2人だけの目標
「はい。確かに。拝受いたしました」
ミルさんと、ジュリの3人で大きく長い息を吐いた。座り慣れない椅子の背もたれに、全体重を預ける。目の前にいるフィンは俺たちが提出した用紙をトントンと音を立てながら揃えている。今この時、一年に一度の仕事が終わり、また新たな年の幕が上がったのだった。
「後は祈るだけ……、という事ですね」
ミルさんが尋ねると「はい」とフィンが答える。
ルツの事だ。ルツが俺たちのコポーションで働けるようになるボーダーライン。国が設定した実績をクリアする事。これに俺たちのコポーションは不合格だった。ただ、フィンがひとつ提案をしてくれたのだ。「これまでのアリア魔石店の実績も考えれば可能」と。それは不正になるのではないか。偽装になるのではないか。と心配になった。しかし、フィンは首を横に振った。なにやら策があるらしく、あとは任せる事になった。フィンの交渉次第で何とかなりそうだ。
「それと、ひとつ相談があります」
俺たちが出した資料を所定の場所に入れた後、フィンは俺たちの方に顔を向けた。
「なんでしょう」
その目は鋭く、村で話すより緊張するほどだ。ごくりと喉が鳴る。
「今、コポーションで新しい取り組みを考えています」
俺は村で行ったプレゼンと同じ内容をフィンに話す。フィンは静かにそれを聞いていた。
「なるほど」
「問題点とかありますか?」
フィンは紙を一周、二週と舐めるように見ている。沈黙が耐えられずふと顔を上げる。すると、奥にある掲示板が目に入った。俺たちが用意したポスターも隅に貼ってある。子供食堂と。
子供にご飯を食べさせる。そのボランティアを始めてから2人ほどの子供が定期的になってくるようになった。2人とも体は細く、元気が無かった。今でも細いのは変わらないが、笑顔が増えたように感じる。だからと言って、家でご飯が食べられない現状は変えられない。そこで、メリスさんが家に訪問し、可能なら保護すると買って出てくれた。親と会える確率は低いままだが、少しずつ信頼を勝ち取っているそうだ。現状、すべての子供を救うのは難しい。しかし、俺たちのやっている事が間違っていないと、子供の笑顔が語ってくれる。俺たちは――。
「良いでしょう」
沈黙を切り裂く声が響き渡った。
「所々確認が必要ですが、今の所問題ないでしょう」
3人で目を見合わせて、喜びを露わにした。これまた忙しくなりそうだ。
店に戻り、アリアにも報告する。すると一緒に喜んでくれた。
「ミルさん、さっそく組合員を集めていきましょう」
「分かったわ。準備しておくわね」
ミルさんはその後、帰る前に買い物があるとの事で、この場で解散となった。
「気を付けてね」
ジュリに手を振って小さくなっていく背中を見守った。
今日の店は、人の出入りが多い日だった。特に魔石を買い求めるお客さんが多い。アリアは忙しそうに、あっちへこっちへと足を動かしている。俺は会計程度しか手伝えなかった。それでもアリアはいつも「ありがとう」と言ってくれる。
「助かった。いつもありがとう」
「ううん。今日の俺はリラヤより働けなかったよ」
アリアは小さく笑った。
「リラヤちゃんは仕事を覚えて、効率よくサボれるようになったからね」
否定してくれないんだ、と心の中でツッコミを入れつつ、前から話したかったことがあったんだと思い出した。今は2人だしちょうどいい。
「ねぇ、アリア」
「ん?」と声をもらしながら首を傾げた。チラリと見える首筋に目がいってしまい、慌てて目を逸らす。
「あのさ。目標とか、作ってみない?」
「目標?」
俺は頷く。
「うん。2人の目標。そんな大きな物じゃなくてもいいんだ。日常の事で、一緒に向かって歩けるような」
アリアとはいい関係が続いている。一緒に仕事をして、休みの日には出掛けたり、美味しいご飯を食べたりしている。アリアもこんな日がいつまでも続いてほしいと願ってくれていた。だけど、今の交際期間と、結婚して過ごす事になる日々は恐らく違うのだろう。それは、今の両親と、前の両親を比べれば分かる事だった。大きく違って見えたのは、歩く道だ。どの道を歩くか。どこを通るか。どのスピードで進むか。
今の両親はそれが出来ていたように思った。もちろん時に進みたい道が違う事もあるし、見たい景色のため片方が止まって片方が付き合わなければならない事もしばしばある。そこで指標になるのが2人の目標だ。向かう先が目に見えていれば、いざこざが起きにくくなると感じた。現にどこに向かって結婚生活をしていたのか分からない前の両親は、常に喧嘩をしていたのだ。
「例えば、どんな目標?」
俺は何もない宙を見て考えるフリをした。わざとらしく拳を叩く。アリアに近付いて手を取った。「えっ」と何かを言おうとする唇をふさぐ。
「会った時は必ずこうするとか」
今までに見た事がないアリアの顔は、真っ赤に染まっている。しかし、握っている俺の手は離さず、しっかりと握られていた。アリアは俺の顔を見つめながら眉を上げた。
「それ、真面目に言ってるの?」
「大真面目」
「うそ」
「どうして?」
俺がそう問うと、アリアは手を握ったまま俺を店のある場所へと連れていく。鏡だ。
「ほら」と俺の顔を見せる。言わずもがな、慣れない事をしでかした俺の顔は真っ赤だったのだ。そう言えば、暖炉の火が強すぎるのではないかと思っていた。しかし、熱くなっていたのは俺の方だったみたいだ。
自分からしたことではあるものの、アリアにすべてを見破られ居心地が悪くなっていると、アリアが口を開いた。
「私、ひとつやりたい事があるの」
「やりたい事?」
嬉しそうに頬を上げて頷く。
「お祭り」
「お祭り?」
すっとんきょうな声を出してしまった。
「本で読んだことがあるの。大きなお祭りの事。それがしたいわ」
お祭りか。いいなと思った。村単位での小さな祭りはあったものの、どちらかというと大人の飲みの場といった感じだった。俺が想像する、子供たちやカップルが屋台に挟まれる道を歩くような祭りではない。
「面白そう。やってみたいね、俺たちで」
大きな目標が決まった。俺たち2人で目指す場所。階段のてっぺんが。
その後は2人で小さな目標を決めた。お互いの仕事はもちろん、デートや親の事。それらひとつひとつは極々小さなことだが、2人で歩く道筋になる。それに達成した時の喜びを共有できる。良い関係に、深く固い絆で結ばれる事が出来たら良いな。
「良かった」
アリアは笑顔でそう言った。俺は何が良かったのか分からず「え?」と返す。
「仕事だけじゃなくて、私の事もちゃんと考えてくれていたんだ」
どこか申し訳なさそうに言うアリア。俺はこれまでの事を思い出し、アリアの気持ちを汲み取る。不安にさせていたのかもしれない。謝るべきなのか、感謝すべきなのか。俺には分からなかった。でもアリアが俺の手をぎゅっと握り、同じ強さで握り返す。すると、思いきり手を引かれアリアに抱きしめられた。何も言わず静かに。アリアに包まれながら、俺はアリアにしか届かない声で呟いたのだった――。
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