発芽
ルツと一緒に籾蒔きをしてから、サンドリンでの籾蒔きも終わらせた。サンドリンでの籾蒔きは8日間を要した。450枚の苗箱に種を蒔くのは、想像以上に苦戦した。天気が悪くても室内で出来る作業だが、メンバーの疲労は溜まっていた。
種を蒔いた期間に差がある事から、発芽と成長にも差が出るだろう。その時間も考慮に入れて、メモ用紙を箱に挟んでおいた。田植えをする時に、最初に蒔いた物から植えていく事になるだろう。
サンドリンに積もっていた雪も解けきり、青空が木々の隙間からきらめいていた。まだ温まりきらない穏やかな風に吹かれながら苗箱がある小屋に向かって歩いて行くと、建物の前で背伸びをしているエミヤが居た。俺は目を丸くした。
エミヤが背にある小屋は、現在育苗器もどきとして使っている。室温や湿度の調整のため、交代で見張りをしてもらっいる。シフトを組んでもらっているのだが、その中にエミヤは入っていないはずだった。誰かの代打にでもなっているのだろうか。苗の様子を見たい。だけどエミヤには嫌われている。しかし、そんなくだらない思いは俺の頭からすぐに振り払われた。俺には、サンドリンの米をちゃんと作るという責任があるのだ。くだらないプライドを持っている場合ではない。
2軒の小屋が並んでいる内の左側へゆっくりと歩き、エミヤの視界に入った。「お疲れさま」と片手を上げながらエミヤと目を合わせたが、すぐに逸らされる。返事も無かった。苦笑いを浮かべながら、小屋の入口に到着した。そこには光の魔石が用意されている。それを手に取って光を灯した。小屋の中は暗所なのである。
小屋に入り、魔石を頼りに奥へと進んで行く。この時点で室温は30度になっていてかなり暑く感じる。それでいて湿度も高いため、呼吸すら怪しくなるほどだった。慎重に進んで行くと、最初に種を蒔いた苗箱が見えてきた。苗箱が並ぶ列の一番手前側だ。暗所でも分かるくらい、積んである苗箱は斜めになり始めていた。それは成長の証だった。芽が上の箱を押し上げているのだ。
「良い感じだな」
俺は苗箱を3枚、小屋の外に持ち出した。それを大きな丸い目をしたエミヤが見ている。
「白い」とエミヤが呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
「これが、米の始まりだよ」
苗箱からは白い芽が1センチの棘のように生え始めていた。まるで丸坊主の頭に、毛が少し生えてきたような柔らかくそれでいて力強いものだった。
「これは?」
エミヤが指さしたのは、3枚目の苗箱だ。その箱には芽が見えない。一見失敗した物かと思えてしまうが、違った。
「触ってみたら分かるよ」
「良いのですか?」
「うん。大丈夫。指で優しく」
そう言うと、エミヤは恐る恐る指で箱の土に触れた。すると「わっ」とエミヤの口から声が漏れる。触った場所が陥没したのだ。
「あ。芽が」
陥没した場所からは白い芽が見える。土の中に芽が生えていたのだ。
この苗箱は、重ねてある15段の箱の内の一番上にあったものだ。そのため一斉に芽吹いた時、かけた土を押し上げる。それでこのように芽の上に土が乗っている形になり、触ると土が崩落し陥没するのだった。
「大丈夫なんですか、これ」
「うん。問題ないよ。水をやればきれいに落ちるし」
俺は持ち出して来た苗箱を、右側の小屋に持って行く。するとエミヤは不思議そうに首を傾げた。
「もう良いのですか?」
「うん。ここを使うのは10日くらいだから」
右側にの小屋に運んだ苗箱は、重ねる事はしない。一枚一枚をゆっくりと地面に置き、並べていく。先ほど持ってきた3枚を並べて小屋を出ると、腕まくりをして小屋の中に入ろうとしてるエミヤが見えた。
「まてまて、何するつもりだ」
「何って、運ぶのでしょう? 迷惑だった?」
エミヤが少し機嫌を悪くしながら言う。だがそんなつもりで言った訳ではないのだ。手伝ってくれるのはありがたいし、そう思ってくれるとは思ってもみなかった。
「その服で?」
エミヤの顔から服に目線を落とすと、同時にエミヤも自分の服を見た。高価な服でもないだろうし、エミヤは普段から綺麗な服を着ていた訳ではないが、今日のは色が問題だった。真っ白だったのだ。
木製の湿った木箱。その中には十分な水分を保っている土に、米が蒔いてある。それは2枚で5キロを超える。手だけで持ち、運ぶのなら体力がすぐに尽きてしまうし、腰を痛めてしまう。そのため、苗箱の持ち方は両手でしっかり持って箱を腹に当て三点で支える持ち方だ。当然、土の入った木箱のため土で腹が汚れるのだ。
「たぶん、落ちないぞ。汚れたら」
そう忠告すると、捲った袖を直し始め「すみません」と小さく言った。
「――いや。ありがとう。こちらこそ」
俺はお礼を言おうとしたが、どこかぎこちなく、言葉が詰まってしまった。それを見たエミヤはクスクス笑った。
