休暇 (前編)
目が覚めたのは、まだ外が薄暗い時間だった。そう、つまりいつも起きている時間だ。夜半に雨が降っていたのか、部屋から見える景色はどんよりとしていた。
「んっ、んんー!」
ベットの上で背伸びをすると思わず声が漏れる。それから「はぁ」と息を吐いた。ここまで目が冴えてしまっては二度寝も出来ないだろう。いつもの習慣って怖い物だ。
今日の朝ごはん当番は父だが、仕事には行かない俺が作る事にした。休めと言われても体を少しは動かしたいのだ。
「あれ、アグリ。早いな」
「おはよー」
父には今日は休みと伝えてある。父が目を丸くしながら起きて来たのはそのためだ。父は俺が作った簡単な食事を食べてから、いつものように仕事に出掛けて行った。
父には片付けも俺がやると言っていたので、皿や鍋なんかを綺麗に洗った。それから……、それから……。
「何しよう」
前にメセデが休暇は何をして良いか分からないと言っていたが、俺も分からない。前の世界でも休みなんてほとんどなかったし、田舎に住んでいた事もあり遊ぶ場所なんて無かった。
「遊ぶ場所か……」
そういえば、いろいろな町に行ってみた事はあるものの、その地域の娯楽を見た事が無い。異世界という事で想像できる娯楽と言えば、コロシアムで何かの競技を見たりだろうか。
「魔法を使った娯楽もあるかも?」
そんな事を考えていたら少しずつ眠気が襲って来た。瞼が重い。寒く冷たい冬の洞窟に居るかのように、気持ち良く迫りくる睡魔に抗う事は出来なかった。
「起きて、時間があったら……。見に……」
その後、目が覚めた時には空が夕日に染まっている頃だった。帰ってきていた父に声を掛けると、俺の事を気にかけ、起こさないでいたらしい。晩ご飯までは少し時間があるが、腹の虫が鳴ってうるさかった。そのため、買い置きしてあるパンをかじる。寝休暇には特に罪悪感は感じなかった。もともと休暇の本番は明日と、心構えをしておいたからだ。今日無理に外出して、明日に響いてしまっては誘ってくれたアリアにも悪い。
俺はパンの最後の一欠けらを口に放り込んで、外の空気を吸いに行った。
玄関の扉を開け、また大きな背伸びをする。西から入る日差しは、寝起きの俺にとっては強すぎだ。早くしまってくれと願うが、山に隠れるのはもう少し先だろう。
少し、家の近くを歩いてみた。体の疲労は抜けていたが、頭は少しくらくらする。これもちゃんとしたご飯を食べていないからだろうか。晩ご飯が待ち遠しい。
ふらふらと歩いているつもりが、到着したのは俺の畑だった。足が勝手に畑に向かってしまったのである。
「結局ここしか行ける場所ないんだよな……」
村に娯楽なんて物は無い。しいて言えば、小さな飲み屋か食堂があるくらいだ。そんな場所で俺が行きたいと思う場所は俺の畑しかないのだ。
「やっぱり、挿し木の方が成長してるな」
種からのナスも問題なく成長し、実を付けている。ただ植え替えをしたナスの方がよく見える。葉は大きいし、枝の数も多い気がする。やはり根が違うだけで成長は大きく変わるのだろう。
「玉ねぎは……、小さいな……」
春、雪が畑からなくなった頃だ。前の世界では花粉症に苦しめられながらしていた作業。この世界では、杉が少ないのか、この体がアレルギー反応を示さないのかは分からないが助かっていた。そんな時、雪の重みで倒れていた玉ねぎが、自分の力で起き上がって来る。その頃、新しい栄養、追肥を行うのだ。ただやっぱり市販の肥料。効き目が薄かった。
「俺の拳より、小さいな」
中にはピンポン玉のような玉ねぎもある。もう葉は枯れてきているので収穫の時期だ。これからはどうしようもできない。
前の世界で作っていた物と比べ、平均して大きさはやはり小さい物ばかりだ。やっぱりこの肥料では限界がある。土にどんな影響があるかも分からない。
「出来る事と言えば……、液肥かな」
固形の科学肥料は将来的に賢治さんに作ってもらえるかもしれない。そんな期待は心の隅っこに置いておく。今作れる物で効果的なのは液体肥料だろう。
そんな事を頭の中でぐるぐると考えながら家へと続く道を歩く。実はこうやって考えている時が一番楽しかったりする。
「いてっ」
足元を見て歩いていたせいか、何かにぶつかってしまった。
