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ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄〜  作者: 雅楠 A子
《本編:探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄》
8/77

4(2/2)

2023/04/01、改稿

一部内容を変更致しました。m(_ _)m

「――つまり、このお嬢さんが坊っちゃんの悩みの種、というわけですか」

「えぇ、彼女を助けてほしいんです」


 オルトンは、やんわりとリリーとグレアムの間に身体を捩じ込ませながら、言った。


「いいでしょう。では、詳しい話をお聞かせ願えますか?」


 グレアムはそう言ってふたりに、窓際に置かれた背の低いソファを勧めた。


 リリーがソファに腰を落ち着けると、いつの間に用意されていたのか、ローテーブルにラテの入ったカップがふたつ置かれていることに気が付いた。リリーはカップから漂う香りを嗅いで、それが下のカフェで出されたものとまったく同じものだと気が付いた。

 テーブルを挟んで向かい側のソファにグレアムが腰を下ろして間もなく、リリーの隣に座るオルトンが口を開いた。


「実は、調べて頂きたいものがありまして」

「ほう」


 オルトンが目配せすると、リリーは首から提げていたロケットペンダントを外して、テーブルの上に置いた。グレアムは、拝借します、とリリーの了承を得てからロケットペンダントを左手で拾い上げた。そして、丁寧にチェーンまでそれを観察したのち、彼は器用に左手だけを使って、突起に指を掛けて蓋を開けた。


 グレアムの目の色が変わったのは、そのときだった。リリーははっとして、思わず腕に力が入った。


「……場所を移しましょう」


 そう言うと、グレアムはさっさと立ち上がり、さっさと部屋を横切るように歩いて行ってしまったので、リリーとオルトンは慌てて彼を追いかけた。


 半ば強制的に案内されたのは、支部長室だった。支部長の使うマホガニーの机と客の使うオーク材のソファー、そしてコーヒーテーブル以外は家具に統一性がない、ちぐはぐな部屋だ。必要書類と書籍を収めるための棚と、給仕用のインスタントコーヒーやティーバッグなどを収めたコーナーラック、スクラップされた新聞記事などを貼るための大きなコルクボード等は、重厚感のあるテーブルらと並べると如何にも事務用品といった具合の簡素な作りであるし、さらに、でかでかと牛の顔を中心に描かれたモダンアートが1枚、壁に飾られている様は、いっそ奇妙ですらある。

 あまりにも調和の取れていないその部屋に、両親の仕事の影響で芸術を観る目を備えていたリリーは、少しばかり衝撃を受けた。


「すまないが、アルフォンス、このロケットをどこで?」


 先ほどまで異様なほど恭しかった態度が一変し、グレアムは飄々とした口調でオルトンに訊ねた。


「それは――」


 オルトンを遮って、リリーは前に進み出た。


「わたしの母のものです」


 そして、口ごもり気味に付け加えた。


「……正確には、母が祖母から受け継いだものですが」


 終いには、そろそろとオルトンの背後まで下がってしまった。グレアムは、そんなリリーの姿にじろじろと鋭い視線を向けながら、ふむ、と唸った。


「この件は、俺が一番信頼を置いている人間に任せることにする。詳しいことは、そいつに聞いてくれ。それと、くれぐれもここでの話は内密にしてほしい。もう知ってるかもしれないが、この頃、うちの会社は少しばかり緊張状態にあってな。あまり波風立つようなことはできないんだ」

「どういう意味です?」


 怪訝そうに、片眉を上げてオルトンが訊ねた。


「それも、これから会う奴から聞いてくれ。住所はここに」


 口早にそう言うと、グレアムは胸ポケットからカードを取り出し、オルトンに押し付けるように手渡した。そのとき、リリーはグレアムの襟元に付けられたバッジに気が付いた。オルトンのカフリンクスによく似たデザインだが、そちらは火鉗(ひばし)と蹄鉄を模したもののようだった。バッジには宝石が埋め込まれていて、赤色と紫色の、比較的高価な種類であろうことが窺えた。

