始まり
ジュリにサムソンさんの件を伝えた。結果的に組合員の1人を失う事になってしまった。それでもジュリは「それでよかったんじゃない?」と言ってくれた。それだけで随分と心が軽くなった。
「そんな人が作るお米、美味しいとは思えないし」
そうバッサリ言い切ったのは流石としか言えない。幼馴染の3人が居たからここまでこれたし、今でもこうして立ってられるんだと改めて思った。
「後はこっちでしておく」
「ありがとう。助かる」
きっとこれからもこういう話は出てくるだろう。でもその時は、みんなで対処すればいい。
稲が緑色から黄金色に変わる頃、夏の空気も過ぎ去っていた。天に伸びていた穂先は垂れ、今か今かと収穫の時を待っている。組合員みんなに収穫時期の通知を出してからは、休む暇もないほど皆忙しく動いている。先日、それぞれの支店に選別機とはかりを送った。数は全然足りないが、随時追加していく予定だ。
風にあおられ、穂が波のように揺れ動く様子を、父と見ていた。田んぼの中央より少し右のあたりは強風の影響を受けて少し倒れていた。
「ここまでよく頑張ったな」
父は俺の頭を撫でている。もう子供じゃないとも思ったが、悪い気はしない。父は少し皮肉も込めて来年の事を話し始める。
「アグリの米が父さんの米より美味しかったら、来年はアグリがしたように作ってみるかな」
俺はその皮肉に答える。
「高く買いますよ!」
もとはと言えば、この村から農業を変える予定だった。しかし、サンドリンでの事故があって順序が逆になった。来年からはこの村からもブランド米を出せるようにしたい。
「お父さん」
「ん?」
俺は少し緊張しながら父の顔を見た。こんな事、いくら父でも躊躇してしまう。
「えっと……」
「うん」
口ごもる俺を父はじっと待つ。父はいつも俺が話せるまで待ってくれる。
「アリアに、伝えたい。俺の気持ち」
俺が小さく、でもしっかり言うと父はゆっくり「そうか」と言って続ける。
「良いんじゃないか。アグリが決めた事なら」
「うん!」
伝えた後でも、心臓が激しくリズムを刻んでいた。
アリアとの約束。俺が自信を持てるまで待ってくれ。その答えが出た。いや。正確には、みんなが答えを引き出してくれたのだ。
支店長を決める理由のひとつに、アリアとの生活が頭にあった。アリアがこの村に来るのか、俺がアリアの家に住むのか。だから俺は、クラリネ支店をメセデに任せここを俺とジュリがとりあえず引き受けた。アリアは気付いていないかもしれない。実行の日までもう少し……。
稲刈り開始まであと10日。準備が整ってきた頃、俺たちコポーションのメンバーはジンさんに挨拶をするため、カタット向かった。俺が初めてジンさんに会った時、友達を紹介するという約束を果たすためだ。サンドリンでの事故の時、何人かは顔を合わせていると思うがあの時はバタバタしていた。今日はゆっくり紹介できるだろう。
全店定休日にして朝から馬車に乗り、寄り道しながら昼前にはジンさんの家に到着した。今回は事前に連絡を入れてあるので、家に居るだろう。
「豪邸だね」
「俺も最初同じこと思った」
リユンが高い屋根を見ながら言う。あれから様々な出会いをしたが、一般の家でジンさん宅が一番の豪邸かもしれない。
そう言えば、エブリイさんの子供はもう生まれたのだろうか。
「こんにちは。アグリです!」
玄関のドアを数回叩き、呼びかける。「はい」と優しい声が聞こえて、ドアが大きく開いた。見えてきたのは、ターナさんだった。
「よく来たわね、みんなも。さぁ、入って」
「ありがとうございます」
ぞろぞろと中に入る。中で迎え入れてくれたのは、ジンさん、ケンさん、エブリイさん。そして、エブリイさんの胸の中には小さな命が暖められていた。
「ジンさん!」
俺は3人に駆け寄って握手を交わす。
「よく来たな。待ってたよ」
「ありがとうございます」
「アグリ、久しぶり」
「ケンさん、お久しぶりです」
ケンさんは初めてあった時とは印象が違う。父になると雰囲気も変わるのだろうか。
