稲刈り
「集まっていただきありがとうございます。予定より少し早いですが、今日稲刈りの説明に入りたいと思います」
気合を入れて発した言葉だったが、一番手前に立っていたおじいちゃんが手を上げた。農家の中で最年長のターイラさんだ。角の一番小さい田んぼを担当していると、ブロードさんが用意した資料にはある。
「稲架がまだ用意できてなくて……」
稲架の材料は、かなり前にリユンが用意してある。イレギュラーな事態によって予定が狂ってしまったようだ。仕方がないので、本格的な稲刈りの開始は各自の判断に任せた。
「では今日は講習会にしましょう。タイーラさんの田んぼをみんなで刈って、それからは予定通りに」
稲架はこの人数で作れば、数時間もかからない。それからタイーラさんの田んぼを刈っても暗くなる前に終わるだろう。そうすれば、今日の内に帰れそうだ。
全員で田んぼに入る訳にもいかないので、鎌を持っている人を稲刈りに。残りを稲架の組み立てにと分けた。
「藁も、畑に使えるので出来るだけ長くしましょうか」
「リリアン、これ踏むと気持ちいいよ」
「エリフさん、細かく動かすと切れないので、一気に刃を引いてみてください」
稲に付いている米は十分の量があった。肥料不足で収穫量も減るのではないかと心配していたが、そんなことは無く成功と言っても良いだろう。
「アグリ! 見て! 採れた!」
「あぁ、すごいな。上手だ。でも鎌をこう持って稲はここを持つ。そうすれば手を切らなくて済むよ」
写真があればどれだけ綺麗で思い出に残ることだろう。黄金に光る階段。懸命に働く人々。風がささやけば、田んぼが歌を聞かせてくれる。あと重要なのは、みんなの気持ちかな。
ターイラさんの田んぼの稲刈りが終わった頃には、山の影が伸びていた。今リリアンが最後の束を縛っている。ジンさんから教えてもらった結び方をそのまま伝えると、上手に縛ってくれた。あの時、ジンさんの仕事を手伝いに行って本当に良かった。今思えば、あの時から俺の人生大きく変わったのかもしれない。
「出来た!」
リリアンが自信満々に言うのが聞こえ、それを稲架に掛けてもらう。達成感に満ちた顔が俺の顔を見る。
「お疲れ様です。今日はこれでおしまいですね」
「先輩、今日はもう帰るんすか?」
「あぁ、村でも刈らないといけないからな。乾いた頃にまた来るよ」
近くで俺のサポートに回ってくれたルツに、アリアとジュリに出る用意を頼んだ。一緒に稲刈りをしたメンバーは、家に帰ったり畑に寄ったり、その場で談笑したりしている。
その中から、最近結婚したという夫婦がやって来た。
「ブロードさんから、お米の名前を考えているって聞きました」
それを聞いてはっと思い出す。そういえばそんな事も考えていたんだった。またリリアンか、院の子供たちにでも考えてもらおうかと思っていたらすっかり忘れてしまっていた。
「そういえば、そうでしたね」
「それで、何人かで考えてみたんです。どんなものが良いのか、分からなくて。でもいくつか、候補に挙げたので見てもらえませんか?」
ありがたく、その小さな紙を受け取った。どんな名前があるか楽しみだ。
「ありがとうございます!」
アリアと合流し、仕事の内容を共有した。ジュリによれば事務的な仕事も問題なく進行しているようだった。
「アグリ、それとこれ」
ジュリが指を差し向けたのは、馬車の荷台だ。そこには抱えられる大きさの箱が積まれてある。
「なに?」
「サンドリンのみんなが。干し肉だって」
「え、冬用に作ってたんじゃないの?」
「私もそう言ったんだけど、まだ時間あるからって」
「そっか」
箱の中を覗いてみると、大量の干し肉の隙間に、塩が敷き詰められていた。カビが発生しないように、乾燥材の代わりだろうか。
馬車に乗って村へと出発する。アリアもジュリもルツも。見送る人に大きく手を振っていた。どこかで見た光景で微笑ましい。
途中、休憩のため馬車を止めると、ジュリが近づいて来る。
「アグリ、変わろうか?」
「え? ジュリが?」
何か変?と言いたげな顔だ。俺の疑問を察してか、胸を張ってジュリは言った。
「私もロットに教えてもらったの。お母さんは移動できないから、私がすぐ行き来できるようにね」
「そうだったのか」
「だから、変わってあげよう」
内心少し心配だが、ここで断るのも悪いと思い、その申し出を受ける事にした。
アリアもルツもまだ居ない。荷台に上がり、腰掛ける。ふぅと大きく息を吐くと、眠気が襲う。頭が一気に重くなり、瞼の制御が利かなくなった。
馬車を動かしていれば眠くなることは無かった。だがジュリの気遣いによって、俺の緊張は解けたようだ。えっと、明日は俺の田んぼの稲刈りを済ませよう。その後は、父の。その後は……。
疲れている。頭が働かない。真っ白な靄が頭を覆いつくしているようだ。意識は起きているのに、体は動こうとしない。こんな時、よく夢を見ていた。嫌な夢だ。でも今日は心地が良い。暖かく柔らかい何かに包み込まれている感じだ。このままずっとここに居たい。
