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2024/04/10、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
カフェの入り口には『CLOSED』と書かれたプレートが提げられていた。ディガーがこんこんと戸を叩くと、カウベルが揺れて、軽やかな音を響かせた。
やがて、髪をオールバックにセットした針金のような男性――確か、この店のマスターだったはずだ――が現れて内鍵を開け、カフェの戸は開かれた。
「どうぞ、"彼"が奥でお待ちです」
カフェのマスターにそう促されて、リリーはカフェに足を踏み入れた――が、ふたりの気の知れた仲間がついてくる気配を感じないので、不安げに背後を振り向いた。
「大丈夫、きみならできるよ!」
ヴィンスが言った。彼の隣でディガーが何度も頷く。どうやらこの先は、リリーひとりで行かなければならないようだ。
……大丈夫。不安だけど、怖くはない。
リリーがしっかりと店の奥へと歩みを進めるのを確認したマスターは、入り口の戸を閉め、再び鍵をかけた。それから、カウンター裏のキッチンに戻り、コーヒーを淹れる準備を始める。
ホースシュー・カフェは、それほど広い店ではなかった。しかし、空席だらけのテーブルが、以前リリーが訪れたときよりも、この店を広く見せていた。
木製のカウンター付きパーテーションの向こう側に、こちらに背を向けて座る人影が見えた。リリーがゆっくりとそちらへ近付いていくと、彼女が回り込んでその顔を確認する前に、人影が勢いよく立ち上がって振り向いた。急に後ろに引かれた椅子が、床と擦れて、ぎぃっ、と鳴る。
人影の正体は、リリーやフェリシアと同様にオリーブ色の肌をした、老年の男性だった。白髪と混ざって銀髪化したブルネットの髪を後ろに撫でつけ、ささやかに下を向いた鷲鼻の下を、揉み上げから伸びた灰色の髭が口周りをすっぽりと覆い尽くした顔の、いぶし銀のような男である。湧き上がる感情を堪えるようにリリーを見つめる目は、アーモンドの葉裏のように落ち着いた緑色だ。
「――リリー、」
掠れた声で、男性が言った。リリーの肩がびくっ、と跳ね上がる。それを見て、男性は慌てて言い直した。
「――すまない。リリアーヌ、だね?」
……茹でた栗のような匂いがする。
「お初にお目にかかります……お祖父様」
銀髪の男性――"蹄鉄会"会長であり、元スミシー探偵社社長の、エメリー・エボニー=スミスの名を受け継いだ男――リリーの祖父は、口許に笑みを綻ばせた。緊張しているらしく、目許の筋肉は僅かばかりしか動いていないので、笑みが固い。
「どうかそこに掛けてくれ」
そう言いながらも、リリーを前にしたスミスの造作は、どれもぎこちない。この対面に不安を抱いていたのが自分だけではなかったと分かって、リリーは少しだけ安堵した。
リリーとスミスが向かい合うように座っていながら、お互いに真っ直ぐ目を見ることができないでいると、カウンターキッチンに立つカフェ・マスターが、視線を手許に落としたまま、えへん、と咳払いした。
「――そのう、」スミスが口を開いた。「元気そうで良かった。君が病院に搬送されたと聞いたときは、生きた心地がしなかった。それなのに、愚かな私は、君の危機に駆けつけることさえできなかった」
スミスはひどく悔しそうに拳を握った。リリーは控えめに首を振った。
「もう、大丈夫です。お祖父様の立場は理解しているつもりですから。ジェムやミスター・グレアムのおかげで、病院で適切な治療も受けられましたし、あまり気になさらないでください」
リリーの慰めに、スミスは苦い顔をした。彼女の言葉は、自分の祖父であったとしても、彼女はスミスには家族としての期待をしていないことを暗に示していたからだ。
……だが、それとは別に、優秀な社員たちが彼女を救ってくれたことに感謝をしなければ。
「あの親子には、なにか褒美をやらないとな」
にっこりとそう言ってみせるスミスに、リリーは愛想笑いを返した。想像していたよりもずっと距離のある関係なのだと実感して、スミスは気分が落ち込んだ。
「……ジェムは、お祖父様から依頼を請け負っていたと聞きました。お祖父様は、どうして彼を?」
リリーの質問に、スミスは戸惑った様態を見せながらも、目尻に皺を作った。
「彼がアラン・グレアムの息子だからだ」
「ミスター・グレアムを信頼していた、という意味ですか? じゃあ、どうして彼ではなく、ジェムを?」
「彼がまだ若いから。新しい部署には、彼のように若く柔軟な人材を求めていたんだ。あの依頼は、彼の能力を測るためでもあったんだよ」
「ジェムの体質については、なにも知らなかったんですか?」
スミスが今度は優しい眼差しを向けた。
「きみは本当に、彼を慕っているんだね」
……それはお世話になったもの。気にならないはずがないじゃない。
「知らなかったわけじゃない」スミスは一点の曇りもない瞳で告げた。「だが、確かめたかった――猫の予言をね」
またか、とリリーは思う。どうしてみんな、セイラの予言を気にするのだろう。あの予言のなにが、彼らを突き動かすのか。
「お祖父様、」リリーはやや切迫した様子で言った。「今日は忙しい中わたしのためにお時間を割いてくださって、本当にありがとうございます。ですから、単刀直入に申し上げます」
リリーは深く息を吸いこんだ。
「わたしを、探偵社で働かせて頂けませんか」
