32(1/2).妖精の娘 - The Fairy's Daughter
2024/04/10、改稿
一部内容を変更致しました。m(_ _)m
同日、リリーは、ニューノール区のショルメ通りに面したブティック『サロメ』で、頭を悩ませていた。手に取った洋服の値札とにらめっこをしては、元に戻し、また新しい服を手に取る。
両親から与えられた小遣いで、服を買う。そんなことが、彼女にとっては初めての経験で、なにをどう買い、どのくらいお金を財布に残しておくべきなのか、リリーには皆目見当がつかなかった。
素敵だと思う服は沢山あるが、自分が本当に好きなのかはよく分からない。さらに困ったことにリリーは、どのサイズが自分に合った服なのか、そして、それをどう判断すればいいのかすら知らなかったのだ。
「なぁ、リリー、これはどう?」
ヴィンスが花柄でラズベリー色のラップワンピースを手に持ってやってきた。リリーはそれを見て、むっと唇を突き出した。
「もう、ヴィンスがそうやって持ってくるから、ますます決められなくなっちゃうじゃない!」
「それは、おれの服選びのセンスがいいから?」
「知りません!」
ぷい、と顔を背けるリリーに、ヴィンスはくすくすと笑う。
「そんなに怒ることないだろ? おれがついてくるのを許したのは、リリーなんだからさ」
リリーはきゅっ、と唇を噛んでヴィンスに抗議の目を向けたが、すぐにしおらしくなって、「ごめんなさい」と返した。
「いや、いいんだけど。もしかして、緊張してる? お祖父さんに会うの」
ヴィンスの問いかけに、リリーは小さく、はい、と、肯定した。ヴィンスが持ってきたワンピースを受け取り、その服にどこか惹かれて、気付けばさわさわと裾のひだを触っていた。そして、呟くようにリリーは言う。
「認めてもらえるといいのだけど」
弱気なリリーを励ますため、ヴィンスは肘で彼女の腕を小突いて顔を上げさせた。
「認めさせるんだよ、きみの熱意をきちんと伝えなきゃ。あいつの力になりたいんでしょ?」
すると、また不機嫌そうに唇を突き出し、ぼそぼそと、リリーはヴィンスの言葉を訂正した。
「ジェムだけじゃ、ないですけど」
……別に名前は言ってないんだけど。こういうところが、あいつに似てるんだよなあ。
ヴィンスは口角が上がるのを抑えられず、リリーには悪いとは思いつつ、にやにやしてしまった。
「あの、これ、」とリリーはラズベリー色のラップワンピースを自分の身体にあてた。「わたしに似合うでしょうか?」
ヴィンスは片足を引いて、さっとリリーの全身を眺めた。
「……うん、いいと思うよ。でも、実際に着てみた方が分かるんじゃない?」
「じゃあ、これ、買います」
「え? いやいや、試着したらいいでしょ」
「試着? 試着ができるのですか?」
ヴィンスは一瞬、言葉を失った。
「……うん。できるよ、あそこで」
そう言って、店の奥のカーテンで仕切られた部屋を指した。彼の指差す先を見て、あそこで、とリリーが驚いた様子で呟くのを、ヴィンスは聞き逃さなかった。
「……今までどうやって服を買ってきたの」
ヴィンスの顔が引き攣っているのに気付いて、リリーは試着室がそう珍しくないものなのだと理解した。珍しくないどころか、一般的なものなのかもしれない、と。
またもや自分の世間知らずを思い知って、リリーは顔をやや赤く染めながら、ヴィンスの問いに答えた。
「……その、時々エレンが――家のメイドが、わたしの寸法を測ってくれて、その翌日から大量の服が、わたしの部屋に届いたり……」
「本、当、に箱入り娘だね、きみは。っていうか、最早軟禁だろ、それ」
……否定できない。出かけるときは、いつもオルトンがいなきゃ駄目だったし。
だけど、リリーがひとりになりたいときは、気を使って放っておいてもくれるのだ。そのため、リリーはあの家で暮らしていても、窮屈さを感じたことはなかった。しかし、オルトンの叔母のオレリア・ギファードを慕っていたリリーは、ひとり暮らしに憧れてもいた。それ故に、大学進学に際してひとり立ちしようと考え、父親やオルトンと言い合いになってしまったのだが。
過去に思いを巡らせていると、それをリリーがなにやら思い悩んでいると勘違いしたらしいヴィンスが、彼女の顔色を窺うようにして訊ねた。
「まさか今日も、家出してきたわけじゃないよね? これからやろうとしていることについては、ご両親も納得してるの?」
リリーはヴィンスに誤解されないよう、しっかりと頷いた。
「父は不服そうでしたが、猫の――」
はたと、リリーは考える。ヴィンスはベルトラン家の猫の正体を知っていただろうか、と。
躊躇する様子で自分を見つめるリリーに、ヴィンスは 「――セイラ?」と確認した。それでようやくリリーは、ヴィンスが既にセイラに会っていたと、事件後に明かしてくれたことを思い出した。