「大丈夫か、アグリ」
顔を上げると、そこに居たのは父だった。ご飯が出来たので呼びに来てくれたらしい。
「腹減ったって言うから、早めに作ったのに居ないんだから」
「ごめんなさい、畑見てきた」
「そうか、体はもう大丈夫なのか?」
ロットが俺の事を心配していたから、それを知っていたのだろう。父にはいつになっても世話を掛けてしまっている。いつか親孝行しないと。そんな感情が自然に湧いてきたのには俺も驚いた。昔は出来るまで生きられなかったし、そもそもしようとは思わなかったからだ。
「ご飯、何作ったの?」
「アグリの好きなやつ」
「おぉ、やったね」
俺の好きなご飯。キノコをたくさん使った炊き込みご飯。さらに、あさりなどの貝が入ったスープだ。そして、父が作ってくれる、肉の焼いたやつ。あくまでステーキではない。ただ、肉を焼いた物だ。これがまた美味しいのだ。
その後、頭がくらくらするのも忘れ、軽い足取りで家に帰って来た。
俺の好きな物が並んだ机に向かい、口に頬張る。1日摂取出来なかった栄養を補給するように、どんどん腹に流し込んだ。
「明日、アリアちゃんとデートなんだろ?」
「デート……、なのかな? でも、うん。誘われてる」
ご飯をたらふく食べ、お腹をさすっていると父が嬉しそうに話しかけてきた。
俺が答えると、父が立ち上がる。何も言わず自分の部屋に入って行った。
しばらくしてカサカサと音を立てながら出てきたと思ったら、大きな袋を持っていた。
「アグリ、明日これを着ていくと良い」
「なに?」と呟きながら父の横に並ぶ。袋の中から出てきたのは、一着の服だった。いや、洋服と呼んだ方が良いのかもしれない。
「お父さん……、これって……」
父が出して来たのは、綺麗にしまってあった洋服。ピシッと伸びた……、これはスカートだろうか。深い紺色で、触ってみると、すぐに良い生地の物だと分かるくらいなめらかだった。
広げながらよく見てみると、実際にスカートではないが見た目はそれに近かった。今は調べる術が無いが、どこかの民族衣装のようでとても恰好が良い。
さらに袋の中からはシャツも出てきた。こちらも触り心地が良く、いつも着ている作業用の服とは大違いだ。そして袖に光る物があるのを見つけた。いわゆるカフスボタンのような物だ。用意してくれた服はどれも良い物だが、これだけはどこか取って付けたかのような違和感がある。
「なにこれ、かっこいい」
そこにあったボタンは金色に光っている。
すると父がそのシャツを俺に着せ、サイズを確認するように俺の周りをぐるっと回った。なんとなくポーズを決めながら
「これはな、お母さんと選んだものなんだ」
「お母さんと!?」
父は軽く鼻を触りながら、この服を選んだ時の事を話してくれた。
「アグリが、ジンさんを手伝いに行った時があっただろ?」
「うん」
「あの日、お母さんと大きい病院に行ったんだ。結果、診断しても原因が分からなかった。お母さんはその時点で覚悟を決めていてな。将来、アグリが必要になる物を買っておきたいと言ってこれを選んだんだ」
そんな話を聞き、俺は涙を必死にこらえた。今、流してしまっては折角の服を汚してしまう。
「でも何で大人用の服にしなかったの?」
「お母さん、それも考えていたんだ。でもどれだけ大きくなるか分からないだろ? 大き目の服を買って服の方が大きかったら、寂しいだろう。だから必ず着られる大きさに決めたんだ」
父と母の想いが詰まったサプライズプレゼント。俺はどうしても涙がこらえきれなかった。どんな気持ちで選んでくれたのだろうか。俺が大きくなった頃の姿を想像したのだろうか。母の心の中では、本当はこれを着ている姿を見たいと思っていたのではないか。そんな事が頭の中をぐるぐると回った。
「お父さん、ありがとう。大事にする」
俺は何とかその言葉を声に出した。
すると父がもう1つの袋を指さして言った。
「ルツの分もあるから、渡すまで秘密な」
「うん、分かった」
父と母。数えきれないくらい愛してもらった。母には何も返せなかったけれど、その分、母と一緒になってくれた父に感謝し、恩返しをしよう。
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