35."蹄鉄会" - "Horseshoe Club"
2024/04/15、全エピソード改稿完了。
フランク・キプリングに年の離れた友人ができてから数週間が経った頃。店の掃除を終え、珈琲の香りが染み付く誰もいない店内で、ほっとひと息つこうとフランクはカウンター席に腰を下ろした。そこへ、こんこんこん、と店の戸を叩く、首が前傾した客がやってきた。戸の覗き窓からフランクに向かって手を振るその客は、人の顔を区別できない彼のために、今度はリズミカルに小窓を叩く。
はあ、と溜め息を吐きながらも、口元を緩めるフランクは――勿論、自分がどんな顔をしているかなど、フランクは知らない――椅子から立ち上がって店のドアの鍵を外し、この客を招き入れた。
「精が出るね、フランクくん」
やってきた客は、やはりニール・マイヤーだった。
「ニールさん、」
フランクは、比翼仕立てのチェスターフィールドコートを脱ぐニールを横目に、もう一度ドアに鍵をかけた。それから腕を組んで、咎めるように言った。
「困りますよ、うちはもう閉店なんですから」
しかしニールは、ふふふ、と楽しそうに笑う。
「そんなことを言って、君はいつも僕が来るのを待っているじゃないか。今日も僕の体験談を聞くのを楽しみにしていたんだろう?」
はいはい、とニールを軽くあしらうフランクだが、ニールの言う通りなのだろう、彼の頬は緩んでいた。
フランクがニールのためにコーヒーを淹れる準備を始めると、ニールは最近彼の指定席となりつつあるカウンターの端席に座った。隣の席にチェスターフィールドコートを置き、それから、カウンターの上にぽつんと置かれた革張りの手帳に、ニールはふと、目を留めた。
「これはなんだね、フランクくん?」
訊ねられて、ようやくフランクは、自分の手帳を仕舞い忘れていたことに気が付いた。しげしげとフランクの手帳の外側を眺めるニールに、内心慌てながらフランクは答えた。
「それは――ただの日記です。最近書き始めたんですよ」
「それにしては随分草臥れた手帳だな。かといって、インクの滲みはどこにも見当たらない。新品とはとても言えないが、君の言う通り、使い始めたばかりなのかもしれない」
「……だから、僕がそう言ってるんですよ」
すると、今度は手帳のすぐ側に転がっていた白い羽根ペンに目を遣り、ニールはじっとそれを凝視した。
「そのペン、」
ニールはカウンターの隅から隅まで目を走らせ、どこにもインク壺やペンナイフがないことを確認した。
「年代物かい? これは一体なんの鳥の羽根だね?」
白いから白鳥のかと思ったが、どうも鳥の羽根という感じがしない、とニールは考えていた。羽根ペンの軸となる、羽の根元の部分がどうしても鳥のものとは思えない。例えるならば、葉脈に申し訳程度の羽毛のようなものがくっ付いているようだった。しかもその羽毛は、きらきらと七色の光を放っている。
「……分かりませんね。私はただ、父から譲り受けただけですので」
フランクは言葉を濁した。気にはなるが、これといってこの謎を追及しなければならない理由がニールにはなかったので、彼はふうんと受け流した。
「なんだか君に似合わないなあ」
「失礼ですね。まあ、あなたが失礼なのは、いつものことですけど」
「フランクくん、」
このように話題が急変するときにはいつも、ニールはフランクの名前を呼ぶ。この彼の癖に慣れてきたフランクは、即座に気持ちを切り替えた。
「なんです?」
「そろそろ僕は、僕の生きた証を遺したいと思うんだ」
「……なにかあったんですか?」
「いいや、僕も最近、年齢を感じるようになったのだよ。それなのに、未だに僕の力を必要とする人がいて、僕の代わりを務めてくれそうな人間も現れない。それに一番相応しいと思った男は、全然興味を持ってくれないし」
「それは残念ですね」
「だからね、僕は記録を残そうと思うんだ。僕が体験し、解決してきた事件の記録をしてくれる友人が欲しい。僕にとってのワトソン医師がね」
「それなら、いつも来てくださるお客さんのなかに、小説家志望の方がいらっしゃいましたよ。彼に話してみてはどうです?」
「君は書いてくれないのかい?」
「僕に文才はありませんので」
「残念だな。君は時々、僕にも見えない何かを見ている気がしたから、きっと面白い本が作れると思っていたのに」
フランクはなにやら吃驚した様子で、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「見えないなにか、ですか?」
やはり、彼には誰にも言えない秘密があるようだ、とニールは思ったが、まだそれを暴くつもりはない。ニールは、フランクの奇妙な反応を指摘せずに、会話を続けた。
