ブレンド
「はァ……──面倒くさぇ……」
溜息の様にそう吐いたジャックの足取りは重く、まるで幽霊の様に歩みを進める。
スッポかしてもよかったが、後々面倒な事になるのは目に見えていてそれを回避する為に、厄介事を背負い込まない為にそこへと向かっていた。
両手で持った食器プレートに載せられる個包装されたチミチャンガにそれぞれのソース、そして形式だけまもられたカフェ・デ・オジャを携え、食堂のテーブルに着いた。
苦労なく食事にありつけるのは限られた人間だけだ。
幾ら極超構造体がどんなものでも出力できるからといって、タンパク質の合成などは人造肉センターで生み出された遺伝子変造大豆で代用肉ばかりで、天然物や培養肉などは高級品だ。
そしてこの環境下で容易に日光を浴びなれない生活上、骨密度の低下は避けられない。
それを補うように遺伝子書き込み技術が発達し、生体共生型の寄生超好熱性微生物との共生で適度な酢酸の摂取と恒常的な体温さえ保ってれば、ビタミン類とミネラル類の体内合成が可能になり必然的に人々が常日頃経口摂取モノは『たんぱく質』と『糖質』と『脂質』の三択だ。
有史以来人間は農耕に必死であったが、今はそれとも解放され一体何をすべきなのか。
それは──
「よぅ。特待生」
横柄な態度でジャックの隣に座ってくる大柄の生徒。バリー・ドールだ。
「…………」
ジャックは何も言わずチミチャンガのホットジップを開け、油でギトギトのブリトーに齧り付いた。
「いつもの」
そういってくるバリーにジャックは渋々といった様子で胸ポケットにしまっていたそれを取り出してテーブルに置いた。
フロッピーディスク。
過去の遺産に成り果てたそれだが、出力されて電粒子容量を食わない物となるとこういった古典的なモノになる。
USBメモリーもSSDもHHDも出力する際に極超構造体の電粒子容量を食い征府の記録に残り易い。
その点、こう言ったモノは低容量であるためにパスが通り易かった。
無造作にそれを取ったバリーはまるで神様に接吻をするかのようにフロッピーにキスをする。
「ハハハッ! ハレルヤ、コイツが無いとなァ……ぶっ飛べねえ」
「一度使ったら焼き捨ろよ。痕跡が残るからな」
「わかってるよ……生体インプラントにアクセスする権限持ってるヤツなんて……お前位なもんだからなぁ」
ビールを煽っているバリーの眼はギラギラと輝き、まるで獲物を目の前にした肉食獣だった。
獲物は言わずもがな──ジャックだった。
ジャックの失点。人生の最大の汚点をバリーに握られていたからに逃げる事が出来なかったのだ。
そう、違法な高密度電子デバイスの出力の時にコイツと出くわしてしまったのだ。
まあ、違法といっても申請を出せば高密度電子デバイスのプリントアウトする事は合法なのだが横着は要らぬ手間を増やすとはよく言ったモノだ。
申請を通していない電粒子デバイスのプリントアウトは征府の規則に抵触し、最悪の場合はデリート&フォーマットに突き出される。
そうなれば一巻の終わり、ジョージ・オーウェルの『1984年』の思想警察よろしくジャックはこの世から綺麗さっぱり消え去る事だろう。
幸いなことがあるとすれば逃げ場のない『1984年』の世界にはない、闇の逃げ場がある事だった。
暗黒街へ逃げ込むんだ。きっとそこに行けばそれはそれは苦労の多い生活になるのだろう。
探求の生活を求めているジャックにとってそれは地獄と同じだ。
「にしても、お前も出し渋るねぇ? えぇ?」
嫌らしくそこを射抜くように言ってくるバリーにジャックはとぼけて見せた。
「何が?」
「お前ならもっと電粒子濃度の高いトリッパー。創れるんじゃないか?」
「これ以上の濃度を求めるな。それ以上は足が付く」
「おいおい、特待生様よう。いいのか? そんな口利いて?」
「逆さに振っても鼻血も出ないぞ。それ以上はフロッピー程度じゃ電粒子を書き込めないし、容量もない。フロッピー以外の記録媒体だと追跡体に嗅ぎ付けられるぞ」
