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人は求むる余りに……  作者: スリーS
警察官と成り損ないの死霊術師
10/15

A-part 3

 教訓というものは存在する。

 培われた経験の集大成は長い歴史で洗練され続け、故事や諺によって表された先人達の賜物だ。それを私達は指標にして行動の方針を決めたりする。

 刑事においては『犯人は現場に必ず戻って来る』とか、『刑事は雑学の天才でなければならない』などだ。その教訓の中で『現場百遍』という格言は、刑事がインスピレーションを得るための作業を表した言葉だと私は解釈している。

 私の解釈について疑問を投げ掛ける人もいるかもしれないが、現場に足繁く通った結果、見落とされている証拠が発見されるのは小説かドラマの世界での出来事だ。日本の有能な鑑識班が草の根を分けるほど懇切丁寧に調査した後、その道のプロでもない一般の捜査員が新たな証拠を発見するというのは、ほぼあり得ない。

 現実にそのようなケースが起こるならば、見つけ出した捜査員が優秀だからではなく、初動捜査をした人間の怠慢が原因だろう。

 だから私は『現場百遍』を実際にその場に立つことでしか理解し得ない情報を肌で感じることで脳内に正しい情報を蓄積し、その作業を繰り返し続けて結論を得るための経験則だと考えている。

 私はその先人が残した言葉に従い、二番目の被害者が発見された現場に赴いていた。

「お疲れさまです」

 背筋が伸びた、見るからに実直そうな制服を着た警察官が立っていた。彼は呆れ果てているのか、言葉は幾らか嘆息気味だったが。

 ここに来るのは四回目なので飽きられているのだろう。

 私は挨拶と共に立ち入り禁止のコーションテープを潜り、不可侵領域に入り込んだ。

 閑静な住宅街の一角、線路架橋下の軽自動車が通れるぐらいのトンネル――ナトリウムランプが一定間隔で並び、単波長のオレンジ色の光が降り注ぐ空洞。白いスプレー缶で描かいたであろう芸術性の欠片のない落書きがちらほら壁に描かれており、向こう側の出口には外の光景が広がっている。

 出入り口付近の地面には白い紐で人間のおおよその形がかたどられていた。被害者はここに倒れていたのだろう。腐臭もまだ私が感じられる程度には残っている。その周りに黄色いマーカーがいくつか立てられており、そこに何らかの証拠物が存在したことを示していた。私が見た報告書によれば、大半が何かの際に飛び散った腐敗組織となっている。

 被害者を発見したのは通勤途中の男性。少し遅く家を出てしまったために電車に間に合わず、普段は不気味で使わない近道を通ろうとした時に偶然発見したという。

 状況は一人目とほぼ同じ。人間がそのまま肉が溶けて骨になってしまったかのように、服を着た白骨化した変死体が発見された。

 私はしゃがみ込み、縁取られた紐をなぞる。着衣のある人体骨格模型が寝ている姿を想像した。

 何故こんなことになったのだろうか。

 今回の事件が特異事件などではなく、人間の常識内で起こったものなら第四係としての私は御役御免だが――捜査は難航し、未だにこれが事件か事故の判別もできない。まして人によるものか、超自然的な現象によって起こっているかどうかさえ不明だ。

 まるで暗闇の中を照明なしに歩くようなものだが、特異事件の場合は常にその覚悟を持たなければならない。

 特異事件の発生率は元より認知率の低く、統計を取り分析し捜査に反映できるほどのデータが揃えられていない――特異事件にセオリーと呼べるものはないからだ。

 例えば子供が行方不明になったとしよう。

 通常は人間に誘拐された、川に落ちて溺れた、山で遭難したなど様々な理由が挙げられるが、特異事件であった場合には神隠し(日本では天狗や山の神、外国では妖精あるいは異星人によって引き起こされる、とされている)が考えられる。

 しかし事件が発生したからといって、それが表面化するとは限らない。子供が何らかの理由で発見されずに事件が解決されなければ、迷宮入りとして処理され特異事件としてカウントされないからだ。

 もっと多くのサンプルが得られれば――迷宮入りの事件を再調査して特異事件と断定し解決できれば、特異事件に対しての教訓を作ることができるかもしれないが、圧倒的に人員が足りない。

