33(1/2).『M・S』登場 - The Coming of Mr. "M.S."
2024/04/10、改稿
内容を変更致しました。m(_ _)m
ホースシュー・カフェの外で待つヴィンスは、隣に立つディガーの様子を見て、眉根を寄せた。ディガーは瞼を閉じ、髪をかけて剥き出しにしている耳を、時折ぴくぴくと動かしている。ヴィンスは、この仕草が意味するものを知っていた。
「あのさ、」
ヴィンスはディガーに呼びかけるが、ディガーは少しも反応を見せない。ならば、とヴィンスは、ディガーの脇腹を肘で小突いた。
「……なんだ」
唸り声のような低い声で、ディガーが応えた。アンバーの瞳を爛々と光らせて、ヴィンスを横目で睨みつけている。
ヴィンスは言った。
「お前はプライバシーって言葉を知らないのか? あんたのご主人はな、長年顔を見ることも叶わなかった孫娘に、ようやく対面できたんだ。盗み聞きなんて無粋なこと、してやんなよ」
「……だが店の男は、」
「あの人は立ち会うのを許されてんの。おれたちは待たされてんの。この違い、分かる?」
「……おれたちは、話を聞くのを許されてない?」
「そういうこと」
ディガーは項垂れた。これが犬の姿だったら、耳もだらんと垂れ下がっていただろう。
「……ご主人は、俺を信頼していないのだろうか?」
……なんだ、この犬、めんどくせえ。
弱気な態度のディガーを初めて見たヴィンスは、少々戦きながらも、言葉を返した。
「いや、それぞれの信頼している部分が違うんだろ、きっと。お前の忠誠心についてはスミスも言うことなしだろうけどさ、お前は時々、感情に任せて口を滑らせるから」
むう、とディガーは悔しげに唸った。ヴィンスの指摘を否定できないらしい。
そんなことよりもさ、とヴィンスは些か無理矢理に話題を変えた。
「――これで、あの猫の予言は成就したのか?」
ディガーはむっ、と一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに、まるでなんでもないことのように明後日の方を向きながら答えた。
「彼女が満足そうだから、そうなのだろう。あとは、この先の未来が俺たちにとって善きものであることを願うしかない」
「それは、予言では分からないのかよ?」
「……最初の世界で、彼女が唯一心を寄せたのが、あのふたりだったそうだ。だから、彼女はあのふたりこそが輪廻を抜け出す鍵だと思っている」
「なにそれ。どういう意味?」
「俺にも分からん。他にも、彼女が言っていたのは、俺たちが”メイガス”らに抗わなければ、この国はたちまち紛争地帯になる、ということだ。そうなればこの白き都も、あっという間に瓦礫の山だ。彼女は、そんな未来を幾度となく経験している」
「……経験?」
ヴィンスはディガーの横顔を凝視した。占いとか予言とか、それほど信じていないはずなのに。告げられた内容を聞いてから、喉になにかが詰まったような感覚を覚えて、上手く言葉を絞り出せない。
「……予言、なんだよな?」
「彼女の言うことは、俺には半分も理解できない。だが彼女は、自分の経験したことを"予言"として伝えているのだと、言い張っている」
「なんだそれ。死ぬ度に時空の歪みでも通ってるっていうのか? どこのSF映画だよ。しまいには、進化した猿が人間社会を乗っ取ってるってわけ?」
「猿? 一体なんの話だ?」
「いや、なんでもない。ただの例えだよ」
くそ、とヴィンスは悪態をついた。見た目は人間でも、相手が世間知らずの妖精だということをすっかり忘れていた。
それで、とヴィンスは、話を戻す。
「その紛争とやらは、いつまで? なにが原因で」
「きっかけは彼の組織と密接な関係にある政府が誕生したことだが、原因はひとつではないそうだ。紛争がいつまで続き、誰が勝つのかは彼女にも分からない」
「なんでだよ? 占い師なんだろ? 具体的な期間とかは分からなくても、どうしたら終わるとか、そういう未来は視えるんじゃないの?」
「自分が死んだあとのことは、視えないそうだ」
ヴィンスは眉間に皺を寄せた。ディガーが示唆していることはつまり、占い師の猫が、紛争で死ぬということだ。そして、彼女の言うことが正しいのなら、彼女は何度もその死を経験している――。
「……女神っつーのは、惨いことをしやがる」
ヴィンスの呟きにディガーは思い切り顔を顰めたが、なにも言わなかった。その一言は、ヴィンスがセイラの突拍子もない話を素直に受け止めたことを意味していたからだ。
