34(2/2)
2024/04/10、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
実に悩ましげに、顔を覆うようにして両顬を左手で揉みながら、セドナは考えていた。一体、どうしたらこの男を説得できるのだろう、と。
「……グリーン派の騒動を治めてくれたことについては感謝しているが、本音を言うと、君の手を借りたくはなかったよ。お前は昔からおれに似て愚直だから、首を突っ込んだらどうなるかは想像がつく。君には、おれのようになって欲しくないんだ。復讐は、全てを犠牲にする――おれを見ろよ、未だに娘に会うことも難しい」
すると、グレアムは視線を落とし、眉間に皺を寄せながら、まるでセドナの癖が伝染ったかのように、左の親指で自身の顬をぐりぐりと押した。
「……そうですね。俺も、もう少しで彼奴を失うところだった。だけど、サム、だからこそ、尚更奴らを野放しにできないんだ。奴らは俺からスーだけでなく、ジェムまでも奪い去ろうとした。元を断たなきゃ、いつまでも危険に晒されたままだ。二度と奴らが彼奴に手を出さないよう、俺がこの手で、奴らを壊滅させてやらないと」
話しながらグレアムは徐々に熱が入り、終いにはどん、と拳でテーブルを叩いていた。その音に自らが驚いて、思わず自分の手を凝視した。そして、長い溜め息を吐きながら左手で顔を覆うと、ぶつぶつと、引き絞るような声で呟いた。
「……いや、今のは違ったな。"アンヘル"じゃない、"アラン"が言うべきだった」
「グレアム、」
そんなグレアムの様子に、見兼ねたセドナが呼びかける。グレアムは渋々顔を上げ、まるで先生に叱られる生徒のような表情で、セドナを見た。セドナはグレアムに言い聞かせるように、落ち着いた声色で話した。
「あまり、のめり込むな。感情に飲み込まれるぞ」
グレアムは浅く、だが、何度も頷いた。
「……分かってる。だから俺は、俺をふたつに分けたんだ」
「その分けられた方が、近頃、主導権を握ろうとしているようだ。君も、それを感じているだろう?」
セドナの指摘に、グレアムはぐっ、と唇を引き締め、ごくん、と唾を呑んだ。口に出して肯定はしたくないが、セドナの言う通りだった。グレアムもささやかながら危機感を感じていたのだ。
「一体、いつからなんだ、君がそうなったのは?」
セドナは悲痛な面持ちで訊ねた。スミスの名を継いでから、セドナはグレアムと顔を合わせることが少なくなった。ましてや、こんなふうに会話をすることも久しい。以前から信頼を寄せていた後輩の変化にずっと気付かなかったことが、セドナは悔やまれてならなかったのだ。
グレアムは、拳を握りながら、セドナの質問に答えた。
「……スーを失ってからだよ。死因は心臓破裂って聞いてるけど、俺はどうしても納得いかなくて」
「何故?」
「だって彼奴が、ジェムが、彼女が死んだ現場で、まるで幽霊でも見たかのように壁を見つめていたから」
セドナの目が細められる。
「何故それをおれに言わなかった?」
「言わないよ。ジェムがなにも言わないんだから。何度問いつめたって、口を開きやしない。終いには、ひと言も喋らなくなった。俺は彼奴の心が壊れてしまうような気がして、だけど、スーの死の真相も突き止めたかったから」
「彼の前では、以前と変わらない君でいられるように、顔を使い分けることにしたのか」
「……そうすれば、時間が彼奴を癒すだろうと思ったんだ。いつからか、目的がすり変わっちまったがな」
セドナは口を噤んだ。グレアムの話は今のジェムからは想像できない姿だが、グレアムの言うように時間が彼を癒したか、彼自身当時のことを覚えていないかの、どちらかなのかもしれない。自分の心を守るために、記憶を封印しているかもしれないな、とセドナは考える。
……このことは記憶に留めておいて、暫くは、口にしない方が良いだろうな。
「アンヘル、話してくれてありがとう。実のところ、スーザン・カヴァナーの死因については、私も気になっていたんだ。なにか分かったら、真っ先に君に連絡するとしよう。だから君も、ジェム・カヴァナーの心境に変化があったようなら、私に教えてくれないか。そして孫娘の前では、悪影響のないように、なるべく"アンヘル"でいてほしい」
