嫌われ者の令嬢は、剣術を極め婚約破棄してお姫様の騎士となる!
「お前との婚約を破棄させてもらう!」
元婚約者の高らかな宣言に、ベアトリスは満面の笑みを浮かべる。彼女の人生の中で、最も眩しい笑顔であった。
「ちょうど良かった!私もそうしたいと思っていたの」
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会ったこともない婚約者であるヘンドリック少尉は、遠征を言い訳にして長らく南部に滞在している。
古くより美しい女性は「ベル」と呼ばれ、特に辺境である南部の地に住まうベルは「サザン・ベル」と称えられていた。サザン・ベルとは、一般的におしとやかで男性を立てる女性のことを言う。
彼がとある夫人の自宅に通い詰めていることは周知の事実で、「ヘンドリック少尉はサザン・ベルに夢中で、婚約者のベアトリスをないがしろにしている」と社交界で噂されるほどだった。
首都に残ったベアトリスに対して貼られたレッテルは、「婚約者に見捨てられた令嬢」というもの。
彼女の黒髪と、きつい目つきも相まって夜会のたびに遠巻きにされていた。
それでも彼女は、自分がサザン・ベルとなればいつかはヘンドリックが迎えに来てくれると信じておしとやかに微笑んでいる。
女性らしく見せるためにきついコルセットを締め上げて、悪意ある言葉を向けられてもそれを甘んじて受け入れた。
ベアトリスの父は宮廷魔法師のヒューズであったが、彼女はその魔法の才能を少しも継いでいない。しかし父はなんとしても娘に自分の跡を継がせようと、彼女を魔法学校に入学させていた。
魔法学校では毎年2回の競技会が行われ、学生たちの魔法の実力は毎年明確に順位化されている。
ベアトリスの定位置は最下位。彼女と同世代のものは、どんなに才能がなくても最下位になることはないと安心しきっていた。
今年1回目の競技会がやってくる。最終学年であるベアトリスにとっては、今年が最後の競技会だ。
魔法学校には落第という概念がなく、授業料さえ払っていれば卒業はできる。しかし、成績によって卒業時に授与される学位が異なり、ベアトリスは一番下のレベルのものさえ取得できないだろうと言われていた。
高額な授業料を支払う宮廷魔法師の父のためにも、ベアトリスはなんとしても学位を取得したかった。
父は魔法の才能がないベアトリスを虐げ、幼い頃から才能の片鱗を見せていた妹のミスティだけを可愛がっている。
それでもベアトリスは、無能な自分を学校に通わせてくれた父に報いたいと願っていた。そんな彼女を、人々は親不孝者だと言う。
ベアトリスが毎日放課後に居残りをして魔法の練習に励んでいることを誰もが知っているはずなのに。
今年最初の競技会、ベアトリスの初戦の相手はベル・ウィッチと名高い、才色兼備のシルヴィアだった。
当然ベアトリスは初戦でぼろ負けしてしまうが、コンテスト終了後にシルヴィアに声をかけられたことが彼女の人生を変えるきっかけとなる。
「コルセットが似合わないわね」
ある日、校舎ですれ違ったシルヴィアに唐突にそう言われて立ち止まるベアトリス。ベルという称号を持つ彼女は、コルセットなんて身に着けていなかった。
どうして私はこんなにも頑張っているのに、何一つ頑張っていないシルヴィアにこんなことを言われなくてはならないのだろう?