「……あの猫にとって、ジェムとリリーはそんなに特別なのか?」
声を抑えて訊ねるヴィンスの表情から、ディガーは、ふたりの会話をここだけの話にしようという意思を感じ取った。そうだな、とディガーは穏やかな声で応えた。
「空っぽの心に愛情を注がれたなら、特別にもなる。俺にとってのご主人のように。そういうものなんじゃないのか」
* * *
「死力は尽くしますが、期待はしないでください。ぼくがどうこうしたところで、未来にそれほど影響するとは思えませんので」
ジェムの台詞に、くすり、とクロード・ベルトランは笑った。彼はジェムの部屋の簡易キッチンに立って、小鍋でぐつぐつと、なにか甘酸っぱい香りのするものを煮詰めている。
「そう、セイラに言ったのかい?」
クロードが訊ねた。ジェムは気怠い身体をソファに預けた状態で頷いた。
「ええ。ぼくは、天才的な推理力もなければ洞察力もない、周りに振り回されてどうにかなっているだけの、しがない探偵ですから」
「……それは、セイラが可哀想だな」
「笑ってましたよ。『アナタなら、そう言うでしょうね』って」
「なら、問題ないか」
「そもそも、ぼくみたいな人間がひとり、ちょっと変わった行動をするだけで、一度も変わらなかった未来の出来事を変えられると思いますか?」
「ひとつ訂正しておくが、彼女が君に求めているのは未来を変えることじゃない。君という人間が、周囲に及ぼす影響に期待しているんだよ」
しゅーっ、とケトルが音を立てた。クロードはコンロの火を止め、沸騰したお湯をインスタントコーヒーの粉の入ったカップに注いだ。
それにしても、とクロードは言った。
「君の体質は、注視すべきだとは思うね。身体を動かせなくなるのは致命的だけど、身体に直接作用する"魔法"は全て跳ね除けるという点については、僕たち"魔法"使いには非常に厄介で、君にとても有利だ」
クロードは煮詰めて液体になった黒いなにかを、とくとくと白磁器のマグカップ――ジェムの部屋の食器棚から勝手知ったる様子で取り出した――に注ぎ、それをジェムに手渡した。どうも、とジェムはそれを受け取る。
「さっきは突然襲ったりして、すまなかった。僕はなんでも自分の目で物事を確かめたくなる性分でね、どうしても君の体質について、この目で確認したかったんだ」
「……いえ、どうぞ、お気になさらず」
なるほど、リリーが時々好奇心旺盛な性格を覗かせるのは、父親譲りなところがあるようだ。そう思いながら、ジェムは受け取ったマグカップを口許に持っていき、ゆっくりとそれを傾けた。
「にッが」
思わず顔を顰めたジェムに、クロードがふふん、とほくそ笑む。
「渋いだろう? でも、それが一番オドの消耗に効くんだ」
「なんですか、これ」
「アロニアだよ。砂糖は入れてない。この国ではよく取れるものなんだけど、食べるのは初めて?」
「こんなに舌が痺れるほどのものは、初めてです」
「それは悪かった、火の通りが悪かったのかもしれないな」
あっけらかんと言う様子が、非常にわざとらしい。もしかすると、故意に渋いものを食べさせられたのかもしれない。ジェムは心の中で嘆息した。
「……オドって、なんですか。ぼくが今、苦しめられてる原因が、それですか?」
ジェムは訊ねた。クロードは、オットマンとしてジェムが時々使っているスツールに腰掛け、自分用に用意したコーヒーを片手に、ジェムに向き合った。
「僕の正体は知っているね?」
少しだけ緊張感の漂う空気を感じ取って、ジェムはマグカップを握り締めた。
「ええ、リリーから聞きましたよ。マガリッジや”谷間の百合”では、大変ご活躍のようで」
ふっ、と肩の力が抜けるように、クロードが笑う。
「妖精泥棒、なんて呼ばれてるけどね、新聞に書いてあることはほとんど"メイガス"の作り話さ。僕はただ、空き巣に入って、奪われた命を家族のもとに返してあげようとしてただけ。"メイガス"がやってきたことに比べれば、大したことはしていない。かといって、新聞社に行って、あんなのは出鱈目だから僕の記事を書くな、とも言えない。妖精の自由を守る者として、報道の自由も表現の自由も侵害したくはないからね。まったく、困ったものだよ」
「でも、空き巣には入ってらっしゃるじゃないですか」
「残念ながら、堂々と玄関から入っていって、くれと言ったら貰えるような安いものではないんだよ、"妖精の遺物"というのは」