スミスはじっ、とリリーの目を見つめ返した。しばらくの間そうしていたが、やがてカフェ・マスターが二人分のコーヒーを配膳しにやってくると、スミスは「ありがとう、チェスター」と、リリーから視線を外してマスターに言った。マスターのチェスターは、スミスの礼に頷き返しながら、ミルクとシュガーポットをテーブルに置いた。
「君のお父さんから、話は聞いている。だが、私は君の口から直接聞きたい。どうして、うちで働きたいんだい?」
先程までとは打って変わって、厳かな印象を持たせるスミスの雰囲気に、リリーは、こくん、と唾を呑んだ。
「……最近、自分の存在意義について、よく考えるんです」
「存在意義?」
「はい。わたしがわたしでいることで、この世界のためになにができるだろう、って考えるんです。わたしは、これまでたくさんの人に守られてきました。時には、少々、過剰なまでに。その理由は血の繋がりだとか、そんな単純な理由だけではなかった。だから、わたしが妖精としてここにいるのには、きっと意味があるんです。――ううん、意味があるって証明したい。わたしは、わたしの期待に応えたいんです」
リリーは胸許をきゅっと握り締めた。
「わたしは、人間と妖精の架け橋になりたい。妖精たちがこの世界で難なく暮らせるように、人間たちが変わらず誇りを持っていられるように、みんなが幸せになるための力になりたい。手助けをしたいんです――わたしに、居場所を与えてくれた、スミスの探偵たちみたいに」
スミスはコーヒーカップをソーサーごと持ち上げ、そして静かに黒い液体を啜った。そして、訊ねる。
「……して、君は探偵になって、なにをしたいんだい?」
じっくりと話すべき内容を考えながら、リリーは答える。
「……生活支援、と言えば良いのでしょうか。国の制度では助けられない人たちの問題を、解決する手立てにわたしがなれれば、少しづつ、世界は良くなると思うから。そこからなら、妖精たちにも歩み寄ることができると思うんです」
「妖精に歩み寄ることが目的なら、君のお父さんの側にいた方が、容易いのではないかい?」
スミスの指摘に、リリーは首を横に振った。
「それじゃあ近過ぎるんです。わたしは、あくまで人間側の者として、彼らに近付きたいの。気高い彼らには、わたしのような半端な存在が相手でもなければ、人間から差し出された手を取ることができないと思うし、それほどまでに、彼らは追い詰められているから」
「……半端な存在、か。人間でもあり、妖精でもある存在、という意味かい? 君がいれば、妖精たちも私たちの話に耳を傾けてくれると?」
「そうです。そして、わたしはスティール家の血を引いています」
「だが、マシュー・スティールは、偽物だ」
「マイケル・スティールの子であることは変わりません。それに、私はマルクス・シュタールの娘でもあります――ご存知でしょう、お祖父様?」
マルクス・シュタール――行方を眩ませたマシュー・スティールに代わって、M・Sの称号を継いだ男は、遠い昔にスティール家から分かれた妖精一族の末裔だ。歴代のスワイリーを凌ぐ程のオドを持ち、魔力許容量も高いため、多くの"魔法"を扱うことのできる、まさしく"谷間の百合"の精鋭である。その上、彼は恋愛結婚にも関わらず、家本のスティール家とシュタール家を結んだことでも、純血の妖精一族からの指示を得ている。高貴な妖精たちにとってマルクスは、人間と結婚して血を穢したマシューとは、大違いなのだ。
……そんな妖精たちの複雑な事情を、リリーはどのくらい知っているのだろう。"メイガス"や"妖精の階段"に敵対するといっても、一筋縄ではいかない"谷間の百合"やそれに属さない妖精たちを、果たしてまとめることができるだろうか――この小さな少女の手で。
リリーの望みを受け入れようとして、しかし、とスミスは踏みとどまった。娘に嫌われ恨まれながらも、家族を守るために、人間の名を捨てた。まだ、引き下がることはできない。スミスは自分を卑怯だと分かりつつ、問いかける。
「……それならば、尚更に疑問だ。なぜ、父親と同じ道ではなく、私と同じ探偵の道を選ぶのか。まさか、猫の予言に従ったわけではあるまい?」
「従ったのではありません、試してみたくなったのです。そもそも、父と同じ道を歩もうだなんて、あの父が許すはずもありません。だけど、世間知らずでなにもできないわたしを、あの子は必要としてくれたんです。あの子の力になってあげたいと思ったんですもの。それが、いけないのですか?」
「他人が君を必要とする度に、君はそうして自分を犠牲にするのか?」
「犠牲ではなく、献身です。それに、あの子のためにやるのではありません。あの子の描く、未来のためにやるのです」
スミスは黙り込んだ。刃先のように鋭い視線で、リリーを射抜くように見つめている。しかし、そんな視線で怯むほど、リリーの決意は軟弱ではない。口許を引き締めて、スミスを見つめ返した。
「……決心は固そうだな」
スミスは深く息を吐いた。
……今回の騒動に猫たちの関与があったと知ったときから、いずれこうなるであろうことは覚悟していた。だが、それでも、おれは大切な家族を、孫娘を、この戦いに巻き込みたくはなかったのに。
だが、これ以上はリリーの決意を無下にしたくない。スミスは、ソーサーに乗せたまま持っていたコーヒーカップをテーブルの上に戻した。そして、ふわりと微笑み、リリーに対して何度も頷いた。リリーはとても嬉しそうに笑った。