 第四係――オカルトを専門とする部署は今のところ私一人だけだ。

 孤立無援ではないが、単独行動は少し心許ない。

「正直不安でなりません」

 誰ともなく警察官は言った。私は咄嗟に振り向いたが彼は飽くまで自分の任務に誠実で、前を向いたままだった。私からは一切の表情を伺えなかった。

 彼は口調を変えずに言葉を紡ぐ。

「先日に引き続き、この事件もそうです。妙な事件が起こり過ぎているような気がします――一体、何が起こっているのでしょう」

 彼の声は微かにトンネルに反響し、それが更に自分の無力さを実感させる。

 死体が発見された。

 犠牲者は二名。両名とも衣服を付けながら白骨化、死後数年と判定されたが日前まで生存が確認されている。目撃者も居らず、死因も究明中。

 そんなことを聞いているのではないのは知っている。

 この裏に隠された真実――全てに納得の行く説明が欲しいのだろう。

 私は彼の言う通りだと感じていた。

 特異事件の頻度が高すぎる。三ヶ月という短期間の内に連続して起こるのは異常なのだ。

 内藤徹風は他人事のように面白がっていたが、私だけで対応できる事件の数は限りがある。これ以上の特異事件のような厄介な案件が増加すれば、いつかは破綻するだろう。

 いや、実際は既に破綻しているが、それを感じていないだけかもしれない。

 それでも、私は少ない情報の中を限られた力でもがく他ないのだ。

「すみません。弱音を吐けるのは身内だけなので……」

「私も同じ気持ちです」

 警察官は申し訳なさそうに言った。市民の前にただ立ち安心を与える者はこの場だけ、仲間に弱い部分を見せた。

 ――と。

 一気に緊張の糸が張り詰める。

 私は耳をそばだてた。質の悪い音声が流れてくるのを捉えたのだ。

 外に留めてある彼の乗ってきたパトカーから事件発生の無線を受けたらしい。報告によると、ここから近い。無線より現場に急行の要請が来ている。

 私達二人は顔を見合わせた。どうやら意見は一緒のようだ。

「助手席に乗って下さい、私が運転します!」

「分かりました!」

 事件現場に向かうために私達はパトカーに乗り込んだ。




 現場には人だかりができていた。白昼の事件だ、見たさに野次馬も集まってくるだろう。

「どいてください、警察です」

 私を先頭に彼もその群集に走った。彼の着る制服は効果が絶大なようで、見物に集まった人だかりを難なく掻き分けることができた。

 ざわめきの中心には小柄だが品の良い老婆が居場所なく立っていた。

 この老婆が被害者らしい。足元には大きな買い物袋が三つ転がっている。彼女が持つには多すぎるような気がするのだが。

「どうしましたか?」

 私が老婆に話しかけると、彼女は救い主を見つけたかのように駆け寄ってきた。

「ああ、お巡りさん、大輔ちゃんが、大輔ちゃんが――」

「落ち着いて、深呼吸してください。それから何が起こったか聞かせて貰えませんか?」

 何が起きたか詳しく聞くために、激しく動揺している老婆をなだめる。

 老婆は深呼吸すると上下に動いていた肩は次第に収まり、落ち着いたことを示していた。

「大丈夫ですか」

「ええ、もう……」

 それから安静になった老婆から事件の全容を聞くこととなった。

 老婆は板橋美江(いたばしみえ)さん。付き添いの男性と買い物帰りに駅に歩いていたところ、一瞬の隙に貴重品の入ったバッグをスクーターに乗った犯人に引ったくられたらしい。犯人はバッグを強奪し逃走。犯人の服装はフルフェイスヘルメットに紺色のジャージ。人相は不明。逃走に使用されたスクーターは白色。ナンバープレートは不明。

 それを見た付き添いの男性は買い物袋をその場に置き、スクーターに乗った犯人を追って走っていったらしい。男性の特徴は地面に擦りそうなほど大きい緑色をしたオーバーコートを着ているとのことだ。

 警察官の彼は引き続き他の目撃者を募り、犯人の情報を集めていた。彼の集めた証言は無線で本部に送られ、近辺に張られている非常線に伝わることになり、犯人が引っかかり次第逮捕されるだろう。

 となると、その男性に戻ってくるように伝えねばならない。

「付き添いの方に連絡は取れますか? ここは我々警察に任せて、事情を聞きたいのですが」

「でも電話は――」

「バッグの中ですよね。では携帯電話をお貸しします」

「あ、ええ。お願いします」

 彼女は話の中では盗られたバッグではなく追いかけた男性を心配していたが、気が動転して付き添いの男性がもう追う必要のないことまで頭が回らなかったのだろう。

 板橋さんは私の携帯電話を渡され、十一桁の番号を押した。

「……大輔ちゃん? ――私のバッグは警察の方達が何とかしてくれますって。だから戻って来てちょうだい」

 連絡は終了したようで、携帯電話は持ち主である私に返される。

 あとは犯人が捕まって、バッグが戻ってくれれば御の字なのだけれど。

 心のどこかで緊張を解く私――しかし、それはまだ早かったと後悔する。未来を知覚することのできない私に、この後の展開を読めるはずもない。杞憂の半分は無駄だったと知り、そして新たな不明であるが故の不快で不可解な感覚に苛まれるのは、実に十分後のことだった。