クロードがスワイリーだということは、ジェムはリリーから既に聞いていた。そして、"入れ替わり"の話からオーウェル保安官をスワイリーだと考えていたジェムは驚いた。初めてジーク・オーウェルに会ったとき、隠していたとはいえ彼は、リリーの父親らしい素振りなど微塵も見せなかったからである。
えへん、とクロードは咳払いした。本来の話題に戻すためである。
「とにかく、君も知っているように、僕は妖精だ。"谷間の百合"の精鋭で、マシューからスティールの名を受け継いだ。今日は、君のその体質について話をするために、M・スティールとしてここへ来た。君のような精霊の愛され子を"メイガス"から守るためには、君にも、君が何者かを知ってもらう必要があるんだ」
再び漂う緊張感に、ジェムは姿勢を正した。"精霊の愛され子"――それはきっと、あの鹿男がジェムに言った、"精霊を宿した人間"のことだろう。クロードは、低く落ち着いた声で話し始めた。
「オドはね、この世に存在する全ての生きとし生けるものに宿る神秘的なエネルギーのことだ――名前を付けられたのは、ごく最近のことだけど。オドは、僕たちの感情や、気力をも左右する、生物の生命活動に欠かせないものであり、僕たちが生成した"魔力"を安定させるのに使用する物質でもある」
「……安定、ですか?」
「"魔力"っていうのは、常にこの身体に蓄えられているものじゃない。だからかな、魔力許容量を超えると、人間の身体は"魔力"に蝕まれるんだ。それは妖精も例外じゃない。なかには、極端に許容量が低い者もいる。その強い"魔力"を身体に馴染ませる役割を持つのが、オドだ」
「じゃあ、ぼくの身体は、"魔力"に当てられる度にそのオドを極限まで消耗してるってことですか?」
「理論的には、そうだ」
「ただの虚弱体質じゃないですか、それ?」
「ところがね、まったく"魔力"を受け付けない、っていうのは、聞いたことがないんだよ。それはつまり、"魔力"を介して"魔法"を使う僕たちには、とんでもないことなんだ。だって、"魔法"をかけられないんだから」
きらきらと目を輝かせながら喋るクロードに、ジェムは圧倒されながら、でも、と話を遮った。
「ハーヴェイの拘束"魔法"やディエゴの嘘を見抜く"魔法"は効きましたよ」
「そこが面白いところだ。考えるに、君の身体はオド・パワーに"魔力"が干渉することは受け入れるようなんだ」
「オド・パワー?」
「オドを起源とする、全生命から発出される生命エネルギーだ。例えるなら、蒸発した水だよ。要するにね、君の身体は本来なら"魔力"を受け入れる、普通の人間と同じはずなんだ。だけど実際には、まったく受け付けない。これがどういうことか分かるかい?」
クロードは、じっ、とジェムの表情を窺った。ジェムは、マグカップを握ったまま微動だにせず、眉根を寄せている。その様子にクロードは、ふふ、と笑った。
「その顔は、全く何を言ってるか分からないって感じかな?」
「……そうですね、結局のところ、ぼくはなんらかの理由で普通の人間ではなくなった、と仰りたいのでしょうか?」
「さすがはスミスの探偵、要点を抑えるのは得意なようだ」
クロードは嬉しそうに微笑んだ。随分と楽しそうだが、"魔法"について語ることが好きなのだろうか。それとも、人にものを教えるのが好きなのだろうか。
褒められているようで、少しも褒められている気がしないので、ジェムは「そりゃどうも」と応えた。クロードは続ける。
「だからね、君が本来どのくらいのオドを所有していて、魔力許容量がどの程度の人間なのか、それを知るには、僕が君のオド・パワーに"魔力"を送り続けるっていう方法があるけど、そんなことをしたら君がオドを消耗し切って死ぬか、僕が"魔力"中毒でぶっ倒れるだけだから、やらない。でも、"かの組織"の"魔法"使いであるハーヴェイくんの魔法に耐えられたのだから、少なすぎることも低すぎることもないはずだ。それくらい、君の身体は矛盾を抱えているってことなんだよ」
さらり、と恐ろしいことを言っていたが、ジェムは聞き流した。
渋味の強いアロニアを飲みながら、ジェムはクロードたちが注目する自分の体質について、ある程度理解した。与えられる知識が多すぎて、話を聞くのがやっとだが、"魔法"が使われる度に自分に起こった現象が何を意味していたのかは分かったような気がする。
……気がするってだけで、全然分かってないかもしれないけど。




