出荷準備
どんなに疲れていても、朝は自然に目を覚ますようになった。昔はアラームがあっても起きられなかったが、こんなにもすんなり目を覚ます事に自分でも驚いている。
昨日は家に帰る予定がそのまま寝てしまった。商品の準備は全くしていないので、今日の収入はゼロだろう。ダリアさんとロットが外で話しているのがうっすらと聞こえてくる。もうすぐ出発のようだ。俺も急いで支度をして、外に出た。
「どうしたんだ、その顔。腫れてるよな」
「えっ、アグリ。どうしたの? 大丈夫なの?」
今日に限って、ジュリも馬車の中にいた。そして奥からルツの姿も。
「お兄ちゃん!?」
ロットとジュリの声を聞いて見に来たルツはそっと俺の頬に触れる。
「大丈夫だよ。ほっとけば治るから」
「だめ。アリアちゃんに見てもらって、ちゃんとお医者さんの所に行くから!」
アリアが居れば基本的な怪我は大丈夫だろう。アリアに治してもらおうとは思っていたが、ルツがそれで治まるかどうか……。
「ジュリ、後で少し話せるか? 組合の事で」
喋りづらいので、わざとに大きく口を開いて話す。少し痛むがしばらくの辛抱だ。
「分かった」
何かを察したジュリは、すぐに頷いた。組合の事は、ミルさんとジュリに任せっきりのため、俺が対応するより早いだろう。
稲刈りの準備を始める季節がやって来た。人員を始め、道具や設備、出荷を取り決めていかないとならない。今日はそのための集まりだ。前から計画していたこの日だが、こんな顔をみんなに見られるとは思ってもいなかった。正直日をずらしてほしいとも思った。
「ちょっと! どうしたのそれ!」
アリアに会えば、こうなる事は分かっていた。最初は隠そうとしていたが、すぐに怪しまれバレた。みんなはそんな光景を少し笑いながら見ている。
「こっち来て!」
「アリア、大丈夫だから」
「だめです」
アリアに手を引かれ、店の奥へと連れていかれる。
「ほら、座って」
みんなの前では、少し厳しく言われたがこうして2人になるといつも優しくしてくれる、それがアリアだ。
「痛みは? 喋りにくそうだけど」
「痛くは無いよ。喋りにくくはあるけど……」
「そう。待ってね」
アリアは準備を整えて、俺の打たれた頬の方に座る。
手をかざして、目を閉じた。すると、徐々に暖かさに包まれるのが分かった。魔法での治療だ。数分の後、アリアが急に唸る。
「やりにくいわね」
なんでも腕を上げながら治療するのは疲れてしまうのだとか。といっても頬なので仕方ない気が。
「おいで」
アリアは、白くつやのある自分の腿を手のひらでぽんぽんとして合図を送ってくる。俺が躊躇していると「早く」と頭を抑え付けられた。もうどうしても逃げられないので、痛くない方の頬をゆっくり腿につける。
「じっとしててね」
「うん」
無言の時間が流れていく。店の方からは笑い声が重なって聞こえる。俺は息を吐くのも気を使っているというのに。呼吸を意識するあまり、鼻息がアリアのスカートに当たってなびくのも気になって仕方がなかった。アリアが「ねぇ」と声を掛けてきて、ピクリと動いてしまう。
「な、何?」
「何があったの?」
顔は見えない。でも、悲しそうな声だった。
俺は、ルツが失敗してしまった事とダリアさんがフォローしてくれたこと、あった事すべてを話した。アリアは最後までしっかり聞いてくれた。
「まぁ、少なからずこうゆう事はあるだろうなと思ってたから。仕方ないよ」
「でも、手を出していい理由にはならない」
「うん……」
またしばらく無言の時間が流れる。頬の痛みが徐々になくなっていく事に気付いた時、アリアの口から聞いた事のない言葉を出る。
「もっと甘えて? もっと頼って? そうゆう対処は私も協力するから」
いつも頼りっぱなしだ。いつも助けてもらっているのに、良いのだろうか。
「いいの」
「えっ」
俺の頭の中が見えているのか、と思ってしまう。
「だって、離れる気ないから」
その言葉を聞いて心の奥が締め付けられた。どれだけアリアを笑わせただろう。もしかしたら不安にさせてしまった方が多いのではないだろうか。今もそうだ。だけどアリアはそれでも俺と一緒に居たいと願ってくれている。俺も、アリアとずっと一緒に居たい。