良い匂いがする。甘い匂いでも、爽やかな匂いでもないのに、どうしてこんなに落ち着くのだろう。ここが俺の居場所だと世界が認めてくれるような気がしてくる。
頭を誰かに触られている。優しい手。細い指が髪をかきわける。気持ちがいい。体の中の鉛が溶け出し、軽くなっていく。俺はその手を、握った。
もうろうとする意識のなか目を開けると、暗闇に包まれていた。
声を出そうとした時、やっと今の状況を理解できるようになる。この心地いい場所は、アリアの腿だった。アリアは起きたのにも気づかず、俺の唇をふさいでいた。
「あ、起きた」
アリアの反応を見ると、俺はかなりの時間眠っていたようだ。ここは俺の部屋で、外は暗い。
「ジュリと、ルツは」
思ったよりもかすれた声で、自分でも驚く。
「ルツちゃんもジュリちゃんの家で休んでる」
「ジュリ、ミルさんと会えた?」
「うん、2人とも喜んでた」
「良かった……」
目を閉じて、アリアの顔に手を触れる。
「なーに」
「ん、なんでもない」
アリアが微笑んだのが手の感触で分かった。
「寝ようか」
「うん」
外の明かりが、瞼の上に浴びせてきた。体が朝だと理解した時、朝食の匂いが立ち込めていた。寝がえりをしてみると、髪の乱れたアリアがまだ眠っている。その安心しきった顔を見ると、俺は変われたことを実感できた。
「アリア、朝だよ」
頬に触れ、優しく撫でる。愛おしいアリアをもっとそばで見たいと思い、近づく。
「お兄ちゃん!」
「は、はい!」
「朝! 起きる!」
「今行きまーす」
ほんの少しで良いから、時間が止まってほしいそう思っていた時、ルツの元気な声が響き渡った。狙っていたのかと思ってしまう。
ジュリの家で泊ったルツと一緒に、稲刈りをした。焦ることなく、父と一緒にしたように。
日が真上に昇った頃、小屋の日陰でお昼をとって、体を休ませていた。今にも眠ってしまいそうだった時「お兄ちゃん」と声がかかる。
「ん?」
「みんな大丈夫かな」
「みんな?」
「うん。みんなぐちゃぐちゃの町で必死に働いてるんでしょ?」
雲が動いて日差しが一瞬強くなり、目を細める。ルツは上体を起こし、足元の名も無い花を撫でていた。
「心配?」
「少し」
「そっか」
「お兄ちゃんは心配じゃないの?」
ルツが声を大きくして、俺を見た。睨んでいるようにも見えるが、眩しいのかもしれない。
悩む質問だ。心配していないかと言えばしている。だからと言って、思い悩むことも助言を与えに向かう事もしようとはしない。なぜだろう。「んー」と唸り考える。
「米を作ろうと決めた時、俺だけが美味しい米を作れればいいとは思わなかったんだ」
「どうして? お兄ちゃんの作るお米が美味しければ、たくさん売れるし高い価値も付くんじゃないの?」
「それも……、そうかもね。でも、それは俺がしたい農業じゃない。俺は俺の農業を世界に広げたいんだ。そうすれば、世界のどこに行っても美味しい米が食べられるし、それに――」
「それに?」
「俺がこの世界から居なくなっても、美味しい米は作られ続ける」
いつの日か、賢治さんの言ったことが時々気になっていた。世代が変わり、新たなバーハルが来るとき、達人がこの世界にやって来る。毎回そのルールなら前の達人の技術が残っているはず。それが無いのは、不審な死を遂げているのかもしれないと。でもそうではないと思った。
この世界の様々な技術はそれほど発達しているとは思えない。バーハルのとき毎回そうであるなら、もしかしたら達人はこの世界に自分の知恵や力を伝授しようとしなかったのではないか。前の世界で当たり前にやってきて、それほど注目されなかった職業や技術でも、この世界では立ち回りによっては神のような存在になってしまうのかもしれない。だからこそ、自分の持っている物を与えようとしなかった。それでこの世界はいつまで経っても成長できずにいたのではないか。勇者なんて名前が出てこなかったのも、救われた実感がなかった。だから人々は、何かの技術に長けている人を希望を込めて達人と呼んでいったのではないか。
「俺が教えられることは少ないけれど、少しでも家の中で美味しいが増えたら嬉しいんだ」
俺はルツの方を向き、笑った。
「だからさ、これまで教えてきた人たちに任せられるなら、後は信じるだけだよ。そしたらいつかは、信じるなんて言葉もいらなくなる日が来ると思うから」
ルツの表情はあまり変わらなかった。小首を傾げ、解説を求めているようだった。でも、自分でかっこつけて言った言葉を自分で解説するのはさすがに恥ずかしいので知らないふりをした。
さて、稲刈りを進め、晴れが続くことを願ったのだった。
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