心の
ライックさんの店に入った。
「えっ……」
喉の奥から漏れ出た反応が正直な感想だった。ライックさんの店は、他の場所よりも物は多い。それなのに、何一つとして物が散乱していない。それどころか、埃すらも綺麗に取り除かれていた。どういうこのなのか、呆然と立ち尽くしていた。
ライックさんが生活している奥の部屋から、声が聞こえてきた。それに別の女性の声もする。覗きに行くのも悪いと思い、今の場所から大きな声で呼んでみる。
「ライックさーん! アグリでーす! ライックさーん!」
何度か名前を叫んでみたが、返事は無い。仕方がないので、部屋のドアの前まで来る。先ほどよりも声がはっきりと聞こえる。
「ん……?」
聞き覚えのある声だった。しかもかなり最近のような気がする。
「ライックさーん!」
また大きな声で呼びかけると、ドアが勢いよく開き急いで身を引いた。
「なんだ」
「やっぱり、シャウラさん」
「アグリか。なんでこんな所に」
「ちょうど良かったです。2人にお願いがあって」
小さなため息をもらしたシャウラさんは「入れ」と部屋に招き入れてくれた。自分の部屋でもないのに勝手に……。だがそれもシャウラさんらしい。
中にいたライックさんにも会釈をして、2人の前に座った。
「ライックさんは怪我も無かったんですか?」
「うん。僕は大丈夫だったよ。ありがとう」
少しそっけなく聞こえる返事は、違和感があった。聞いても大丈夫だろうかと悩む前に、声に出してしまっていた。
「何かあったんですか?」
ライックさんは、少し悩むようなそぶりを見せた後、話してくれた。
「実は、実家がカタットの海側にあるんだ……」
「それは心配ですね」
「放送を聞いて従ってくれてればいいんだけど。父は頑固だから……」
すると、シャウラさんが口を挟む。
「それで、見に行ってくれないかってさ」
「シャウラさんに?」
「あぁ。自分で行けって言っても、店があるからってな。こんな時に誰も来るわけないってんだ」
それを聞いたライックさんは口を閉ざしてしまった。心配になるのは仕方がない。安否を遠くから確認できる術はこの世界には無いのだ。それに、実際に足を運んだとして、カタットに行く事が難しいという問題もあった。
「あの、カタットへ向かう時に通る橋あるじゃないですか。あれって一か所しかないんですか?」
天井を見上げて、頭の中でルートをたどっている様子の2人は、顔を見合わせた。
「僕も、いつも通る橋しか知らないな」
「俺も、あそこしか通った事ない」
「そうですか」と呟き、あの橋が地震で崩れてしまった事を伝えた。
「あそこも、津波の影響があるかもしれませんし……」
ライックさんは、余計に不安になったのか急にそわそわしだしてしまった。
「アリアが今カタットに居るんです。別れる時、避難誘導もお願いしたので……」
最後まで言う前に、シャウラさんとライックさんが立ちあがった。
「ばか、それを先に言えよ!」
「え?」
「まぁまぁシャウラちゃん。でかしたよ、アグリ君。よくそれを話してくれたね」
「何の事ですか?」
そんな質問にも答えてもらえず、ライックさんは別の部屋から杖を持ってきた。それを床について、顔の前にある杖の先を、何やら時計回りに回している。と思えば、同じ軌道で戻す。そしてまた時計回りに。何をしているのかと棒立ちになる。
「アリア! 聞こえるかアリア!」
急にアリアの名前を呼び始めたライックさん。だからといって、アリアからの反応が俺に聞こえてくるわけじゃなかった。一瞬、電話のような物がこの世界にあるのかと思ったが、アリアからもそんなのは聞いた事がない。ただ、ライックさんの言葉は、誰かと話すようなものに変わっていく。
『僕だよ、ライック。うん。うん。良かった』
「え、ライックさん?」
『いや、それは、ごめん。うん。あの、ちょっとお願いがあるんだ。今アグリ君から、君がカタットに居るって聞いて……』
これって、もしや話せているのではないだろうか? そんな事が出来るのか?