「一時的に、持ち歩けるように記憶装置に書き込むから足が付く。俺達のカルテルの兄さんたちがいい方法を思いついたんだ。お前にはその才能がありそうだ」
ロクでもない事になりそうな予感だった。
「“ブレンド”──出来るよな?」
「バカ言うな……──俺ほどの技能がある奴がいるのか?」
「まあ、お前に比べたら技術は三流だが──それでもぶっ飛ぶのは作れてる」
「はァ……一回帰らせてくれ」
「逃げるのか?」
「ブースターを取りに帰るだけだ。それに逃げ込む所なんてないだろ? 第一に、お前──俺の位置座標、トレースしてるだろ」
「カカカッ! バレてたか」
ジャックはテーブルから立ち上がった。
面倒だが仕方がない。やるしかない──“ブレンド”を。
「アカデミーが終わったら。ボーダーズ・アビスに来いよ、ホットスポットの13番エリアだ。──待ってるからな」
何も聞く気にはなれなかった。
これ以上の無理難題を聞きたくなれなかったからに、授業もほっぽりだしてまっすぐ家路についた。
第一に特待生で授業関係は試験以外は免除のはずなのだが、アルが煩いから態々ここまで出てきたのに、これじゃとんだ骨折り損だ。
元より骨折りなのは知っていたが、泣きっ面に蜂とはこれ以上にないだろう。
モノレールに乗り、家に帰る道すがら首に付けた補助演算デバイスで防壁を張り巡らせ『廃棄された前世紀連絡網』へとアクセスした。
死滅したはずのネットワークであり、本来ならば存在しない筈の『外側のネットワーク系』であった。
征府の公式発表ではW・W・4の高高度核攻撃の電磁パルスにより物理筐体がショートしインターネットが瞬時に崩壊し維持が出来なくなった。
と、なっているが、旧世代の構造をそのままに再度組み上げられたネット領域は今も存在していて、それらは征府に監視を逃れた狂者の楽園の無法野と化している。
本来は存在してはいけない個人間でのネットワーク系。
極超構造体のオープンネットワークこそが公式に認定されたあるべきコミュニケーションツールなのだが、無色の水を重ねれば色が付くように黒々と染まる人の闇へ逃れる術として生み出したのが『オブソリート・ネットワーク』というものだった。
アクセスすると、オブソリート・ネットワークを守る凶悪極まりない攻撃性プログラムAIたちの攻撃が、ジャックの生体インプラントにアクセスしようとして来ている。
「相変わらず鬱陶しい……」
払いのけ、攻撃性プログラムAIを回避しながら目的の階層に到着した。
猥雑としたデータの森。選定もされず無造作に放置された荒れ果てのデータ群は目的とするデータを探すのを無暗やたらと邪魔をしてくる。
無意味なアダルトページ誘導タグに、無駄に精巧な戦艦プラモデルデータなど、それが嵌る人間なら無性に嵌るだろうが今はどうでもよかった。
「“ブレンド”……“ブレンド”……あった、これか」
生体インプラントの脳分泌系へのアクセスプログラム。
その中でもエンドルフィンやドーパミン、エンケファリンの放出方法を書きだしたテンプレートを睨みつけた。
「やっぱり、三流は三流の物しか作れないか……いっちょブーストしてやるか」
首を捻り、ゴキゴキと盛大な音を鳴らす。
その動作はジャックが自らの体に施した生体拡張手術の拡張機能のアクセスモーションだった。
『disk』の演算能力を高負荷演算状態にして自らの知能領域を引き上げ、テンプレートを睨みつけた。
やはりアクセス深度が浅い。これでは表面を撫でただけで重要基礎システムに接触できていない。
やはり三流の仕事は三流程度の物しかできない。
一流ならばもっとツォミンディでワビーに。
「こりゃ、外部摂取のヤクのブースト系のテンプレートじゃねえか……手前で作れねえじゃダメだなあ」
人類は幻覚という名の虚無に神性を見出し、それを見て神と接触した気になる。
それではダメだ。