「――ええ、そのセイラの説得のおかげで、どうにか許してくれました。わたしに危険が迫ったときは、猫たちが守ってくれるだろうし、」言いつつ、リリーは胸許のペンダントに触った。「このペンダントが役に立つだろうから、しばらくは、わたしがひとりで行動しても大丈夫だろう、って。正直、まだよく分からないのですけど、なにか、わたしにしかできないことがあるみたいで……」
リリーの声が段々と、尻すぼみになる。本人は至って真面目なのだが、傍から見れば、あまりに現実味のない話をしているので、自分をまるで妄想癖のある女のようだと思ってしまったのである。周辺に人はいないというのに、ついつい人目を気にして、黙り込んでしまった。
しかし、それにヴィンスは真剣に応えた。
「それって、猫の預言の話?」
ヴィンスの態度に、リリーはほっと安心する。
「そうです。セイラが預言者だなんて、なんだか変な感じですけど」
「他にも聞いてる、その預言? おれには全然教えてくれなかったんだよね」
ええと、とリリーは言い淀む。セイラが教えなかったことを、自分が教えていいものだろうか、と。
逡巡しつつも、結局、リリーは自分の知っていることだけヴィンスに伝えることにした。
「セイラは今、自分がまだ見たことのない未来を現実にしようと頑張っているそうなんです」
「見たことのない未来?」
「本来ならば、わたしはまだ、ジェムやヴィンスに会えていないし、ジェムの秘密が他人に知られていることもないそうなんです」
ヴィンスは、ああ、と相槌を打った。これみよがしに溜め息を吐いて、眉尻を下げる。
「まったく。あいつもあいつで、とんでもない爆弾を抱えてたもんだよな」
リリーは、これから試着予定の商品を腕に抱えながら、ついつい話し込んでしまう。話題が彼のことなら尚更だ。
「ジェムはいつから気付いていたんでしょう? 自分の体質のこと」
ケテルに遭遇した日の翌日、リリーは、キェーフト病院の病室で目を覚ました。そのとき、傍らで見守っていた様子のジェムが、鼻筋にギプスを乗せた顔で、躊躇いがちに言ったのだ。
「きみに――最初にきみに、伝えておくべきだったことがある」
それから彼は、自分が体験した不思議な現象のことや、リリーが妖精であることを彼女が打ち明ける前から知っていたことを告白したのである。
リリーの疑問に、ヴィンスは自身の左の耳朶を引っ張りながら答えた。
「そうだなあ、あいつ、気付いててもそういうこと言わないからなあ。昔からさ、おれが幽霊とか超常現象とかの話をしても、受け止めてくれるところはあったんだけど、そのときおれは、寛大なやつだなあ、としか思わなかったから」
ヴィンスの話に、リリーは目を丸くする。
「ヴィンスはそういうのに興味があるんですね」
「まあ、おれ、視えるからね」
意外そうに言うリリーに、ヴィンスはまるで冗談を言うような口調で返答した。リリーはそれを真面目に受け取った。
「例えば、どんな? もしかして、今もなにか見えてたりします?」
リリーの返しが予想外のものだったので、少々驚いたヴィンスはくいっと片眉を持ち上げた。しかし、すぐに悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「うん、リリーの後ろに沢山、顔のない人が……」
「ひい、やめてください、もう聞きません!」
「うそうそ、今のは冗談だから」
リリーは涙目でヴィンスを睨みつけた。忍び笑いをするヴィンスに「もう本当に知りませんから」と捨て台詞を吐いて、店の奥に向かう。
ヴィンスの選んだワンピースを持って、試着室のカーテンを翻したリリーは、数人の先客が、そこそこに大きな部屋に置かれた鏡の前に立ち、自身のプロポーションと服との相性を吟味しているのを目撃した。友人同士で来たのだろう客もいて、彼女たちは鏡越しに少々大きめの声量で会話をしていた。どうやらここは、女性たちが共有で使う試着部屋のようだった。
これは、大変そうだ。人目を気にするリリーには、特に。リリーは意を決して試着室に身体を滑り込ませ、できるだけ出入り口に近い鏡を選んで、その前に立った。手早く着替え、軽く身体を捻るなどして、ラップワンピースに身を包んだ自分の姿を鏡で確認する。
……うん、これにしよう。
よし、と、意気込んで踵を返すと、近くの鏡を使っていた若い女性客たちがくすくすと笑った。リリーは顔を真っ赤にさせながら、着てきた服を腕に抱えて、俯き加減に部屋を出た。
リリーが試着室を出てきた気配を感じ取り、ヴィンスは慌てて手に持っていた服をハンガーラックに戻した。花柄のラップワンピースに身を包んだリリーは、先程より大人っぽく見える。
