34(1/2).ブラックスミス - The Adventures of Blacksmith
2024/04/10、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
スミスから探偵社で働く許可を得られたリリーは、その後、貸し切りのホースシュー・カフェ――スミスがここにいる間は、ずっと貸し切りなのだろう――で、祖父との談笑を楽しんでいた。会話がひと段落つき、それぞれがコーヒーカップを傾けひと息ついたあと、スミスはずっと聞きたくても聞き出せなかった話題にようやく触れることにした。即ち、
「そうだ、フェリシア――お母さんは、元気かい?」
リリーは、左手に持ったソーサーに右手のカップを乗せ、はい、と答えた。
「だいぶ、落ち着いたみたいです――あっ、一時は私のせいで、食事もほとんどできなかったみたいなんですけど」
スミスは驚きに目を丸くさせた。
「あの娘が? あんなに食いしん坊だった娘が?」
「ええ、そうなんです。わたし、あんなお母様を見るのは初めてだったので、なんていうか、あんまり無茶をして、親を心配させるもんじゃないなあ、と」
フェリシアは、父のクロードと比べると、それほどリリーのすることに口出しするような母親ではなかった。ただし、父が決めたことには基本的に従う姿勢を見せ、かと思えば、母が首を縦に振らないことには父が我を通すことはなく、おそらく家の主人となるのは母の方だったのだろう。それでも、フェリシアがリリーになにかを押し付けるようなことはしたことがなかった――これまでは。
実は、リリーが今回の騒動に関わることを一番反対していたのは母だという。今外に出るのは危険だからとか、父がどうしてもと言うからと母は強引にリリーを家に連れ戻したが、本当のところはリリーを説得するために父の名を使っていただけだったのだ。フェリシアとしては、妖精闘争こそが自分の家族を引き裂いたも同然なので、自分の分身のような娘ならば尚更関わってほしくなかったのであろう。そんな思いで強硬手段に出たフェリシアだったが、初めての娘の反抗故にショックは大きかったようだ。
あれからというもの、これまでに経験したことのない自由を味わっているリリーだが、同時に大きな責任も背負ったことに、彼女は気付き始めていた。また、あの事件を経験したことによって、自分を顧みない行動がどれほど他人に迷惑をかけるのか――他人を慮るだけではいいわけでもないことを知ったのである。
うむ、とスミスは神妙そうに頷いた。
「そうだね。探偵の仕事を手伝うようになっても、その点においては気をつけてもらいたいな。鹿の面の男からは猫たちが守ってくれるといったって、なにも危険なのは彼だけじゃない。妖精闘争とは関係のないところでも、命を落とす可能性はある。勿論、それはどんな職種でも、どんな人間に対しても言えることだ。だが、なかでも私たち探偵は人から恨みを買うことも多いから、そのことを忘れないでほしい」
「……はい」
リリーはしっかりと頷いた。
再びふたりの間に静かで穏やかな時間が流れると、遠くから、ばたん、と戸の閉まる音が聞こえた。最初に気が付いたのはカフェ・マスターのチェスターで、店の奥の方に首を回していたが、そのあとに続いた足音を聞いて、興味を失ったようだった。上げた顔を戻し、チェスターはカップを磨く作業に戻った。
足音の正体に気付いていたのはチェスターだけではない。スミスも、ちら、と視線を動かしただけで、何事もなかったかのようにコーヒーを味わっていた。そして足音の主がその姿を現すと、スミスはソーサーとカップをテーブルに置き、静かに微笑んだ。
「――おや」
足音の主は、今日ここにスミスがいることを知らなかったようだった。いつもの隙のない姿からは想像できない、拍子抜けした様子の声を洩らした。
「アラン」
スミスが足音の主に声をかけた。呼びかけられた人物――アラン・グレアムは引き攣り笑顔を浮かべていた。
「……社長。いらっしゃってたんですか」
「ああ、孫娘と会う約束をしていてね」
匂いで誰がやって来たのかを既に察知していたリリーは、やや緊張気味に背後を振り返った。スミスに紹介されるようにして、リリーは軽く会釈する。
「こんにちは」
「どうも――ミス・ベルトラン」
お嬢さん、と呼ばれなかったことに、リリーは少し驚いた。前回、リリーがグレアムと会ったときは、彼は頑なに彼女を名前で呼ぼうとしなかったからだ。リリーはそれを、まるで対等に扱われていないようで好きになれなかったのだが、目の前に立つ、リリーをミス・ベルトランと呼んだグレアムは、あのときとはどうも雰囲気が違って見えた。
……そういえば、所長室に入ったあとと出たあとでも、雰囲気が少し、変わっていたっけ。なにかこの人のなかにルールでもあるのかしら。
「なあアラン、近いうちにリリーにはワトソン役として、うちで働いてもらおうと思うんだが」
スミスは些か唐突に話を切り出した。
「それは大きな決断ですね」