「君と僕の見ている世界がまったく同じなはずがないだろう? だって僕にはどうしたって、顔を認識できない君の世界を想像することができないんだから」
「……確かに、そうですね」
「きっとこの世界は、人間の数だけ違って見えるんじゃないかな。だからね、フランクくん、色んな人間と瑣末なことを話すだけでも、君の世界は広がると思うよ」
「あなたはそんなに僕に外界と関わって欲しいんですか?」
「そこに生き甲斐を見出してしまったからね」
「……迷惑な話ですね」
フランクが眉根を寄せた。対してニールは、にっこりとフランクに微笑んだ。
「そうだ、フランクくん。一度、カフェに人を集めて、僕が過去に捜査した事件の推理をしてもらおうよ。見事謎を解いた者には、君の淹れる極上の一杯が与えられるんだ。どうだい?」
「面白そうではありますが、報酬が地味かと」
「何言ってるんだい、君のコーヒーの素晴らしさが分からない奴に、真実が分かるもんか」
「決め付けは良くないですよ」
「会合の名前はどうしようかな。僕の偽名に因んで、"装蹄の会"にしようか」
フランクの話を聞いているのかいないのか、ニールは実に愉快そうな声色で、どんどんと話を展開させている。些か気が早いのではないだろうか、とフランクは思う。
「そういえば、なんでニール・マイヤーが、『エメリー・エボニー=スミス』なんです?」
シティローストした豆で淹れたコーヒーをカウンター越しに差し出しながら、フランクは訊ねた。差し出されたコーヒーを嬉々とした様子で受け取りながら、ニールは答える。
「マイヤーの綴りを入れ替えたんだ。それと、僕の父の仕事が鍛冶屋だったんで、スミスを姓にした。エボニーの由来は、僕の父が所謂黒人でね。肌は白くとも僕は母国で黒人として生きてきたんだけど、この国ではそんなこと誰も知らないからずっと白人扱いされてきて。だけど最近、そのことにちょっと嫌気が差してきてねえ。僕が僕を見失わないためにも、ブラックと名乗りたかったんだ。だが名前にブラック・スミスなんて芸がないと思ったから、エボニーにしたのさ」
だからニールは袖口に、鍛冶屋を表す装蹄鎚と削蹄剪鉗を模したデザインのカフリンクスを付けているのだろうか、とフランクは考えた。そんなに自分の父親のことを大事にしていて、会合の名前にさえも関連付けさせたいのなら、もっと明確な名前にしたらいいのに、とも。
「じゃあ、"鍛冶屋クラブ"なんて、どうです?」
「それじゃあ、鍛冶屋のためだけの会合みたいじゃないか。僕はもっと多種多様な人間と交流したいんだよ」
ニールは不満そうな声音で言った。フランクは肩を竦め、ならばお手上げだ、と態度で示す。
フランクの背後の壁には、メニューを書いた黒板やカップなどを置く棚がある他、食事処としてはやや小さいカフェの店内を広く見せるために鏡が掛けられていた。そのような工夫は、多くの飲食店がやっているものであり、別段おかしなことではない。それでも、ニールはついつい気になって、フランクの背後に視線を動かした。理由は、その鏡の上に、馬の蹄鉄が飾られていたからだ。
「――"蹄鉄会"にしよう」
ニールは言った。
「蹄鉄? 馬の?」
フランクの問いに、ニールは頷いた。そして、フランクの背後の、綺麗なU字型をした馬の蹄鉄を指さす。
「君が店に飾っているそれ、幸運のお守りだろう? ブラックスミスには、蹄鉄工って意味もある。"蹄鉄会"って名前なら、まるでエボニー=スミスが皆に幸運を授けるみたいで、とっても素敵じゃないか」
ところで、フランクが馬の蹄鉄を店に飾っているのは、魔除けのためである。否、魔除けのために飾っていると人々に思わせるための、ただの飾りである。しかし、こうしてニールから新たな理由をもらい、フランクは、内心忌々しいと思っていた馬の蹄鉄のことを、存外悪くないなと思い始めていた。
……いつか自分だけじゃなく、皆がこの鉄の塊を見て、安心するような世の中になって欲しい。いつか、これは邪鬼や――妖精などの異界の住人を追い出すための魔除けじゃなくて、皆に幸運をもたらすお守りなんだという認識が、一般的になればいい。
「では、それで」
フランクの同意を得たことにより、ニールは数日後、彼が過去に解決してきた事件の真相をカフェの客が推理し合う、"蹄鉄会"という名の会合を開いた。この会合が後年、エルヴェシア共和国の明日を「より良い社会」にするために活動する社交・奉仕団体へと変貌を遂げることを、彼らはまだ知らない。
――end.
これにて、『ブラック・スミス 〜探偵と妖精泥棒と馬の蹄鉄』は完結になります。
皆様、お疲れ様でした!m(*_ _)m
次回、スミシー探偵社妖精課の面々は、老舗ホテルで妖精の謎に迫ります。お楽しみに。
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