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腹が減っては戦はできヌ  作者: らぴす
第四章:青年期
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溝切りと中干し

「ねぇ、ルツ……」

「なに」

「暑い……」

「暑いって言ったらもっと暑くなるから言わないで」


 午前中の仕事が終わり、まだ日が高く昇らない内に帰って来た。とはいえ、エアコンもクーラーも、扇風機さえも無いのだ。どこに居たって暑いのは変わらない。夏は始まったばかり、少しずつ体を慣らしていかないと、後々痛い目を見てしまいそうだ。


「涼しい風が出る魔法とかないの?」


 チラリと目だけを動かして、隣で昼寝をしているルツを見た。


「えっ……」


 思わず声が出た。そこに居たのは、金色に輝く髪が台風の中にいるかのようにうごめいているルツの姿だったのだ。


「何やってんの?」

「風作ってる」

「どうやって……」

「魔力を動かして空気を動かしてる」


 ルツの説明に全く理解できなかったが、風が起こっている。風が起こせているのだ。俺は立ち上がって自分の部屋へと向かう。「それ、魔石に力込めといて!」と言いながら。

 部屋に入った俺は、片付けた長袖のシャツを引っ張り出した。それを着て、手首と首元さらに裾をその辺にあった紐で縛った。


「よし、準備は良いか!」

「やめといた方が良いと思うけど」

「大丈夫! 空冷服ってのがあるらしいんだ。服の中に風が入ればきっと涼しい!」

「どうなっても知らないからね」


 俺は暑さを我慢しながら、服の中に魔石を入れる。


「良いぞ、ルツ。やってくれ」

「本当に知らないから」


 ルツは俺の背中に入っている魔石を起動した。その瞬間バッと服が膨らみ、中の空気が動くのを感じた。


「おぉー! おっ?」


 しかし膨らんだのは一瞬だけだった。服の中は徐々にしぼんでいく。


「ねぇ、ルツ。なんか、暑いんだけど」

「知らない」


 服の中は段々と温度を上げていった。背中にあるはずの魔石を中心に、じわじわと熱を感じる。それは耐えられないほどにまで。汗が滝のように、肌と服の隙間を通っていく。「暑い、暑い」ともがくが、自分の手ではどうにもできない。


「ルツ! 助けてくれー!」


 ルツに何度も助けを求めて、やっと動いてくれたのだった。


 ルツの手によって、魔石の熱から逃れられた俺は、ぎりぎり大事には至らなかった。

 ルツに原因を聞くと、魔力による摩擦熱が発生していたと考えられた。昔、アリアが水を暖めたのと同じようだった。「空冷服はずっと先になりそうだな」と呟き、汗を拭った。


 そんな人間にとっては過ごしにくい時期ではあるものの、米にとっては必要不可欠な時期になっている。

 俺の田んぼですくすくと成長を続ける米は、新緑を思わせる、濃い緑色になった。風が吹くと、葉と葉が擦れ合い、乾いた音が田んぼ全体を包む。それは、風鈴が涼しさと風情を出してくれるのと同じように、農家にとって心地の良いものだった。


「まっすぐ、まっすぐ!」


 俺は田んぼの中に向かって声を張り上げた。田んぼの中でふらふらとしていて、俺の方を向く余裕もないケシルさん。子供用の自転車のような道具を支えながら、やっとの思いで俺のところまで来た。近づくと、肩で呼吸しているのが分かる。今にも後ろへ倒れてしまいそうだった。


「お疲れ様です」


 俺は道具を受け取って、最後の仕上げをした。排水溝とケシルさんが作った溝を繋げたのだ。

 息が整ってきたケシルさんが、それを見て疑問を投げてくる。


「これ、なんの意味があるの?」


 俺は自転車のような道具を畔に立てかけてから答えた。


「この後、水を抜いたり入れたりするんです。収穫前にも。それで、田んぼ全体が均等に水管理できるようにするためなんです」


 「それに」ともうひとつの理由を話す。


「魔石の水は冷たいんです」

「冷たいのが、悪いの?」


 俺は立ち上がって「ちょっと見てみましょうか」と、この田んぼの水が入って来る場所まで歩く。

 ハレウミにある貯水所の水がこの田んぼへと入ってくるのは3分とかからない。そのため、その水が最初に当たる苗は、目の前に広がっている光景に繫がっていた。


「水が冷たいので、ここだけ育成が遅いんです」


 俺が指さすと、ケシルさんも「確かに」と納得の表情だ。比べてみると、田んぼ奥の方が苗の身長が高く、手前側は低い。仕方がない事だが、これを出来るだけ軽減するため溝が必要だったのだ。田んぼに水を入れた時、作った溝に流れる事で、冷たい水を直接当てないで済む。さらに、溝を通る水はその間に、温められる効果も期待できる。