「……どうです?」
リリーはヴィンスに訊ねた。
「うん、いいね。似合ってるよ」
ヴィンスに太鼓判をもらったリリーは安堵して、肩の力を抜いた。
「ヴィンスはいいんですか? それ」
リリーは、先程ヴィンスがハンガーラックに戻したスカートに視線を遣った。見られていたのか、とヴィンスは顔を引き攣らせる。ああ、ええと、としどろもどろになる彼を横目に、リリーは、その黒いロングスカートを手に取った。
「サイズは合ってます?」
「えっ?」
「ヴィンスにはいつもお世話になっていますから、わたしに贈らせてください」
ヴィンスがぽかんと魚のように口を開けて、リリーを凝視している。リリーは要らぬ気を利かせてしまっただろうかと不安になって、ヴィンスの顔色を窺った。
「もしかして、要りませんでした?」
ヴィンスは答えない。まるで蝋人形のようにその場に固まってしまって、リリーが手にしているスカートから視線を逸らせずにいる。
「ヴィンス?」
リリーはおずおずと呼びかけた。ヴィンスは、はっとして、なんとか誤魔化そうと無理矢理笑った。
「いや、いやいや、なに言ってんの、なんでおれが、」
しかし、リリーの真剣な眼差しを見てヴィンスは、これは誤魔化すべきじゃないな、と思って、えへん、と咳払いをした。
「……その、変じゃないか、おれが着るのは?」
ぱちぱち、とリリーは目を瞬かせた。まさか、ヴィンスが自分で着ようと思って選んでいたのだとは思わなかったのである。リリーの表情に気付いたヴィンスは、取り繕うように笑みを浮かべた。
「――ごめんごめん、今の、冗談! そうなんでも真剣に捉えないでよ」
そうは言うが、リリーにはヴィンスの感情が分かってしまうので、ぶんぶんと首を横に振った。
「わたしの方こそ、ごめんなさい、世間知らずで。これ、ヴィンスにきっと似合うと思います」
「いいよ、リリー、無理に気を遣わなくたって」
「ううん、違うの。気を遣ってるとかじゃなくて、わたしは本当に、好きなものはなんだって着ていいと思ってるの。ただ、わたし、思い込みが強いから、上手く反応できなくて。……それに本音を言うと、わたし、ヴィンスがこれを着てる姿が見たいんです」
リリーの言葉に、ヴィンスはうっ、と言葉を詰まらせた。
……いや、だってそれ、ドラマとかでヒロインが彼氏に言われる台詞じゃん!
「……リリー、愛してる」
「えっ?!」
「きみは、おれの腹心の友だ。生涯、変わらぬ友情をここに誓おう」
「……そんな大袈裟な」
リリーは顔を真っ赤にさせて、もごもごと呟いた。内心、とてつもなく嬉しいと思っていることは、ヴィンスには内緒だ。
力一杯の喜びを伝えたあと、ヴィンスは先程のハンガーラックから同じ黒いスカートのサイズ違いを手に取った。
「……こっちで、お願いします」
はい、と頷き、リリーはヴィンスのスカートを交換すると、緊張しながらレジに向かい――彼女にはレジで支払いをすることも初めての経験だったのだ――、店員に商品を手渡した。自分の着ている服を摘み、このまま着て行きたいのですけど、と不安で声を震わせながら訊ねる。
その様子を遠くから見守っていたヴィンスだったが、ブティックへの入店を知らせるドアベルの音を聞き、そちらの方へ首を回した。
暗緑色の長髪に、炎のように真っ赤な毛先を持った、長身の男が、きょろきょろと店内を見回していた。彼の瞳がほとんど金色に近いアンバーで、季節外れのロングコートを着ていて、些か異様な雰囲気を纏っているため、店内が少しぴりつく。
不審者扱いされて追い出される前に、とヴィンスは男に近付き、よう、と声をかけた。
「あんたの主人に、もう会えるのか?」
男――ディガーは頷いた。
「準備が出来た。直ぐにカフェに来い」
「……相変わらず愛想がないな。あんた、本当に犬かよ?」
愛想を振りまくことにまったく関心がないのだろう、ディガーはふん、と鼻であしらった。
支払いを終えたリリーが、ヴィンスたちの許へ小走りで遣って来た。ディガーの姿を確認して、表情が強ばる。いよいよあの祖父と対面するのだから、緊張しているのだろう、とヴィンスはリリーの背中をぽんぽんと軽く叩いた。
「心機一転、張り切って行っておいで」
そうだ、そのために着替えたのだ。自分で買った服に身を包んで、新たな一歩を踏み出そうと。
リリーの顔付きが変わったのを見て、ディガーは慈愛に満ちたような目になり、さらに慎ましく微笑んだ。
ディガーが戸を開け、リリー、ヴィンスと続いて店を出た。そして三人(二人と一匹)は、道路を挟んで向かい側、数メートル歩いた先のホースシュー・カフェ・ショルメ店――スミシー探偵社ブランポリス支部が併設され、かつてフランク・キプリングが経営していた店である――に向かった。