グレアムは笑みを引っ込めて、スミスの話に真剣に向き合った。会社の人間として、働き手が増えることは歓迎だが、探偵という仕事は決して身内に薦めたい仕事ではない。それを理解しているグレアムは、スミスがこの決断に至るまでにどれだけ苦悩したのかを察し、それを態度に示そうとしたのである。
一方で、スミスはそれほど大したことではないかのように、にこやかに話を進める。リリーの前であまり不安げな顔を見せるのも、折角これから頑張ろうとしている彼女に良くないと、配慮してのことだ。
「それでなんだが、彼女を君のところで面倒見てくれないかい?」
グレアムは渋面を作る。
「……社長、俺を信頼してくれるのは嬉しいですが、俺はもう昔の俺じゃないんですよ?」
「しかしだな、アラン、」
「アンヘル」
スミスが言葉を続けるより先に、グレアムが強い口調で口を挟んだ。
「――アンヘルです、社長」
念を押すように繰り返すグレアムに、スミスは仕方なく言い直す。
「……アンヘル。君のところには、ミスター・カヴァナーがいるだろう? 彼のもとで働いてくれた方が都合が良いんだ」
スミスの話を聞いて、グレアムはしばしの間、なにやら考え込む様子で顎髭を撫でる仕草をした。そして、ぽつりと確認するように訊ねた。
「猫の予言、ですか」
「そうだ」
スミスがはっきりと肯定するので、グレアムはこれ以上、渋るわけにもいかなくなった。はあ、と大きな溜め息を吐いて、スミスの頼みを受け入れる決心をした。
「分かりましたよ。うちが責任持って、預かります。無茶はしないよう、カヴァナーにも口酸っぱく言っておきます」
「頼んだよ」
また寿命が縮まったなあ、とグレアムがぼやいていると、くっと椅子を引いたリリーが、立ち上がって姿勢を正し、グレアムに身体を向けた。
「あの、ミスター・グレアム、」
意外にもきょとんとした顔を向けるグレアムに、リリーは深々と頭を下げた。
「これから、よろしくお願い致します」
リリーの台詞にはっとした様子のグレアムは、彼女に負けず劣らずの角度まで頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願い致します、ミス・ベルトラン」
……やっぱり、最初の印象と全然違う。
リリーは、グレアムの二面性に戸惑いながらも、今日の彼はリリーに対して真摯に向き合ってくれたことを素直に喜び、顔を綻ばせた。
そして、椅子から立ったのを良い機会として、リリーは祖父に別れの挨拶を告げることにした。これから大学生となる、うら若き少女のリリーには、このあとにも予定が控えているのだ。
「では、そろそろお暇しますね、お祖父様」
「ああ、またね。身体に気をつけて」
「お祖父様も」
祖父に微笑んだあと、リリーは、今後自分の職場になるところのボスであるグレアムに、微笑みかけた。
「ミスター・グレアムも」
「ありがとう」
彼女の祖父が既に言ったことをわざわざ繰り返す必要もないだろうと、グレアムは、感謝の言葉を返すだけに留めた。そのとき少し笑みを浮かべたからか、リリーの表情は幾分か柔らかくなった。
最後に、カウンターに立つチェスターにも頭を下げ、リリーはホースシュー・カフェを出た(戸の鍵は、チェスターが、リリーに会釈されたあとすぐに外した)。
店内にふたりきり――とはいえ、勿論チェスターもいるのだが――になったスミスとグレアムは、視線を交わさずに、お互いに相手の出方を探るように神経を尖らせた。それから、ずず、とコーヒーを啜る音が店内に響き渡ったあと、先に口を開いたのはスミスだった。
「――さて、アンヘル」
「やっぱり、俺にも用があったんですね……」
グレアムの口から、つい、弱々しい声が漏れる。グレアムにとって、社長でもあり、かつての師匠でもあるスミスは、逃げることすらできない恐ろしい存在なのである。
スミスはリリーに向けていた声とは打って変わって、重々しい声色で訊ねた。
「グリーン派の実情についての調査報告書だが、あれは、君の仕業だね?」
グレアムは小さく息を吐き、さっきまでリリーが座っていた椅子に腰を下ろすと、スミスの詰問に渋々答えた。
「……息子の体調が思わしくなかったもので」
「それで代わりに君が作成したと? そんな言い訳で私の目が誤魔化せると思ったかね」
「俺が作ったから、なんだって言うんです? 名前が違うってだけで大して変わらないでしょ、ただの報告書なんだから」
「そもそも虚偽の記載をしていることが問題なんだよ」
「別に内容を捏造したわけでもないのに」
「アンヘル、そういう問題じゃない。分かるだろう」
スミスの叱責に、しかしグレアムは、乾いた笑いを返す。
「戦略ですよ。俺の名前か、息子の名前かで、読み手の受ける印象が変わる、それが目的なんです。本部の人たちの手に渡ることが分かっていたから、俺の名前で出すわけにはいかなかったんです。それに、」とグレアムは、スミスに鋭い視線を向けた。「そんなこと、誘拐事件の真相を、20年も隠していたあんたには言われたくない」
ふう、とスミスは溜め息を吐き、疲れた様子で力なく首を前に垂れた。
「……まったくお前は、おれの駄目なところばかり吸収しおってからに」
スミスは、かつてグレアムの先輩――セドナ・サム・ストー二ーだったときの口調で、愚痴を零した。