 これは、前の世界での棚田でも使われていた方法だ。棚田は山にある事が多い。当然、山からの水は冷たいため、こうした作業が必要になるのだ。


 俺が教えられることをすべてサンドリンの農家に伝えた後、一度自分の畑に戻った。

 すると、家の前でロットとリユンが荷物を下ろしているのが見えてきた。


「2人とも、お疲れ様。どうだった?」


 2人は同時に頷く。


「上々。完売とまではいかなかったけど、評判は良かったよ」

「良かった。店も忙しくなりそうだね」


 リユンが頷き、今日のアリアの様子を話してくれた。


「アリアちゃん、忙しそうだったよ。アグリの文句も言ってた」


 リユンは、愚痴を聞かされたそうだ。すまんと心の中で謝る。

 本店である、アリアの店では新商品の味噌と梅干しを出し始めた。さらに、コロッケと並ぶ物も作った。


「でも、あの味噌カツ? ちょっと高いけど食べちゃうよな」

「そうだね。繰り返し買ってくれる人も多いみたいだね」


 新商品の味噌カツだ。昔から食べている、謎の肉を使っている。

 肉を仕入れようと動き始めると、かなり貴重な物だと分かった。しかもそれは冒険者の主な収入となっていると聞き、謎の肉の正体に察しがついた。しかし、それは俺にとって好都合だった。交渉できそうな相手がいたからだ。早速マルコさんとアヤさんに会い、交渉した。案の定交渉は滞りなく進んだ。思った以上に安い値段で契約できて助かったのだが、その値段の理由は後になって理解した。

 魔獣に遭遇経験のある俺は、さぞたくさんの肉を手に入れられると考えていた。だが、最初の仕入れで受け取った肉はカツにすれば50枚も無かったのだ。アヤさんに聞いてみると「魔獣の肉のほとんどが食べられないの」との事だった。硬いとか、不味いとか以前に毒があるという。地元の親は子供に魔獣を食べると魔獣になるなんて脅し文句があるらしい。


「高くなってしまうのは仕方ないね」


 想像だけで交渉に挑んだ俺が間違っていたのだ。

 アリアとももっとコミュニケーションを取りたい。電話もメールも無い時代に、どうやって2人の絆を深めていけばいいのか、俺には何回パズルのように感じる。ひとまず、アリアに会いたい気持ちが強かった。


「人手に関しては考えてる。もう少し待ってほしい」


 2人にそう伝えて、その日は別れたのだった。


 カエルの叫びが落ち着いたのは、田んぼの水を抜く頃だ。その時には、田んぼにたくさんのオタマジャクシが産まれている。畔を歩くと驚いたオタマジャクシが一斉に泳ぎ始める。

 そんな時、俺は田んぼの奥にある排水用の筒を抜いた。その瞬間、田んぼの水が一気にこちらへと流れを変える。勢い良いく、排水路へと水が流れていく。


「ほら、お前らも早く行けよ」


 そう声をかける相手はもおちろんオタマジャクシだ。ここで川に流れるという選択をしないと生き残る事は難しくなる。

 次の日の日中には、田んぼの表面が乾き始めていた。水は、足跡や溝切り時の溝にしか残っていない。そこに集まるオタマジャクシが身を寄せ合い助けを求めている。彼らは、自由という道がありながらここに残る選択をした。過去の俺のように踏み出さなかったのだ。残った彼らが辿る道は、3つ。水が無くなり枯れ果てるか。強者の糧なるか。仲間を踏みにじって生き残るかだ。


「俺は、食われる側だったな」


 俺は田んぼに異常がない事を確認し、家に帰る。今日はこれからアリアの元に向かう。

Next:草刈り

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