「どうしてあなたにそんなことを言われなきゃならないの?」
ベアトリスはこれまで、何を言われても微笑んで受け流してきた。それでも今回ばかりは我慢の限界だ。
「あなたに私の何が分かるの?持って生まれた才能と美貌だけでもてはやされているあなたには何も分からない」
シルヴィアの瞳は飴玉のように甘く、透き通ったブルーがまるで宝石そのものだ。ピンクがかった金髪の豊かな髪はゆるくウェーブがかっていて、光を受けてきらきらと輝いている。
「あなたが教えてくれたのよ。女でも強くなれるって。だから私は努力した」
シルヴィアは真っすぐベアトリスの目を見てそう言った。
「幼い頃のあなたはこんな子じゃなかったじゃない。ヘンドリックとの婚約も、魔法学校への入学もまだだったころ…」
シルヴィアはベアトリスの手をぎゅっと握った。小さくてかわいらしい手が、ベアトリスの両手を包み込む。
「木の棒を剣に見立てて、私を守ってくれたわ」
ベアトリスはハッとした。忘れていた記憶を思い出したからだ。
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幼い頃、宮廷魔法師の父に連れられて王城に出入りしていたことがある。
その時にはまだミスティも生まれていなかったし、魔法の才能がないのもベアトリスが幼いからだと思われていた。父に愛されていたころの記憶だ。
王城の庭園には時々野生の小動物が現れるので、ベアトリスはその場所が好きだった。
そしてその日もいつも通りに庭園で遊んでいると、自分と同じくらいの年の女の子がそこにいた。
「何してるの?」と声をかけたベアトリスに、「授業が嫌で、逃げてきた」と答える女の子。
「授業があるの?」
「うん。あたし、王女さまだから」
その女の子はベアトリスの質問にそう答えた。彼女の髪はピンクがかった金髪で…ちょうど、シルヴィアのような色だ。
二人でとりとめのない会話をしていたところに、どこから迷い込んだのか彼女たちの身体ほどもある大きさの野犬が現れた。
王女さまは真っ青になり震えていたが、ベアトリスは違った。
足元に落ちていた木の枝を拾い、迷うことなく野犬の眼球に突き刺したのだ。野犬は「キャウン」と声を上げ、しっぽを巻いて逃げ出した。
王女はベアトリスを尊敬の念で見つめ、手を握って「ありがとう」と言ったのだった。
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「王女様…?え、でも…」
ベアトリスは狼狽する。シルヴィアの身分はこの学園では明かされていなかったからだ。
「私は私生児なの。父は王様だけど、母は侍女。だから正式な王女と名乗れないのよ」
「そんな…」
まさかシルヴィアが私生児だったなんて。きっと彼女も、私が知らない苦労をたくさんしてきたのだろう。
「ねえ、ビー。あなたには魔法の杖よりも剣の方が似合うと思うのよ」
ビーというのは、ベアトリスの愛称だ。いつの間にかそう呼んでくれる人はいなくなっていた。
「次の競技会、剣術で出てみない?」
「え?魔法に剣術で対抗するなんて…」
「私と特訓しましょう」
シルヴィアは甘く微笑んだ。正直、この微笑みにあらがえる人間はいないだろう。
シルヴィアとの特訓は、想像していたよりも遥かに厳しいものだった。彼女は容赦なく攻撃魔法を連発する。
シルヴィアが買い与えた剣は重く、ベアトリスにとっては持っているだけでも辛いものだった。
しかしシルヴィアの見立て通り、ベアトリスはめきめきと頭角を現していく。やがてシルヴィアも本気を出して攻撃魔法を繰り出すこととなり、二人そろって怪我をすることもあった。
シルヴィアの治癒魔法のおかげで傷が残ることはないが、怪我をするとやはり痛い。
ベアトリスが握っているのは真剣なので、シルヴィアに怪我を負わせてしまうことも多々あった。
二人の秘密の特訓は、シルヴィアが魔法で作り上げたシールドの中で行われている。これにより、周りの学生に知られることなく鍛錬を続けることができた。
いつの間にかベアトリスは、コルセットを身に着けることがなくなっていた。それどころかヒールを履くこともやめ、騎士のような靴を履くようになる。
背中に垂らしていた長い髪も一つにまとめてくくりあげるようになり、手のひらは豆だらけでところどころの皮膚が固くなっていた。
ベアトリスの明らかな変化にも、興味を示す人間はいなかった。父でさえ、彼女に声をかけることはない。
そのことが逆にベアトリスを自由にした。
(最初から、サザン・ベルを目指す必要なんてなかったんだ)
ただ一人、シルヴィアだけはベアトリスの変化に敏感だった。
「ビーのこの手が好き」