何かの手助けを得て神と接触した気でいるなど言語道断。内なる機能に眼を向けるべきだ。
人は古来より瞑想や苦行といった行為で変性意識を生み出していたそうだ。
変性意識は脳波の異常で生じる意識障害だ。薬を服用し電粒子ドラッグでブーストしてやればそれこそあの世に昇天できるだろうが、それではこの世の物に固執している事に他ならない。
モノに執着していない『無』の状態。一切のシガラミを放棄した、ただ恍惚とした至福感こそ至高であり、何ものにも囚われない状態で幸福を得ようとするなら、やはり──。
『ちょっと、君?』
ジャックはオブソリート・ネットから意識をずらしリアルを見て見ると、ビクッとしてしまった。
二人組の重武装の兵士。
全身に生体代替機械を埋め込んで顔はもう人と呼べないくらいに異形な、骸骨を彷彿とさせる頭部スキンに換装されていた。
頭皮には高密度炭素繊維のプリント式電粒子回路の影響で光っていた。
手に携えた小銃は電子加速式ガウスライフルは一般人が持つには余りにも大火力過ぎる。当たり前だが、こんなものを持てる人種は二種、征府の守衛官かデリート&フォーマットのどちらかだ。
装備の整い具合から見ても、ひと目で判る。デリート&フォーマットだった。
『君、アカデミーの子だよね? 今授業プロダクトに参加しないといけないんじゃないのかい?』
そう言うDFは不思議そうな顔で、顔色など分かるわけないのだが、そういう風に俺が操作していたデータウィンドウを覗き込んできた。
この世界、表を堂々と歩くのなら隠し立ては出来ない。
何故ならすべての情報は公開され、個人という存在は征府の『資産』として管理されるからだ。
汎用性の高い労働力。直感という独自の発想を持った労働力はAIや機械知能には変えられない。
AIたちは従順だ。どんな命令もその通りに実現させる。
だが、『命令通り』にしかできない。
発展が無い、故に人間という不確定要素の塊であるこの有機素材の塊である脳味噌を利用して更なる繁栄を求めているんだ。
欲持つ者、常に栄華を求め、果て無き追求と共に地獄の釜にその身を投げる──。
「特待生でね。今は課題で中で、授業は免除されてるんだ」
ジャックはダミーのデータウィンドウを開いてそれを見せた。
オブソリート・ネットは存在してはならない。何故なら秘匿性は己が存在を隠すと同時に違法性も兼ね備えているからだ。
存在自体が許されず、それに接続しているモノは等しく罰せられる。
どんな所業を食らうのか、想像するだけでゾッとしてしまうがジャックもそれを守衛官やDF如きに悟られるほど間抜けではない。
常に身代わりの電粒子存在を泳がしている為に、二重の存在としてここに居る。
『なんだい。特待生君か。ハハハッ、こりゃあ将来有望だな』
ワハハハッと大声で笑いながらモノレール内を我が物顔で巡回に戻るDFに内心で中指を立ててやった。
家の近くのステーションで降りて、家路に歩く。
人々は行き交い、そして忙しなさそう。この慌てぶりを見ているとどの制服もツナギのような形式でブルーカラー、無学の肉体労働者であった。
ジャックの様に知識ある盲目の豚にカテゴライズされる人間が混じり込むのは些か違和感があるが、彼らもジャックをわざわざ貶して後ろ指さして嘲笑するほど暇ではない。
無学な者は無学なり征府に貢献しないといけない。
即ち、生産ラインや採掘ラインに勤めることとなる。
何故に故にあらゆる物を立体出力印刷ができる万能のツールである極超構造体があるのに人力で物を生産するのか。
お手製という代えがたいブランドカテゴリーでもあるが、一番の理由は電粒子容量を生じさせないからだ。
記録に残す価値もない、正しく『クズ』を作るのだ。
極超構造体内で生産された物はどのような物であろうと電粒子履歴と容量を食うのだが、人の手で製造された物品は出力印刷の莫大な電粒子容量プロダクトタスク処理をしなくていい為、人の手でチマチマと作る事が色々と征府は推奨されている。