セドナはスミスの口調でそう言った。最後の科白は交渉ではなく、お願いのようだ、とグレアムは思う。仕方ない、とグレアムは腹を括った。
「……分かったよ。あの子の前では、"アラン"にならないようにする」
「そうしてくれ。これ以上、おれやお前さんのような探偵が増えてしまったら、とてもかなわないよ。せっかく体制を新しくしようとしているのに、会社が腐る」
セドナの言い草に、グレアムは、ふっ、と表情を和らげた。違いない、とセドナに同調しながら、どさり、と椅子の背凭れに身体を預ける。
「新しい風が吹くといいな」
そんな期待をあの少女にしてしまうのは、あの子に影響を受けて、最近ニヒリストになりつつあった息子が人に寄り添えるようになっているのを見たからか。
久しぶりに、ロマンチストな台詞を吐く本来のグレアムの姿を見て、セドナは頬を緩めた。過度な期待で孫娘を困らせたくはないが、可愛い孫娘だからこそ、グレアムのように彼女に期待してしまう自分がいる。
そうだな、などと無責任な同調をしつつ、セドナ――エメリー・エボニー=スミスはコーヒーカップを手に取った。
* * *
ブランポリス市民のオアシス、そして、"蹄鉄会"本部の真正面に広がる大きな都市公園であるハロルド・パークに、リリーとヴィンスはやってきた。公園内の川に架かる納屋のような見た目のカバード・ブリッジで、アンバーの髪の青年の姿を見つけて、どちらからともなく駆け出した。
「ジェム!」
やや遠くから呼びかけるリリーの声に、ジェムは顔をそちらに向けた。
先にジェムの許に辿り着いたのは、リリーだった。あがった息を整えるよりも先に、謝罪の言葉が口をついて出る。
「ごめんなさい、もしかして待たせちゃった?」
「いや、ぼくも今来たところだよ」
さらりと返されたその台詞に、嘘っぽいな、とリリーは苦笑する。そういう嘘を吐かれるのも、気遣われてるみたいで、ちょっと嬉しいけれど。
「よう、元気そうだな?」
遅れてヴィンスが到着し、片手を上げながらジェムに声をかけた。
「お前もな、ヴィンス」
そう言葉を返しながら、ジェムは片手を差し出して、ヴィンスの片手の甲に自分の甲を打ち合わせ、それからお互いに拳を突き合わせた。
「ふたりは今日、一緒だったの?」
ジェムの問い掛けに、はい、とリリーが答える。
「先程、お祖父様に会ってきまして」
「え、会長に?」
目を僅かに見開いたジェムに、ヴィンスが、そうそう、と口を挟む。
「リリーがワトソン役として働くのに、スミスの了承を得に行ったんだよ」
「それが、お母様との約束でして」
話を共有するふたりに、ジェムは疑問を抱いた。
「……なんでヴィンスと?」
ジェムの質問に、ヴィンスはにやけ面を浮かべる。
「妬いちゃった?」
「別にそういうんじゃないけど」
「へええ?」
「……ヴィンス」
「いやね、本当に偶然なのよ。ふたりとの約束の時間までこの辺ぶらぶらーっと歩いて、おれのこの街の知識を更新しとこうかなあ、なんて思ってたら、リリーにばったり会っちゃって」
「それで、ふたりでちゃっかり買い物を楽しんできたと」
ジェムは、ヴィンスとリリーの肩に同じ店のショッピングバッグが掛かっているのを指摘した。ふたりはお互いに顔を見合わせると、照れ臭そうな笑みを浮かべて答えをはぐらかした。
「……ふたりが仲良くなったようで、なによりだよ」
子どもように拗ねた態度を見せるジェムに、リリーとヴィンスは思わず口元を緩めた。ジェムは、基本的に自分の気持ちを表すのを苦手としている男だが、時々こんなふうに寂しさを隠せなかったりするのだ。そんな話を、つい先程までふたりがしてたなんて、目の前の彼は予想もしていないだろうけど。
「そんなに拗ねないでください、これからはジェムも一緒ですから」とリリー。
「そうそう、おれたち三人で街に繰り出そうぜ」とヴィンス。
「……リリー、なんか、ヴィンスに似てきたね?」とジェムは、彼女の急な変化に戸惑った。
「そりゃあ、似た者同士だからさ」と応えるのはヴィンスである。
……どうしてこいつは、やたらとリリーとの仲を見せつけてくるのだろう。
ヴィンスとリリーの間に、どうもなにかあったらしい、とジェムは勘付いていたが、まあいいか、と考えるのを放棄した。なんにせよ、ふたりが仲良くなることに異論はない。