 そういえば、オルトンのは何色だったっけ。そもそも、石なんか付いていただろうか。


「表面上は、今回の依頼は受けなかったことにするから、そのつもりで振舞ってくれ。良いな?」


 言いつつ、グレアムは支部長室の扉を開け、有無を言わさない態度で、目配せをしながら大声を上げた。


「いやあ、お力になれず本当に申し訳ない! こんな状況じゃなければ、すぐにでも手配しましたのに、非常に不甲斐ない!」


 意表を突かれた形となったが、オルトンもグレアムに(なら)って表向きの顔を貼り付けた。


「いえ、急ぎの用事ではないので大丈夫ですよ。落ち着いた頃に、また来ます」

「そうして下さると有難い。そのときは、うちの優秀な部下に担当させますから、お嬢さんの悩みはすぐに解決することでしょう」

「あ……、ありがとうございます。そのときを楽しみにしております」


 リリーも慌てて話を合わせながら、支部長室を出て、来た道をオルトンと共に戻った。どうやら、この調子で次の目的地に向かうことになったらしい。


 せかせかとふたりの若い来客者を追い出したあと、グレアムはぐるりと身体の向きを変えて、事務所に常駐している部下たち――調査部門の事務員に声をかけた。


「おい、誰か、今から調べものを頼めるか」

「なんです?」


 やや軽い調子の男が応えた。


「うちの会社か"蹄鉄会"の会員に、ストー二ーかベルトランって奴がいなかったか調べてくれ」

「ちょっと待ってください、"ストー二ー"ですか?」


 グレアムと同年代か少し年下くらいの女性が、驚いた様子で聞き返した。


「なにか問題でも?」


 しれっとした態度のグレアムに、女性は気不味そうに肩を竦めた。


「……いいえ、なにも」


 グレアムはそれ以上はなにも言わず、大股で支部長室に戻ると、ばたん、と扉を閉ざした。



 * * *



 "蹄鉄会"本部――または、スミシー探偵社本社というべきか――は、ブランポリス市の都心部近郊に位置する、マガリッジという地区にある。マガリッジは、中産階級の多くが居を構え、大学や美術館などの公共施設から銀行や病院、食料雑貨店や複合・業務施設等の生活利便施設も多く点在し、ブランポリスが誇る広域な都市公園をも内在する、市の住民にとって重要な生活区域である。


 また、マガリッジの隣接地区であるエルモアは観光地としての知名度が高く、そこには、パイオニア・ストリートと呼ばれる、かつてアメリカに出稼ぎに行っていた者たちによって建てられた、西部劇の町にそっくりな建造物が立ち並ぶ道がある。建設当時はあったであろうボードウォークはアスファルトの歩道に取って代わられていたが、軒のある建造物群は形を残しながら時代に合わせて改築され、道路には行き交う自動車に混じって観光用の馬車が走っている。昼夜問わず賑やかなことでも有名で、このパイオニア・ストリートでギターやバンジョーを掻き鳴らすストリートミュージシャンたちに出会わないことなど、まずないと言っていいだろう。


 そんなマガリッジとエルモアの境界に近いところ、都市公園を臨むようにして、『ロイヤル・ホースシュー・カフェ』という名の高級喫茶が建っている。そこでは、月に一度、"蹄鉄会"に所属する各カフェの店主とスミシー探偵社の各支部長が招集をかけられる、定期総会が行われている。このカフェは、"蹄鉄会"本部の者たちが社交・奉仕クラブの活動報告や意思決定、交流会の日程や会場などの割り当てをする場であり、探偵社にとっては時として重要な調査依頼が発注される場所である。つまり、この高級喫茶のある建造物こそが、"蹄鉄会"の本部であり、スミシー探偵社の本社なのだ。


 とはいえ、この高級喫茶が、"蹄鉄会"の新規入会者やスミシー探偵社の末端社員にとって、まったく縁のない場所というわけでもない。なぜならここには、新規入会者のための相談所と、全探偵社員が利用できる記録保管庫が設置されているからだ。

 

 ジェムは、その記録保管庫に置かれた粗末なテーブルに腰掛けて、初代エメリー・エボニー=スミス――本名をニール・マイヤーとする、"蹄鉄会"の創始者の書類を読んでいた。

 そこへ、薄い青色のワイシャツの上に赤銅色のニットベストを着たマッシュヘアの少年が、決して少なくはない紙ファイルの束を持って、ジェムの傍らにやってきた。


「初代エメリー・エボニー=スミスが扱った事件のファイルはこれで全部だよ」


 少年はそう言ってジェムが腰掛けるテーブルに、どさっと紙ファイルの束を置いた。 ジェムはファイルを一瞥した後、コリンに視線を向けて言った。


「ありがとう、コリン」

「それにしてもさ、朝からこんな時間になるまで、なんで初代会長の資料なんか読んでるの? 今更探偵社の歴史を知りたくなったとか?」

「まぁ、そんなところだよ」


 コリンはジェムの答えに不服そうに目を細めると、「ちょっと前まで、会社のことなんか全然興味もなかったのに?」と訝しんだ。


 ジェムは内心苦笑した。現会長からグレアムが依頼を承ったこと、それをジェム――とデイヴ――が担当することになったこと、ジェムは、それら依頼内容の全てを内密にしろとの指示を受けていた。その故に、彼はコリンの疑問に答えることができないのだ。