エミヤの助太刀を断ったとはいえ、苦しくなる事は無かった。その理由は初めての籾蒔きだったことがあげられる。ルツと一緒に作業した時と同様、みんなに説明しながら籾蒔きをした。そのため、この日完成した箱はその日以降に比べて少ないのだ。1人で運ぶにしても数時間で終わる量だ。
1時間と少しで、第一弾の苗箱を右側の小屋に並べ終えた。カイさんと見張りを交代していたエミヤは、すぐに帰るのではなく右側の小屋に入って来た。俺がお願いしたのだ。
「で、ここでは何をするんです?」
俺が並べた苗箱を見渡しながら言った。
通常、育苗器から出した苗箱はそのままビニールハウスへと引っ越すことになる。しかしここにそんな物は無いので、それっぽい物を作る必要があった。そこで役に立ったのは賢治さんの研究だ。以前、育苗器だと見せてくれた発明品を元に魔力を研究したそうだ。少し前、魔力は自然を介してめぐっていると話してくれた。それは、水が海や山を使ってめぐるように。空気が動物や植物を使ってめぐっているように。この世界では魔力も当たり前のようにめぐっていると。魔力を元に出された水は、おそらく農業にはあまり向かない水だ。しかし、光は違った。魔力を魔石に込めて放たれる光は、この世界の天から降り注ぐ光と同等の物だったのだ。これは農業に使えると踏んだ俺は、この部屋を作った。
「エミヤ、魔石お願いしても良いか?」
「分かりました。では制限解除をお願いします」
エミヤは長い髪を後ろでひとまとめにすると、肩の方から前に持ってきた。そして俺に背中を向ける。エミヤの肩甲骨の間の少し上あたりには、薄いピンク色の紋章があった。それに軽く触れる。アリアから借りて持ってきた魔石と反応してエミヤの魔力制限は一時的に解除された。
小屋の中に入ったエミヤが部屋のあちらこちらにセットしてある魔石に力を込めていく。俺はその魔石にライトを点けるようにして触れる。ものの数分で小屋全体は光に満ちた。どんどんと室温が上昇していくのを肌で感じる。まさにビニールハウスだった。
すべての魔石に魔力を込めたエミヤは「ふぅ」と息を吐く。そして俺の方を見た。
「な、なに」
「なんで離れるんです?」
いつの間にか俺は、一歩後ろに足を下げていた。
エミヤは、手を俺にかざす。エミヤは俺には聞こえない声で何かを呟いている。次の瞬間、俺の耳元を何かが勢いよく通るのを感じる。「バンッ」と大きな音が後ろから聞こえて振り返ると、小屋のドアが閉じられていた。小屋の温度がどんどん上がる。それなのに、俺の汗はひんやりとしていた。
「私なら、証拠も残さずあなたをここに置き去りにすることもできますね」
俺は唾を飲む。
「で、でも。魔石を止めれば……」
「私の得意分野……。知っていますよね?」
エミヤはニヤリと唇を上げる。
サンドリンに来た魔法使いたちの得意な魔法はブロードさんから聞いている。エミヤの得意分野は魔石関連だ。学校ではルツより魔石に力を込めるのは上手だったようだ。何か仕組むことも可能なのかもしれない。
この調子で気温が上がったら、日中なら40度くらいにまでなるだろう。そんな場所に置き去りにされたら、俺は確実に熱にやられる。しかも、今自分で魔石を発動させたのだ。そう考えれば事故に見せかけるには簡単だ。
でも、俺には確信があった。
「君は、そんな事する子じゃないだろ」
「どうして?」
「君が初めてここに来た時の怯えよう。それを見て確信した。全員かどうかは分からないが、この子たちは誰かに指示されていたんだと。特に君は、被害者の側だ。ここに来ることを君は選んだんじゃないのか?」
エミヤの両親は、現在消息が分かっていない。ブロードさんでも見つけられなかった。だからエミヤは1人でここに来た。親から逃げるために。
エミヤにそれを伝えると、俺に向けていた手を下げた。もともとそんな事しようとは思っていなかったのだ。
「知ってたんだ」
「さぁ、どうかな。それより、外にでよう。暑すぎる」
エミヤを見ると汗が噴き出ていて、結局服も汚れてしまっていたのだった。
小屋のドアを開けると、そこにはカイさんが居て、心配でドアを開けようと必死になっていたらしい。引っ張りすぎてドアノブを壊してしまったのを謝って来たのは笑ってしまった。どちらかと言えば、俺たちのせいなのに。
それからサンドリンで農業に携わる人たちに、ビニールハウス小屋の説明と管理の仕方を教えた。残りの苗箱も数日後運ぶようにも指示を出した。
「育苗小屋にあった時は、水やりは不要でしたが、ビニールハウス小屋にあるものは毎日水やりをお願いします」
この仕事も当番制となり、各自が相談しながら決めていったのだった。
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