「――それで、そんなにお洒落してるのはどうして?」
ジェムの指摘にはっとして、リリーはふっと自分の服装を見下ろし、頬を染め照れた様子で答えた。
「これは、お祖父様に会う前に、気分を入れ替えたくて。自分で買ったものに身を包みたかったんです。いわば、戦闘服、ってところかしら?」
そこにヴィンスが、横から茶々を入れる。
「おれが勧めたんだ。おれの見立てが良過ぎる、って怒ってたよな」
「怒ってません」
ぴしゃりとヴィンスの戯言を跳ね除けて、リリーは胸を張り、冗談半分にジェムに問いかけた。
「見違えました?」
きっといつものように、似合ってるよ、と返ってくる。そう考えていたリリーは、しかし、ジェムから発せられた言葉に虚を衝かれることとなった。
「うん、綺麗だね」
ジェムが微笑みながら言ったそれに耳を疑ったリリーは、ついつい彼の顔を凝視して、そして言葉を失った。特別甘い顔というわけでもないのにリリーの心を掴んで離さないその優しい微笑みは、素朴ながらも視線を奪う、ナズナの花のようだ。
「ほらな、おれの見立てに間違いないだろ?」と、いつもの調子で会話を進めるヴィンスに、リリーは少しばかり安心する。そして同時に、自分の鼓動が早くなっていることをふたりに悟られてやいないかと不安になった。まったく、心が忙しない。
「お前はいいな、何でも自分事にして喜べて」
などと、皮肉っぽく言うジェムに、ヴィンスはにこにこと爽やかな笑みを見せる。
「そうだろう。おれもそういう自分が好きなんだ」
あまりに清々しい彼の笑顔に、ジェムの頬も思わず緩んだ。
「――それじゃあ、どうしようか。街を歩くんだったよな?」
懐から懐中時計を取り出しながらジェムは訊ねた。時間を確認し、これからでも実現可能な計画を大まかに、頭の中で幾つか立てておく。
「そうだなあ、リリーがこっちの暮らしに早く馴染めるようにするのが目的だから……。リリーの大学って、どこだっけ?」
ヴィンスの問いかけに、リリーは「オルムステッド大学です」と答えた。
「さすがお嬢様」と揶揄うヴィンスに、リリーはむっと唇を尖らせる。
なるほど、とジェムは相槌を打った。
「それなら、マガリッジの方だな。ここからの道順を覚えたら便利だろうし、とりあえず大学の方まで歩いて行こうか」
「はい、よろしくお願いします!」
そう応えたリリーが、まるで研修を受ける学生のような意気込みを見せるので、ジェムはふっと笑った。
「仕事じゃないんだから、そんなに気張らなくていいよ。きみは相変わらずだな、ワトソン君」
有名な探偵の台詞を真似て、ジェムはリリーを"ワトソン役"として歓迎する。そのことに喜ぶ反面、力み過ぎな自分を恥じて、リリーはむず痒そうに笑った。
三人は公園を歩きながら、取り留めのない会話を続けた。例えば、ヴィンスが晴れ晴れとした表情で、こんなふうに。
「リリーがワトソンなら、おれはアドラーでいいよな?」
「ぼくはホームズになる気はないぞ」
「わたしはいつか、ミス・マープルのような探偵になりたいですけど」
「老年になっても探偵を続ける気なの?」
「そういう意味で言ったんじゃないです」
「ジェムは、老後は養蜂をやるんだろ?」
「……だから、ホームズにはならないって」
それから、ジェムが唐突に。
「……お腹空いたな」
「どこかで食べていきます?」
「食べたいものある?」
「リリーが決めなよ。おれは特に好き嫌いもないし」
「じゃあ、『ロス』に行きたい! しばらくブリーに会えてないんだもの」
「お、いいね。おれも久しぶりにあの毒舌が聞きたい」
「方向が違うな。大学に着いてからでもいい?」
「それなら、軽く摘んで行きましょうか。この辺り、なにかないかしら?」
「この間、アイスキャンディ売ってるのを見たぞ」
「夏だな」
「夏ですね」
「夏だねえ」
そして、リリーが和やかに。
「空が青くて綺麗ですね」
三人は一斉に空を扇いだ。
なんだか久しぶりに空を見たな、と思いながら、ジェムは「そうだね」と応え、ヴィンスは「上ばかり見て転ばないように気をつけてよ」と茶化した。情緒がない、と誰かが呟いて、こうして話は更に続いていくのだった。