「……人って変わるもんだろ」

「なんて白々しい嘘を」


 コリンが吐き捨てた。


「こんなにも嘘を吐くのが下手な人が、よくウチでやっていられるよね。探偵なんて、誤魔化すのが上手いヤツほど大成するもんなのにさ。それとも、まったくの赤の他人には違うの?」

「……まぁ、見ず知らずの他人を騙すほうが罪悪感はないよ」

「向いてないんじゃない? この仕事」


 ジェムはコリンとの会話を続けながら、初代会長が当時助手だったフランク・キプリングと共に繰り広げた、スワイリーとの最後の闘いを記録したファイルに、ざっと目を通した。そこには、先日グレアムが仄めかしていた、スミシー探偵社とスワイリーとの因縁の詳細が書かれていた。


 ファイルの一番上には、キプリングが後世に綴った手紙が挟んであった。そこには、高齢のニール・マイヤーと中年のフランク・キプリングたちが演じてしまった失態の告白が記されていた。4代目スワイリーであるマイケル・スティールの逮捕の裏で、知らなかったとはいえ、彼の息子マシューの逃亡を許してしまったこと。さらには、マシューの生死すら分からない状態に、結果として、マイケルの捜査協力を望めなくなってしまったこと。そして、スワイリーが復活した際には、その責任を探偵社が負わなければならないという意思決定が"蹄鉄会"でなされたということ。それらを、キプリングは不特定な対象に綴った手紙という形式で記録していたのだ。


 ジェムはシャツの胸ポケットから手帳を取り出しながら、コリン、と呼びかけた。


「よければ、2代目エメリー・エボニー=スミスの資料もくれないか?」

「僕はジェムのワトソン役じゃなくて、ここの管理人なんだけど? 言っとくけど、僕にも僕の仕事があるんだからね!」

「うん、わかってる」

「まったく、もう!」


 そう言いつつ、コリンはスクエア型銀縁眼鏡の位置を直しながら、大量のファイルが詰め込まれた棚の森へ消えて行った。ぷりぷりと小言を言いつつも、なんだかんだジェムの頼みを引き受けてくれるのがコリンである。

 年齢が近いせいか、コリンは初めて会ったときからジェムに好意的だった。ジェムも、境遇が似ているせいか、コリンを弟のように近しく感じることがよくあった。そのため、ジェムにとってコリンは、会社で唯一肩の力を抜いて気軽に接することのできる存在だったのだ。


 ジェムが今後の調査に必要になりそうなデータを自身の手帳に走り書きしていると、棚の森から戻ってきたコリンがどさり、と音を立てて、テーブルに紙ファイルの束を置いた。


「はい、どうぞ。お望みのもの!」


 さて、またこの中から、コリンに気が付かれないよう、それとなくスワイリーの資料のみに焦点を当てて読み解かなければならない。ジェムは心の中で嘆息した。

 ところが。


「それじゃあ、僕は詰所にいるから。それを読むのに時間かかるだろうし。なにかあったら呼んでよね」

「ああ、……悪いな」

「はいはい」


 幸運にも去っていくコリンの背中を見送り、ジェムはほっと息を吐いた。(コリン)の目を気にしなくていいのなら、直ぐ様スワイリーの記録に取りかかることができるからだ。

 ジェムはコリンが新たに持ってきたファイルの束の中から、表紙に『M.S.』と書かれたラベルが付いたものを引っ張り出した。


 ――ニール・マイヤーの死後、彼を慕い、彼のために存在した"蹄鉄会"という名の社交クラブは解散の危機を迎える。その危機を乗り越えるため、キプリングがしたことは、マイヤーから学んだ調査のノウハウを若い世代に伝授することだった。スミシー探偵事務所の設立――スミシー探偵社の前身だ。

 2代目エメリー・エボニー=スミス、もとい、"蹄鉄会"会長は、フランク・キプリングだった。彼はマイヤーの後任候補たちを育てたあと、もともとの彼の仕事に従事した――『ホースシュー・カフェ』の経営である。そのため、スミシー探偵社設立後の彼の資料は、とても少ない。キプリングにとって自分自身は、マイヤーとその後任の繋ぎという認識だったのだ。それでも彼自らが積極的に関わった依頼が――どうやら、『M.S.』だったようである。


