名前
サンドリンでも、着実に稲刈りが進んでいた。順次乾燥が終わった米を、脱穀していく。サンドリンでは人手が確保できる。普段農業をせず別の仕事をしている人も、この時は家族や親戚が集まり、手伝ってくれていた。ただ、これが苦手な人も居れば、リリアンのようにみんなでワイワイ仕事が出来る事を楽しんでいる人も居る。それぞれの考えを尊重したい。
脱穀についての指示を出し仕事をしてもらった。サンドリンには3台の脱穀機があり、数人で進められるので仕事は早かった。
昼休み、俺はひんやりと気持ちの良い地面に寝転がり、紙を眺めていた。青空とは程遠い天気だったが、寝転がっていると眠くなる。だが脳はしっかりと考えをまとめていた。紙には、米の名前の候補が書かれてありそれを小さく呟いた。この選択は、かなり大きな影響を及ぼしそうだ。
「サクラ。リンタン。サホジホク。ラッシャイト」
この紙に書かれている名前ひとつひとつには、考えた人の意味が込められているのだろう。だが、俺には分からない。何かから引っ張てきてくれているのは確かなようだが……。
「んー、分からん」
貰った紙を胸の前に置いて目をつむる。
この名前は、おそらくサンドリンにまつわる名前だ。でも、俺たちの米は何もサンドリンだけで作っている訳ではない。
「いや、待てよ。それもありか」
前の世界では、全国的に作られる米はいくつかあった。でもほとんどは、地域固有の名前を付け差別化を図り、ブランド力を上げていった。サンドリンでも、サンドリンで作った米という事を売りに出来るかもしれない。お客さんからしたら、外国のお米だ。話題性もあり、初めて米を売るには良いかもしれない。
「よし。サンドリンの米はこの名前から選ぼう!」
米は5文字と相場が決まっている。いや、最近ではその縛りも無くなってきているが。最初くらい5文字で良いだろう。この中で五文字はサホジホクだけだな。
「アグリさん」
名前を呼ばれて目を開けると、髪が垂れさがらないよう耳元に手でおさえているエリフさんが居た。困った様子で眉をひそめている。俺は、体を起こした。
「エリフさん、何かあったんですか?」
「脱穀機の調子が悪いみたいで……。少し見てもらえませんか?」
「分かりました。行きましょう」
よっこらしょと心の中で呟いて、エリフさんの後について行った。
米を保管する倉庫前では、3つのグループに分かれて脱穀をしている。その内2つは昼休憩を終えて、作業が再開されていた。
「これなんですけど……」
エリフさんが見せてくれた脱穀機は見ただけでは異変が無かった。だが、足で踏もうとしても動かず、こぎ胴が回らない。
「ちょっと見てみますね」
子供一人くらいの重さがある脱穀機を横に倒して、裏を覗く。するとすぐに原因が分かった。
「歯車に藁がかんでるみたいです。取れば大丈夫そうですよ」
この脱穀機を作るにあたり、リユンから様々な提案がされ、より軽い力で回せるように設計された。そのため、この脱穀機の設計図は覚えていた。ここで軽く分解し直してもいいが、俺がいつもここに居るとは限らない。「少し待っていてください」とエリフさんに伝えて、設計図をブロードさんが住む家にまで取りに行った。
「ここから外して。あ、いや。これを回すと取れるんですよ」
設計図を地面に広げ、説明しながら分解してもらう。すると思った以上に部品の隙間から藁くずや、草、米などが落ちてきた。おそらく、仕事終わり掃除をしていなかったのだろう。
「出来れば、一日の仕事が終わった後、軽く掃除をすると道具も長持ちしますよ」
「すみません。やってませんでした」
気持ちはすっごく、ものすごく分かる。俺も昔は掃除が嫌いだった。一日働き、くたくたの中機械を洗う。それに複雑な作りで単に水をかけるだけでは終わらない。土汚れは落ちず、洗わなければ、壊れてしまう事もあった。道具が増え便利になるとはいえ、仕事が減る事はなかったのだ。