 犯人は目下逃走中だった。

 スクーターのナンバープレートを覚えていた市民の証言から犯人の身元が割れるかもしれないが、未だに縄が掛かっていない。

 だが被害者の老婆――板橋さんのバッグは無事に届けられた。何故犯人が捕まっていないのにバッグが戻ってきたかと言うと、板橋さんの付き添い――五明大輔(ごみょうだいすけ)という男性が持って帰ってきたからだ。

 彼は板橋さんの電話を受けたあと、バッグが道端に落ちているのを見つけて拾ってきたと証言している。

 おかしくはないだろうか。

 引ったくりの主な動機は金目の物を得るためだ。財布なり、通帳なり、印鑑なりを盗み、それを金に換えるために人間は犯行に及ぶ。

 しかし、後から来たパトカーに荷物を載せて帰って貰う前に板橋さんに中身を確認して貰ったところ、財布や貴重品類などの損失はなかった。

 犯人は一体何がしたかったのだろう。まさか、犯罪のスリルを得るためだけにこんなことをやったのだろうか。

「だから道端に落ちていたんです。それを見つけただけですよ」

 私は近くの交番の場を借りて五明大輔に質問していた。いや、詰問の方が正しいか。

 テーブルを挟んで、目の前に彼がいる。

 五明大輔。二十四歳。職業は手品師。主に紫陽座(しようざ)という劇場で活動する大道芸人。板橋さんとの関係は下宿人とアパートの家主。

 やはり初めに視線が行くのは、地面を擦っているんじゃないかという足まで届く濃緑のコート。それを重たそうな空気を感じさせずに平然と羽織っている。三白眼が人相を悪く見せているが、力なく垂れ下がった何も染めていない黒髪や他のパーツは平均的な日本人の容貌の範疇だった。

 彼の持つ瞳がなければ、どこにでもいそうな印象に残らない容貌だったろう。しかし、だからこそ心奥底にある闇と直結したような異様にぎらつく双眸は私に危機感を植え付ける。そして温和にさせている表情という仮面の下からは、私だけにしか分からない澱んだものを滲み出させていた。

「中身が盗られていない? 俺が追うものだから犯人が慌てて落としたんでしょう。とにかく、全部戻ってきて良かったです」

 それと――私は彼のことは初見のはず。彼と私は全く繋がりがないはずなのに、何故か声には聞き覚えがあった。どこで聞いたかも見当が付かない。もしかして過去に彼の声を聞いた事実はなく、デジャヴ――既視感、ここでは既聴感と称するべきものなのだろうか。

 訳の分からない二つのものに挟まれて不安になり、私は少し感情的になっていたのだろう。段々質問ではなく詰問の形になってきたのに私は無自覚だった。

「俺が――何か悪いことをしましたか? 苛立っているように見えるんですが」

 指摘されて自覚する。

「いえ、すみません。ここのところ事件続きで寝ていないんですよ」

「そうですか。こちらこそ手を煩わせて。早く解決することを願っています」

 その顔は仮面だった。

「……そろそろいいですか? うちのアパートで新しい住人の歓迎会をしなきゃならないもので、準備が必要なんです」

「そうなんですか。ご協力ありがとうございました……いえ」

 思い直し、五明大輔という私にとっては不安の塊のような男性に聞くことにした。

「最後にもう一つお聞きしたいことが」

「なんでしょうか?」

「あなたは私とどこかでお会いしたことはありませんか?」

「ありませんよ」

 彼は微塵の躊躇もなく一言、こう答えた。




 警察官の彼はカーナビケーションの無機質な機械音声に従って、ハンドルを操作している。彼の持ち場は別の警官に引き継ぎ、私を一番目の遺体発見現場まで送ってくれるそうだった。

「大丈夫ですか?」

 彼はパトカーを運転しながら助手席にいる私に尋ねてきたが、私は別のことで頭が充満していた。

 とんだ醜態を晒してしまった。

 私はあんなもので心を揺らしてしまったのだろうか。

 改めて未熟を実感させられる。

 第四係は私一人だけなのに、その私が腑抜けていたらどうやって特異事件を解決するのだろうか。

 そんなことではあの事件を――

「塔ノ吾さん!」

「え!?」

「到着しましたよ」

 塔ノ吾――よく珍しいと言われる苗字。それを呼ばれ、急に現実に引き戻された。

 確かにここは二番目の現場だった。ガラスを隔てた向こうを見てみると、コーションテープが張られたその奥でぽっかりと事件の舞台であるトンネルが橙色の口腔を覗かせている。

 移動に使うために警視庁から借りた自動車が置いてきたままなので、取りに行く必要があったのだ。

「え、ええ……」

 私は助手席のドアを開け、地に足を付けようとした時だった。

「――気負わないで下さい」

 彼は優しい声で言った。

「何もあなただけが事件に当たっている訳ではありません。もっと気を楽に持ちましょう」

 在り来りな助言だったが、だからこそ効果は折り紙つきなのだろう。

 彼の心遣いに私は感謝の言葉を残し、車を降りた。

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