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人は求むる余りに……  作者: スリーS
警察官と成り損ないの死霊術師
8/15

A-part 1

 この作品はクトゥルフ神話をモチーフとしています。クトゥルフ神話について作者が独自解釈を行っている場合がありますので、そういうのが苦手な方は注意してお読みください。

 また、この作品もA-partとB-partに分かれます。それぞれ別の人物の視点でストーリーが進行していきますが、A→Bと順に読んでいただた方が物語が分かりやすく作られています。もちろん逆から読む楽しみ方もありますので、是非試してください。

 感想とか評価とか一言とか批評とかいただけたら、作者は狂喜乱舞します。


 それでは始めます。

 銀色に鍍金された解剖台の上に約二百個の薄汚れたパーツが並べられ、必要な分の照明が当てられている。それらは乾燥しきっておらず、所々は未だに濡れそぼり光を反射していた。

 私はそれをまるで保健室か理科室にある人体骨格標本のパーツだ、と不謹慎にも思ったが、これは紛れもなく本物――ほぼ全ての肉が削ぎ落とされた人間の遺体だった。何も入っていない眼窩は虚な空間を臨み、肉というしがらみから解放された姿を晒している。

 部屋中に遺体から発せられた腐敗臭が充満しているはずだったが、薬剤を染み込ませたマスクは私の嗅覚に湿布のような臭いだけを認識させた。

 解剖室には私を含めて警察関係者が四名。大学側からは執刀者と記録係、他に大学院生が介助係として六名来ていた。私達はマスク、手袋、長靴だけだったが、他の六名は他にも解剖着、帽子、ズボンと完全装備の様相を呈している。

「黙祷」

 執刀者を担当する男性の声が解剖室に厳かに響き、応じて私達は目蓋を閉じた。

 視界を暗黒が支配する。

 これからは対話の時間だった。何が起きたのかを本人から聞く――彼は決して自ら語ることはしないが、死者の声を聞く方法を知る者に対しては多弁になる。

 彼はいかにして亡くなったのか。私達には知る手段があり、それを行使する義務がある。皆、彼の最後の声を聞くためにここに立ち会っている。

 数十秒間の沈黙の後、私達は目を開けた。

「それでは、解剖を始めます」

 肉とも呼べる部分がほとんどなかったのでメスは使用されなかった。執刀者の男性は時に銀色に光るスプーン状の器具で、肉片として骨から削ぎ落とす。そして白骨化した遺体を精査して得たデータを口頭で伝え、一際背の低い女性は所定の用紙に記録させる。

「ううっ」

 手で口を押さえ、涙目をした刑事の一人が小走りに部屋を出て行った。余りの遺体の凄惨さに気分を害したのだろう。

「前回と同じですね」

 全身――頭蓋骨から爪先の骨まで調べ終えたところで、執刀者の男性は呟いた。

 私以外の警察関係者がその台詞にどよめく。

 それは不可解な遺体が連続猟奇事件の被害者に昇華したことの証明であり、新たな悲劇の幕開けを示す言葉だった。




「やっぱり、死因が分からんのよ」

 牧本悠子(まきもとゆうこ)はプラスチック容器に入ったナポリタンを割り箸で持ち上げながら、自分の考えを述べた。備え付きのフォークではなくわざわざ割り箸で食べるというのは彼女のこだわりなのかもしれない。

 私――塔ノ吾皐月(とうのあさつき)はともかく、悠子は昼食のために法医学教室の実験室に来ていた。

 食事なら学内食堂に行く方法はあったのだが、腹を空かした学生の戦場と化しているから混雑が面倒、という訳ではなく至極単純な問題だ。解剖の後は嗅覚が麻痺しているので気付かないが、解剖室から連れてきた独特の死臭が体に染み付いているのだ。そのまま食堂に行けば確実に異臭騒ぎを起こしてしまう。悠子のナポリタンはそれを見越して予めコンビニエンスストアで購入しておいたものらしいが、それを解剖直後に食すとは私にもできない所業だ。

 彼女は今回の遺体の司法解剖を嘱託された帝都大学法医学研究室の助教であり、解剖室ではデータを記録していた人物である。童顔と身長から本当の年齢より低く見られ、一部からはマスコット的な扱いを受けているが、真実を知っている人間からはそんな生易しい評価を受けてはいない。

 事実、解剖後に平然と食事するのは当たり前だし、解剖室に至っては誤魔化すための薬を使わずに、大半の人が気分を悪くする腐敗臭を平然と感覚に晒しているのだ。そんな彼女は剛胆な性格のために彼氏にはいつも逃げられてしまうが、本来は人付き合いの良い女性である。

 悠子がナポリタンを豪快に啜ると、ソースが撥ねて口周りや着ている白衣に付いた。元々白衣は汚れてもいいように着ているものなので、付いたら落ちにくいソースから彼女の衣服を守ったことは本望だろう。

 ビーカーや資料らしき紙束、英語の論文などが自分の領土を主張せんと所狭しに重なっているテーブルの上からペットボトルを取り、その口を開けて流し込む。悠子の喉が唸り、嚥下した。

「骨に傷や毒でもあれば特定は割かし楽になるんやけど。それに――」

 彼女はナポリタンから解放された口から言った。

「死亡推定時刻?」

「うん、そや」

 私は悠子から割り箸を向けられる。

「そこに小細工があることは確実やけど、んな痕跡はどこにも見あたらへん。もっと詳しく調べてみるつもりやけど――それより、あの兄ちゃんは大丈夫か?」

 彼というのは吐き気を催して、解剖室を途中退場した刑事のことだろう。私が彼の本庁に帰る姿を見た時には青ざめた顔にぐったり肩を落とし、まるで生気を吸われたみたいな様子だった。

「男の癖に軟弱やね」

 その彼をばっさりと切り捨てる悠子。彼が聞いたら確実に息の根を止めるだろう、そんな威力を発揮しそうな一種の凄みがあった。

「彼、あの中に入るの初めてだったみたいね。それに最初はあんな物でしょう。私も最初にあれを見た時はあんな感じだったと思うけど」

 一応、彼の名誉のためにフォローしておく。

 私の場合は水死体だった――今思い出してみても本当にあれはやばかった。

 ずるりと剥けた赤黒い皮膚に腹部が膨れており、それをメスで切開すると溜まって腐敗ガスが吹き出て内臓がどろどろと流れ出す――あの後私は一週間位にわかベジタリアンになってしまった。だが最初の刺激が強すぎたせいか、それ以降の解剖には何とか耐えられるようになってしまった。慣れとは怖いものだ。

「悠子はどうだった?」

「私? 私は解剖されてる遺体見てユッケ食べとうなったなあ」

 悠子は何の躊躇もなく平然と答え、私は苦笑する。

 流石に親友の私でも少し引いてしまった。今はこんなになってしまった彼女にも、初々しい経験があったはずだと期待した私が馬鹿だった。

 牧本悠子。二十七歳。現在彼氏募集中。

 しかし、彼女に恋人ができるのはずっと先だとみえる。斯く言う私も他人のことは言えないが。

「そろそろ時間だし、戻るね」

 私は席を立ち、身なりを整えて事件の書類の入った鞄を持つ。

「大変やなあ」

「悠子もやることあるんでしょ? 同じよ」

「分こうてるって」

 そう言って悠子は残りのナポリタンを平らげる。口にはベッタリとソースが付いていた。

「頑張ってな」

「うん、悠子もね」

 私は踵を返し、すれ違いざまに大学院生と会釈を交わしながら実験室を後にした。

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