麦の収穫お手伝い Ⅴ
「お腹いっぱいになった? お皿下げるわよ?」
「はい、ありがとうございます」
がちがちの身体を無理やり起こし、朝食を食べた。栄養を無理にでも取らないと、治る物も治らないだろう。
ターナさんが食器を持って部屋を出ていった。
「何でも良いから身体を動かさないと」
筋肉痛だけではなく、身体のあちこちが凝り固まっている気がする。ベットから降りて部屋の中でゆっくりと円を描くように歩いた。その間、腕を大きく振ったり肩を回したり、足を上げたりする。
「これで! 血流が! 回って! 回復が! 早く! なったりしないかな!」
ふっ、ふっ、と大げさに息を吐きながら運動した。血流を回すには呼吸も大事、だと思う……。
「何してんの?」
なんだ!?
「痛っーーー!!!」
急に部屋に入ってきたエブリイさんに驚いて尻もちをついてしまい、その瞬間全身の筋肉が悲鳴を上げ激痛を感じる。
「うっ、うぅ……」
「ごめん、驚かせちゃった?」
「だ、大丈夫です」
「そう? で、何してたの?」
「少し身体をほぐそうと思って動かしてました。早く仕事に戻らないと」
「そんな焦んなくてもいいのに」
「お世話になっている以上、働かないと」
エブリイさんは、「んー」と顎に手を当てて首を傾けた。その後、何かを思いついたのか、企み始めている気がした。
「それならアグリ、午後から少し手伝ってくれない? 身体動かしたいならちょうどいい仕事」
「えぇ、良いですけど」
「ありがとう、じゃあ、午前中は休んでご飯食べたらお願いね」
急に仕事を頼まれたが丁度いい。何もしないより良いだろう。
午前中はしっかり休息を取り、身体をほぐす事に専念した。まだ痛みはとれないが、日常生活を送るには問題ない。若さってすごい。
お昼ご飯は、ターナさんが家を出る前に用意してくれていたので、テーブルに置いてあった物を食べさせてもらった。食器をメイドさんの所に持っていき片付ける。座ってお茶を飲んでいるとドアが開いた。
「アグリ、ご飯食べた?」
「はい、いただきました」
ドアから顔を覗かせているエブリイさん。約束通り仕事を与えに来たのだろう。さて、何をすればいいのかな?
「なら、付いて来て」
手招きされ、引き付けられるようにエブリイさんの後を歩く。相変わらず慣れない広さの廊下だ。
「何をすればいいんですか?」
先に聞いておいた方が効率も良いだろうと思ったが「んー?」とはぐらかされてしまった。怪しい……。諦めて黙って付いて行くと部屋の前で止まった。一度も入ったことのない部屋だ。
「ここよ」
エブリイさんがドアを開け中に入ろうとしたが、入れない部屋だった。
「えっと、ここは?」
「部屋」
「誰の?」
「そんなの私のに決まってるじゃない」
入れないとは、比喩や例えではなく文字通り足の踏み場が無く入れないのだ。ベッドのある場所、机のある場所は把握できる。が、すべてに服やアクセサリー、その他良く分からない置物が放置されている。もちろん、エブリイさんが何を俺に頼もうとしているのか、聞かなくても分かる。
「僕、身体が急に痛くなったので帰ります」
「だーめ、仕事サボったってお義父さんに言うわよ」
「うっ……」
そんなことを言われたら、せざるを得ないでわないか。
「ここを片付けるんですか?」
「その通り、話が早くて助かるわ」
自信満々に人差し指を立てている。予想はもちろん的中していた。
「分かりました、やってみます」
「お願いするわ、終わったら声かけてね」
「えぇ!? エブリイさんはしないんですか!?」
「うん」
当たり前と言わんばかりの顔をして、どこかに行ってしまった。俺はまた大きなため息をついて、仕事にとり取り掛かった。
何から始めるかと考えながら部屋を見渡す。
「とりあえず服だな」
床にも、机にも、もちろんベットにも服が積まれているのだ。俺は近くを通りかかったメイドさんに、洗濯物用のカゴを2つ借りてきた。そんなメイドさんには同情の目を向けられてしまった。
着た物か、綺麗な物か判断が付かないので片っ端からカゴに入れていく事にした。ベッドのシーツや毛布なんかは、とりあえず邪魔なので窓を開け屋根にポイっと抛った。床がある程度見えてきたと思っていたら予想外の物が足の小指にあたる。「ごんっ」と鈍い音が耳に届いてから、時間差で痛みが伝わってくる。
「痛ったーーー」
小指をいたわるように丸まり撫でながら痛みに耐える。ジンジンするのが徐々に和らいでいくのが分かった。
「もー、何?」
落ちている物が何なのか探してみると本が出てきた。無性に気になって少し大きめのその本を開きページをめくった。すると中は白紙だった。
「なんだこれ?」
パラパラとめくったが興味が無くなり本を閉じようとした時、最後のページに何か書いてあった気がして開き直した。最後のページ辺りを一枚一枚めくっていった。