(──飼い犬の分際で)
言葉には発さない。
DFの身体は各征府の持ち得る最高の生体代替機械化技術の集合であり、聴覚器系の器官器系は集音器を上回る地獄耳だ。
どんな音波でも聞き取り、極超短波から超長波までの周波数帯まで聞き取る識閾下を獲得しているから、下手に侮辱しようものなら撃ち殺されるだろう。
身近に感じられる生体代替機械化技術。
一般人は必要な最低限のインプラントは本来二つだけだ。
47番目の染色体『ネット接続端末塩基』と、脊椎間の『disk』だけ。
この二つさえあれば生体拡張手術など必要ないのだが、人はより高みを目指そうする性があるようで。
オーバー・インプラント、所謂『過剰機械化拡張者』が後を絶たない。
偏にそれが容易く行えることが原因でもある。
インプラントは何かと便利だ。視覚機能を拡張すれば超長距離を視認できるだけでなく電波も捉える事もでき、ヘットマウントディスプレイ無しにオープンネットにアクセスが出来る。
知覚機能を拡張すれば、素粒子の感触も感じられるし認知系を拡張すれば外部メモリーから無限に知識を得る事ができる。
あらゆる点で便利極まりないが、これらは人間の本来あるべき認知機能を低下させる結果を生み出した。
過剰なインプラントを行えばソウル・フレーム、『魂の形』を失う事になる。
原因は幾つかあるが、一番の点で上げれば機械化の無機素材と人間の持ち得る有機素材の二種の相性が最悪に悪い点だ。
神経情報受容構造系がデジタルな電気情報系の伝達との齟齬から機能不全を起こした例は後を絶たず、神経系の希薄化を起こし全神経系末梢障害で生きながらに無間地獄に堕ちて精神を崩壊させる。
それに至った者たちは大抵自殺を試みるが、最悪の場合に周囲を巻き込んで破滅を齎す。
そう言った『拡張異常者』は問答無用でDFの手であの世に向かう事だろう。
生体拡張手術は基本的に征府の認可を得た医術師しか行ってはいけないのだが、暗黒街にはそれを行うモグリが多くいる。
暗黒街に逃げた元医術師のモグリ達は多かれ少なかれ外道に成り下がる。人を殺す為の攻撃性生体拡張手術や性的快感を求めた人体欠損手術など目を覆いたくなるような倫理観などない外科手術を行う。
「事を構える事も畏れた馬鹿が」
暗黒街に潜伏する多くのカルテルはそう言う事情を多く抱えているからに、下手に手出しすると返って被害を被る事は儘ある。
征府の多くはカルテル、違法集団を放置することで表面的な平和を保っているに過ぎないのだ。
本気になってカルテル狩りを始める事など出来やしない。
家に戻り一通りの“ブレンド”に必要になるであろう高密度電子デバイスをかき集め、身支度を整える。
使い捨てて良い手頃なハイエンドモデルの演算補助端末に換装し、制服を脱ぎ捨てフィルム式電粒子回路とナノ六角形平面充填ヴォルフラム構造、パラ系アラミド繊維の複合繊維布を採用したファイヤーマンコートを羽織った。
「……嫌な事にならないといいが」
ベットの下に手を突っ込み、それを引っ張り出した。
危険地帯に行くのに身を守る道具なしに行くのは自殺行為だ。だから、これがいる。
手にずっしりと圧し掛かってくる重み。古代からずっと普遍的な形と機能をしていながらその用途は常に一つ。
銃であった。
微細金属出力とプラスチック出力のミックス印刷で作られたオリジナルガン。
弾頭は極薄の金属製フィラメントであり発射には極超構造体に充満している電粒子を電力変換しレールガンの容量で射出する。
計算上は装弾筒付翼安定徹甲弾と同様の貫通能力がある筈だ。
腰のホルスターにそれを納め、息を整える。
備えるに越した事はない。不意にテーブルに置かれたコンピュータディスプレイを見ると、『書き込み完了』と表示されていた。
魅惑的に光るキューブ。どうすべきか。
「一応、持ってくか」
それを手に取り、家を出た。
向かうは中心街、暗黒街の13番エリア。
──ボーダーズ・アビスだ。