ただはやり定期的にメンテナンスすれば、道具は長持ちしてくれる。いつかきっと分かる日がくるだろう。そのために俺が出来る事は、しっかりやり方を教える事だ。
「じゃあ、逆の順番で戻しましょうか」
エリフさんは器用な手つきで、部品をくみ上げていた。もともとこうゆう作業が得意なのかもしれない。
しっかり動くことを確認し、作業を再開してもらった。
「エリフさん。今やった事、みんなに教えてあげてください」
「分かりました!」
「あと設計図のここ」
設計図の特定の場所。字が太くなっている場所を指さす。
「ここを持ったり、掴んだり。ここを支えにして持ち上げたりすると折れるので気を付けてください」
「分かりました!」
後は、エリフさんに任せ俺は俺の作業へと戻る。
脱穀し、もみ殻を取った米を選別する作業だ。これも、リユンが懸命に作ってくれた道具で、良い働きをしてくれていた。
全体的な形は滑り台だ。上から米を流し、米が滑り落ちるとき選別される。これも俺の知恵ではないが、使えるものは使いたかった。米を流すと、パラパラと規格外の米が滑り切ることなく地面に落ちる。これは、家畜の餌として使えるだろう。
滑り台を3度滑り切った米は、薄いブラウンに輝いていた。このままでも玄米として食べられるし、精米すれば白米になる。もう立派な新米だ。そんな作業をしている小屋の中は、優しいまろやかな香りに包まれていた。
「もう美味しいと米が言っている!」
一日の作業が終わり、もうすぐ出荷できる状態になってきた。楽しみすぎて、胸が高鳴る。ただやはり名前を早く決めなくてはいけない。俺はもう一度紙を眺める。
『サクラ。リンタン。サホジホク。ラッシャイト』
「このサクラとは花の事か?」
近くに小屋の掃除をしているリリアンの姿を見つけて、声を掛けた。
「リリアン、少しいいか?」
ひょこっと顔を上げ「なーにー?」と近寄って来る。
「このサクラって何の事?」
どれどれと紙の文字を覗き込む。そう言えば、最近文字を勉強しているんだった。
「あぁー。これはね、あれの事だよ!」
リリアンは腕をぴんと伸ばし、空を見上げた。俺は「え?」と同じように見上げる。
「夜に白く光る丸いやつ! あれがサクラ」
なんだ、月の事かと思ったが、今思えばハナモモの花のような、うっすらとしたピンク色にも見えなくもなかった。
俺がそれを見上げていると、リリアンがサクラについて解説してくれた。
「あれね、何でかはわかんないけど、日によって見え方が変わるんだよ。まん丸で、ふちに黒い影が出来るサクラがリン。全く見えない時が、ホク。細長い時がイト」
月の満ち欠けのような物だろうか。前の世界でも、新月を意味する言葉があったはずだ。もう一生思い出すことはなさそうだが。
リリアンの解説を聞くと、貰った紙には同じ字が書かれてあった。なるほど、星を意味する単語なのか。
「サクラ、良い名前だな」
夕方が近づいたころ、サクラを眺める。まだ薄っすらとしか見る事は出来ない。でもとても綺麗だった。リリアンも、首が痛くなりそうなほど顔を上げている。
「もうすぐ、イトが見られる時期だっておじいちゃんが言ってた。サンドリンで見るサクラが一番きれいなんだって」
誇らしげに言うリリアンは笑顔だった。山を登るサンドリンでは、どこよりもサクラに近いからなのかもしれない。
この星の外がどんなものになっているのかは知らないし、知る人も居ないだろう。だが、この時期がイトであることは変わる事がないらしい。それなら、米を収穫するこの時期にはとても良いのではないか。
「サクライト。サクライトだ!」
いきなり大きな声を出した、俺に驚いて目を丸るくするリリアンに俺は笑顔で言う。
「サンドリンで採ったお米の名前を、サクライトにしよう!」
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