シルヴィアはベアトリスの手を撫で、うっとりしたような声で言う。
「でも、本当に治癒魔法をかけなくてもいいの?元の美しい手に戻すこともできるけど」
「いいの。これは私が剣を握って戦える証だから」
ベアトリスの言葉に、シルヴィアは頷いた。
「正直、私の自己満足だったらどうしようって思ってた。あなたが本当にサザン・ベルになることを望んでたらって…」
シルヴィアはうつむいて言葉を続ける。
「ビー、振り回してごめんね。でも、あなたとこういう時間を過ごせて私は幸せ」
「私もよ。シルヴィーが私の手を握ってくれる時間が好き」
ベアトリスは、シルヴィアの手を握り返して答えた。
そして迎えた今年2回目の競技会。
シルヴィアにとっても、ベアトリスにとっても、正真正銘最後の大会であった。
ここで初めて、人々はベアトリスの異質ないでたちに目を向けた。
「どういうつもりなんだ…?女のくせにズボンをはくなんて」
「どうして剣を握っているの?まさか、魔法に剣で対抗するつもり?」
ベアトリスは、もう微笑まない。
きゅっと唇を結んで、対戦相手に剣を向ける。
シルヴィアとの特訓は、ベアトリスを強くした。その強さの中には、相手に傷をつけずに打ち負かす能力も含まれている。
「ビー、勝って」
ベアトリスを非難する声は、もう彼女には聞こえない。シルヴィアの小さな声だけが彼女の耳まで届いた。
決勝まで勝ち進んだベアトリスは、人々の注目の的となった。
父は怒り狂ってベアトリスに勘当を言い渡し、ヘンドリック少尉も慌てて首都に帰ってきた。
決勝の相手はシルヴィアだ。シルヴィアは試合前、ベアトリスの両手を握って「ここまでついてきてくれてありがとう」と愛おしそうに言った。
ベアトリスは、シルヴィアに剣を向ける。彼女を怪我させたくはなかったが、どうしても勝ちたい理由があった。
学生たちの多くはシルヴィアが勝つことを願っていたものの、心のどこかでベアトリスの優勝を見たいと祈る者たちもいた。
試合の幕が切って落とされた。
本来、シルヴィアの戦い方は防御型である。しかし今回、彼女は積極的に攻撃魔法を繰り出した。
ベアトリスは荒っぽく彼女の魔法をはねのけながら、間合いを詰めようとする。
しかしシルヴィアも簡単には接近を許さなかった。ベアトリスに勝ってほしいという気持ちはあるが、だからといって手加減する理由にはならない。
それでもベアトリスは勝ちたかった。学位が欲しいからではない。父に報いたいからではない。婚約者に振り向いてほしいからでもない。
シルヴィアに勝ちたかった。彼女よりも強くあらねばならない。これから先、彼女を守るためには力が必要だった。
シルヴィアの魔力と体力が限界に近づいてもまだ、ベアトリスには気力があった。
ベアトリスはもともと身体能力が高い方だ。コルセットとハイヒールを捨て、毎日剣の稽古に明け暮れていた彼女は強かった。
シルヴィアの魔法が弱まった瞬間をベアトリスは逃さなかった。剣の切っ先がシルヴィアの首にわずかに触れる。
「そこまで!」
教師の掛け声で、ベアトリスの優勝が決まった。
その瞬間、「ベアトリス!」という大きな声が響く。
剣を収め、乱れた息を整えながら声の方を向くと、そこにいたのは軍服を着た青年だった。
「なんてことをしてくれたんだ!女のくせに剣なんて握って…こんな野蛮な女が婚約者だなんて俺は認めない!」
婚約者、といっているからには、彼はヘンドリック少尉なのだろう。会ったこともないから知らないけれど。
「お前との婚約を破棄させてもらう!」
ヘンドリックは高らかに宣言する。ベアトリスはその言葉を聞き、笑みを浮かべた。
「ちょうど良かった!私もそうしたいと思っていたの」
ベアトリスはそう言いながら、シルヴィアに向き直る。彼女は困惑の表情を浮かべていた。
「私は騎士になります」
一度収めた剣をもう一度引き抜いて、シルヴィアの前に跪いてベアトリスは言う。
「あなたは強いから、騎士なんて必要ないのかもしれないけれど…私はあなたの騎士になります」
ベアトリスは、シルヴィアをまっすぐ見つめて言う。
シルヴィアは何も言わず、剣を握るベアトリスの手にそっと自分の手を重ねた。
状況が分からずに立ち尽くすヘンドリックをよそに、シルヴィアとベアトリスは騎士の誓いを交わしたのであった。
剣術で圧倒的な強さを見せつけたベアトリスは、正式に騎士団に叙任された。しかし彼女は、生涯ただ一人の姫にのみ忠誠を誓ったという。
彼女は「突き」を得意としており、容赦なく敵の急所を突き刺した。その姿から、戦場では「クイーン・ビー」と呼ばれて恐れられたのであった。
シルヴィアはこの後、本当の女王となるのであるが、それはまた別のお話―…。