気付けば痛みはほとんどなくなっていた。軽く顎を動かしても違和感はない。口の中はまだ変な感じがするが、ほとんど治ってしまった。でも、もう少しだけこうしていたいと願った。俺は無意識の内にアリアの中に顔をうずめてしまっていた。
「もう終わったわよ?」
アリアはほんの少し笑いながら、そう言った。けれど俺が何か言う前にアリアは俺の頭を撫でてくれた。もう少し。もう少しだけ。アリアの腰に手を回して抱きしめた。
腫れがひいて、外見からもほとんど怪我が分からなくなってから会議を始めた。内容は、出荷だ。どう集め、仕分けし、売るか。それぞれが考えてきた事をまとめて整理する。
「やっぱり持って来てもらう方がこちらとしてはありがたいよね」
「でも全員がそうはいかないんじゃない?」
ジュリは、組合員の状況や年齢などの情報が頭に入っている。いくら、俺たちが楽でも、ある人にとっては窮屈で組合に居る意味を無くしてしまいかねない。客観的な見方を常にしてくれているので助かった。
「俺たちが取りに行くのも、仕事が増えすぎないか?」
ロットは自分より他の人の事を良く考えてくれていた。俺や、アリア、院の子供たちにも気を使ってくれている。面倒な仕事は俺がすると張りきっている。
「アグリさん、前に行ってた倉庫を作る件、どうなってますか? 一番近い場所に米を持って来てもらうのが良いと思います。それが難しいなら、別の事業でロットさんに依頼できるようにするとか」
メセデは思ったことをしっかり言ってくれるようになった。昔は、足の事で少し臆病になっていたみたいだ。でも、これまで働いてきて自信が付いたようだった。
もう俺無しでも、このコポーションは前へ進んで行けるのかもしれない。いつかは次の世代へ。
「うん。その件なんだけど、支店長を決めようと思って」
「支店長?」
ルツが初めて聞いた言葉だと言った。俺は自然に頭に浮かんだ言葉だったが、チェーン店のような物がないこの世界では聞きなれない言葉だったのかもしれない。
「そう、支店長。この人は何も店の代表だけの役割じゃない」
俺は紙を広げて、書いてきた地図をみんなに見せた。
「ここがアリア店。今いる場所」
みんなが身を乗り出して覗き込む地図には、ホルンにある俺の村ツィスを含む、フルトにある孤児院。ジンさん達が居るカタット。それにユーフォニー山脈内のサンドリン。これらの大体の位置が書かれてある。俺はそれぞれの場所に指を当てた。
「倉庫は俺の村、ツィス。フルトの孤児院敷地内。ここクラリネ。サンドリンと将来的にジンさんの敷地にひとつ」
5つの倉庫を確保できる予定だ。リユンによれば、院の倉庫はほぼ完成。クラリネに作っている倉庫は半分程度の工程が終わっているそうだ。
聞き終わったリラヤが小さく首を傾げた。
「あれ。ここに倉庫建てるの?」
俺は首を横に振る。
「ライさんとベルナムさんが住んでいた場所があるだろ。その土地を使わせてもらう事になったんだ」
2人の育ての親スカインさんとリズさんが住んでいた家を改築して、倉庫にする。店からの距離もそれほど遠くなく、倉庫には適していると思ったのだ。もうひとつの候補はグラミーが住んでいた家だ。だがそこは今旅行中の、いや出張中の賢治さんが住み着いている場所だったので却下された。
これで大体の工程が決まった。後は、収穫日と出荷日を決めて組合の人に通知するだけだ。
「値段はどうするんだい? 寄り合いの時は明確にしていなかったんだろう?」
サンドリンから応援に来てくれたブロードさんが言った。
「俺たちコポーションではこれを使ってはかる事にします」
アリアに合図を出して持って来てもらったのは2つの道具だ。これは、賢治さんとリユンが共同で作ってくれたものだ。
「こっちの大きい方が台はかり。こっちが枡です」
枡は一升を計るための物だ。そしてこの台はかりは、一俵を計れる代物だ。60キロの重りを付ける事ができ、乗せた物と重りが同じ重さなら横にあるバーが平行になるという仕組みだ。賢治さん曰く「俺たちが居た世界の60キロなのかどうかは分からない」との事だったが、俺たちのコポーションではこれを一俵と決めたのだった。