 想像以上にあったスワイリーに関するファイルを前に、ジェムは顔を引き攣らせた。とはいえ、仕事だ。仕方がない。頭を切り替えて、一番古いファイルを開いたとき、ジェムは違う理由で再び顔を引き攣らせた。


 スワイリーの復活のことが書かれていた。現在のことではない。今から20年ほど前――正確には22年前――、5代目スワイリーがブランポリス市内に現れたのだ。彼は2年間、その名を紙面に飾り続けた。そして、キプリングはこのスワイリーの調査を、信頼するふたりの探偵社員に任せることにした。


 ――そして、なにも分からなかった。否、正しくは、なにも書かれていなかった。白紙。ファイルに収められた紙束のほとんどが白紙だったのである。


 キプリングが探偵業務をあまりしていなかったことは確かで、それは、探偵社の社員ならば周知の事実だった。つまり、そのことをキプリングは隠そうともしていなかったわけなのだが、だのにどうして、このような白紙の束を挟んだファイルなど作る必要があったのか。それもひとつではない。何冊ものファイルを……。


「――ジェム」


 はっとして顔を上げると、ジェムの傍らにコリンが立っていた。


「キミにブランポリス支部長から電話」


 コリンが放った言葉に、ジェムは肩を強ばらせた。


「……ボスが? なんだって?」

「『喜べ、お前に仕事だ』だって」


 ジェムの脳機能は一時停止した。

 仕事、は既に請け負っている。それも、非常に面倒臭い類で、できれば掛け持ちなんてしたくないほどのものを。だが、コリンを通じて文句など言えるはずもない。ジェムは「……それで?」と先を促した。


「なんか、『依頼人にはいつもの店を教えたから、そっちに行くだろう』って」

「また、勝手なことを」


 つまり、今すぐ戻れというわけだ。ジェムは頭の中で、ここから"いつもの店"に戻るまでの道順を照らし合わせ、最短の道筋を探し出そうとした。だが、どの道を選ぼうと、グレアムの言う"依頼人"よりも先に、ジェムがあの店に戻ることは難しいようだった。ジェムは、はあ、と深い溜め息を吐いて、右手で眉間を揉んだ。


「せっかく休日を返上してまでお勉強しに来たのに、残念だったね」

「……うん、まあ」


 コリンはまだ探りを入れる気らしい。そろそろここを出なければならないのだが、と思いつつ、コリンを無下にあしらうこともできないジェムは困窮した。


「そろそろ、ここに来た本当の理由を教えてくれない? 新人の頃からの付き合いなんだし、そもそも僕たち、友だちでしょ?」


 ジェムはコリンからさっと視線を外して、飄々と答えた。


「お前に会いに来たんだよ」

「またそんな白々しい嘘を」

「また来る」


 ジェムは挨拶もそぞろに記録保管庫を出て行った。とにかく、どの道を行くにしろ、ここからあの店に最短で戻るには地下鉄を使うしかない――の、だが。


 ジェムは記録保管庫から退室し、"蹄鉄会"の敷地を出てからというもの、不自然な気配を感じていた。妙に足並み揃う足音と背中に突き刺さるほどの鋭い視線が、長いこと自分に付き纏っている。ジェムは、自分に歩調を合わせてくるその足音から、片足の(かかと)を擦る癖があるのを聞き取り、そして、用心深く振り返って、足音の主である靴の形状と靴下の色を目視した。

 足許だけで誰かを判断するのは困難だが、幸い、尾行者の目星は付いている。


 畜生(ちくしょう)、あの下手くそめ。


 ジェムは車道を横切ったり、目に入った土産屋等に入って、人の多い通りを選びながら店内を十二分に周っては出たりを繰り返した。それでも自分を尾行する足音が消えないと分かると、ジェムは、ちょうど停まっていたサンクレア行きのバスに乗り込み、顔見知りのバス運転手に「助けてほしい」と耳打ちして、彼女の協力を得ると、発車直前に降ろしてもらうことで、見事に尾行者を撒くことに成功した。走り去っていくバスには、筋肉質で小洒落た身なりばかりは良い、その男の姿があった。悔しそうにこちらを見送るその男は、ジェムの予想通り、デイヴ・モーズリーであった。


 まったく、余計な時間を食わせやがって。


 ジェムは方向転換し、目的の地下鉄駅へと向かった。

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