俺の仕事
アブイラムのことを考えていた。彼はこれまでの人生、どんな気持ちで歩んできたのだろう。昔の俺のような人生だったのだろうか。考えたって答えが出るわけではないが、どうしても頭に浮かんできてしまう。
「アブイラム……」
これから油を彼から買うことができないこともあるが、それよりも彼のこれからのことが心配だった。俺から助けの手を出すのは許されるのか。俺がそんなことをしてもいいのか。分からなかった。
「アリアならどうしてたかな」
これも答えが出るわけではないのに考えてしまう。
「早く、会いたいな」
頭の中は、アブイラムからアリアへと移り変わった。店に帰ってくると、どこか懐かしくも思える油の熱された匂いが鼻をつついた。メセデが店でコロッケを揚げているのだ。店の前には、5人の人が列を作っている。俺が店に近付くと、メセデは笑って手を振った。
「アグリさん!」
「お疲れさま。どう、調子は」
俺はそうやってメセデに問いを投げたが、答えはすでにそこにあった。
「ありがとう、ありがとう」
「本当に、助かります。もう私どうしたら良いか分からなくて……」
「美味しい……、こんなにも……」
良かった、本当に。そう思った。間違っていない、俺たちは。お客さんの声を間近で聞いてひしひしと思う。お客さんといってもお金は貰っていない。地震でお金を払えない人も居るからだ。
作り手が笑顔で渡し、食べた人が笑顔になる。これが俺のしたかった農業のひとつだ。しかし、まだ俺の仕事は残っている。まだ、笑顔に出来る人はたくさん残っている。
「メセデ、みんなが帰ってきたら伝えてくれ。俺は俺の仕事をしてくる、と」
メセデは、パッと顔を明るくし俺の目を見た。そして、いままでに見た事がないほど自信に満ちた顔で言い放つ。
「はい! 今度は、俺たちがアグリさんと同じことをする番です!」
メセデの言葉に嬉しくなって、心が震えた。
たくさん失敗した。たくさんみんなに頼った。それでも、俺の想いは伝わっていたみたいだ。
走って馬に乗り、叫ぶ。
「任せた!」
アリアに言った、迎えに行くの言葉。アリアたちが無事と分かってもその約束は変わらない。アリアも、ルツもきっと待ってる。
まず俺の村、ツィスに到着した。畑や田んぼを横切る道を通ると、俺の名前を呼ぶ声が飛んでくる。それに応えるように手を高く上げた。村は聞いていた通り、大きな被害は見られなかった。近くに居た人生のベテランによると、家の中で小さい物が落ちたくらいらしい。棚自体が倒れたりはしなかったよう良かった。油断をしないようにだけ伝え、先に進んだ。
ロットの家に到着すると、お目当ての物をすぐに見つけ準備を開始した。
物音が聞こえ、出てきたロズベルトさんに気が付き会釈をする。
「アグリ君、アリアちゃんの所に行くのかい?」
ロズベルトさんはすべてを知っているように、前置きも無く言ってきた。
「はい、これから」
前を向いてはっきり言った。
「そうか」
ロズベルトさんが、下を向き少し間を置いた。それをじっと見ていると、ロズベルトさんの笑った顔が俺を見る。
「行ってこい。気を付けてな」
「はい!」
「ロズベルトさん。本当になにからなにまでありがとうございます。ロットにもお兄さんにも助けてもらってます」
ロズベルトさんは「そうかそうか」と俺の背中を軽く叩く。
馬車の準備が出来て、出発する直前ロズベルトさんが小さく言った。
「任せて、良かった」
その言葉に振り向くことなく「行ってきます」と言った。
サンドリンに寄ろうと馬車を止める。山に囲まれた景色から、ひとつ長く伸びた影がこちらに向かって伸びていることに気が付き目を細めた。あれはきっとリリアンだな、と思っていると息を切らして大きく手を振る女の子が俺の胸に飛び込んできた。
「アグリ! 良かった、良かった!」
「リリアン、無事みたいだな」
俺の言葉は耳に届かなかったようで、心に詰まっていた言葉が濁流となって押し寄せてきた。
「ブロードが帰って来たと思ったら、地震とか、津波とか、全然分かんなくて。アグリとも離ればなれって言うし。町は酷い状態だって言うし。もしかしたら全部壊れてしまかもって、みんな、みんな。怖かったよー!」
優しく頭を撫で、落ち着かせる。
「ありがとう、リリアン。大丈夫、壊れたりなんてしないよ」
涙と、鼻水が顔全体に付けたリリアンが俺を見上げた。
「本当?」
「あぁ、本当だ。俺に、任せろ」
この世界に来た時、こんに自信を持つことになるとは思わなかった。世界が変わっただけ。自分の出来る事は変わっていない。それでも。ひとつひとつの行動が俺を変えた。みんなの信頼が俺を変えた。そして、世界を変えるきっかけになった。このまま、最後まで……!