「これで計った量をもとに計算します。各家庭が満足に生活できる水準を保つために、具体的な金額は追って連絡します」
現段階での収穫量は計算が難しい。今決めてしまったら予想より少ない場合収入が減る事になってしまう。来年度も米を売ってもらうため、ある程度の金額は保証したいのだ。
みんなが頷いたのを確認した。お金に関する情報を共有し終わり、次に支店長の発表に移る。
「俺が勝手に決めさせてもらった。これは依頼だから、断ってもらっても構わないから考えてみて」
みんなの顔をそれぞれ見てから続けた。
「まず、クラリネの本店。ここはメセデに頼みたい」
俺がメセデの目を見ながら言うと、目を大きく見開いて「えっ?」と声を出した。
「お、俺ですか? 無理です。最近来た、セムさんの方が……」
「うん。それも考えたんだ。でも経験から考えてメセデに頼みたい。君ならやっていけるよ」
メセデならと、俺は自信があった。彼は足が自由に動かせないというハンデがあるため、他人に迷惑をかけまいと人の目をよく見て声を聞く。お客さんが困っていればすぐに手を差し伸べられる子だった。もちろん負担はみんなで背負うのでメセデ1人に責任を委ねる事はしない。
メセデは、下を向いていたが拳を作り一度首を縦に動かした。
「やってみます!」
「ありがとう。俺もアリアも手伝うから心配しないで」
「はい」と元気な返事があり、こちらとしても安心だ。
次はフルトにある店の支店長だ。ここが一番迷ったかもしれない。院の子供たちの成長のためにアルタスやサラを就任させるか。安定や安心をとってダリアさんや料理人のゼイーフさんにするという手もあった。
「孤児院の支店長にはここに居ないけど、ライを推薦したい」
ライはこれまで、院の畑を手伝ってくれている合間に別の仕事もしてくれていた。それは子ども食堂だ。町で一人ぼっちの子供を見つけてすぐに打ち解け、ご飯に誘ってくる。両親の世話も経験していることから、幅広い年齢層から信頼を獲得できると確信した。
みんなも同意してくれたので、あとは本人が承諾してくれるかどうかだ。
「次は俺の村。ここは、俺とジュリが分担して支店長を請け負う事にする。将来的には誰かにお願いする予定だけどね」
さらにサンドリンの支店長も決める。といっても、ブロードさんに推薦してもらっていた。
「ブロードさん、サンドリンの支店長をお願いします」
ブロードさんは小さく頷いて立ち上がった。
「サンドリンは僕が決めさせてもらったよ」
俺は少し緊張が走る。ルツがどう思うかが怖かったのだ。そんなのお構いなしにブロードさんは続ける。
「テデリオの家族にお願いした」
それを聞いたルツは俺の耳元に来て「ロンちゃんのとこ?」と聞いてきた。
「そうだよ。お母さんはミスカさん」
「なんで!」
俺はルツと席を外し、しっかり説明した。ブロードさん判断には間違っていない事。彼らは代々ブロードさんの家族に恩がある事。それによって、俺たちとは異なる信頼を気付いてきた事。
「それでも」とルツは納得がいっていない様子で反論してくる。でも俺は大丈夫だと確信していた。
「大丈夫。こっちには、ミルさんとジュリが居るんだ。何かしようとしたらすぐに分かるよ」
それにあえてブロードさんや、他の人の目が集まる場所に置くことで、事を起こしにくくもなるはずだ。ブロードさんと話し合ってそう決めた。
何とか説得すると、渋々「分かった」と言ってくれた。でもルツの気持ちも十分に分かる。被害を受けた張本人で怖さは一番良く知っているからだ。だからこそルツは俺たちに警告してくれているのだった。
「ありがとう、ルツ」
これにて、出荷のための会議は終わった。ジンさんとの関係はその都度決めていく事になった。
「みんな、これから忙しくなると思う。体調ともしっかり相談して、それぞれ出来る限りの努力をしよう」
もう少しで、美味い米が食べられる。みんなの笑顔が見られるんだ。
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