『え!? うん、無事みたい。え? みんな? ちょっと待って』
ライックさんは、俺の顔を見る。
「アグリ君ごめん。アリアちゃんが、みんなは無事かって」
俺は何が何だか分からないまま、動揺を隠すことなく答えを口に出した。
「はい、みんな無事です。ブロードさんにも会えたし、マリーさんもお父さんも無事です」
小さく頷いたライックさんは、また杖をマイクのようにして俺の言った事をそのまま声に出した。
『うん、そうみたい。うん。えっと、僕の実家を確認出来たりしないかな? カタットの……』
しばらくライックさんの口は動かない。
『そっか、ありがとう……』
「ライックさん!」
俺は、ほんの数秒で何かが切れてしまいそうな気がして、割って入る。
「あの、ルツとジュリの事をアリアに!」
またさっきと同じように頷いたライックさんは、アリアにルツとジュリの名前を伝えた。
『うん。そっか。わかった。うん、伝えとく。ありがとう』
ぷつっと切れる音の幻聴が聞こえ、どっと体が重くなった。アリアとほんの少し、繋がれた気がしたのだ。それを見かねたシャウラさんが「ルツもジュリも元気だとよ」と優しく言ってくれた。
「そうですか。良かった」
気付けば、ライックさんも椅子に深々と座っている。
「ライックの親も、無事だとよ。学生の時一緒にライックの家に行ったことがあって、それを思い出したんだってさ。良かったな」
「そっか、無事だったんだ」
安心するとやはり疲れが出るようで、3人共しばらく経つことが出来なかった。
「ところで、ライックさんがアリアと話したのってどうやるんですか? 俺にもできますか?」
「無理」
2人から即答された。もうちょっとオブラートに包んでくれればいいのに。
「声に魔力を込められないと出来ないんだ。それに、魔力として伝わってくる物を自分で変換しないといけないから。魔法使いでないと出来ないんだ」
「でも、それならエミヤとかホシャトもできるんですか?」
それが出来れば仕事の効率が上がり、コストも減らせそうなのだが。
「無理」
「えぇ……」
「学校卒業試験のひとつにもなってるからな。卒業生じゃないと出来ない魔法だ」
魔法というのもそう簡単に理解できる物でもないらしい。
とはいえ、アリアも元気そうだった。それに、ライックさんの両親の無事も確認できたし、ルツとジュリの無事も。収穫は大きかった。
少し落ち着いてから、シャウラさんが「お願いがあるんだったな」と話を戻してくれた。俺は頷いて、2人にお願いをした。
まず、ライックさんに余っている魔石が無いかと聞いた。確認してもらうと、さすがはサービス業。200個ほどの魔石が使用できると分かった。それを快いく譲ってくれることになった。
「ありがとうございます。助かります」
「良いよ。こんな時こそ助け合いだから」
次にシャウラさんへのお願いは、ホシャトの指導だ。現在、エミヤはアリアと一緒に居るので働ける魔法使いはホシャトのみだ。ホシャトには魔石に魔力を込めてほしいのだが、1人だと不安だろうという事でその監督役をお願いしたいのだった。
「まぁ、構わんよ。アリアの家だろ? 楽しみだ」
何が楽しみなのかは分からない方が良さそうだったため、試行を止めた。
「ありがとうございます。本当に、いつもいつも助けてもらって」
その後、ライックさんとシャウラさんは、魔石を大量に抱えて店に向かってくれた。マリーさんもホシャトも居るので、俺は行かなくても問題は無いだろう。
俺は別の取引先にも無事を確認しに行くつもりだった。そこはいつも油を買わせてもらっている、アブイラムの作業場へと。あの家は作業場と寝泊まりする家が併設されているため、被害があれば生活もままならないはずだ。何か力になれる事があるだろうか。
「誰かいる。アブイラム?」
家に近付くと、人影が見えた。背格好的にアブイラムで間違いないが、1人で何をしているのだろう。距離を詰めていくと声も聞こえるようになる。
「ははは……。ぶっ! はっはっはっ!」
アブイラムとの距離が、3メートルほどにまで近づいた時、腹を抱えて馬鹿笑いを続ける姿で足が凍った。
「ざまーみろ! ははは! やった! やったぞ! これで自由だー!」
いつの間にか後ずさりしてしまっていた。目をぎゅっと閉じてからアブイラムが見ている方向に視線を向ける。それは、衝撃的な物だった。
「アブイラム……。これ……」
気付かれて、こちらに振り向いたアブイラムは、俺を見て笑った。
「あぁ。アグリさん。見てくださいよ、これ」
アブイラムが指をさすものは、ただ崩れ落ちた家と作業場ではなかった。辺りに異臭をまき散らす、焼け焦げた灰だった。昨日、あちらこちらから火の手が上がっているのは確認していたが、その1つがここだったなんて、思いもしなかった。徐々に体が熱くなってきているのを感じた。
アブイラムは笑いを堪えながら、声を絞り出す。
「申し訳ないっす。もう油は一滴もありません。親もどこに居るのか。だから、もうあんたとも会う事は無いっす。じゃ」
そう言って、アブイラムはふらふらと歩きだした。俺はその肩をひっつかもうとして、踏み込んだ足が動くのを止めた。アブイラムと初めてあった時、作り笑顔が昔の俺に似ていた事を思い出した。親からの暴言、家が仕事を持っているというだけで手伝わされる人生。こんな世界、壊れてしまえばいいのにと願う毎日。そのどれも、昔の俺と同じだった。ただひとつ違うのは、アブイラムは本当に壊れてしまったという点だ。アブイラムがこれからどう生きていくのか俺には分からない。でも今俺が出来るのは、両親を探しアブイラムの帰る場所を作る事だろう。
アブイラムの今の心の形が完成でない事を願うばかりだ。
Next:俺の仕事