「アグリ、苦しい」
空を見上げていたら、気付かない内にリリアンを強く抱きしめていたみたいだ。
「あ、ごめん」
腕の力を抜いてから、小さく「よし」と呟いた。
「リリアン、仕事を頼んで良いか?」
「うん!」
「明日アリアとサンドリンに来るから、それまでに農家を集めといてくれないか?」
「何かするの?」
「うん。稲刈りだ!」
リリアンに大切な仕事をお願いして、サンドリンを後にした。
秋は寂しい匂いがする。葉は色が変わって朽ちていく。種を落とす植物は、その芽を見る事は出来ない。それでも、自分の蒔いた種が芽吹くことを確信している。たとえ農家がいつ芽を出すか分からなくても、それは必ず実を結ぶ。10倍、20倍。時には100倍にも。俺は今、それを見ているのかもしれない。
「アリア!」
ジンさんの田んぼを回って、アリアを探していた。ケンさんのあの場所に到着した時、アリアが1人海を眺めているのが見えた。すぐに馬車を止めて走る。
「アリア! アリア!」
「アグリ!」
名前を何度も呼んだので、気付いてくれた。アリアも立ち上がって走って来る。
「アリア! 良かった、本当に」
「アグリも、元気そうね」
固く抱きしめ、存在する事を感じる。シャウラさんに聞いた声だけでは払拭できなかった気持ちも、今では消えてしまっている。
「会いたかった」
「私も」
何から話せばいいものか。あれもこれも話したい。頭を整理するように、息を吐きまずアリアに伝えるべきことがあった。
「ありがとう、アリア」
お礼を言うと「なんのこと?」と不思議そうに首を傾げる。
「生きててくれて。そして、みんなを救ってくれて」
アリアは笑う。
「うん。アグリもよく頑張ったね」
それからアリアに連れられて、ルツとジュリに会いに行った。ルツはアリアから宿題を出せれていたようで、魔法で何かの作業をしていた。
ジュリの頭にはタオルがきつくまかれていた。
「もう、傷口はふさがっているけど大事をとってね」
「そっか。でも元気そうで良かったよ」
やはり、アリアがしっかりと治療してくれていた。それに、ジンさん家にも応急処置で使える物が蓄えられていたという。村の人もそれで救われたらしい。
「明日にもサンドリンにみんなで行こうと思っているんだけど、ジュリも大丈夫そうかな?」
ジンさんの家の一室で、待機してもらっていた3人に今後の予定を話した。
「私は大丈夫だよ」
「私も帰りたい」
ジュリもルツも、そろそろ体力の限界を迎えそうだ。ただでさえ、非日常のことが起きたんだ。出来るだけ早く、自分の家に帰りたいだろう。
「アリアも、それで良いかな?」
「うん、アグリと一緒ならどこへでも」
俺は頷いた。
明日、サンドリンに良き稲刈り作業の指導を行って夜には家に帰るという予定を決めた。
「じゃあ、ジンさんに言ってくるね」
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