『うまれてきてくれてありがとう』
最後のページに一言だけ小さく書かれてあった。
「エブリイさん……」
もしかしたら、将来生まれてくる自分の子供に向けて、何かを作ろうとしたのだろうか。そっと机に置いて頑張ってくださいと願っておいた。まぁ、エブリイさんが完成させるのはずっと先かもしれない。でも、重要なのはそこじゃないのかもしれないな。
それからも俺は掃除を続け、落ちていた服や本も。バタバタの本棚も。寝られるのか心配になっていたベッドも、何も作業が出来ない机も綺麗に片付けた。
「よし、あとは床掃除してっと」
水と雑巾を持ってきて拭き掃除を開始。言いたくないし見たくも無いが、一度拭いた雑巾は色を変えたのだった。
「おぉ、すごいじゃんアグリ! 助かった」
「大変だったんですよ!」
掃除が終わりエブリイさんを呼んで報告した。エブリイさんは目を輝かせて嬉しそうだった。自分ではしていないとはいえ、綺麗になるのは気分が良いのだろう。
「ありがとう」
「服は明日洗濯してくれるみたいなので、自分で干してください」
「はーい」
絶対やらなそうな返事が返ってきて心配だが、まぁ明日の俺には関係のない話だ。
「じゃあ、次はこっち」
「えっ?」
それからエブリイさんに手を引かれ連れていかれた。お風呂掃除、廊下の拭き掃除、窓拭きをして俺の休暇は終了した。
「エブリイさん、この際掃除をしたのは良いんですが、こういう事ってメイドさんに頼んだりは……」
「しないよ?」
「そうなんですか?」
「だってメイドさんも短期的にここに来てくれてる人だもん。家にずっと居るわけじゃないし」
「知らなかった」
「アグリと一緒で雇った人の分のご飯とか用意するのに、この時期だけ来てもらってるの」
お金持ちだから勘違いしていた。なるほどそういうことか。
「さっ、ご飯食べよー」
エブリイさんは軽い口調で部屋に向かって行った。
「エブリイさん、今日部屋で見つけた本はどんな内容になるんですか?」
食事の時間、間があったので聞いてみた。みんなは本の存在を知らなかったようで「本?」と首を傾けエブリイさんの方を見ている。気が付くとエブリイさんはコップを持ちながらむせていて、前に座っていたケンさんが何故か濡れていた。
「ちょっと。見たの!?」
「少しだけ……、まずかったですかね?」
「はぁ……」
そんな事を言ったらますます気になる家族の皆さん。興味深々な様子で尋ねてきた。
「エブリイ、本って?」
「完成したら見せる……」
なんだか秘密を暴露してしまったようで申し訳ない気持ちになった。何か罪滅ぼしでもした方が良いのだろうか。
食事が終わって部屋に帰る途中、後ろから声をかけられた。
「しっかり責任取ってもらいますからね?」
「うっ……」
「分かりましたか? アグリさん」
「承知しました、エブリイさん」
話を聞くと、将来生まれてくる子に絵本をプレゼントするのが憧れだったようだ。でも、白紙の本を買ってみたは良いが何も思いつかず、しばらくほったらかしになっていたとの事だった。
「絵本、か……。エブリイさん絵描けるんですか?」
「昔少しだけ……でも挫折しちゃった」
「どんな絵を書いてたんですか?」
エブリイさんは自分の部屋から1枚の紙を持って出てきた。俺が掃除しても見つからなかったので、どこかに隠してあったのだろう。俺は受け取った紙を見た瞬間、ぶわっとその世界に入り込めた気がした。
「こ、これって……」
黄金の海に浮かぶ一人の男性。風が波を作り日の光が反射する。男性はこっちを見て収穫を喜び、笑顔を向ける。天気も風の匂いも感情も、全てが伝わり気付けば涙が出ていた。
「ケンさんですか?」
「えぇ」
「エブリイさん」
俺がそう呟くとエブリイさんは期待の目を向けた。
「絵本、作りましょう。絶対に!」
「え、えぇ。でもお話が思いつかない」
「俺も協力します。絵は話が出来れば描けますよね?」
「うん、たぶんだけど」
「なら俺も考えるので絶対完成させてください」
部屋に戻って絵本の内容を考えていた。あのエブリイさんの絵。あれは少しの才能と努力の賜物だろう。出来ればそんな意外性のあるエブリイさんを基にした話が良いな。
「エブリイさんやケンさんにも話を聞いてみよう」
きっとそれがお話のピースになるだろう。絶対すごい絵本になる、と思う。なんてくすくす笑い、目を閉じた。
いろいろ考えていたが、少しずつ意識が闇に吸い込まれていく。
「ちょっとアグリー! 私のベット、毛布もシーツも無いんだけど!?」
遠くから大きな声が聞こえてきた。えっと、何だったっけ……。どこかに片付けた?
「あ……、忘れてた。屋根に置いたままだった」
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