み込み、確認するように聞いてきた。
「へベルさんご病気なのよね?」
「うん、でもお医者さんは原因不明だって」
「そう、心配ね……」
俺は思い切ってアリアに聞いてみる。頼りっぱなしだが、聞くだけ聞いてみよう。
「アリア! さっき怪我を治したみたいに、お母さんも治してあげられない?」
前の世界には無かった魔法、これがあるならきっと治せる、そう期待していたのだが、アリアは迷っていた。言葉を選んでいるのか、下を向いている。
「アリア?」
「お兄ちゃん、それは無理……なの」
ルツは理由を知っているようだった。どういうことだ? 前の世界で見られていた魔法は、万能で素晴らしい物として描かれていた。それなのにどうして……。
アリアは静かに説明してくれた。
「アグリ、アグリの怪我は放っておいても数日経てば治るでしょ? 何でだと思う?」
「えっと……、身体がそう出来ているから?」
アリアは頷く。
「怪我を治す時、魔法が治してるわけじゃないのよ。あくまで、身体の自然治癒のサポートを魔力でしているだけ」
「えーっと、どういう事?」
「身体がもともと持っている、治す力を高めているだけ、魔力を使って」
なるほど、そうか。怪我を治す事だけを見ると、魔法を使って傷をふさいでいるように見えるけど、治してるのはあくまで身体。魔力で、身体が持ってる自然治癒の力を促進しているだけなのか。でも、それだったら。
「病気も自然に治るよね? 風邪だってしっかりご飯食べたら治るよね?」
「風邪くらいだったら治せる場合もあるわ。でもリスクがある、特にへベルさんの場合は命を削ることになりかねない」
命を削る? 何で……。
「厳しい事を言うことになってしまうのだけれど……」
アリアは下を向き、力なく話を続ける。
「今、へベルさんに治癒を掛けると、病気が進行するの」
「病気が進行する?」
「えぇ、治す力も強くなる。でもそれと同じように、病気の力も強くしてしまうから、病気が進んでしまうの」
前の世界で病気の原因を科学的に知っている俺は納得した。母の病気が癌だと仮定すると、癌細胞の味方も魔力でしてしまうって事か。
「言いにくい事、教えてくれてありがとう。別の出来る事探してみるよ」
「アグリ、頑張りすぎないでね。アグリも体壊しちゃ、へベルさんにも心配かけちゃうから」
気付くと震える手を握ってくれていた。「ありがとう」と握り返す。現実を打ち付けられたような、絶望感を受けていた。今は、アリアの手が心強い。
「そこ! いちゃいちゃしない! そろそろ帰るよ」
妹に指摘され、急いで手を離すと、催促されながら準備を始める。
店を出て、馬車に乗った。相変わらず今日も雨が降ることはなく、乾いて硬くなった地面を車輪が回ると、風の影響で俺の方にだけ砂煙が来る。
クラリネの町が小さくなってきた頃に、ルツが心配そうに話してきた。
「お母さん、治るよね?」
妹の涙を浮かべる瞳を見ると、自信をもって「大丈夫」と言えなかった。無力で、何もできない自分を憎む。
「お兄ちゃん?」
せめて、妹の前では強い兄で居たかったが、ルツは心配そうな顔で見つめる。
「あぁ、きっと大丈夫だ」
力ない声を出し、隣に座っているルツを抱き寄せて頭を撫でた。何か方法を探さないと。絶対救って見せる。
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