俺たちの米
「よいっしょっと」
「これで最後だな」
「うん。やっとここまでこれたな」
「あの時の夢叶いそう?」
「アグリだったらどんな状況でも叶えていただろうけどね」
ロット、リユン、ジュリが、馬車に米を積んで、ある日俺が夢を語った時の事を思い出す。あの時、この世界の農業を変えたいと思ったんだ。生まれ変わってもなお、農業するとは思ってもみなかったけれど。でも今の農業は、俺が思っていた物とは別で、ひたすらに楽しい。それはきっとここに居る3人のおかげもあって。
「ありがとう、みんな。本当に」
今にも涙がこぼれそうだった。こんな時、必ず思い出すのは母の顔だ。
「お母さんにも、お米食べてほしかったなぁ」
空を見ながらそう言った。ほの暗い空には星が薄く見える。植物たちが夜明けを今か今かと待っている。
ロットが俺の背中を強く叩いてきた。リユンは、肩にそっと手を回し、ジュリは手を強く握った。俺たちは、それだけでなにも言葉はいらなかった。
サンドリンで米の出荷準備をしていた頃、俺も忙しく働いていた。家の田んぼや畑。それに孤児院の畑。サンドリンでの指導。それらは移動もあり体に大きな負担となっていた。だがそ疲れを思い出す暇もなく、動き続けた。
米の出荷でかなりの労力を使うのが、袋詰めだ。これは前の世界でも同じだった。仕事をこなすスピードが違うとはいえじわりじわりと筋肉と腰が悲鳴を上げ始める。一俵は経験したことがない重さで、長い時間運ぶのは無理だった。もっと体を鍛える必要がありそうだ。
「この計り便利ですね!」
眉をぐいっと上げて次々に米を計りに乗せるのは、カイさんとケシルさんだ。2人は、玄米を60キロはかり、小屋に運ぶ仕事をしていた。
「本当に。便利ですね、これ」
しゃーっと米の流れる音が絶え間なく響く。それはこれまでサンドリンの人が積み重ねた一粒一粒の音で、それらは大きな力を持っているように感じた。
「これまでは米を買うとき、どうやって値段を決めていたんですか?」
俺がそう尋ねると、2人は不思議そうに顔を見合わせた。
「アグリ君は見た事ない?」
「え?」
カイさんが、苦笑いを浮かべながら説明してくれた。
「よく店の前にカゴがぶら下がってたりするのを見た事がないかな? あの反対側には石がぶら下がっていて、それがつり合うかつり合わないかで計っていたんだよ」
「えっ。それだったら、店によって変わっちゃいませんか?」
カイさんもケシルさんも、うんうんと首を動かす。
「そうなんだよ。だから店選びは大切で、大体の人は買うお店を変えないんだ。 それぞれここが一番お得だと思っているからな」
俺は頭の中で、そう言えばテントの屋根から何かぶら下がっていたなと思い出す。お金を入れるカゴかと思っていたのだが、違ったようだ。
なるほど。俺も母から教えてもらった店でしか普段買い物をしないでこれまで来たが、それは正解だったようだ。
カイさんが補足するように言う。
「だから、アグリ君が売るこの米も、はじめはあまり売れないかもしれない」
「信頼がないからですか?」
「あぁ。誰でも一度はちょろまかされた事があるからね」
4人で馬車に乗り、孤児院を目指す。秋の日差しが差す中、俺は考えていた。
組合員の代表者が集まる寄り合いを開いた際、米の値段を発表した。それは、一般に売られている米の役1.5倍にもなり、けして安い値段ではない。だが、これだけしないとコポーションが成り立たなっくなってしまうとジュリが言った。それでも最初の計算では約2倍だったが、何度も計算し無理を言ってここまで下げてもらったのだ。これが吉と出るか、凶と出るか。
カイさんとケシルさんが言っていた、信頼度の事も気になる。これまで培っていた野菜や惣菜の信頼とはまた別になりそうな予感もあり、俺の心臓はかなり早い。
「これで良いか?」
ロットとリユンが馬車から米を下ろし、それをジュリが記録する。俺が確認して、頷いた。
院の子供たちが食べるように3俵。店で売るように2俵だ。
小さい頃、店の下見をした時、ほとんどの商品が少量ずつばら売りされていた。アリアの店で売る場合も売れるのは1日か2日分の食料でまとめ買いはされない。そのこともあり、大量には売れないだろうとこの量の出荷に決めた。
院から、まだ半分は寝ていそうなリラヤが出てきた。
「明日からこれが主力商品?」
「あぁ、そうだよ。頑張って売って来て」
俺は店に立つ可能性のある子供たち全員を集めて、米の説明をした。実際に売るのは明日からになるが、米俵の開け方も伝える。
「あとー、これね。一升枡。 一杯単位で料金貰ってね」
これらは、リユンの正確な腕で作られている。一寸の狂いもないはずだ。
「これ私も食べたい!」
「僕もー」
そんな声を聞いて、俺の口はにやりと笑う。
「今日の夜ご飯に出してもらうから、楽しみにな」
そういう俺は、ロットとリユンとジュリそれにコニーを交え、すでに試食している。楽しみにしてくれているみんなの顔を見ると、反応が楽しみでならないのだ。
本店に向けて走り、許可書を持って町の中に馬車で入る。眠ぼけまなこで流れる景色を見た。まだほとんどの家は倒壊したままで、人が住める状態ではなかった。
