準備
「へぇー。サクライトかぁ。サクラってあのサクラ?」
横目で見ると、アリアが天に高々と腕を掲げそう言っていた。美味しそうな雲が漂う空の下、俺はアリアを後ろに乗せ馬を孤児院に向け進めている。アリアにはバレないよう、気持ちゆっくりと歩いていた。後ろでは、アリアが俺の腰に腕を回しぎゅっとつかまっている。
「そうそう! サンドリンで、候補を貰ったんだ。それをアレンジしてみた」
「お店に置くの楽しみだね」
しばらく馬を進ませていると、アリアが孤児院とは別方向である事に気付く。俺は少し寄りたい場所がある事を伝えて、海辺に向かった。
俺はもう何度も何度もここで貝を拾った。慣れたもので、砂浜に出る近道も知っている。だが今日は目的が違う。院の子供が見つけて来てくれた、綿を回収しに来たのだ。
「確か、この辺だって言ってたんだけど」
アリアと馬を降り、転がっている大きな岩をこえる。しばらく歩くが、見当たらない。すると海から3メートルほど離れた場所から「アグリ!」とアリアの声がした。見つかったのかと近寄ったが、そこには何もない。何もなかったのだ。
「これ、もしかして津波?」
アリアが指さした方向には、岩や木がある。その根元には流木や何かの袋などゴミが一塊になっていた。
「そうかも……」
もしかしたら、ここでも小規模ながら津波が来ていたのかもしれないと思える状況だ。震源が分からないため、どこから津波が襲って来たのかすら知るすべはない。
その後しばらく周辺を散策したが、綿らしき植物は見当たらなかった。塩害の対策として別の案を考えなくていけなくなってしまった。
俺たちは馬に乗って孤児院に向かった。
「そうだ、アリア。お祭りの方はどう?」
「うん。今日出しに行こうと思ってる。一緒に来る?」
俺が米の収穫をしている間は、アリアがお祭りの準備をしていた。大体の日にちを決め、場所や規模を確定させる。後は国に許可を貰い、日時を確定させる。それから、組合員に通知を出しそれらに向け計画を立てていく。そんな流れを話し合っていた。今日からは出来るだけ2人で動きたい。俺は一緒に行く事を伝え、孤児院の敷地に入っていった。
「あ! アグリ兄ちゃんとアリアお姉ちゃん!」
元気よく言った声が聞こえ姿も見えたが、誰かは分からなかった。すぐに背中を向け中に入ってしまったのだ。アリアと目を合わせ何だったんだろうと笑う。
「アリア、先に入ってて。畑見てくる」
「うん、分かった」
アリアの右手を持ち馬から降ろすと、軽く手を振って分かれた。何だか久しぶりな気がすると思いながら、畑に足を向ける。
「やっぱりすごいな。みんなに任せて正解だった」
素直にそう声に出てしまうほど、畑は整えられていた。ダリアさんが不在の中、ここまで綺麗に畑が出来るのはもはや才能と言っても良いかもしれない。正直俺の畑よりも綺麗なのだ。俺はもう収穫が見込めない植物の後片付けを後回しにしてしまう癖がある。それで、見ようによっては荒地にも見えてしまう。父にはよく注意されていた。さらに、縁側には鉢植えがいくつも置いてあり、花や鮮やかな緑が植えられている。面白い事に何かの木も植えられている。これはおそらく接ぎ木だろう。俺が教えたものを試しているのかもしれない。
「あ、やっぱりここに居ましたか」
中からライが顔を出す。アリアから聞いて来たようだ。
「お、ライ。どう? 調子は」
「はい。順調です」
「お父さんとお母さんは?」
「それがですねぇ。ここに来るときはもう時間の問題かもと思ってたんですが、ゼイーフさんの料理を食べられるようになってから、ひょっこり元気になりまして。顔色も良くて不思議なくらいです」
「そっか。良かったな」
ライは、やれやれというふうに笑う。それでも、嬉しさが勝っているのは誰から見ても分かった。
「この木、何の木なの?」
俺が縁側にあった、まだ40センチほどの木を指さす。葉には見覚えがあるが、なんだったか思い出せない。
「あぁ、これはですねぇ」
ライが溜めを作って頬を上げた。
「分かんない!」
ライが「アグリ君なら」と言ったので、俺も溜めを作り頬を上げる。
「分かる訳ない」
といっても、いつかは花が咲いたり実がなったりするかもしれない。そうすればいやでも思い出すだろう。
そんな冗談を言って笑っていると、奥から俺を呼ぶ声が聞こえた。アリアの声だ。玄関に回らず、縁側から中に入るとアリアは嬉しそうに俺を見た。
「アグリ! これ!」
「え、なにこれ」
アリアは俺なら見ればわかると思っていたのか、期待が外れて苦笑いを浮かべている。アリアの手のひらをもう一度よく見る。何かの種であることは見れば分かるが、何の種なのかは分からない。野菜の種より少し大きいようだ。2粒受け取って眺めると、もしかしてと植物の候補が頭に浮かんだ。
「これ、もしかして。綿の種か!」
「やっとわかった」
近くに居たラクスという小さな男の子が、俺の反応を見て笑った。
サラは俺を笑いながら、説明してくれる。
「アグリ兄ちゃん、これ欲しいって言ってたから。お手伝いになるかなと思ってみんなで採って来たんだよ。その時揺れて、放送があったから院に逃げてきたの」
