固有コード
夜に雨の音が聞こえた。しかし、朝見てみると地面はすでに乾いていていて、雨の匂いも通り過ぎていた。順調に育ち、今にも穂が出そうな麦の葉先には、朝日に照らされている露が宝石のようだった。
畑を見ると、ネギの苗が20センチ程に伸びていて、植え替えをしてやらないと窮屈に見える。同じ時期に蒔いた孤児院の畑もそろそろの頃だろう。
昨日、グラミーの引っ越しが何とか終わった。俺の腕も治り、アリアと常に一緒に居る事も無くなった。そのため、ジュリとミルさんが家に帰ってこれた。ロットにはいつも通り、運搬を。メセデとリラヤにもお店をお願いしている。ここ数日で、店番も様になってきた2人だった。
俺の怪我のせいでみんなに負担を掛けてしまったので、その分働かないとな。
「やっと畑仕事が出来るな」
サンドリンにもたまには顔を出したいが、ブロードさんも居る事だし焦る事は無いだろう。俺もやりたいことが山ほどあるし、それが終わってから向かうとしよう。
まだ寒い時期に蒔いた種が、しっかり成長した苗を植えていく。ピーマンにトマト。枝豆は少しだけ種を蒔いた。さらに、ナスも植えていく。そして、水菜、チンゲン菜やほうれん草と小松菜の種も蒔いた。ケンさんから貰ったチソの種もだ。
「んー、地生えにするかー」
きゅうりを植える際、ミルさんが前に作ってくれたネットを使うか、地面を這わせるか悩む。ただ、ネットは1つしかない点や、孤児院の畑もある事を考える。その結果、きゅうりはかぼちゃと同様に地面に寝かせよう。
かぼちゃときゅうりを植える場所には藁を敷く事にし、蔓が摑まれるようにしていった。
この日一日で、この作業が終えられたのも父のお陰だ。
道具を片付けていると、小さなカゴを持ったジュリが畑に来た。家に帰った時は、流石に疲れた様子だったので心配していた。ただ今はいつものジュリに戻っていた。
「アグリー、お疲れさま」
「おぉ、ジュリ。昨日は休めた?」
「おかげさまで、一日ゆっくり休めせてもらった」
ジュリには本当に助けてもらった。ジュリの能力を最大限使わせてもらったのだ。
「ありがとう、ジュリ。本当に助かった!」
「はいはい、また助けてあげる」
ジュリがもうすぐ日も落ちてしまう時間に来たのは、野菜を分けてもらいに来た為だった。帰りにはもう暗くなっていたので、家まで送っていく。
「それにしてもすごい虫ね。野菜が穴だらけ」
「ごめん……、しっかり洗って食べてください」
「大丈夫、気にしないから」
ジュリはそう言ってくれるが、今後野菜の質を上げて行くに際し、害虫対策は必須だ。特に米を作るとなると、その重要性は増す。前の世界と同じように無農薬で作る方法もあるが、この世界にどんな虫がどのくらい居て、それがどれほどの脅威となるのか分からない。手探りでやっていても時間が足りない……。
「虫にも固有コードあるのかな」
「何か言った?」
ジュリが固有コードと発した。初めて聞いた単語だった。虫以外にはコードがあるのか?
「アリアちゃんの店で見つけたんだぁ。世界の物にはすべて、固有コードってのがあるんだって」
「人とか物とか?」
「人間にはあるって書いてあったよ。人が作った物は分からないけれど……」
なるほど、つまり自然界の魔力が籠っている物にはコードなる物が存在すると考えていいのか。となると虫にもそれがありそうだ。
「あ、でもコードって言うけれど、認識できない人にイメージできるように言ってるだけだと思う」
「あぁ、そうか。魔法使いしか分からない物って事か」
「そうだと思う」
もし、虫にも固有コードがあるとすれば、グラミーが魔法に組み込む事が出来るかもしれない。そうすれば、害虫だけを畑に近づけさせない事が可能かもしれない。賢治さんに農薬を作ってもらうよりも早そうだし、環境にも身体にもメリットがある。アリアに相談してみよう。
「ありがとう、ジュリ。良い事思いついた!」
「そう? 良かった。もっと美味しい物、期待してる」
「任せて!」
ジュリを家まで送り届けて、帰途に着いた。
家の前では、ちょうどロットが空き箱を下ろしていた。店での仕事が終わり、帰って来た所のようだ。
「ロットお疲れさま」
「おぉ、アグリ。聞いて驚け! 今日は完売だ」
「本当か! やったな!」
少しずつ。本当に少しずつだが前に進めている。そんな実感が湧いてくる。1人では成し遂げられなかった。皆が居たから前に進める。
次の日、俺は孤児院の畑に向かった。ダリアさん不在の中、子供たち全員が協力し自分より小さい子を世話している。そんな光景は微笑ましく、勇気を貰えた。
「すまん、遅くなった」
孤児院の畑には草の一本も無く、綺麗だった。おそらくサラとアルタスが丁寧に草取りを行っていたのだろう。さらに約束通り肥料も撒いて軽く耕してもくれた。これですぐに植え付けできる。
「アグリさん、苗に水ってやった方が良いですよね?」
「んー、難しい質問だ。苗が欲しいって言ってたら水やりかな」
アルタスは俺の訳の分からない返事に、ポカンと口を開けていた。俺にもよく分からないが、たまに聞こえるのだ。いや、聞こえる気がするのだ「喉乾いたー」と。まぁそんな事は置いておいて、一番分かりやすいのは、土の状況だ。乾いていれば水をやった方が良いだろう。逆にやりすぎると根が傷んでしまう。
前の世界では苗を鍛えるため、水をぎりぎりまでやらないで、苗を鍛えるなんて事もやっていた。甘やかして育てるより、野菜本来の力を信じる事で、病気や環境の変化に対応できる野菜作りをしていたのだ。
そうやっていろいろ試しながら失敗して成功する。そんな農業って案外楽しい物だ。
「アルタス、サラ。今日は忙しいぞ。準備は良いか?」
「ばっちり」
「任せてください!」
しっかり靴を履き、手袋も装着している。アルタスはいつもの半袖だが、サラは日焼けを気にしてか長袖だ。日も強くなってきた頃だ。麦わら帽子でも作ってみようかな。
今日行っていく作業の説明を開始しようとした所、孤児院の方から声が聞こえた。
「アグリさーん。私も手伝いたいでーす!」
元気に声を掛けてきたのは、先日ここに越して来たライだ。サラとはすでにお姉ちゃんのように良い友達になってくれていて、孤児院での生活を楽しめているようだった。
「ライちゃん! 一緒にやろー!」
「うん!」
サラが快く迎えて、畑メンバーが増えたのだった。
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