「久しぶり、アグリ。元気だった?」
「はい! エブリイさんも元気そうで何よりです」
俺はエブリイさんが抱いている子を見せてもらった。頬がお餅のように膨らんで、愛くるしい。どちらかと言えばケンさんに似ているだろうか。鼻はエブリイさんのようにしゅっとしている。
「イークよ。可愛がってあげて」
「イーク。よろしくね」
優しく頬を撫でると、こそばゆそうに口をすぼめた。
「みんな、座って。疲れたでしょう。ご飯食べましょう」
机に並べられていたのは、たくさんのパンと挟む具材だった。野菜やお肉を始め、果物もあった。みんな「ありがとうございます」と言って席に着いた。
「アグリ、みんなの名前を教えてくれるか?」
「はい!」
やっと友達を紹介できる嬉しさと、想定より多い人数になってしまった事を笑いながらひとりひとり紹介していく。
アリアは婚約者で自分の体のように大切にしたい存在だ。リユン、ロット、ジュリは幼馴染、みんなが居たからこれまで頑張れた。リラヤ、メセデ、アルタス、サラ、ライは孤児院の子供で将来を担える能力があって、みんな頼りにしている。ブロードさんとエミヤ、ホシャトはサンドリンで働いてくれている。サンドリンの復興に多大な努力を払ってくれた。そして自慢の妹ルツ。世界最強の魔法使いだ。みんなそれぞれ苦手な事や出来る事は違うけど、支え合って仕事をしている事を伝えた。
「ありがとう、アグリ。すてきなお友達がたくさんいるんだな。小さかったアグリが立派になったもんだ」
「そうね。寝坊ももうしないのかしら」
「筋トレは続けてるのか?」
「絵本は書かないの?」
ジンさん家族がニヤニヤしながら俺の顔を小出ししてくる。みんな何の事? と小首を傾げている。
「ちょっと、その話は止めてください!」
ジンさん家族はどっと笑った。俺は冷や汗が額を伝った。
ジンさんの家に滞在したのはほんの数時間だ。この日が終われば仕事が始まる。ジンさん達もこの日に合わせて仕事を休んでくれたことだろう。
「みんないい人たちね」
「うん」
ケンさんがこれから立ち上げていく、見せる農業の土地をアリアと見ながら今日あった事を思い出していた。測量がすでに終わっていて、たくさんの資材が並んでいる。たくさんの人が働いていて、これから本格始動のようだ。ケンさんにとっても、新たな人生が始まるのだろう。
そんな光景に胸を躍らせながら、俺は素朴な疑問をアリアにぶつけた。
「アリアは、変化したい? それとも安定を望む?」
「何、急に」と笑みを浮かべて聞いてくる。
「どうせアグリは変化を望むでしょ?」
「そうかも」
「私は……」
少し間があり、気になってアリアの顔を覗き込んだ。
「アグリと一緒なら、どこへでも」
俺は嬉しくなってにやけ面を隠すように「そっか」と呟く。それから静かに息を吐いた。
アリアの手を取って、両手で薄い手のひらを挟む。アリアは不思議そうに俺を見ている気がした。
手汗が出ていないか。このうるさい心臓の音が聞こえていないか。アリアは首をどの方向に動かすのか。声が上手く出ない。ずっと練習してきた言葉。たった一言が、口からなかなか出ない。アリアが優しいから、ずっと俺の事を待っててくれている。そんな時間が、余計に俺の喉を詰まらせる。
「ア、アリア」
「ん?」
他の言葉を出そうとして、アリアの名前すら躓いてしまう。こんなにも緊張してしまうなんて想定外だった。そうと分かっていれば、対策で来たのに。
でも、言わなきゃ、言わないと変われない。
俺は大きく息を吸って、倍の時間をかけて吐いた。いける。
「俺は変わる事で成長できると思ってる。それが間違った選択でも、それを乗り越えるための力を得られるから。これからも変わっていきたい。1人じゃなくて君と一緒に、いつまでも」
「うん」
顔を上げてアリアの目を見た。宝石のように美しく、星のように輝くその瞳に俺が映る。アリアの頬は少し赤くなっていた。
「俺と、結婚してほしい。ずっと君と一緒にいたいから」
アリアは目に涙をたくさん溜めて、ひときわ輝いて見える。