それを聞いた瞬間、ぞぞっと背中が震えた。もしあの放送がなかったらと、考えたくも無かった。
そんな危険な事をさせてしまった自分にも怒りが湧いた。そんな場所に子供たちだけで言った事にも。だがそんな気持ちはすぐに飲み込んだ。地震は誰のせいでもない。たまたま起こったのだ。もちろん子供たちにも落ち度は何ひとつない。むしろ放送が功を奏し、それにしっかり従ってくれたことに感謝を示すべきだろう。本当にいい判断だった。すばらしい子供たちだ。
「そうだったんだ。本当に無事でよかった」
子供たちの活躍で綿を手に入れることが出来た。これで、ケンさんの敷地を――。
アリアと馬に乗り、次はお義父さんのもとへと向かった。
道中アリアに孤児院の様子を聞いた。店は現在休止中という事はロットから聞いていたが、お得意様には家まで商品を届けているのだという。そしてダリアさんの変わりはゼイーフさんが果たしていて、子供たちも信頼している様子がうかがい知れた。俺たちのコポーションの大人たちは、皆出来る事をやっている。それは子供たちも同じだ。そんな様子を聞いて俺の頬も緩んだ。
国王の家の敷地には、まだまだ避難している人が何人かのグループを作って生活している。この中には家を失った人もたくさんいるのだろう。
玄関には、警備をしている5人の屈強な男性が辺りを警戒しながら立っている。アリアが俺の前を歩き、玄関を通ったので俺も付いて行くと、止められてしまった。両腕を2人に捕まれ、すでに足が地面についていない。
「え、ちょっと!」
俺はお義父さんに貰ったバッチを見せようと手を動かすが、それが余計に不審な動きをしているように見えたのか、何か危険な物を出そうとしていると判断されたのか、より一層強い力で固められなすすべがない。涙目になりながら「アリアー」と叫ぶと、笑って助けてくれた。なんとかバッチを見せて、この無礼物!と言いそうになる口をふさいだ。俺はもうここの関係者だぞ。
アリアに案内されながら、いつの日か無断で侵入し暴れまわった廊下を思い出しながら国王の部屋へと向かう。これを思えば玄関で俺を止めるのも分かる気がした。あの警備の人は無礼でもなんでもなく、ただ仕事の責任をしっかり果たしただけだったのだ。
アリアが部屋のドアを軽く叩くと「誰だ」と声が聞こえる。
「アリアです。それとアグリも」
すると中から明らかに動揺が走ったのを感じ取った。
数分だろうか、抑えた声で「入れ」と聞こえ、ドアを開ける。豪華ではない椅子に座る国王と、その横に凛々しく立っているお義父さん。俺たちは深々と頭を下げた。
「で、なんの用だ?」
お義父さんが言った。俺は緊張して心臓の音が響かないように必死で抑えているというのに、アリアは声を出して笑った。
「なにそれ。なんでお父さんが緊張してるの」
アリアの笑顔を見て、お義父さんも力が抜けたようだった。「はぁ」と息を吐くのが聞こえる。
「アリアちゃん、元気だったかい? 久しぶりに会うけれど、綺麗になったね」
「ありがとうございます。体が元気なのは父譲りみたいです」
アリアが楽しそうに国王と話すのを見て、いい関係がこれからも続くのだろうと思った。
数分の雑談の後、アリアが本題に入る。
「お父さんには少し前に言ったけど、お祭りがしたいの。お米の収穫と販売の時期に合わせて収穫祭。冬に向けて英気を養うためにも、春に向けて忙しく働く人のためにも」
アリアが言葉を切ると、国王が言う。
「うん。そのような考えは良いと思う。だが、今じゃないとだめか? 今はまだ混乱が続いている。精神的にも疲弊している人は多い。楽しめる状況ではないと私は考えるのだが……、どうかね?」
アリアの口は珍しく止まった。
そんな声が出る事は分かっていた。町のみんながそのような状態にある事も重々承知している。現に俺が前の世界で経験した時も、同じような状況に陥っていた。被災地とは離れていたとしても、なぜか自粛しなくてはという雰囲気になっていた。そして経済が弱くなってしまったという話も聞くことがあった。
でも本当は逆であることを俺は知っている。こういう時こそなのだ。
「あの。それは違うと思います」
俺がそう口火を切ると、アリアも国王もお義父さんもじろりと俺を見た。
「こういう時こそ、動ける人は動き、ご飯を食べ、そして働く。この循環を止めてしまっては、復興もままなりません。いつまでも、後ろを向いていてはだめなんです。だから俺たちが前を向けるきっかけを与える」
落ち込んだ人。大切な何かを失った人。苦しくて辛い人。そんな人たちへ、俺は大して気の利いた言葉は出てこない。だから、食にそれを変わった貰うんだ。食べる事はそれが出来ると信じている。前を向けると信じている。
「だから、やらせてもらえませんか」
国王と、お義父さんは顔を見合わせて、小さく頷いた。
アリアが渡した書類にサインを書き、俺たちはお祭りへと準備を整えていく。
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