「アグリ、あれ!」
ロットが俺を呼んだが、一瞬反応が遅れた。すぐリユンに揺さぶられ、ジュリと同じ方向に身をのり出して見る。すると、アリアの家の付近に人だかりができていた。10人、いや20人は居そうだ。ただ、なにか問題が発生しているような雰囲気は無く落ち着いている。余計に気になり、様子を窺いながら近づいた。
「おーい」
「おーい」
邪魔にならない場所に馬車を止め、謎の集団に歩み寄った。馬車に気付いた、人は大きく手を振って手招きしている。俺は「どうされたんですか?」と尋ねる暇もなく、一斉に喋り出した。もう何が何だか分からない。どうしたものかと悩んでいると、中からマリーさんが顔を出した。
「アグリ君、ごめんね。驚いたでしょう」
「あの、この方たちは?」
マリーさんと店に入り「実は」と話してくれる。俺は息を飲んだ。
「アグリ君、少し前から普段の生活に戻る許可を出したでしょ? 子供たちにも」
俺は頷く。地震があってしばらく経ち、余震も小さくなったことと、バーハルが終わりを告げた事もあり家からあまり離れないようにという制限を解いたのだ。
「それで、こっちに院の子供たちがロット君とリユン君に付いて来ていたの」
俺は「えっ」と声を出した。誰からもそんな話は聞いていなかったからだ。
「何をしに来てたんですか?」
「お手伝いよ。外に居る人の家の片付けとか、ごみの処理をしてたみたい」
「そうだったんですね」
マリーさんは、微笑みを浮かべて続ける。
「みんな、アグリ君の背中をよく見てたみたいね」
「どういう事ですか?」
「子供たちもアグリ君に助けられた。そんな姿を見て、今度は自分たちの出来る事をやりたいと思ったのよ。一人一人は小さな力だけど、外に居る人の心は確実に動いた。話、聞いてきてあげて」
俺は院の子供たちの顔を思い浮かべる。彼ら彼女は、どんな事を思ってそんな行動に出たのだろうと考えると、それだけで涙が出そうになった。
「私の家、親の思い出がたくさん壊れちゃって。でもみんな丁寧に扱ってくれたの」
「壊れたものを直せないか聞いてみるって言ってくれたわ。次の日には、大工さんが直してくれたって前よりも綺麗になって戻って来たの」
「俺なんて服も直って戻って来たんだ。娘も喜んでた」
「俺は妻を亡くしたんだ。もう何もかもが嫌になった。でも小さな男の子が来てくれたんだ。ずっとそばで一緒に泣いてくれた」
「あのお兄ちゃんすごいんだよ! 重い屋根を持ち上げちゃった!」
ありがとう。ありがとう。ありがとう。俺の耳に張り付くみたいに聞こえてきた。その子供たちが孤児院の子供だと彼らが知っているのかは分からない。でも昔、子供たちが感じていた偏見の眼差しはもうここには無かった。
本店で米の販売の準備を終わらせて、アリアを連れ孤児院に戻る。その頃にはもう雲が赤く味付けされていた。
「すっごい良い匂い!」
アリアが鼻を犬のようにくんくんと動かす。院の中で米がたかれているのだとすぐに分かった。米の風味を舌で感じるのだ。
院に入ると、ほとんどの子はすでに席についている。ゼイーフさんが土鍋を睨みつけ、白い湯気が大きな体を包み込んでいた。声を掛けようかと悩んだが、そんな雰囲気ではなかった。ご飯を食べる雰囲気でもない気すらした。
テーブルにはすでに数々のおかずが並んでいる。その中には肉料理もあり、今日の食事は一味違う事が分かった。
キッチンから「よし」と小さな声が聞こえ、みんなの背筋が伸びた。俺とアリアはゼイーフさんに茶碗を受け取って机に並べる。その間、誰も沈黙を破らなかった。
最初に口を開いたのはアリアだった。茶碗を持ち、さまざまな角度から米を眺める。
「きれい……」
真っ白な米。それはこの世界ではめずらしい。俺だって少し前に初めて見たくらいだ。
「ねっ! 食べていい? 食べていい?」
俺は笑って頷く。
「どうぞ。食べてみて」
その声を合図に、みんなの手は動き出した。ゼイーフさんの「熱いから気を付けろよ」という声は聞こえていないみたいだ。
「なにこれ!」
「甘い!」
「美味しい!」
「まったく違うわね」
俺も、炊き立てのサクライトを口に運んだ。つやつやで魔石の明かりを反射し、宝石のように輝くサクライトは茶碗の中で立っている。一粒一粒がお互いを支え合い、かつ独立している。噛んだ瞬間、甘さがふわっと広がり、鼻に抜けた。でもそれは後を引くことなくすっと胃の中に落ちて行く。
「うまい! 最高にうまい!」
間違いなく美味かった。自信を持って美味い米と出せる。
顔を上げると、みんなの茶碗は空になっていた。おかずは減っていない。みんなが俺の顔を見て、笑顔になっていた。
いつの日か想像した事が、目の前に起こっていた。大切な人に自分たちで作った物を食べさせるのは、こんなにも幸せなんだ。
「泣いてるの?」
アリアの人差し指が俺の頬をなぞる。それは一度では拭いきれない涙だった。
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