「はい。よろしくお願いします」
さっきまでうるさかった心臓は籠って聞こえ、胸の右側でもっと大きな鼓動がなっている。アリアの目から伝う涙は、俺の頬にまで伝わってくるのだった。
――――――――――
「ありがとうございました」
たくさんのお土産を貰ってしまった。それらをロットとリユンが馬車に積んだ。2台で来てよかった。
「気を付けてな。またいつでも遊びに来い」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言うと、ジンさんが俺を強く抱きしめる。
「アグリなら大丈夫だ。アリアさんと一緒に幸せになれよ」
「はい!」
これが男と男の約束なのだろうか。人生においても、農業においても、夫としても。大先輩のジンさんにはいつまで経っても頭が上がらないだろう。これからも遠慮なく頼れる存在だった。
2台の馬車の中からみんなでジンさん家族に大きく手を振った。エブリイさんは、イークの眠っている腕を優しく持ち上げて、小さい手を振っていた。
見えなくなるまで手を振ってから、気付いたことがある。
「ブロードさんたち、こっちから帰った方が早いんじゃ……」
「いやー、父に呼び出されていてね。たぶん入国と出国の件だと思う。エミヤとホシャトも家に泊まらせるよ」
ブロードさんにはブロードさんにしか出来ない仕事が山ほどあるようだった。
徐々に海の香りも消え始め、日の傾きが増していく。小さな橋を渡っていると時、前を走るロットの馬車が、停止した。連鎖するように俺も馬に止まれの指示を出す。
「どうしたんだろう」
身を乗り出すようにして前の様子を窺う。すると、馬車を降りたのはホシャトだった。ロットに伝言を頼まれたのか、こっちへ歩いて来る。よく見ると、ロットとリユンが深刻そうな顔になっているように見える。近くに来たホシャトは俺を見上げて言う。
「ロットさんが、馬の様子が変だって。この先で一度休憩を挟みたいと」
「分かった」
場所はジンさんの家があるサウルとクラリネの港町とのちょうど真ん中あたりだった。まだカタットの中だ。ロットが馬を止めるまでしたんだ。よっぽど違和感があるに違いなかった。
ホシャトはロットの馬車の方に向き直り、歩いていく。ロットに俺の返事を報告し、馬車に乗り込もうとした瞬間、俺が手綱を握る馬二頭が同時に声を上げた。
「何だ!?」
焦りを露わにしている馬が、今度は前足を高々と上げる。みんなが乗っている荷台は揺れ、小さな悲鳴が聞こえた。
右側の馬が立ち上がったせいで左側の馬が急に引っ張られる。さらに馬車は揺れた。
「みんな! 摑まれ!」
こういう事態でも、俺が焦ってはいけないとロットからよく言われた。馬がパニックを起こした時、人間も焦ってしまえば収拾がつかなくなるそうだ。俺は伝授してもらった方法を活用し必死に馬を落ち着かせることに徹した。前の馬車でも同じことが起こっているのか、激しく揺れる。
馬を馬車から引き離す事も考えたが、前にロットの馬車があり不可能だった。それにホシャトがまだ馬車に乗り込んでいない。ロットの動きを待つしか出来なかった。何とか馬を落ち着かせることに成功し、後ろのみんなに降りるよう指示を出した。今は、橋の上に居るためだ。ロットが前に進むまで、いったん避難してもらおう。
アリアを中心に馬車から降りて、橋の手前まで戻ってもらった。ロットも同じことを指示していたらしく、ぞろぞろと降りて橋の奥側へと渡った。
ホシャトだけが俺の方に歩いて来る。ホシャトの声が俺の耳に届く距離まで来たところで、俺の心臓は跳ね上がり脈のスピードを上げていく。海がある方角から、雷のような音が轟いているのが聞こえたのだ。俺は海の方角へと顔を向ける。数秒後、コトコトと馬車が鳴り始め、次の瞬間ドンっと地面が揺れ始めたのだった。体温がすぅっと下がっていくのを感じ、反射的にホシャトに叫ぶ。
「戻れ!」
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